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。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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結論・・・

2009.01.29 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

3時10分前に、ケアマネさんと合流。
役所のMさんと連絡が取れたか聞いたら、今日は忙しかったらしくまだ話してないとのこと。
なので、2月1日オープンの老健の話をしたら、またMさんと話してみてくれることになった。

3時には、Fさんと話をすることが出来た。
Fさんは、まだ義弟とは会っていないので、ケアマネさんと私の話と
書類上だけでの判断として、話を聞いてくれた。

今日中には、M先生が書類を書き上げてくれるそうなので
H病院にすぐに書類を流して、やり取りをするとのこと。
ただH病院、人気のある病院らしく、通ったとしてもしばらく待機になるだろうとのこと。
結果が出たら、すぐに知らせてくれるそうだ。
また義弟が入院前通っていたデイケアの施設も、老健があり
そこも一応審査会にかけてくれることになってるので、それに必要書類も揃えて
これはFさんとケアマネさんとで、やり取りをしてその結果を
ケアマネさんから知らせてもらえることになった。

看護師長のことが、今だ許せない私。
そのこともまた言ってしまったけど、ケアマネさんが一緒だからね。
一応大人の対応はしたつもり。
本性は出せないがな・・・だって、イケメンなんだし・・・( ̄m ̄*)

退院日については、M先生との話し合いになると言われたので
この後、M先生とも話をする予定でいることを伝え、そこで決めることになった。
退院にあたって、病院での様子もきちんと聞いて、自宅での対応に備えるように言われる。
いろいろな話をする中で、退院のことが具体化してくると
ケアマネさんが、また私のことを心配しだした。

「大丈夫だって、私だって犯罪者にはなりたくないもん」
「ん?犯罪者?」

冗談で言ってるのに、どうしてみんな真剣に受け取るんだ?(≧m≦)
で、ケアマネさんがFさんに

今までの経過を見て来て、看ている方が義理のお姉さんということもあり
ご自宅での介護は、限界を迎え超えているだろうと思いながら
ご家族の方は、がんばってこられました。
今回の入院で、次の施設が見つかるまでというお話の中で
ご家族の方は介護と言う部分の精神面は、一旦途切れてしまった。
それをもう一度立て直すと言う作業は、ご家族にとってとても大変なことだと思います。
ご家族の方も、自宅介護に自信がないとおっしゃられていますので
そういう部分で、心配なんですよね


「あ~、昨日も限界だって、お義姉さんも言われてましたもんね」

・・・って、だからさ、真剣に話さないでくれるかな・・・
まだ理性は働いてるってばよ(*⌒m⌒*)ぷっっ♪

3時からリハビリ時間の義弟、今ならリハビリ室にいるだろうから
一緒に行って、様子を看ましょうと言われ、リハビリ室へ。

昨日の義弟は、なんだかスッキリしていて、良い顔をしていた。
身体の動きも良く、今まで看てきた中で一番良いように思えた。
ここ数日の義弟は、ずっと同じかを聞いたら
リハビリの先生によると、昨日はあまり良くなかったけど
今日はとてもいい感じらしい、やはり日によって波はあるみたい。
あちこち注意が飛び散ったり、相変わらずのゴミ拾いはやっている。
でもケアマネさんも、入院前に近い状態まで戻ってると感じたそうだ。
車椅子からリハビリ用のベッドに移り、仰向けに転がるのに時間がかかった。
先生が股関節を伸ばしたり、お尻を上げたりした後、また車椅子に戻り
少し休みましょうと言われて、待っている時ケアマネさんが声をかけた。

「憲児さん、どうですか?調子は?」
「うん、いいよ」
「今少し動きましたけど、感想は?」
「もう、疲れちゃって、疲れちゃって、大変なんだよ」

なるほどね、こういう認識は相変わらずなんだな。
階段の昇り降りはしてないので、それが出来るかどうかも問題になる。
今くらいの状態であれば、デイに通えるけど、車椅子対応の車でないと
送り迎えが出来ないから、回るコースによって通える曜日も限られたりする。
自宅に戻ったら、少し様子を看たところで、すぐにでもデイを利用したいからね。

ケアマネさんには、デイケアではなくデイサービスでお願いをした。
今までは義弟が出来ることは、時間をかけてでも、怒っても怒鳴ってでも
なんとかやらせようとやってきたけど、もうリハビリに意味が持てない。
デイケアでリハビリしてると思ったら、私の意識が家でもやらなくちゃって
思ってしまいそうだだから、今後はお互い穏やかに過ごせるようにしたいから
リハビリ目的は外したいとお願いした。
デイサービスで通っていた施設が、とても良かったので
もう一度そこでお願いしたいことも伝えておいた。

Fさんから、リハビリが終ったら一緒に病棟に戻り、M先生とお話するように言われ
平行棒を使って1往復した後、義弟と一緒に病棟に戻った。
ナースセンターに声をかけて、病室に戻った。
車椅子からベッドに移そうとしてる時、看護婦さんが一人入ってきた。
名札を見たら、「S」って書いてあった。すぐに近寄って

「先日はお電話ありがとうございました。Aです」
「え、あ・・・」

と言った後、、満面の笑みを浮かべて

「いえいえ、こちらこそ失礼したしました」
「いろいろ言っていただいて、本当にありがとうございます」

ケアマネさんもいたので、ここまでの皮肉しか言わなかったけど
ケアマネさんもすぐに名刺を渡して

「先日はお電話いただきまして、NKセンターのTと申します」
「あ、いえこちらこそ、失礼いたしました」

なんだ?この対応の違いは?

「入院されたばかりの頃は、食事も出来ませんでしたけど、こんなに良くなられて~。
 良かったですね~♪先日お預かりした書類も出来てますので、後で持ってきますね」

とにかく気持ち悪いほどの、満面の笑みだ。
相談員さんから私の言ったことが伝わったのか?
それとも、その話の中で、退院のことも言ってあったから
シメたものだとでも思って、向こうも嫌味か?
看護師長がいなくなってから

「なんだあれ?」
「だからそういう人なんですよ」
「タヌキか?キツネか?タヌキだな、あれは」

そう言ったら、ケアマネさん笑っておった。
ケアマネさんが一緒だから、大人の対応はしたつもりだけど
もう顔も見たくなかったので、その後話しをしても視線は一切合わさなかった。

義弟をベッドに移そうとしている時、その看護師長は向かいのベッドに
入る人がいるらしく、その準備をしていた。
ベッドに移動した後ちょっと目を放したとき、靴を脱ごうとした義弟がバランスを崩した。
ここはやっぱり看護師長で、すぐに飛んできて

「危ないですよ。先日も自分で車椅子からベッドに移ろうとして
 転びそうになってるので、移動の時は目を放さないほうが良いですから」

このときも、不気味なほどに満面の笑顔で教えてくれたよ。
なるほど、そういうことはやっぱりするんだな。

しばらくして、M先生が病室に来てくれて、その後ナースセンターに移動して話した。
開口一番、M先生が言った言葉は

「先日看護師長がお電話をしたそうで、本当にすいません」

通院してる時からの担当医がM先生なので、担当医と言われるとM先生と思うけど
病棟での担当は、T先生になっている。
なので、電話をいただいたときはT先生との話しだったらしい。

「今Fから話を聞いたんですが、自宅介護されるとか?」
「だって、あんなお電話いただいたら、そうせざる負えないですよね?」
「いや、本当にすません。師長もベッドを回さなくちゃいけないもんで」
「お電話では今後のことを話したって聞いたんですけど、今後のことって
 どんな話をされたのか?それも聞きたいところですけど、その話はもう良いですよ」
 これからのこと考えなくちゃいけないから」
「本当にすいません」

M先生も苦笑いしてたけどね。
で、聞いておかなくてはいけないことをメモにしてきてたので、すぐに話しに入った。

入院してから、義弟の状態は老化・老衰状態と言っていたし
食事をしても栄養を吸収できず、自宅での食事管理は無理と聞いている。
現段階で、点滴も外しているけど、どういう状態にあるのか?
今後もまた同じ状態になった時、点滴をしないという選択は出来るのか?
もし点滴をしない選択が出来るとしたら、点滴をしないとどうなるのか?


それに対しての、M先生の回答。

現在点滴も外し安定はしているが、老化・老衰状態は同じ。
最初に話し通り、振り幅の問題で、水分が足りなくても多すぎても
栄養状態が悪くなっても、また血中濃度に変化があっても
今回のようにガクっと、状態が悪くなる場合がある。
その時はまた入院と言う事になるが、義弟さんの持ってる振り幅が
どれくらいかはわからないため、どこで状態が悪くなるかは判断が出来ない。
また点滴をするかしないかは、ご家族の判断によるけど点滴をしない選択も出来る。
点滴をしなければ、衰弱するということになる。


なるほどと思いつつ、これは後で考えて、点滴をしない選択をした場合
その後はずっと入院となるのか?それともまた自宅に戻されるのか?
そこのところを聞くのを忘れた。

また、今回転移した腫瘍をガンマナイフで治療したが
転移と言うのは、元々あった腫瘍からポンとその場所に飛ぶわけではない。
たとえば肺がんの場合、脳に転移する場合があるが
これは肺からがん細胞が、全身の血管を通り血液と一緒に脳へ移動をする。
その際がん細胞は、全身にばら撒かれることになるので、ご本人は見た目元気でも
実は全身、ガンまみれの状態のときもある。
義弟の脳腫瘍の場合、脳の中の神経細胞を伝わって移動する。
画像としては、大きくなったところが白く映し出されるが
転移した腫瘍が大きくなっているということは、画像としては確認できなくても
その周りにも腫瘍は転移しており、そこも動き出していることは確かで
振り幅の問題で状態が悪化することもあるが
この腫瘍のせいで、状態が悪化することもあるのだそうだ。
治療をするとすれば、腫瘍が大きくなるたびにガンマナイフを当て続けるか
『デモタール』の使用があるが、どうするかは家族の判断になるんだって。

最初から言ってるが、今の状態の義弟を生き長らえさせることに
意味を持てない私達夫婦。なので、それはしたくないことを伝えた。

とすると、脳腫瘍の治療は今後しないので、振り幅の問題で状態が悪化しても
腫瘍の問題で悪化しても、医療行為としてやることは点滴のみ。
これは通常の(通常ってあるのか?)高齢者も同じことなので
対応は高齢者と同じと考えて良いそうだ。

デイケアで通っていた施設で、老健の検討をしてくれることになっているけど
脳腫瘍としての医療行為のことが、ネックになっていたようなので
これを施設側がどう受け止めてくれるかということになりそうだ。

とりあえず、2月7日が退院日と決まった。
ただしこの安定した日々を、どれくらい保てるかはわからないので
退院前に状態が悪化した場合は、退院はキャンセルとなるし
自宅に戻っても、1週間もしないうちにまた入院となる可能性もあると言われた。

だったら、このまま置いといてよとも思うのだが
病院の仕組みから言えば、今が安定してるから退院準備はせざる負えないんだろう。

お薬に関しては、けいれん止めのお薬しか飲んでいないので
これを止めると、やはりけいれんが出やすくなるから
お薬だけは飲んでおいた方がいいと言われた。

病院での義弟の過ごし方は、リハビリ以外はベッド上となっている。
起き上がろうとすることはあるが、ベッドから降りようとすることはないそうだ。
自宅にいる時は、トイレに行きたがることもあったが、病院では1度もないそうな。
おむつ交換のとき、お尻を持ち上げてと言えば持ち上げる程度のことはするけど
ベッドに入ってしまえば、自分から動くことはほとんどないらしい。

夜勤だった主人に連絡することになってたので、電話をしてこの話を全部伝えた。

「医者の言うことなんて、当てにならねえよ。今まで何回こんなことがあった?
 余命2年とも言われたし、再発も転移も何回言われた?そのたびに動けば早いって
 言われて、もう10年経つんだぜ。どうせこの後だって、まだ長いんじゃねえの?」
「そうかもしれないけど、そういうことらしいよ」
「ま、医者のいうことなんか、俺はもう絶対信じないね。お前も信じるなよ。
 どうなるかなんて、もう誰もわからねえんだから」
「わかってるよ」
「はあ~、またアイツが帰ってくるのか・・・」

今回の件で、人間不信病がさらに悪化した主人。
そうなってもしょうがないとは思うけど、支えてくれようとしてる人もいるわけだし
そこはわかっているようだけどね。

あと10日で、義弟は戻ってくる。
あの看護師長の電話の後から、不眠と胃痛に悩まされてるから
義弟が戻るまでに、私も体調を整えておかなくちゃだ。

今日はもう何もしない日。少し休んでもいいよね。。。

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コメント

あと10日・・・・

ど~ぞゆっくりして下さい♪

読んでて恵子さんが周りの方に支えられて涙したってとこで
私まで涙がでちゃいました☆

『してくれて当たり前』ではなく
『私は恵まれてる』ってとらえられる恵子さんは やっぱり立派です。

きっと良い事もまたありますよ。
慰めにもならないでしょうけど、せめて今はゆっくりして下さいね。

ありがとう♪

yukariさん♪
立派なんて言われると、おケツがかゆくなりますよ(^m^*)
大変ではあるけど、私達夫婦は不幸じゃないから
感謝の気持ちだけは忘れたくないですよね。

介護用品は、ケアマネさんが揃えてくれるそうなので
退院の日までは、少しのんびり過ごして体調を整えます。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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