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。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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葬儀。。。

2009.09.09 (Wed) 義弟の病院・病気と症状

義弟が旅立って、半月過ぎたんだな~。
もう半月なのか?まだ半月なのか?

義弟の危篤を聞いて、すぐに病院に向かいそのまま病室へ。

「憲児、来たぞ!」
「弟くん、目開けて」

そう声をかけたけど、義弟の反応はなかった。

「けんちゃん、弟くん息してる?」

二人で胸を触ったり、口元に耳を近づけたりしていると
相談員のOさんが来た。

「息してます?」
「そうなんです。10時35分ごろに呼吸が止まってしまって・・・」
「間に合わなかったのか・・・」
「弟くん、一人で逝っちゃったの?」

しばらく、二人で涙が止まらなかった。
不思議なものだ・・・あんなに憎たらしくて、介助することや介護することが
苦痛だったのに、こうなってしまうと、義弟の痩せ細った身体に
ペタペタと触れたくなってしまうのだ。
本当に人間とは、自分勝手な生き物です。

看護士さんたちが、義弟の身体を綺麗にしてくれてる間
連絡を取るべきところに、連絡をした。
義父も義姉もお昼頃と言っていたけど、連絡が来たのは12時半を過ぎていた。
義弟の死を知らせても、二人ともあまり動じることもなかったようだ。
二人とも携帯を持っていないので、二人が合流したら
また連絡をするということになっていたけど、その後なかなか連絡が取れなかった。

前日ある程度の打ち合わせしていたので、すぐに葬儀屋さんに連絡を取り
迎えにきてくれることになった。
マンションのエレベーターのない5階の我が家。
ラブラドールが2頭もいることから、最初は会館として借りたお寺さんに
預かってもらう予定だったが、1日3万円という金額は、ちょっと出せなかったので
そのまま葬儀屋さんに預かってもらうことにした。
お焼香できるように準備が出来たら、連絡をくれることになり
義弟を送り出した後、すぐ駅に義父と義姉を迎えに出た。
探すこと30分、やっと合流することが出来た頃に
葬儀屋さんから、準備が出来たと連絡が入り、そのまま葬儀屋さんへ。
義弟の会社、U取締役、T人事部長とその部下のAさん、同僚のMさんも
駆けつけてくれた。

義父と義弟は、同じ会社いた。
義父は今もその会社のOB会に入っているし、義父も役員までやっていた会社。
主人のことも義弟のことも、小学生の頃から知っている役員が今もいる。
もちろんU取締役もT人事部長のことも、義父は知っている。

「Tさんよ、今回もまたよろしく頼むよ」

義弟が倒れてすぐに、義母が亡くなった時も
会社の方々が、葬儀の手伝いをしてくれたのだけど
9年6ヶ月も休職してたにもかかわらず、義弟の場合は工場長補佐と言う役職から
現役役員の死と言うことで、扱ってくれたのだ。

葬儀は、ほとんど社葬に近い形で行われた。
お通夜が28日、義弟が亡くなったのが25日。
丸3日あったわけだけど、その間毎日夜10時過ぎまで打ち合わせが続いた。

当初は親族も入れて、100名予想だったけど
会社関係だけで、100名を越えると言われ
150名で設定したけど、200名まで対応できるようにお願いした。
会場のお寺さんを下見した際、約30台ほど駐車出来るスペースだったけど
30台分では足りないと言われ、駐車場の手配にも追われた。
まずは我が家が借りてる駐車場の、空いてるところを5台分確保。
さらにお寺さんの前に某大学のグランドがあり、管理人さんと知り合いだったので
お願いしたところ、お寺さんから連絡をもらえれば貸せるということで
葬儀屋さんにお願いして、お寺さんから連絡してもらい
さらに30台分の駐車場も確保、これでなんとかなった。

遺影は、闘病中の義弟ではなく、10年前の物だけど
義弟が倒れる半年前、まだバリバリの現役の頃の写真を選んだ。
会社の方々にとっての義弟のイメージは、この顔だと思ったからだ。

その間に、お花の注文も続々と入っていた。
喪主が2基、主人と私で1基、義姉と義兄で1基
その4基も含めて、全部で42基のお花が届き、祭壇はお花で埋まった。

会社の役員さんたちがいらして、主人が私を紹介するとみなさんが

「よく面倒見てくれたな。ありがとう!お疲れ様!」

そう声をかけてくださる方ばかり。

「お前は良い嫁さんもらったな。自慢の嫁さんだぞ」

社長様には、そう言ってもらった。

怒ってばかり怒鳴ってばかりの、ちっとも優しくない兄嫁だったのに
そんな言葉が、嬉しくもあり、せつなくもあった。

「俺のことなんか、誰も褒めてくれねえ。俺だって寝ないで働いたのに」

主人が笑いながら、そう言った。

祭壇・・・
祭壇に向かって、右側に親族、左側には社長様を始め役員の方々が列席してくれた。

お経をとなえてくださってる間、参列者は途切れることなく続いて
お世話になったご近所さんも、たくさん来てくれた。
さらに終わってからも、作業着で駆けつけてくださる方もいた。

お通夜が終わり、社長様や役員の方々が食事をしてる間
外では会社の社員の方々が、30名ほど残っていた。
中で食べてくれればいいのにな~と思いつつ
私もあっちにこっちにと、あいさつで走り回っていたのだけど
8時半過ぎ、社長と副社長が帰られると、それを見送った後
残っていた社員さんたちが、蜂の子を散らすように帰られて行った。

「すごいですね~」

葬儀屋さんと、ビックリしてしまったと同時に、ちょっと笑ってしまった。
社長様のお人柄もあるだろうが、従業員の団結力も強い会社なのだ。

告別式にも社長様始め役員の方々が列席してくださり
この日もお経をとなえてくださってる間、参列者が途切れることはなかった。
そして同僚のMさんが、弔辞を読んでくれた。

工場長になるまで、寮生活の中、二人で夢を語りながら過ごした日々や
工場長になってからも、二人でよく話をしたこと
闘病中のことや、私たちにまで労いの言葉も添えてくださった。

火葬場までも一緒に行ってくださり、お骨を拾ってくださり、精進落としまで
17名の方が、残ってくださった。

お通夜告別式を通して、述べ300人の方々の参列者。
私たち夫婦で仕切った葬儀だけど、こんな大きな葬儀は最初で最後だと思う。

会社人間だった義弟。
お嫁さんには恵まれなかったけど、この会社でこの人たちに囲まれて
仕事が出来たことは、義弟とって大きな財産だったに違いない。
長い闘病生活だったけど、会社の方々に見送っていただけたことは
何よりの幸せだったね。

8か月ぶりに自宅に戻ってきた義弟。
家に戻って・・・
49日までは、ここで休んでもらってます。

まだ書きたいことはあるのだけど、やることが山積みの毎日。
なので、また次回に・・・

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コメント

合掌。。。

とても沢山の方が来てくださった、大きなお葬式だったようですね。

義弟さんの会社の方々は本当に情に厚い方々なんだなぁと、
つくづく感心いたしました。

私の知っている方の息子さんは会社で残業中にクモ膜下で倒れて、
その後手術で一命をとりとめたものの、高次脳機能障害が残り、
しかも右半身も不自由になりました。

身体の不自由な身で単身赴任もできるわけないのに、その時点で離れ島に左遷され、
それができないなら辞めてもらうしかないという事を言われたそうです。

その息子さんは今40才、男の子もいましたが離婚され、職も失い、
ご両親はこの先どうしたら良いのかと嘆いていらっしゃいます。

昇進したばかりで、そのご自分の祝賀会の為の残業だったのに・・・。

まるで天国と地獄ですよね。。。。。

同じように倒れ、障害を負ったのに、会社が違うとこうも違うのかと思います。

義弟さんの人生が幸せだったのか、どうかは分かりませんが、
良い方々に恵まれたことは確かですよね。。。


恵子さん、ご自分の体調も万全ではないのですから、どうぞお身体をご自愛下さいね。

こんにちは。
義弟がなくなったことは残念でしたね。
でも会社の人たち、
みんないい人たちで良かったなと思いました
そんな会社に就職できた義弟は幸せでしたね
9年間もお疲れ様でした
また来ます

yukariさん♪

お返事が遅くなって、すいません。
我が家から出す葬儀としては、こんなに大きいのは
最初で最後でしょうね。

普通という言葉が合ってるかどうかわかりませんが
休職して早ければ数か月ででクビですよね。
主人の会社の方は、前の職場で親が亡くなり1週間休んだ後
会社に電話をしたら、明日から来なくていいと言われ
転職したそうです。
大手の運送会社だったそうですよ。
大きな会社ほど、冷酷に切ってくるのに、本当に長い間
面倒をみていただけたことは、現役時代の義弟の努力の賜物でしょうね。
義弟の会社の方々には、足を向けて眠れません。
感謝という言葉では、足りないです。

私も手術日が決まりました。
この後更新する予定ですが、ボチボチと更新していきますので
これからもよろしくです!

介護事務資格の先輩さん♪

義弟にとって、この会社の方々と一緒に仕事が出来たことは
短い人生の中で、大切な財産だったと思います。

労いのお言葉、本当にありがとうございます。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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