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。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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入院。。。

2012.05.25 (Fri) 父の看護日誌

父の退院後は、同居を決めたわけだけど
まずは、貸倉庫が借りられなければ、どうにもならない。
初めて貸倉庫の申し込みをしたのだけど
FAXだけのやり取りで、翌日には審査も通り
3日の土曜日には、宅急便で鍵が到着。
2畳ほどの広さで、天井も高く、きれいな倉庫だった。
これで、4日の日曜日から作業開始となった。

1日の夕方に、介護保険の区分変更の書類を持ってきてくれたケアマネさん。
その足で、役所に提出して下さったそうで、あとは役所からの連絡待ち。
2日には、同居を決めたことを、ケアマネさんに連絡した。
我が家は、エレベーターのないマンションの5階。
退院して最初に使うのは、義弟の時も使用していた階段用リフト。
そして、家の中では介護ベッドが必要となるので、その手配をお願いした。
以前のケアマネTさんから、1月に担当が変わることを告げられた日に
泊まれるデイサービスがあるから、利用してみては?と提案されていた。
父の症状に変化があったことから、週5回のデイのうち1回か2回
そちらのデイを利用すれば、私たちが出かけなくていけない時など
宿泊出来れば、心配がなくなるんじゃないかと言われていた。
そういうデイもあるということも知ったけど、とりあえずは
3月の診察を受けてからと考えていたんだけど
退院後は、週5回のデイを毎日にしてもらい
休みの水曜日と日曜日に、泊まれるデイを利用したいことを伝えた。

父の面会時間は、平日は15時から20時、土・日・祝日は13時から20時。
過去のブログを読んでいただいてる方は、ご存知かと思うけど
我が家には、毛むくじゃらで4本足の可愛い娘が二人いる。
他人から見れば、我が家は異常とも言えるかもしれない。
主人も私も、最優先することは、この二人の娘のこと。
この娘たちのお散歩は、最優先事項ととなる。
朝はともかく、冬の夕方は16時からお散歩になるので
15時には病院に行き、16時には自宅に着くように面会をした。

入院2日目、父は拘束されていた。
入院の時、私と弟で同意書にサインをしている。
これは仕方のないことだ。
ベッドの上で、ウツラウツラと眠っていることが多いみたいだけど
時々、自分で起き上がろうとしたり、立とうとするらしい。
その時点では、まだ自力で起きることも立つことも出来なかったが
ベッドの手すりにつかまって、身体をずらそうとしたり
運よく身体が起き上がってしまい、立とうとすれば転倒する。
まあ、そういったところだと思う。
入院3日目も、同じような感じだった。
入院すると、認知症状が進むと言われる。

「お父さん、私は誰?」
「お父さんには息子がいるけど、名前は?」
「ここはどこだっけ?」
「デイに通ってたけど、なんていうところだっけ?」

などなどを毎回聞いた。
この時点で父は、自分がなぜ入院してるのか?
自分が倒れて救急車に乗ったことも、すっかり忘れてしまっていた。
とにかく病院にいれば、安心というわけだ。

そして3月4日からは、部屋の大改造の始まり。
父の部屋は、3月分まで家賃を払っていたので
3月いっぱいで解約することを、不動産屋に伝えた。
まずは、父を受け入れるために、我が家の模様替えだけど
粗大ごみで捨てなくてはいけないものはあっても
とりあえず、元の女中部屋、物置に置きっぱなしになってたり
天袋や押し入れなどにも、使わなくなったものは
たくさんあったので、捨てるものは父の部屋に
必要だけど、使わないものは貸倉庫に移動するため振り分けから始めた。

だけど、これが予想外に時間がかかった。
元々夫婦揃って、物が捨てられない。
このマンションに越してきた時、2Kの部屋で一人暮らしだった主人と
2DKの部屋で母子家庭だった私と娘が、3LDKに一緒になった。
このとき捨てたのは、主人の冷蔵庫とガスコンロだけで
ほとんど物は捨てず、使わないものは箱に詰めたまま収納していた。
まずはそられの箱を広げて、中身の確認して
捨てるもの、必要なものを分けたのだけど
主人が不要と思っても、私が必要と思ったり、その逆もあったり
よくありがちな、物を見てつい思い出話をしたり、見入ってしまったり

「こらぁ~、手動かせぇ~っ!」
「おやじ、休んでじゃねえぞ!」

夫婦なので、ボケとツッコミは、一応息が合ってます(≧ω≦)
で、倉庫に運び込む物を、5階から下ろすわけだけど
これまた階段の踊り場で、ぐるりと回る時、押して壁にぶつけたり
何かと笑いを取り入れないと、気がすまない私たち夫婦
腹が痛くなるほど笑い転げて、作業が中断したりと
余計な時間ばかりがかかるという、おバカな夫婦です。
結局夕方になっても、終わる見通しが付かず
主人は、月曜日・火曜日の2日間お休みを取るハメになり
夕方のお散歩の後も、作業を続け、初日は夜10時近くまで行った。
本当はこの日、弟夫婦が父のところにお見舞いに来ることになっていたから
早めに行ってもらい、帰りに寄って少し手伝ってもらいたかったから
それを伝えてあったのだけど、中学生と小学生の子供がいるから
なかなか予定通りには行かないのだろう。
アテにしていただけに、病院からそのまま帰ると連絡が入り
少々ガッカリというか・・・
でもアテにするからいけないわけで、主人からなだめられた。

翌月曜日は、朝から雨が降ってしまい、この日の作業は
倉庫に持って行けるよう箱詰めし、家具の移動を行った。
義妹が気にしたのか?手伝いに来ると連絡が来て
主人はいいと言ったけど、我が家の状況を弟夫婦に知っておいて
もらいたいという思いもあるから、来てもらうことにした。
寒い雨の中、義妹が手伝いにきてくれて、父の部屋をお願いし
押し入れのお布団、食器棚の中身と衣類の整理お願いした。
義妹が来てくれたおかげで、父の部屋は必要なもの
不要な物の整理が出来たので、とっても助かった。
やっぱり来てもらって、良かったというわけです。
この日も10時近くまで、作業を続けた。

翌日、さすがに2日病院に顔を出してないので
父も不安がっているんじゃないかと思いと
主人も翌日は仕事だから、夕方のお散歩までに
区切りをつけようと、早めに作業を始めた。
主人が、箱詰めにしておいたものを、貸倉庫に持って行き
その間私は、父の部屋の方を片付け貸倉庫に持って行く物
我が家に持って行く物の準備をし、細かいものは運び出した。
何しろ5階までを昇ったり下りたり、主人も私もクタクタ
この日は朝から、思考回路がおかしくなっていた。
お互いの言ってることが理解出来ず、何度も聞いたり
次は何をやるのか忘れちゃったり・・・
ま、これも笑いのタネとなったのだけどね。

元女中部屋は、父の部屋にするべく家具の移動を行い
父の部屋から、タンスを入れ母のお仏壇を乗せた。
和室には、女中部屋にあった本棚等を移動
元娘の部屋には、和室にあったもので私の必要な家具を移動
父の部屋で、お仏壇を乗せていた家具も入れた。
これで、模様替えは終了。
とりあえず、出ているものを収納した。
いくつかコンテナボックスも空いたので
父の部屋で使っていた、カーテンやエリアラグは
洗濯してからコンテナボックスに入れて、貸倉庫へ。

3日かけて、予定したところまでは終了。
私は父のお見舞いに出かけ、主人は貸倉庫へ荷物を運びに出かけた。

日曜日、弟夫婦がお見舞いに来た時は、拘束されていたそうな。
それを外してもらい、コーヒーを飲みアンパンを食べたらしい。
おむつ交換に看護婦さんがきたらしいけど、外に出され
カーテンを引かれたそうで、カーテン越しに義妹が聞き耳を立てると
まあ、義妹にとっては気に入らない会話があったらしい。
何を言っていたか?は、教えてくれなかったけど
まあだいたい想像はつくってものです。
神経内科や脳外科の病棟には、言い方は悪いけど、脳をやられた人が
沢山いるわけで、白衣の天使とは言うけど、看護婦さんだって人間です。
そういうのを気にしていたら、神経が参るというものです。


2日ぶりに病室に行くと、父はベッドから起き上がり座っていた。
今日は拘束はされていない。私の顔を見て、ニコニコ~と笑った。
ちょっとつまらなそうにしてたので、テレビでも見ればと言ったけど
あまり興味も湧かないらしい。
いつもの質問をしたり、コーヒーを一緒に飲んだり
足りないものを補充し、少し会話もした。
2日会わなかっただけで、ずいぶんと回復したと感じた。

「退院したら、恵子達と一緒に済むんだよ」
「そうなのか?」
「また倒れちゃうと困るからね」
「おれの部屋のものは、みんな捨てちゃえばいいからな」
「うん、いろいろ考えてやってるから大丈夫だよ」

この日から、毎日同居するということを話したけど
毎回、初めて聞いたような反応だった(≧ω≦)

「じゃあ、お散歩があるから帰るね。また明日来るから」
「うん、わかった」

怒涛の3日間だったけど、まだまだ父を受け入れられる状態じゃなく
落ち着かない毎日が続くことになった。。。





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コメント

お久しぶりです。

久しぶりに覗いたら・・・
大変なことになってたんですね。

その後からだの調子はいかがですか?
って、今はそれどころじゃないかしら。

またポチポチとよろしく。

洋子ママさん♪

ご無沙汰しています!
しばらく放置状態だったブログですが、忘れずに
来て下さって、ありがとうございますo(_ _)o

私の方は手術後、入院は6日ほどでしたが
普通に動けるようになるまで、1か月かかり
脂肪がたまりすぎまして、元に戻すのが大変でした(^m^)
その後、胃潰瘍や大腸ポリープが見つかり
自分のメンテナンスに専念して、今はすっかり良くなりました。

今回父との同居が始まり、ボチボチその経過を更新していきますので
よかったら、また遊びに来て下さいね。

これからもよろしくお願いします!

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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