。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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デイサービス。。。

2012.06.11 (Mon) 父の看護日誌

介護保険の申請をしたのが、5年前の平成19年。
この5年間は、ずっと『要介護1』のまま過ぎた。

前任のケアマネTさんの勧めで、Mのさとに体験入所してから
週1回が、2回すぐに3回となり3年間は、週3回の通所だった。
1日置きに通所してたけど、週5回までなら『要介護1』でも
保険範囲内で増やせると言われて、最初は渋った父だけど
2年前の夏ごろ、通い始めたら週4回からすぐに週5回に増え
水曜日と日曜日がお休みで、週5回の通所となった。

デイの通所は、保険の範囲内でしか通えないと思っていた私。
ケアマネTさんも、保険の範囲で考えてくれていたわけで
今年に入って、父の様子が変わってきて、Tさんからも
泊まれるデイがあるから、私たちに用事があるとき
宿泊も出来るし、そのデイも利用してみては?と提案されていた。
担当がKさんに代わって、すぐに父が入院して

「もうMのさとに行けなくなっちゃった」

そう言うくらい、Mのさとに通うことが楽しみだった父だけど
退院後は、毎日デイに通いたいから、宿泊できるデイに
水曜日と日曜日に通えるか聞いてもらい、OKが出たけど
実費での支払いが、発生することもわかった。
介護度によっても、実費の額が変わるわけだけどね。

何度も書いたけど、最初は25名前後だったMのさとも
フロアーを拡大して、今は50名前後の利用者がいる。
利用者増えるということは、それまでとは同じようにはいかないわけで
父は座らせておけば、それほど問題なく過ごせる人だ。
通所3年くらいは、ゲームの賞状をもらってくることが多く
天気の良い日は、お散歩にも出かけて、公園でおやつを食べたりもしてた。
ここ1年ほどは、ゲームもやらなくなったし
計算のプリントを、持って帰ってくることが多く
お風呂や食事の話ししか、しなくなっていた。
Mのさとしか知らない父も私も、大勢の高齢者が通うデイだから
利用者さん同士で、コミュニケーションが取れて
父が通所を嫌がることもなかったので、こういうものだと思ってた。

で、新しいS本舗に通所し始めた父。
最初は、なんとなく腑に落ちない感じだったけど
だんだんと、S本舗の方が、しっくりきたようだった。

「おれ、今日泊まりになるかもしれない」

今考えると、こう言い出したのはこの頃だったように思う。
デイから戻った時の話しの様子で、父の気持ちが
MのさとよりもS本舗の方が、楽しくなって来てたのはわかっていた。
で、宿泊をお願いするのは、毎回土曜日になるだろうと思い
4月の中旬ごろ、土曜日もS本舗に通えるよう変更した。
Mのさとに行く予定だった日、朝から様子が変だった父。

「どうしたの?具合悪い?」
「いや~」
「Mのさとじゃなくて、S本舗に行きたいんじゃないの?」
「そういうわけじゃないよ」
「本当のこと言いなよ」
「おれにそこまで言わせるのか?」
「だって、おとうさんが楽しくなきゃ、デイに行ってる意味がないよ」
「そうか・・・」
「S本舗の方が、楽しくなっちゃった?」
「まあな、もう一つの方がゲームやったりするからな」
「じゃあ、月曜日もS本舗に行けるか、聞いてみようか?」
「そうだな」
「でも、Mのさとではリハビリもあるんだから、行かなきゃダメだよ」
「うん」

笑顔が戻ってきたので、さっそく連絡してみるとOKが出た。
宿泊する予定は、土曜日だけと思っていたけど
日曜日に出かけた場合、帰りの時間を気にしながらは
ある意味ストレスになるので、月曜日まで宿泊すると考えて
5月からは、火曜日・木曜日・金曜日は、Mのさと
月曜日・水曜日・土曜日・日曜日は、S本舗に通うことになった。
Mのさとの名前は覚えてる父だけど、S本舗はまだ記憶に留まらない。
木曜・金曜と二日、Mのさとに行くと

「次に、あっちに行くのはいつだ?」

と、聞いてくるようになった。
5月はS本舗に、12日・13日の2泊3日で宿泊してきた父。
もし帰りたいとか、娘に連絡を取ってほしいとか言った場合は
私の携帯電話に、何時でも構わないので連絡してくれるようお願いした。

「おとうさん、今日から月曜日までお泊まりだからね」
「そうか(笑)」

ニコニコ笑顔だった父ですが、夕方になって

「今日は帰らないの?」
「進さん、今日は泊まりだよ」
「じゃあ、娘に連絡しておいてくれ」

と言ったので、夜中に帰りたいと言い出すかと思ったそうだけど
何事もなく、2泊して帰ってきた。
戻った父に、話を聞いてみると

「いや~、一緒に泊まった人がよ、飲みに行こうって言ってさ」
「飲みに?」
「そうなんだよ~、みんなで着替えて準備してよ、行っていいか?
 聞きに行ったんだけど、ダメだって言われちゃったんだよ(笑)」

あったり前だの、クラッカー(古っ)だっちゅうの!
で、S本舗の職員さんに聞いたら常駐でお泊まりの利用者さんに
毎日、飲みに行く算段をしてる方がいるそうな(*≧m≦*)
帰りたいって、夜中に騒ぐ人もいれば
帰ると玄関を開けようと(開かないけど)する人もいるそうな。
いろんな人がいるんだろうな~と考えると
介護の仕事と言うのは、本当に大変な仕事だと思う。

今月は、16日から19日4泊5日での宿泊予定。
我が家は、17日2泊3日で恒例のわんこ連れ那須旅行に出かけます。
ありがたいことに、父も宿泊を楽しみにしてくれてます。

父に合ったデイに通うことが出来たことに、感謝です。。。
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順調に・・・?

2012.06.06 (Wed) 父の看護日誌

父の経過。。。』で、書き忘れたこと一つ。

朝食を食べて、ハミガキも終わり、デイのお迎えが来るまでの間
居眠りをすることがあった。
電話が入り、起こして立たせると、足が動かなくなる。
時には、リフトにやっとこさ乗せても、目を瞑り白目になって
肩を何度叩いても、起きない時があった。
最初、この症状にはしびれてしまった。
どっかおかしい?また何かが起きてる?

「おとうさん!おとうさん!」

何度も声かけしていたら、4階の人が出てきて心配してくれたけど
目が覚めたら、いつもの父に戻った。
居眠りすると、覚醒するまで動きが悪くなることがわかって
待ち時間の間、声かけをして起こすようにした。
でもお薬が効いて、身体の動きが良くなってきたら
居眠りしていても起こせばすぐ、いつものように動けるようになった。

父の身体の方は、R病院のⅠ先生が言った通り
お薬が良く効いて、順調に回復しております。

そして父の頭の方も、順調に忘れ物が増えております(*≧m≦*)
増えていると言う言い方も、違うかもしれないけど・・・

我が家には、ラブラドールが2頭いる。
そのために、玄関を入ると外へ飛び出さないように柵をしてある。
父の部屋へも、自由に出入りできないよう、柵をしてある。
で、家具調のポータブルトイレは、普段父の椅子として使っているので

「オシッコしたくなったら、椅子の蓋をパクっと開けるんだよ」

と、日に何度も言ってるのだけど
ポータブルトイレの存在を、突如として忘れ
柵を動かして、家のトイレまでトコトコと歩いてくる。

たまに、家のトイレの場所がわからなくなり迷う。

玄関を入って右側、正面は私の寝室なんだけど
デイから戻ると、正面の部屋に入ろうとする。

同じ会話を、日に何度かすることもある。
たとえば同居をして、デイの通所バッグを変えたのねん。
食べこぼしや、紙パンツから漏れた場合に備え
予備の着替えと紙パンツ3枚、お風呂用のバスタオルと肌着を入れる。
宿泊もあるから、少し大きめのバッグにしたんだけどね。
このバッグ、今年のお正月XEBIOでナイキの福袋を買ったんだけど
グレーでピンクのラインが入った、私のバッグ
要するに女性用だから、父は気に入らないのかもしれない。
父が持って歩くことはないんだけど、ふと思いつくのか?
部屋のタンスを開けたり閉めたりして、何かを探し出す。

「何探してるの?」
「いや~・・・」
「いや~って、それは恵子たちのタンスだよ」

父のタンスの横に、私たちのタンスを一棹おいてあるんだけどね。

「何を探してるのか?言って」
「このかばんより、小さいのがないかと思って」
「このバッグじゃなきゃだめなの。小さいのじゃ入らないから」
「そうなのか?」
「そうなの。だからかばんは変えないのよ」
「わかった、わかった」

これ思いついた時は、朝に晩に3回以上繰り返すときもある。
で、同じようにタンスを開けたり閉めたり

「何か探してるの?」
「・・・・・」
「返事しなさいよ!なに探してるの?」
「別に・・・ただ見てるだけ・・・」
「そこは、恵子たちのタンスだけど」
「あ~そうか・・・」

これも始まると、数回繰り返す。
何かが気になったのだと思うけど、何が気になったのか?
思い出せないんだろうな。
探しながら、何を探してるのか?忘れると言うことだろう。

彩佳の顔を見て、「恵子?」と言ったこともあるけど
すぐに思い出した。

父の最後にしていた仕事は、水道工事である。
ファミレスが閉店後、工事に入るため夜勤仕事をしたこともある。
でもほとんどが、民家での水道工事だったらしい。

新しく通い出したデイ、S本舗の建物は普通の民家。
宿泊予定もあったので、その話も数回していたんだけど
水道工事をしていた頃の記憶が、蘇ったのかもしれない。

「おれさ~、今日泊まりになるかもしれない」

と、突然言い出した時、かなり動揺してしまった私。
でも否定するのは良くないと思って、話を合わせてみた。

「泊まりって?どこに行くの?」
「いや~、どこに行くか?まだ、わからないんだよ」
「ふ~ん、仕事なの?」
「なんだか向こうで、おれを使いたいらしいんだ」
「そうなんだ~」

ニコニコ笑顔で言われて、なんだか切ないような悲しいような・・・
泊まりで仕事に行くつもりなのに、ハミガキは補助されて
トイレに行けば、おパンツの上げ下げをしてもらい
階段用リフトには乗る。
なんとも、このトンチンカンさは、笑うしかない( ´艸`)

その日は、Mのさとへ通所の日。帰ってきたら

「おれに電話なかったか?」
「電話が来るの?どこから?」
「どこかわからないけど、会社かおれのとこに電話がくるんだ」
「ふ~ん、今日はなかったよ」

S本舗に行き、Mのさとへ出かけると、翌日こんなことも言い出した。

「今日は泊まりになるかもしれない」「おれに電話なかったか?」

この言葉を言われると、話を合わせていても
内心はちょっと動揺して、なんとも切なくて悲しくなったけど
2週間くらいの間に、数回繰り返し、最近言わなくなった。

時折、つじつまの合わないこともあるけど
この程度なら、大きな問題はなく
リフトも返却して、階段の昇り降りも、なんとか出来て
とりあえず、父が笑顔でいるなら、それでいいかと思う。。。

父の経過。。。

2012.06.05 (Tue) 父の看護日誌

私はまだ、パーキンソン病のことをちゃんと調べていない。
ある程度の知識は持っているつもりだけど、もっと勉強しようと思っている。
このブログを更新する前に、調べた方がいいんだろうけど
父の介護日誌として、このブログを更新していきたいので
今日に追いつきたいわけで、これが終わったら
私なりに調べてみるつもりでいる。

で、3月12日から約3ヶ月の間に起きたことを記録しようと思う。

退院直後は、ベッドに横になると、起き上がれなかった父。
でも3日目には、起き上がれるようになった・・・
と言うか、起き上がるコツをつかんだのかもしれない。

すり足がひどかったので、何もないところでもケツまづいたけど
家の中では、自力歩行は出来ていたので
本人も少し自信を持ったんだろうし、私も油断した。
その結果、退院して10日後に、トイレに入ろうとして転倒。
左手小指の付け根を、5針縫うケガをした。

整形外科に通い始めて、父が途中で足が前に出なくなる症状に
少しショックを受けた私。
消毒に通い、デイに送る毎日で、Mのさとに行くと
車から施設内の椅子のにたどり着く前に、やはり歩けなくなり
膝カックンすると、足に力が入らなくなる父を
職員さんに両脇から抱えられる姿は、ちょっと悲しかったけど
これが、パーキンソン病なら、受け入れなくてはいけないと思ってた。

R病院のⅠ先生に、退院後もお薬を増やしてもらって
お薬が効くから、入院前と同じように歩けるようになるという
言葉を信じて、5年間通っていたMのさとでも、リハビリをお願いした。
階段用リフトで、5階から降りて行くと、下に付くまで10分程かかる。
なので、15分前には連絡をもらっていたのだけど、電話が入ると
すぐに自宅を出て、雨が降っていなければ、一緒に歩く練習もした。

Mのさとでは、歩行距離が長いので、足が前に出なくなる症状は
私が気が付く以前に、Mのさとの職員さんは知っていた。
おそらく私も気付いていると思って、特別報告もなかったのだと思う。
たくさんの利用者さんを看ているわけだから、私よりも
こういう症状の対処の仕方は、プロなわけだ。
Mのさとには、高齢者用のマシーンがある。
それらも使用するよう促してくれて、筋力が落ちないように
見守ってくれていた。
家では、歩行に問題はなかったし、S本舗は民家を利用しているので
自宅にいるのと変わらない。
だからS本舗では、足が出ないという症状は出なかったらしい。

父が入院してから、父の部屋・我が家の片付けやら
役所などの手続き、さらにはケガによる通院と
父の退院後、1ヶ月近く経って、気が付いた。
自宅で、父の排便する姿をまったく看てなかった。
夜4~6回ほどの排尿はあるけれど、排便がない。
S本舗では、連絡帳に排便排尿の回数が載ってるけど書いてない。
Mのさとの連絡帳には書かれていないので、確認してみると
数回排便があったと言われたので、今後は排便があった場合
連絡帳に、書いてもらえるようお願いした。

それと、4月5日の受診の際に、Ⅰ先生に排便の話をすると
マグラックス300㎎を処方された。
まずは3錠から初めて、排便の様子で最高6錠まで
硬かったら増やして、緩かったら減らす。
父の排便の様子で、お薬を調整するように言われた。
が、このお薬の調整が難しい。
マグラックスを飲み始めて3日目、デイから戻って排便あり。
でもスッキリ出た後が、お水のような便になる。

ポータブルトイレを購入してあるけど、排便の時には
自宅のトイレを使用したがる父。
父の部屋からこちらに向かってくる

「どうした?う○ち?」
「そう」

と言いながら、バ~ビブ~ベボ~と音がして

「あら?出ちゃった?」
「うん」

で、一緒にトイレに行けるときは、うまく紙パンツを下ろして
お尻もきれいに拭け、トイレを汚すこともない。

入院中もデイではもちろんだけど、私に対しても介護拒否はまったくない。
ところが、主人や弟には、恥じらいがあるらしい。
介護拒否はないけれど、嫌がるそぶりをみせる。
入院中、書くのを忘れていたけど、部屋の片付けをしていた
3月10日に、弟が手伝いに来た。
その帰りに、弟と一緒に面会に行った時、ベッドにうまく横になれず
私がベッドに乗り、父の身体を持ち上げ寝かせると

「あんまり格好悪いところ、見せないでくれよ」

と、こっそり言った。
弟には、まだ父親の威厳を持っていたいらしい。
主人に対しては、やはり気を遣うんだろう。
主人もそのことをわかっているから、私からヘルプがなければ
介護に関して、手を出すことはない。
が、私がお風呂に入っているときに、モヨオシタ父。
主人はテレビを見ていて、トイレのドアが閉まる音で気が付き
トイレの隣がお風呂なので、私も気が付いた。
主人が声をかけても、「大丈夫」としか言わない父。
ところが、トイレから出てきた父は、ズボンに便を付けた状態。
ズボンの中身は、もっとひどい状態だとすぐわかるわけで
あわててトイレを確認したら、トイレの中も便が・・・

「お父さん、着替えないと」
「いや、大丈夫だよ~」

と、言われても放っておくことは出来ないわけで

「でもお父さん、気持ち悪いでしょう」

と言いつつ、主人は嫌がっているのはわかっていたけど
対処してくれていたわけです。
私も、大急ぎでお風呂から上がり、父の部屋に行くと
ズボンを下ろされた父は、情けない顔で主人にお尻を
拭いてもらっていたのだけど、私を見て訴えるような目に

「お父さん、お風呂で洗っちゃおうか?」
「そうだな、その方が、いいな」(主人)
「うん」

と、うなづいた父の手を取ると、ホッとした顔になった。
で、お風呂に連れて行き、お尻をきれいに洗い拭き上げた後
洗面所の椅子に座らせ、着替えをさせた。
その間主人は、トイレや部屋に付いた、便の処理をしてくれた。

「さっぱりしたね」
「うん、ありがとう」

主人と私にそう言って、いつもの椅子に座って落ち着いた。
そんなことが、数回あった。

排便コントロールは、難しい・・・
こういうことがあると、2日程お薬を中止して、また服用させる。
でも便が緩いので、2錠に減らしてみたけど、まだ緩い。
で、結局1錠を毎日服用、排便があると1日お休みするんだけど
しばらくお水のような便が出て、父も不快を訴える。
で、4月19日の受診の際に、そのことを伝えると
マグラックス250㎎を2錠に変更になった。
その後も調整しつつ、様子を看てたのだけど
このところは、毎日2錠服用して、3日~4日に一度排便がある。
お腹の張りも訴えないし、硬くて切れるということもないから
このまま様子を看ているところです。

そして5月も中旬になって、父の歩行が安定してきた。
Mのさとの連絡帳にも、安定してきたと書かれるようになり
デイに行く前の歩行練習でも、足の運びが早くなってきた。
Mのさとでも、褒められることが多くなったようで
父もだいぶ自信が付いてきたらしく、高齢者用のマシーンを
進んでやっていることもあるそうな。

歩行が安定してくると、階段用リフトに乗るのを嫌がるようになった。
階段を昇るなら、前にコケるだけで済む。
でも降りるときは、ヘタすると顔面から落下することになる。
歩行が安定してるとは言っても、階段の昇り降りはどうなんだろう?
5階から一人で父を支えて降りるのは、私の自信がなかった。
デイに行く時、帰って来た時

「これに乗るの?いらないんじゃない?」

と言う父をなだめて、リフトに乗せる毎日だったけど
5月27日の日曜日、主人に頼んで、一緒に階段を降りてもらい
もし途中で降りれなくなったことも考えて、私は後から
誰も乗ってないリフトを降ろしながら、追いかけた。
私が階下に到着するまで、一人で立って待っていた父。

「全然問題なく、降りて来たよ」

主人も父も、ニコニコ笑顔でごじゃいました。
帰りも、主人に付き添ってもらい階段を昇った父。
これでまた、父に自信がついてしまった。
主人に聞くと、わりとしっかり昇り降り出来ているらしい。
ならば、これもリハビリの一つだと思って、やらせてみようと思った。

「明日から、リフト使うのやめようか?」
「うん、そうだな」

父はやる気満々なので、こっちもやるしかない。
義弟の時にも使用した、降りたたみ式の椅子を持ち
疲れたりしたら、椅子を広げて休めばいい。
階段を降りる時、万が一のことが起こったら
後ろに引っ張ればいいと思った。
尻もち付くだけなら、大きなケガにはならないだろう。
昇りは、前にコケるだけだろうし、3階と4階の間の踊り場で
折り畳み式の椅子を広げて休憩を取れば、どうにかなりそうだと思った。

降りるときは問題なく、昇りは3階を超えてくると
足の運びは遅くなるものの、休憩するときもあれば
一気に昇るときもあり、一気に昇ると
玄関を入るときに、フラつくこともあるけど
1週間、階段を自分の足で昇り降り出来た。

福祉用品の中で、一番高額なのが階段用リフトでごじゃる。
一旦返却して様子を看て、もしやっぱりダメだった場合
またすぐ借りることは出来るか?
ケアマネさんに相談したら、まったく問題なく出来るとのこと。
なので、6月4日に一旦返却してしまいました。

「リハビリと思って、がんばろうね。おとうさん」

黙ってリフトに乗っていた父だけど、どこかで抵抗があったんだろう。
昇るときは、3階を超えるとヒィ~ヒィ~言っとりますが
父なりにがんばっている、毎日です♪

手続き。。。

2012.06.05 (Tue) 父の看護日誌

父と同居を決めて、いろいろな手続きがあった。

3月12日の日付で住所変更をする際、父を主人の扶養に入れようと思って
まずは、同一世帯で変更をすることにした。
でも役所に届けを出す時、窓口の方に

「世帯を一緒にすると、保険料等上がりますけど大丈夫ですか?」
「一応、主人の扶養に入れようと思ってるんですけど・・・」
「先に保険課に相談されてみては?」

と言われて、保険課の窓口へ。
保険料が上がることは間違いなく、とりあえず同じ世帯で登録し
あとで分離することも出来るから、税関係のことを調べてから対処することにした。

んで、調べてみたら、父の年金がほんの数万円オーバーしてしまうので
主人の扶養家族になれないことが判明。
1ヵ月後に、世帯を分離するために手続きに行くと、またもや
住所変更の窓口で、分離する日を保健課で相談した方が良いと言われて
保険課の窓口に行くと、分離する日は、3月12日で登録した方が
前の住所から、引き継がれるので良いと言われて、その日で登録してもらった。

そして、介護保険の区分変更。
3月1日に、ケアマネKさんが役所に申請してくれて8日に面談した。
今考えれば、R病院の診断書は通常で3週間かかるんだから
4月4日に審査会になったのも、理解できる。
結果は、4月6日に届いた。

要介護3

それでも、毎日デイに通い、月に1度宿泊も利用し、福祉用品も含めれば
単位数を大幅にオーバーするので、実費が発生する。
それでも、父の年金内でギリギリ収まる。
なんといっても、階段用リフトが高いんだな~。
でも私自身のことを優先して考えれば、このやり方が一番ベストだと思う。

別に暮らしていた時は、現状が維持できれば良いと思っていたから
書類が届いても、結果が『要介護1』であれば
他の書類に、目を通すことはなかったけど、今回は
添付されていた書類に、全部目を通して、他にも申請出来るものが
あることに気が付いて、もっと早くやれば良かったと思った。

高齢者の所得税及び市民税・県民税の障害者控除
基準がいろいろあるのだけど、父の場合で見ると
認知症の度合いが、区役所福祉保健センター長の認定を受けた場合
と、書いてあった。
どういう基準なのか?わからないので、高齢者支援課に行って聞いた。
父の場合は、平成19年度・・・介護保険で『要介護1』の認定を受けた時から
障害者控除に、今年度は特別障害者控除の対象になるそうな。

障害者控除対象者認定書

が、届いたので、これを持って3階の市県民税課へ。
これの認定を受けると、今まで市県民税を払っていた父が
非課税になり、19年度分からさかのぼって返金されることがわかった。
でも、24年度・23年度は6月くらいには、処理が出来るそうだけど
それ以前の分は、半年近くかかるんだそうです。
しかも、非課税証明書は、5月2日にならないと書類が出来ないとか。

その非課税証明書があれば、紙おむつの補助が受けられることもわかり
5月2日に非課税証明書を取りに行ったら、24年度は出来てたけど
23年度がまだ処理が終わっておらず、理由を話したら書類は作ってくれた。
今度はそれを持って、またまた高齢者支援課へ行き、手続きをしたんだけど
役所のコンピューターの中身が変わっておらず、書類を見せて説明。
コピーを取られ、福祉用具をお願いしているFベッドを指定して申請の手続き終了。

高齢者日常生活用具給付 決定通知書

が、届いたので、Fベッドに連絡。
3単位と言うことで、指定された紙パンツを3パックまで利用できる。
2種類あったので、お試し品を5個づつ届けてくれて
どちらも、使い心地処理心地は同じだったし
毎月変更も出来るらしいので、まずはN製品から使用することにした。

高額介護サービス費
介護保険の利用料(保険の効いた部分)が、一定額を超えた場合
超えた額の払い戻しがあるらしい。
これは、自己申告ではなく、役所から通知が届いたら
申請すれば、次回からは自動的に払い戻されるそうな。
父の場合は、実費もあるわけだから、いずれ通知が届くでしょう。

部屋代・食事の負担軽減(負担限度額認定)
これは、義弟の時にも利用した認定書。
特養や介護医療型施設やショートステイを、利用した場合に
負担限度額に軽減されるというもの。
父も非課税世帯なので、この認定が受けられる。
これも同じ日に、手続きに行ったんだけど
役所のコンピューター上が、まだ変更になってないので
ここでも、書類を見せて、説明することになった。
この認定書、今は利用しないけど、いずれ利用する可能性もあるので
一応、もらっておくことにした。

お役所仕事と、よく言われるけど、まあ処理が遅いこと。
しかも課によって、期限が違う。
理由はあるんだろうけど、申請する月によっては
24年度のものが必要だったり、23年度のものが必要だったり
1度で済ませようと思うと、1階と2階と3階を、行ったり来たり
数日後にまた行かなきゃいけなかったり、役所での手続きは
重労働でごじゃりますね。

あとは、母のお墓の住所変更がある。
父との同居のことも、話してこなくちゃいけないんだけどね。

そして、特定疾患の申請書。
これの申請が済めば、パーキンソン病に関しての治療費は無料になる。
いくら忙しいとは言え、診断書を書くのに2ヵ月以上もかかるって
どうなのかしら・・・
診断書の料金も支払い済みだし、もしやっぱり申請が出来ないのなら
早く知らせてもらった方が、妙な期待をしなくて済むんだけどね。

義弟の時も、いろいろな手続きにあちこち走り回ったっけな~。
なんぞと思いだしつつ、今出来る手続きは終了となりました。。。

退院後の受診。。。

2012.06.01 (Fri) 父の看護日誌

父がパーキンソン病と言われて、12年が過ぎる。
最初は手の震顫からで、団地に住んでいたころだ。
私がいくら病院に行けと言っても、行くことはなかったけど
ある日、行きつけの床屋さんで

「脳に異常があるかもしれないから、病院に行かなきゃダメ!」

と言われて、あわてた父は近くのM病院へ行き診断された。
まだ父は元気だったので、いいと言ったけど心配で
私も担当医から話を聞くために、一緒に行き

「今は、お薬がたくさんあるから、それほど心配ないですよ」

そう言われ、少しホッとした。
8年前に我が家の近所に越してきて、今のR病院に変わった。
で、R病院のⅠ先生から、K先生を紹介された。
通常の診察とお薬の処方は、K先生から
3ヶ月に1度はⅠ先生の診察も受け、パ-キンソン病に関係する検査等は
R病院で受けることになった。

「手の震顫だけなら、これだけで済む方が多いですから」

Ⅰ先生の言葉で、安心してた。
この頃は、パーキンソン症候群って言われてた。
実際に昨年の夏ごろまでは、変化もなく来ていたわけだからね。

M病院の時から、お薬は

朝食後 アーテン半錠・マドパー1錠
昼食後 マドパー1錠

R病院でもそのお薬のままだった。
でも手の震えが、父自身が気になり、そのことを伝えると
K先生宛に紹介状を書いてくれて

朝食後 カバサール1錠 が、増えた。
コレステロールの数値が高かったので、当初は
朝食後 リピトール1錠 も、処方されていたけど
K先生の判断でその後、クレストール500㎎1錠に変更になった。

それ以降、パーキンソンのお薬は、入院まで同じお薬だったけど
昨年の秋頃から少しずつ変化が出始め、年明け様子も変わり
そろそろお薬を増やした方が良いだろうと言われて
血圧測定の結果を持って、次回の診察でお薬が増える予定だった。
でも症状の悪化に伴い、悪性症候群を起こして、入院となった。

朝食後 アーテン半錠・マドパー1錠・カバサール1錠・エフピー1錠
昼食後 アーテン半錠・マドパー1錠・クレストール250㎎1錠
夕食後 マドパー1錠

退院時に上のようにお薬が変更になり、2週間分のお薬を処方された。
病棟の担当医に、自宅にあるお薬も少ないので
退院後、すぐにK先生を受診したいことを伝えると
K先生宛に紹介状を書いてくれた。

退院後からデイに通い始めたし、私の中では18日からは
新しいデイにも通い始める予定で、毎日通い始めると
病院に行く日は、診察後デイに送り届けることになる。
だったら、14日に受診してしまえば、少し楽かなと思った。
なのでK先生を受診して、2ヵ月分のお薬を処方してもらった。
でもこの後、R病院のⅠ先生に少々文句を言われることになる。
患者の引き継ぎは、カルテだけなんだね。
今後は、気を付けなくちゃいけないことだな。

3月29日12時30分、退院後の初受診。
この日は、デイをお休みした。
22日に、左手小指の付け根を5針縫っていた父。
整形外科に通う際に、足が前に出ず、汗だくで支えたので
車いすを借りて、消毒を受けていた。
R病院でも車いすを借りて、3階まで行き診察室に入ると

「あ~、車いす使っちゃってるのか」
「この前、ケガをして・・・」

と、経緯を説明すると

「パーキンを知ってる人なら、わかると思うんだけどね~」
「はあ~・・・」

足が前に出なくても、しばらく休憩をすれば歩けるって。
それはわかってるんだけど、膝カックンされたときの
父の重さは、ハンパじゃないんだって。
つかまるところや、座るところがないと
女一人の力では、休憩すると言っても
私共々、転倒する可能性だってあるわけで
車いすに頼らざる負えない・・・

と、父・・・診察中なのに、「オシッコ」だと・・・
あわてて車いすで、トイレに駆け込み排泄を終わらせ戻る。

「入院するとさ、なんでも看護師がやっちゃうだろ。
 出来てたことも、出来なくなっちゃうんだよね」

・・・と、言われましても・・・

「Ⅰさん(父の苗字)はね、薬がよく効くんだよ。
 だから薬が効いてくれば、前と同じように歩けるようになるから」

そう言われたら、少し安心した。
んで、お薬をさらに増やして、様子を看ることになった。

「K先生のところで、2ヵ月分のお薬もらっちゃったんですけど」
「えっ?!次に受診までの薬が、出てるはずなんだけど」

退院時のM先生との会話を話して

「K先生に紹介状も、書いてもらいましたけど」
「おかしいな~」

そう言われましても・・・
細かい事までの引き継ぎってされないんだな~と、このとき思った。

「今後薬は、僕が処方した方がいいでしょ」

はい、それならそれでいいんですけどね
決めるの、私じゃないと思うんだけどな・・・
・・・って、I先生こういうキャラの人なんですけど
受ける側によっては、誤解されるってばさ(≧ω≦)
知らなかったんだけど、Ⅰ先生は、神経内科の部長先生。
抱える患者さんも多くて、予約をキャンセルすると
3ヶ月以上先にならないと、予約が取れないんだよね。
パーキンソン病では、名医らしいんだな。

車いすはなるべく使わず、少しの時間でいいから歩くリハビリを
毎日するよう言われて、1週間後の4月5日にまた受診することになった。

「あ、そうだ。Ⅰさん特定疾患の申請出来るから
 役所でもらって、受付に診断書出しておいて」

そう言われたので、その日のうちに役所に行き
その足でまた病院に戻り、受付に診断書を出し
4月20日に、出来あがる予定だった。

整形外科の通院は、ほぼ毎日で、終わるとデイへ送る。
朝4時過ぎ起床後、家に戻るお昼過ぎまで、フル稼働。
部屋の片付けもボチボチとしながらだったから、私クタクタでした。

それ以降、整形外科でも車いすを使わず歩かせ
5年間通ったMのさとでも、リハビリに協力してくれることになった。

4月5日の受診では、まだ足取りもおぼつかなかったので
車いすの場所まで歩き、3階までは車いすで行き
外待合から診察室までは歩いた。

デイでも、リハビリをしてくれることを伝えると

「うん、よかった。リハビリは大事だよ」

次は2週間後、4月19日8時30分の受診。
整形外科は通院中、小指が曲がらなかった父。
毎日曲げる練習をしないと、指が曲がらなくなるから
リハビリに通った方がいいかも・・・と言われて
毎日グーパーをさせて、曲げられるようになり
6日に抜糸が済み、7日に通院も終わって、ホッとした。

4月18日に、R病院の文書係から連絡が来て
まだ診断書が出来てないと言われる。
翌19日、Ⅰ先生の受診。
この頃から、少しずつ父の足取りがしっかりしてきた。
デイでも、良くなってきてると言われた。

「うん、薬が効いてきたんだね。よかった」

で、この日は受診前に残っているお薬を数えて行き
それを伝えると

「次は3ヵ月後にしようと思ってるんだけど・・・面倒くさいな~」

と言いながら、お薬の日数をどうしようか?長いこと悩まれて

「あ、クレストールは、K先生からもらってね
 昼に飲むようになってるんだな・・・」
「変えた方がいいですか?」
「いや、いつ飲んでもいいんだけど、僕なら夜にするけどね」

・・・って、じゃあ夜の方はいいってことなのか?
お薬だって、飲み方で効き方が変わる場合があるでしょ。

「じゃあ、夜に変えます」
「いや、別に昼でもいいんだけどね」

なんだかな~・・・と思いつつ、今は夜飲ませております。

ずいぶん悩まれていたけど、7月10日8時30分の受診日から
数日後までの、お薬を処方してくれた。

で、クレストールは500㎎から250㎎に変わり
足りなくなるので、5月9日にK先生を受診した。

「入院中の検査で、数値が良かったんだね」

パーキンソン病のお薬は、I先生が処方してくれることを話し
特定疾患の申請が出来ることも伝え、診断書がまだなことも言うと

「I先生、忘れてるんじゃないか(笑)」

そう言ってた。

で、現在服用しているお薬は

朝食後 アーテン半錠・マドパー1.5錠・カバサール1錠・エフピー1錠
昼食後 アーテン半錠・マドパー1.5錠
夕食後 マドパー1錠・クレストール250㎎1錠

5月21日ごろに、一度催促の電話を入れてみたのだけど
まだ出来あがってなく、文書係からも催促はしてるらしい。

そして、今日は6月2日。
診断書は、まだ出来上がってません。
介護保険の区分変更も、診断書が遅くて
審査に入るまでに、1ヶ月以上かかったんだろうな。
来年3月に、介護保険の更新がある。
これは、K先生にお願いした方が良さそうだと思う。

こうして、しばらく通院から解放された。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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