。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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手続き。。。

2012.06.05 (Tue) 父の看護日誌

父と同居を決めて、いろいろな手続きがあった。

3月12日の日付で住所変更をする際、父を主人の扶養に入れようと思って
まずは、同一世帯で変更をすることにした。
でも役所に届けを出す時、窓口の方に

「世帯を一緒にすると、保険料等上がりますけど大丈夫ですか?」
「一応、主人の扶養に入れようと思ってるんですけど・・・」
「先に保険課に相談されてみては?」

と言われて、保険課の窓口へ。
保険料が上がることは間違いなく、とりあえず同じ世帯で登録し
あとで分離することも出来るから、税関係のことを調べてから対処することにした。

んで、調べてみたら、父の年金がほんの数万円オーバーしてしまうので
主人の扶養家族になれないことが判明。
1ヵ月後に、世帯を分離するために手続きに行くと、またもや
住所変更の窓口で、分離する日を保健課で相談した方が良いと言われて
保険課の窓口に行くと、分離する日は、3月12日で登録した方が
前の住所から、引き継がれるので良いと言われて、その日で登録してもらった。

そして、介護保険の区分変更。
3月1日に、ケアマネKさんが役所に申請してくれて8日に面談した。
今考えれば、R病院の診断書は通常で3週間かかるんだから
4月4日に審査会になったのも、理解できる。
結果は、4月6日に届いた。

要介護3

それでも、毎日デイに通い、月に1度宿泊も利用し、福祉用品も含めれば
単位数を大幅にオーバーするので、実費が発生する。
それでも、父の年金内でギリギリ収まる。
なんといっても、階段用リフトが高いんだな~。
でも私自身のことを優先して考えれば、このやり方が一番ベストだと思う。

別に暮らしていた時は、現状が維持できれば良いと思っていたから
書類が届いても、結果が『要介護1』であれば
他の書類に、目を通すことはなかったけど、今回は
添付されていた書類に、全部目を通して、他にも申請出来るものが
あることに気が付いて、もっと早くやれば良かったと思った。

高齢者の所得税及び市民税・県民税の障害者控除
基準がいろいろあるのだけど、父の場合で見ると
認知症の度合いが、区役所福祉保健センター長の認定を受けた場合
と、書いてあった。
どういう基準なのか?わからないので、高齢者支援課に行って聞いた。
父の場合は、平成19年度・・・介護保険で『要介護1』の認定を受けた時から
障害者控除に、今年度は特別障害者控除の対象になるそうな。

障害者控除対象者認定書

が、届いたので、これを持って3階の市県民税課へ。
これの認定を受けると、今まで市県民税を払っていた父が
非課税になり、19年度分からさかのぼって返金されることがわかった。
でも、24年度・23年度は6月くらいには、処理が出来るそうだけど
それ以前の分は、半年近くかかるんだそうです。
しかも、非課税証明書は、5月2日にならないと書類が出来ないとか。

その非課税証明書があれば、紙おむつの補助が受けられることもわかり
5月2日に非課税証明書を取りに行ったら、24年度は出来てたけど
23年度がまだ処理が終わっておらず、理由を話したら書類は作ってくれた。
今度はそれを持って、またまた高齢者支援課へ行き、手続きをしたんだけど
役所のコンピューターの中身が変わっておらず、書類を見せて説明。
コピーを取られ、福祉用具をお願いしているFベッドを指定して申請の手続き終了。

高齢者日常生活用具給付 決定通知書

が、届いたので、Fベッドに連絡。
3単位と言うことで、指定された紙パンツを3パックまで利用できる。
2種類あったので、お試し品を5個づつ届けてくれて
どちらも、使い心地処理心地は同じだったし
毎月変更も出来るらしいので、まずはN製品から使用することにした。

高額介護サービス費
介護保険の利用料(保険の効いた部分)が、一定額を超えた場合
超えた額の払い戻しがあるらしい。
これは、自己申告ではなく、役所から通知が届いたら
申請すれば、次回からは自動的に払い戻されるそうな。
父の場合は、実費もあるわけだから、いずれ通知が届くでしょう。

部屋代・食事の負担軽減(負担限度額認定)
これは、義弟の時にも利用した認定書。
特養や介護医療型施設やショートステイを、利用した場合に
負担限度額に軽減されるというもの。
父も非課税世帯なので、この認定が受けられる。
これも同じ日に、手続きに行ったんだけど
役所のコンピューター上が、まだ変更になってないので
ここでも、書類を見せて、説明することになった。
この認定書、今は利用しないけど、いずれ利用する可能性もあるので
一応、もらっておくことにした。

お役所仕事と、よく言われるけど、まあ処理が遅いこと。
しかも課によって、期限が違う。
理由はあるんだろうけど、申請する月によっては
24年度のものが必要だったり、23年度のものが必要だったり
1度で済ませようと思うと、1階と2階と3階を、行ったり来たり
数日後にまた行かなきゃいけなかったり、役所での手続きは
重労働でごじゃりますね。

あとは、母のお墓の住所変更がある。
父との同居のことも、話してこなくちゃいけないんだけどね。

そして、特定疾患の申請書。
これの申請が済めば、パーキンソン病に関しての治療費は無料になる。
いくら忙しいとは言え、診断書を書くのに2ヵ月以上もかかるって
どうなのかしら・・・
診断書の料金も支払い済みだし、もしやっぱり申請が出来ないのなら
早く知らせてもらった方が、妙な期待をしなくて済むんだけどね。

義弟の時も、いろいろな手続きにあちこち走り回ったっけな~。
なんぞと思いだしつつ、今出来る手続きは終了となりました。。。

退院後の受診。。。

2012.06.01 (Fri) 父の看護日誌

父がパーキンソン病と言われて、12年が過ぎる。
最初は手の震顫からで、団地に住んでいたころだ。
私がいくら病院に行けと言っても、行くことはなかったけど
ある日、行きつけの床屋さんで

「脳に異常があるかもしれないから、病院に行かなきゃダメ!」

と言われて、あわてた父は近くのM病院へ行き診断された。
まだ父は元気だったので、いいと言ったけど心配で
私も担当医から話を聞くために、一緒に行き

「今は、お薬がたくさんあるから、それほど心配ないですよ」

そう言われ、少しホッとした。
8年前に我が家の近所に越してきて、今のR病院に変わった。
で、R病院のⅠ先生から、K先生を紹介された。
通常の診察とお薬の処方は、K先生から
3ヶ月に1度はⅠ先生の診察も受け、パ-キンソン病に関係する検査等は
R病院で受けることになった。

「手の震顫だけなら、これだけで済む方が多いですから」

Ⅰ先生の言葉で、安心してた。
この頃は、パーキンソン症候群って言われてた。
実際に昨年の夏ごろまでは、変化もなく来ていたわけだからね。

M病院の時から、お薬は

朝食後 アーテン半錠・マドパー1錠
昼食後 マドパー1錠

R病院でもそのお薬のままだった。
でも手の震えが、父自身が気になり、そのことを伝えると
K先生宛に紹介状を書いてくれて

朝食後 カバサール1錠 が、増えた。
コレステロールの数値が高かったので、当初は
朝食後 リピトール1錠 も、処方されていたけど
K先生の判断でその後、クレストール500㎎1錠に変更になった。

それ以降、パーキンソンのお薬は、入院まで同じお薬だったけど
昨年の秋頃から少しずつ変化が出始め、年明け様子も変わり
そろそろお薬を増やした方が良いだろうと言われて
血圧測定の結果を持って、次回の診察でお薬が増える予定だった。
でも症状の悪化に伴い、悪性症候群を起こして、入院となった。

朝食後 アーテン半錠・マドパー1錠・カバサール1錠・エフピー1錠
昼食後 アーテン半錠・マドパー1錠・クレストール250㎎1錠
夕食後 マドパー1錠

退院時に上のようにお薬が変更になり、2週間分のお薬を処方された。
病棟の担当医に、自宅にあるお薬も少ないので
退院後、すぐにK先生を受診したいことを伝えると
K先生宛に紹介状を書いてくれた。

退院後からデイに通い始めたし、私の中では18日からは
新しいデイにも通い始める予定で、毎日通い始めると
病院に行く日は、診察後デイに送り届けることになる。
だったら、14日に受診してしまえば、少し楽かなと思った。
なのでK先生を受診して、2ヵ月分のお薬を処方してもらった。
でもこの後、R病院のⅠ先生に少々文句を言われることになる。
患者の引き継ぎは、カルテだけなんだね。
今後は、気を付けなくちゃいけないことだな。

3月29日12時30分、退院後の初受診。
この日は、デイをお休みした。
22日に、左手小指の付け根を5針縫っていた父。
整形外科に通う際に、足が前に出ず、汗だくで支えたので
車いすを借りて、消毒を受けていた。
R病院でも車いすを借りて、3階まで行き診察室に入ると

「あ~、車いす使っちゃってるのか」
「この前、ケガをして・・・」

と、経緯を説明すると

「パーキンを知ってる人なら、わかると思うんだけどね~」
「はあ~・・・」

足が前に出なくても、しばらく休憩をすれば歩けるって。
それはわかってるんだけど、膝カックンされたときの
父の重さは、ハンパじゃないんだって。
つかまるところや、座るところがないと
女一人の力では、休憩すると言っても
私共々、転倒する可能性だってあるわけで
車いすに頼らざる負えない・・・

と、父・・・診察中なのに、「オシッコ」だと・・・
あわてて車いすで、トイレに駆け込み排泄を終わらせ戻る。

「入院するとさ、なんでも看護師がやっちゃうだろ。
 出来てたことも、出来なくなっちゃうんだよね」

・・・と、言われましても・・・

「Ⅰさん(父の苗字)はね、薬がよく効くんだよ。
 だから薬が効いてくれば、前と同じように歩けるようになるから」

そう言われたら、少し安心した。
んで、お薬をさらに増やして、様子を看ることになった。

「K先生のところで、2ヵ月分のお薬もらっちゃったんですけど」
「えっ?!次に受診までの薬が、出てるはずなんだけど」

退院時のM先生との会話を話して

「K先生に紹介状も、書いてもらいましたけど」
「おかしいな~」

そう言われましても・・・
細かい事までの引き継ぎってされないんだな~と、このとき思った。

「今後薬は、僕が処方した方がいいでしょ」

はい、それならそれでいいんですけどね
決めるの、私じゃないと思うんだけどな・・・
・・・って、I先生こういうキャラの人なんですけど
受ける側によっては、誤解されるってばさ(≧ω≦)
知らなかったんだけど、Ⅰ先生は、神経内科の部長先生。
抱える患者さんも多くて、予約をキャンセルすると
3ヶ月以上先にならないと、予約が取れないんだよね。
パーキンソン病では、名医らしいんだな。

車いすはなるべく使わず、少しの時間でいいから歩くリハビリを
毎日するよう言われて、1週間後の4月5日にまた受診することになった。

「あ、そうだ。Ⅰさん特定疾患の申請出来るから
 役所でもらって、受付に診断書出しておいて」

そう言われたので、その日のうちに役所に行き
その足でまた病院に戻り、受付に診断書を出し
4月20日に、出来あがる予定だった。

整形外科の通院は、ほぼ毎日で、終わるとデイへ送る。
朝4時過ぎ起床後、家に戻るお昼過ぎまで、フル稼働。
部屋の片付けもボチボチとしながらだったから、私クタクタでした。

それ以降、整形外科でも車いすを使わず歩かせ
5年間通ったMのさとでも、リハビリに協力してくれることになった。

4月5日の受診では、まだ足取りもおぼつかなかったので
車いすの場所まで歩き、3階までは車いすで行き
外待合から診察室までは歩いた。

デイでも、リハビリをしてくれることを伝えると

「うん、よかった。リハビリは大事だよ」

次は2週間後、4月19日8時30分の受診。
整形外科は通院中、小指が曲がらなかった父。
毎日曲げる練習をしないと、指が曲がらなくなるから
リハビリに通った方がいいかも・・・と言われて
毎日グーパーをさせて、曲げられるようになり
6日に抜糸が済み、7日に通院も終わって、ホッとした。

4月18日に、R病院の文書係から連絡が来て
まだ診断書が出来てないと言われる。
翌19日、Ⅰ先生の受診。
この頃から、少しずつ父の足取りがしっかりしてきた。
デイでも、良くなってきてると言われた。

「うん、薬が効いてきたんだね。よかった」

で、この日は受診前に残っているお薬を数えて行き
それを伝えると

「次は3ヵ月後にしようと思ってるんだけど・・・面倒くさいな~」

と言いながら、お薬の日数をどうしようか?長いこと悩まれて

「あ、クレストールは、K先生からもらってね
 昼に飲むようになってるんだな・・・」
「変えた方がいいですか?」
「いや、いつ飲んでもいいんだけど、僕なら夜にするけどね」

・・・って、じゃあ夜の方はいいってことなのか?
お薬だって、飲み方で効き方が変わる場合があるでしょ。

「じゃあ、夜に変えます」
「いや、別に昼でもいいんだけどね」

なんだかな~・・・と思いつつ、今は夜飲ませております。

ずいぶん悩まれていたけど、7月10日8時30分の受診日から
数日後までの、お薬を処方してくれた。

で、クレストールは500㎎から250㎎に変わり
足りなくなるので、5月9日にK先生を受診した。

「入院中の検査で、数値が良かったんだね」

パーキンソン病のお薬は、I先生が処方してくれることを話し
特定疾患の申請が出来ることも伝え、診断書がまだなことも言うと

「I先生、忘れてるんじゃないか(笑)」

そう言ってた。

で、現在服用しているお薬は

朝食後 アーテン半錠・マドパー1.5錠・カバサール1錠・エフピー1錠
昼食後 アーテン半錠・マドパー1.5錠
夕食後 マドパー1錠・クレストール250㎎1錠

5月21日ごろに、一度催促の電話を入れてみたのだけど
まだ出来あがってなく、文書係からも催促はしてるらしい。

そして、今日は6月2日。
診断書は、まだ出来上がってません。
介護保険の区分変更も、診断書が遅くて
審査に入るまでに、1ヶ月以上かかったんだろうな。
来年3月に、介護保険の更新がある。
これは、K先生にお願いした方が良さそうだと思う。

こうして、しばらく通院から解放された。。。

ケガ。。。

2012.05.31 (Thu) 父の看護日誌

父が退院して、私もある意味少し気が抜けた。
部屋の片づけ等も続いていて、クタクタだったせいもある。
義弟の時もそうだったけど、夜中に起きることが出来ない私。
はい、そういう根性がないのです・・・なにしろズボラですから・・・

退院した直後は、一人でベッドから起き上がれなかった父。
そして、夜中に起きたくない私。
退院した12日と13日、父に厚手の紙おむつをして就寝。
当然のことながら、漏れた・・・
これは想定内だったので、それなりにベッドは準備してあったけど
父は気持ち悪かったのは、言うまでもない。

「紙おむつ、取り替えてくれよ~」

朝様子を看に行くと、父が言った。
が、14日の夜から、父は一人でベッドから起き上がれるようになった。
ここから、夜中に何度も起こされるようになった。
一人暮らしをしてた頃、夜中に1度トイレに起きると言ってた父だけど
1回どころではない、4.5回起こされる。
我が家は、バリアフリーではない。
トイレも洗面所も、1段上がらなければいけない。
まだ足取りがおぼつかない父、暗い中歩いて段差を踏み外せばケガをする。

「隣に寝てるから、トイレの時は壁を叩いて起こしてね」

普段忘れることが多いのに、これはインプットされたらしい。
壁を叩いて起こすのはいいが、ひどいときは10分おきに3回。
これは、夜中に起きれない私にとって、地獄でごじゃいます。

「またぁ~、おとうさん。まだ10分しか経ってないよ」

うっかり、怒ってしまう時もあった。
愛娘のお散歩があるから、私の朝は4時過ぎから始まる。
夜寝るのも10時と早いけど、父は7時過ぎにはお布団に入り
11時ごろから、何度もトイレに行き始める。
寝るの大好きな私にとっては、これは拷問にも近い。
退院の時、ポータブルトイレを考えていた私。
少し様子を看ようと思いながら、お昼寝も取り入れつつ
部屋の片づけにも追われ、知り合いの便利屋さんにお願いして
17日には父の部屋もきれいに片付き、19日に明け渡し完了。

18日には、S本舗に初めて通所。
ここは昨年12月に、オープンしたばかりのデイ。
普通の民家なので、小じんまりしていて
Mのさととは、雰囲気がまったく違うけど、落ち着く感じがした。
帰ってきた父は、S本舗が気に入ったようで、安心した。

我が家の方も、ボチボチと片付き始め、私にも油断が出来たのだと思う。
22日、朝のお散歩が終わり、父の部屋をのぞくと

「なあ、おれの顔腫れてないか?」
「えっ?どうしたの?」
「トイレで転んじゃったんだよ~」

笑ってる父だけど、ビックリした。
このとき、顔は腫れてる様子はなかったけど
左手小指の付け根のあたりが、斜めにザックリ切れていた。

「カットバン貼っときゃいいよ」
「カットバンでなんか、治らないよ」

どう見ても、縫わなくちゃいけないほど切れていた。
手を開くと出血し出すので、開かないようにハンカチで覆い
少々パニクってしまった私。
近くの病院の外科を見つけて、9時に連れて行ったのだけど
そこは消化器外科しかないとのこと。
んじゃ、『消化器・外科』って、点を入れるなと思いつつ
義弟が骨折した時通った、Ⅰ整形外科へ。

で、ここで初めて父が歩けなくなる姿を見た。
駐車場から病院まで、少し坂道を登るのだけど
この途中で、足が前に出なくなった。

「ゆっくりでいいよ。あわてなくていいんだからね」
「足が動かないんだよ~」
「大丈夫、恵子が支えてるから。ゆっくりでいいよ」

パーキンソン病の症状だとは知っていたけど、突然だとあわてる。
膝がカックンすると、体重が私の手にかかる。
父から手を離すことも出来ず、汗だくで支えながらゆっくりと進み
なんとか病院到着、その様子を見てすぐに車いすを貸してくれた。

結局、神経が2本切れており、5針縫うことになった。
神経を繋げるとなると、大きな病院へ移らなくてはいけない。
指の曲げ伸ばしに支障はないとのことなので、そのまま縫ってもらった。
この日は、お昼過ぎまでかかったために、父も疲れてしまい
この日は、デイはお休みすることにした。
この日から、日曜日と水曜日の病院がお休みの日以外は
ほとんど毎日消毒に通い、その足でデイへ送る毎日となった。

足が前に出なくなる・・・これは知っていたけど
家の中では、今までと変わらず歩いていたから
この姿は、私にとっては、ショックだった。
父は歩けなくなった。。。そう思った。。。
消毒を済ませMのさとへ送り、施設内に入ってしばらくすると
同じ症状が出て、父は職員さんに抱えられ車いすに乗る。
私は知らなかったけど、Mのさとの職員さんは知っていた。

「もっと大変な人もいるんだから、大丈夫だよ」

そう言われたけど、気持ちは凹んだ。
すぐにケアマネさんに連絡して、ポータブルトイレをお願いした。
カタログを見せてもらい、家具調で普段は椅子として使えるものを注文。
Fベッドの担当Sさんから連絡が来て、その日のうちに持ってきてくれた。
肌に付くものは、買い取りになるそうだけど
後日9割が返金されるそうで、手続きはFベッドさんがしてくれた。

退院直後に購入してたら、こんなケガはさせずに済んだかもしれない。
夕方には、下唇がたらこのように腫れてしまった。
なんのために同居をしたんだか?
同居して10日目に、こんなことになってしまって・・・

「完璧な介護なんて無理なんだぞ!」

義弟の時にも主人からよく言われたけど、今回も言われた。
この程度で済んだのだから、よし!としなくちゃね。

ポータブルトイレは、購入して正解だった。
尿を受けるバケツに、ビニール袋をかけ
ここで活躍するのが、わんこ用のチッコシート。
一番大きいサイズのものを、ビニールの上に敷いておけば
2.3回分の尿を受けてくれるので、ビニールごと捨てればOK。
父もトイレが楽になったと言っていた。

ケガから3日目。

「おれ、どうしてここケガしちゃったんだ?」
「トイレで転んじゃったんだよ」
「そうなのか?」
「うん、だからこのおトイレ買ったんだよ」
「そうか・・・」

今現在、倒れて救急車に乗ったことも、入院してたことも
ケガをして5針縫ったことも、父の記憶にはごじゃいません。

「都合の悪いことは、忘れるんだよ」

・・・だそうです・・・( ´艸`)ムププ

担当者会議。。。

2012.05.30 (Wed) 父の看護日誌

ある程度回復して、退院してきた父。
退院の手続きを済ませて、お昼過ぎに自宅に戻った。

「これに乗るのか?」

階段用リフトを見た父が言った。
義弟は痩せていたので、お尻に肉がなくて
昇るときの衝撃でお尻が痛いと言って、座布団を使用したけど
父の体系は、相変わらず豆タヌキ体系だったので
それほど気にならないようだった。

ケンタッキーのフライドチキンとポテトが大好物の父。
昼食は、ケンタッキーを買って来た。
ずっと病院食だったから、美味しそうに食べていた。

「向こうの部屋のものは、捨てたのか?」

家に戻ってから、しばらく同じことを聞いていたっけ。
その後は、ベッドの中でウツラウツラしながら、テレビの番をしてた(^m^)
退院の時、翌日からデイに通って良いと言われていたので
さっそく13日から通所が始まり、退院翌日だったけど
それほど大きな変化もなく、1日過ごして帰ってきた。

14日は、午前中にK先生を受診した。
7時前に犬のお散歩から戻り、8時前には家を出発しなければならない。
なので、朝とてもあわてて家を出た。
K先生の病院は、駅前通りにあって、駐車場はコインパーキングしかない。
そこから少し歩き、階段を昇らなくてはいけないのだけど
おぼつかない足取りではあったけど、なんとかたどり着いた。
ところがここで、気が付いた。
朝のお薬を飲ませるのを忘れた・・・父を病院において
あわてて自宅に戻る途中、病院のすぐ隣にコインパーキングが
出来てたことがわかって、そこに車を停めてお薬を持ってきて父に飲ませた。
K先生に紹介状を見せて、同居することを伝えると

「これから先、症状が悪化する可能性があるから同居の方が安心でしょう」

K先生から、少し注意事項等を聞いて
3月29日にⅠ先生を受診することも伝え
2ヵ月分のお薬を、処方してもらった。

家に戻ると、横になると言って、ベッドに入った父。
お昼を食べて、午後からは担当者会議。
ケアマネさん、5年間通所したデイ(Mのさと)の職員さん
新しく通うデイ(S本舗)の責任者さん、福祉用品のFベッドの担当者さん
そして、父と私。
部屋が狭いので、父はベッドに寝かせたままで会議となった。

週5回通っていたMのさとを、とても気に入っていた父。
同居になったので、私自身も父との関わりが長くなれば
今の気持ちが、どう変わるか?わからない。
これは、義弟の時に学んだことだ。
最初は、義弟に良いと思ったことを優先させたけど
結果それが、自分たちの首を絞めることになったわけだから
まずは、自分たちを優先して考えると、同居をしていても
ある程度の距離を置いて、父と接したい。
それに、お正月休みで1週間デイをお休みした後
父の様子が変わったこともあり、毎日の生活パターンが変わるのは
父にとって良くないと思われ、毎日の生活パターンを習慣化させるため
そして、主人も日曜日はゆっくりさせたいため
日曜日も含めて、毎日デイに通わせたいのが私の希望である。

父自身も、一人でいた時からそうだけど、家でテレビばかり見てるより
デイに行った方が、みんなでご飯を食べたり、会話をしたりすることが
楽しく、大きなお風呂に入れるのは気持ちが良いと言っていた。
Mのさと以外に行くことは、Mのさとの職員さんに悪いという思いが
父の気持ちの中にあって、頑なに変更をしないと言っていたけど
Mのさとがお休みの日に、新しいデイに行くことは話してあった。
父が納得するかどうかは、行ってみなくてわからない。
でも、何度もその説明を私から父にしていた。

これらのことを、ケアマネさんの口から話すことから会議は始まった。

5年間通所したMのさとは、大規模なデイになる。
入所当初は25人前後だったけど、施設を拡張したことで
2部屋に分かれ、現在は50人前後の、利用者さんがいるらしい。
前日のデイでの父の様子は、歩行に問題はあるけれど
他の利用者さんや、職員さんから声をかけられ
少し涙ぐんだりもしながら、笑顔で答えていたそうな。
今後も父の様子を看ながら、対応していただけることとなった。

新しいS本舗さんは小規模のデイで、普通の民家で
多くて10人前後の、利用者さんがいるそうな。
緊急の場合、当日でも空きがあれば宿泊が出来るそうだ。
こちらは、18日日曜日から水曜と日曜日の利用になった。
18日は、施設の場所等見たかったので、私が連れて行くことにした。
会議が終了後、説明や契約書等の件で、少し残ってくれたのだけど
父の排泄の手伝いをしてくれ、話し方もとても穏やかな方で安心した。

福祉用品のFベッドさんは、義弟の時もお世話になっている。
手すりの注文もして、これも父の様子を看ながら変更することも可能で
こちらの要求通りに、対応してくれることになった。

会議が始まる前、眠っていた父。
ぐっすり眠ってしまっていたようで、皆さんが来ていることを伝えながら
肩を思い切り叩いて起こしても起きる様子がなく、少し心配になった。
眠りが深いのか?はたまた、悪性症候群の名残なのか?
私も父の様子を看ながら、対応の仕方の勉強をしていくしかない。

パーキンソン病についても、まだ何も知らないに等しい私。
同居をきっかけに、勉強しなくちゃいけないと思いながら
まだ父の部屋も、ゴミの山と化したまま。
我が家の和室と、元の娘の部屋も片付いておらず
まずは片付けを終わらせなくては、先に進めない状態だった。。。

そして、退院。。。

2012.05.29 (Tue) 父の看護日誌

確か5日だったと思う。
役所から連絡が来て、8日に病室で面談することになった。
階段用リフトは9日金曜日、介護ベッドは10日土曜日に
届くと連絡も入った。
6日は3時頃、ケアマネのKさんも病院にくることになっていたけど
家の方の片付け終了後だったので、少し遅れてしまい
Kさんが、病院のエレベーターから降りてきたところで行き会えた。

「思ったより元気そうでした」

そういう印象だったらしい。
新しくお願いしていた、泊まれるデイも水曜日と日曜日の
受け入れ可能と連絡があって、毎日デイに行けることになった。
Kさんと別れて、病室に行き

「今Kさんが来たでしょ?」
「あ~来た来た」

Tさんから変わって、Kさんに会うのは2回目だった父。
Kさんを認識出来ていたかは不明。

8日役所の方が、介護保険区分変更のための面談に来た。
看護師さんたちにもいろいろ聞いていたんだけど
その時に、看護師さんの話に驚いた。
家の片付けで、私が2日間病院に行けなかったとき
夜中に不安になった父。

「娘はどこに行った?」「娘を呼んでくれ」

なんて、ちょっと手こづらせたそうな。。。
ふ~ん、そうか・・・
自分の父親ながら、ちょっと可愛いと思ってしまった(^ω^)

無事面談は終了。
義弟の時お世話になった役所のMさんはまだいらっしゃるのか?
ちょっと聞いてみたら、まだいらっしゃるそうで
事情を説明して、よろしくお伝えくださいってお願いした。

病棟の担当医は、M医師。

「土曜日あたりに退院してもいいですよ」

そう言われたけど、我が家の住宅事情も話

「先生、今週末にリフトやベッドが届くので、土・日には
 父の部屋も片付くと思うから、月曜の退院じゃダメですか?」
「あ~、いいですよ。じゃあ、月曜日にしましょう」

っちゅうことで、12日の退院が決まった。
そうなると、ますます焦る。
まだまだ部屋は、片付いてなかったからね。

9日金曜日、階段用リフトが来た。
これを使用するには、講習を受けなくちゃいけない。
義弟の時に使っていたから、すぐにコツはつかめた。
2008年に使用していたリフトは、愛知の方で
転落事故が起きたそうで、改良されていた。

階段移動用リフト   今の階段用リフト

左が、2008年に使っていたリフト
右が、今回使用するリフト。
画像で見ると、足を置くところに、ベロのようなものが付いた。
階段を昇るとき下りるとき、リフトを後ろに倒すのだけど
もしリフトを起こしすぎると、安全装置が働いてロックされ
ロック音がして、絶対に転落はしないようになっている。
また階段を下りたり昇ったりするとき出てくる足
画像では見えないけど、2008年のものは、ただの棒状だった足が
今回のは、L型で安定感がある。
講習会も終わり、OKが出て無事にリフトを受け取れた。
翌土曜日には、介護ベッドが入ったのだけど
介護保険の区分変更中のため、現在は『要介護1』扱い。
『要介護1』では、介護ベッドは使用できないそうで実費となり
介護認定が下りた時点で、介護保険適用のベッドに変わるそうな。
毎日デイを利用して、泊まりも利用すると
『要介護3』でも、実費は免れない。
父が退院してきて、ほかに手すりなど介護用品を利用しても
まあ、なんとか父の年金内でどうにかなりそうだった。

11日の日曜日も、主人と二人で朝から大格闘!
なんとか父の部屋だけは片付いて、父の受け入れは整った。

6日から退院の日まで、毎日面会に行った私。
その間の父との会話をいくつか・・・

「おれはなんで、入院したんだ?」
「おとうさん、倒れちゃったんだよ。覚えてない?」
「忘れちゃった」

「なんかな~、気持ちがな・・・落ち込んじゃってるんだよ~」
「毎日病院にいるから、やることないもんね」
「もうデイにも行けなくなっちゃったしな~」
「そんなことないよ、退院したらまた行くんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ、みんなおとうさんが来るの待ってるって」
「そうか(笑)」

やっと笑顔が出たけど、次の日にはまた似たようなことを言った。

「おれ、家に帰って一人で大丈夫かな?」
「うん、だからね、退院したら恵子達と一緒に住むんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ、もう一人じゃないから大丈夫だよ」
「おれのとこの物は、みんな捨てていいからな」
「大丈夫!ちゃんと片付けてるから」

これも、次の日には同じことを言っていた。
退院前日の日曜日、1時過ぎに面会に行くと
看護師さんと話をしていた父。

「今病棟をリハビリで2周、歩いて来たんですよ」
「すごじゃん。歩けるようになったね~」

ニコニコ笑顔の父。

「でも、家に帰っても一人だから不安だって言ってましたよ」
「あらやだ、おとうさん。退院したら恵子達と一緒に住むんだよ」
「良かったね~。これで不安が一つ解消したじゃない」
「昨日も言ったんだけどな~、忘れちゃったの?」
「忘れちゃった(笑)」

こんな会話を毎回しながら、約2週間ほどの入院で
支えがあれば、自力歩行は出来るようになった。
排泄に関しては、入院中は紙おむつで
看護師さんのお世話になっていたせいか?
排泄の感覚はあるようで、時々おトイレにも行っていたけど
ほとんど紙おむつの中にしてしまっていた。

入院すると、認知症が進むと言われていたけど
それほど大きな変化はなかったけど、同居をすることで
またどう変わってくるか・・・

まあ、先のことを考えてもしょうがないので
義弟のときと同じく、現場処理で行くしかない。

そして、12日午前中に、父は退院してきた。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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