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。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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Ⅰ先生検査結果。。。

2010.07.27 (Tue) 父の看護日誌

6月に行なった、脳の血流検査の結果が出た。

結果としては、血流に問題はなし。
アルツハイマー型ではないと言うことである。
と言っても、脳に委縮はあるわけで

「病名としては、何になるんですか?」
「う~ん・・・PPDDとかいろいろあるんだけど
 まだ一般的に知られてないし、う~ん・・・」
「じゃあ、パーキンソン病に付属したような認知症ということですか?」
「まあ、そんな感じかな・・・」

とりあえずは、何かが大きく変わったわけではない。
認知症と言っても、初期段階で物忘れが多くなった程度なので
処方しようかと考えていたらしいお薬は、副作用があり
飲むことで興奮状態になることもあるので、今の段階では
処方の必要もないので、K先生とも相談しながら
しばらくは様子を看るということになった。

デイを週4回に増やしたことを話し
日々変化を持たせず、自発的にやっていることには
なるべく口を出さず、いろいろなことが習慣化出来るように
していることなどを話すと、とても良いことだそうで
そのまま続けるように言われた。

実は先週、父が

「恵子、ちっちゃい虫が飛んでるから、殺虫剤買ってきてくれ」

と言うので、ちょっとドキっとしたが殺虫剤を買って渡しておいた。
数日後掃除をしに行くと、お風呂場やキッチン、窓際などに
小さな虫の死骸がたくさん落ちていた。
うん、本当にちっちゃな虫が存在していた(='m')
どこから湧いてるのか、原因を究明しようと思い
探したのだけど、私にはわからず・・・
お砂糖を器に移す時にこぼした物を、きちんと拭けなかったり
キッチンの生ごみの処理が、うまく出来てなかったりするので
そのあたりが原因かとも思われ、気が付くと綺麗にしてくるのだけど
とりあえずは、殺虫剤でごまかしている。

病院から家に帰ってから、ネットで検索をかけてみた。
私のとらえ方なので、もしかすると違っているかもしれないけど
以下のようなことらしい。

パーキンソン病もしくは認知症を発症し、同時期または1年位内に
認知症もしくはパーキンソン病を発症した場合

『レビー小体型認知症』

と診断されるらしい。
パーキンソン病を発症して、1年以上経ってから
認知症を発症した場合は、『レビー小体型認知症』とは
診断されないそうな。
またパーキンソン病を発症して、8年後には認知症の
発症率は8割になるらしく、その症状は
『レビー小体型認知症』とほとんど変わりがないため
これを区別するのはどうか?と言う、論議があるらしい。
現時点では、父の場合で考えると、脳の血流に
アルツハイマーの所見は見られないので

『パーキンソン病認知症』

としか言えないようだ。

父の場合、当初は左手の震顫だけで
パーキンソン症候群と言われていた。
それから10年近く経ち、今は左手足に震顫があり
関節も硬く、元気な頃の父に比べると
少々前のめりにもなっているけど
その症状以外は、まだ今は出ていないが
現在は、『パーキンソン病』と診断されている。

パーキンソン病は、国の指定する難病なんだけど
この認定を受けるには、レベル(←言い方が違うかも)があるそうな。
Ⅰ先生の診察の最中、病院のケースワーカーさんだと思うけど
パーキンソン病と診断された方の、認定のことで連絡がきた。
その患者さんは、他にも疾患がありⅠ先生に初めて受診した時は
すでに車椅子で、自力歩行は不可能だったらしい。
なので自力歩行が出来ないのは、パーキンソン病が
原因じゃないため、診断書は出せないと言っていた。
んで、今の電話を聞いてしまったことお詫びしてから
疑問に思うことを聞いてみた。

「パーキンソン病って、国の指定する難病ですよね?」
「うん、そうだよ」
「認定を受けるには、レベルみたいなのがあるんですか?」

これが気になった。
パーキンソン病の認定を受けるには、レベル3以上だそうだ。
まっすぐ立たせて、肩を後ろに軽く押した時
踏ん張れずに、後ろに倒れてしまうとレベル3になるらしい。
父の場合は、震顫と関節が硬くなっているけど
まだまだ踏ん張ることも出来るので、レベル1だそうだ。

発症して10年近く経っても、気になるのは手足の震顫だけで
認知症初期段階ではあっても、ほぼ発症時と同じ状態で
いられることは、先生も興味深いところらしい。
ケアマネさんも言っていたけど、発症して10年近く経って
変わらない状態でいられるのは、めずらしいんだって。

義弟も手術をしても2年と言われて、9年半がんばった。
これも奇跡だと思うけど、父の場合も奇跡と言えるかな?
でも、正直長くなると看る方は大変だ。

今のところは、幻覚や幻聴もなく、足腰も弱ってきているけど
支えなくとも自立歩行も出来ているし、踏ん張りもきく。
便秘もパーキンソン病の症状だけど、便秘をした時や
先日のように発熱した時など、体調不良になると排泄が間に合わず
粗相をすることもあるけど、ほぼ問題はない。
父も今の状態を維持出来てるうちはいいけどね。


義弟の介護を経験して思うのだけど・・・

「親の介護が出来て幸せね」

そんなことを言う人がいる。
確かに義弟の介護を経験して、介護のノウハウは
私なりに身に付けたと思うから、父にもしもの時は
それなりに対処出来ると思う。
義弟の介護を経験する前は、どちらかと言えば
父親っ子だった私、父の下の世話ぐらい平気だと思っていた。
だけど大人の下の世話は、子供のおむつ交換とは全く違う。
自宅介護の厳しさを、身を持って経験した今では
父の下の世話、出来れば介護はしたくないと思う。

最初の1年ぐらいは、優しい気持ちが持てるかもしれない。
でも2年3年と長引けば、気持ちにどう変化が出るかわからない。
先日、ケアまねさんと施設の職員さんが来た時
義弟の介護の時の話が出た。
昨年義弟が病院に入院して、その病院から退院するよう言われ
自宅介護の覚悟を決めた時、私の中では覚悟を決めていた
つもりだったけど、周りから見るとすでに限界を超えていると
感じていて、このまま自宅に戻したら、いつか私が
義弟の首をキュッとしてしまうんじゃないか?
階段用リフトを使用中、手を離してしまうんじゃないか?
そんな心配をしてくれていた。
自分では、覚悟を決めていたつもりでも自信はなかった。
でも私を心配してくれる方々がいたと言うのは、私にとって
大きな支えになったと思う。
だけど、父親にそんな感情を抱いてしまったらと考えると
それは避けたいと思う。
だから、介護はしたくないと思う。

これは私の個人的な見解だけど

「親の介護が出来て幸せだ」

そう言える人、そう思える人の方が
はるかに幸せだと思う。

順番から言えば、どうしたって親の方が先に逝く。

「もっと長生きしてほしかった」

そう思えることが、遺された子供の幸せじゃないかと私は思う。
私の母は、余命宣告をされていた。
でも宣告された余命よりも、かなり早くにこの世を去った。
母の看護介助が始まった頃、私は彩佳を産んで1年ほど。
当時都内に住んでいて、仕事もしていて、週に1度
日曜日に入退院を繰り返していた母の顔を見に
実家だったり、入院先に出向いたりした。
車で片道、渋滞無しで1時間半かかる。
余命宣告をされていても、週に一度通うことは
精神的にも肉体的にも負担になった。
介護をしてたわけじゃないし、ほんの少し介助をしただけで
ほとんどを父がやっていたのに、それでも大変だったけど
それは半年続かなかった。
その日、翌日から入院が決まっていた母の
お風呂の介助をして帰る時

「おかあさん、明日からがんばってね」
「うんうん、お前もがんばるんだよ」

それが最後に母と交わした言葉だった。

その2日後、母は父だけに看取られて、この世を去った。
弟は、母の病気の深刻さに気付いてなかったし
私は結婚して都内に住んでいて、週に1度しか戻れなかったし
父は一人で、母の面倒を看ていた。

「自分の女房は、自分で看る」

これが父の信念だったようで、子供に助けを求めることもなかった。
母が亡くなった時、自分が何か一つでも違うことをしていたら
母は今も生きていたんじゃないか?
もっと時間を作って、会いにくればよかった。
やり残したことだらけだった。
もし母が生きてたら、なんて言ってくれたんだろう?
そして、今でも母が恋しいと思える私は、幸せだと思う。
あの時、私が母の介護をしていたら、母がいなくなって22年
達成感は残っても、母を恋しいと思えただろうか?と疑問に思う。

これはあくまでも、私の個人的な見解なんだけどね。

どこかの県で、『PPK運動』と言うのがある。
ピンピン元気に生きて、死ぬ時はコロリと・・・
ピンピンコロンが合言葉だと記憶してるんだけど
間違ってたら、ごめんなさい。

「ピンピンコロン」

私自身もこうありたいと思うし、父もそうなりたいと言っている。

ま、先のことはわからないけどさ。。。



余談だけど、母が私に遺してくれた言葉

「お前もがんばるんだよ」

最後の会話ではあるけど、この言葉は
母が私に遺してくれた言葉だと思ってる。
苦しかった時、辛かった時、悲しかった時
そして義弟の介護の時も、何度この言葉を思い出したか・・・
きっと父の介護が始まったら、またこの言葉を
思い出して、自分を元気付けるんだろうな。

これを書きながら、母のことを思い出した。
先に逝った親のことを、嘆き悲しむ時間が過ぎたら
親にしてもらったことを、子や孫に伝えることが
親孝行に繋がるんじゃないかな?
だけどこれ、肉親だけにとどまらずだと思うけどね。

ありがたいことに、私には娘がいる。
母が私にしてくれたことを、彩佳に私がしてあげる。
それが今、そしてこれから母のために私が出来る
親孝行なんだろうなと思う。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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