。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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ケガ。。。

2012.05.31 (Thu) 父の看護日誌

父が退院して、私もある意味少し気が抜けた。
部屋の片づけ等も続いていて、クタクタだったせいもある。
義弟の時もそうだったけど、夜中に起きることが出来ない私。
はい、そういう根性がないのです・・・なにしろズボラですから・・・

退院した直後は、一人でベッドから起き上がれなかった父。
そして、夜中に起きたくない私。
退院した12日と13日、父に厚手の紙おむつをして就寝。
当然のことながら、漏れた・・・
これは想定内だったので、それなりにベッドは準備してあったけど
父は気持ち悪かったのは、言うまでもない。

「紙おむつ、取り替えてくれよ~」

朝様子を看に行くと、父が言った。
が、14日の夜から、父は一人でベッドから起き上がれるようになった。
ここから、夜中に何度も起こされるようになった。
一人暮らしをしてた頃、夜中に1度トイレに起きると言ってた父だけど
1回どころではない、4.5回起こされる。
我が家は、バリアフリーではない。
トイレも洗面所も、1段上がらなければいけない。
まだ足取りがおぼつかない父、暗い中歩いて段差を踏み外せばケガをする。

「隣に寝てるから、トイレの時は壁を叩いて起こしてね」

普段忘れることが多いのに、これはインプットされたらしい。
壁を叩いて起こすのはいいが、ひどいときは10分おきに3回。
これは、夜中に起きれない私にとって、地獄でごじゃいます。

「またぁ~、おとうさん。まだ10分しか経ってないよ」

うっかり、怒ってしまう時もあった。
愛娘のお散歩があるから、私の朝は4時過ぎから始まる。
夜寝るのも10時と早いけど、父は7時過ぎにはお布団に入り
11時ごろから、何度もトイレに行き始める。
寝るの大好きな私にとっては、これは拷問にも近い。
退院の時、ポータブルトイレを考えていた私。
少し様子を看ようと思いながら、お昼寝も取り入れつつ
部屋の片づけにも追われ、知り合いの便利屋さんにお願いして
17日には父の部屋もきれいに片付き、19日に明け渡し完了。

18日には、S本舗に初めて通所。
ここは昨年12月に、オープンしたばかりのデイ。
普通の民家なので、小じんまりしていて
Mのさととは、雰囲気がまったく違うけど、落ち着く感じがした。
帰ってきた父は、S本舗が気に入ったようで、安心した。

我が家の方も、ボチボチと片付き始め、私にも油断が出来たのだと思う。
22日、朝のお散歩が終わり、父の部屋をのぞくと

「なあ、おれの顔腫れてないか?」
「えっ?どうしたの?」
「トイレで転んじゃったんだよ~」

笑ってる父だけど、ビックリした。
このとき、顔は腫れてる様子はなかったけど
左手小指の付け根のあたりが、斜めにザックリ切れていた。

「カットバン貼っときゃいいよ」
「カットバンでなんか、治らないよ」

どう見ても、縫わなくちゃいけないほど切れていた。
手を開くと出血し出すので、開かないようにハンカチで覆い
少々パニクってしまった私。
近くの病院の外科を見つけて、9時に連れて行ったのだけど
そこは消化器外科しかないとのこと。
んじゃ、『消化器・外科』って、点を入れるなと思いつつ
義弟が骨折した時通った、Ⅰ整形外科へ。

で、ここで初めて父が歩けなくなる姿を見た。
駐車場から病院まで、少し坂道を登るのだけど
この途中で、足が前に出なくなった。

「ゆっくりでいいよ。あわてなくていいんだからね」
「足が動かないんだよ~」
「大丈夫、恵子が支えてるから。ゆっくりでいいよ」

パーキンソン病の症状だとは知っていたけど、突然だとあわてる。
膝がカックンすると、体重が私の手にかかる。
父から手を離すことも出来ず、汗だくで支えながらゆっくりと進み
なんとか病院到着、その様子を見てすぐに車いすを貸してくれた。

結局、神経が2本切れており、5針縫うことになった。
神経を繋げるとなると、大きな病院へ移らなくてはいけない。
指の曲げ伸ばしに支障はないとのことなので、そのまま縫ってもらった。
この日は、お昼過ぎまでかかったために、父も疲れてしまい
この日は、デイはお休みすることにした。
この日から、日曜日と水曜日の病院がお休みの日以外は
ほとんど毎日消毒に通い、その足でデイへ送る毎日となった。

足が前に出なくなる・・・これは知っていたけど
家の中では、今までと変わらず歩いていたから
この姿は、私にとっては、ショックだった。
父は歩けなくなった。。。そう思った。。。
消毒を済ませMのさとへ送り、施設内に入ってしばらくすると
同じ症状が出て、父は職員さんに抱えられ車いすに乗る。
私は知らなかったけど、Mのさとの職員さんは知っていた。

「もっと大変な人もいるんだから、大丈夫だよ」

そう言われたけど、気持ちは凹んだ。
すぐにケアマネさんに連絡して、ポータブルトイレをお願いした。
カタログを見せてもらい、家具調で普段は椅子として使えるものを注文。
Fベッドの担当Sさんから連絡が来て、その日のうちに持ってきてくれた。
肌に付くものは、買い取りになるそうだけど
後日9割が返金されるそうで、手続きはFベッドさんがしてくれた。

退院直後に購入してたら、こんなケガはさせずに済んだかもしれない。
夕方には、下唇がたらこのように腫れてしまった。
なんのために同居をしたんだか?
同居して10日目に、こんなことになってしまって・・・

「完璧な介護なんて無理なんだぞ!」

義弟の時にも主人からよく言われたけど、今回も言われた。
この程度で済んだのだから、よし!としなくちゃね。

ポータブルトイレは、購入して正解だった。
尿を受けるバケツに、ビニール袋をかけ
ここで活躍するのが、わんこ用のチッコシート。
一番大きいサイズのものを、ビニールの上に敷いておけば
2.3回分の尿を受けてくれるので、ビニールごと捨てればOK。
父もトイレが楽になったと言っていた。

ケガから3日目。

「おれ、どうしてここケガしちゃったんだ?」
「トイレで転んじゃったんだよ」
「そうなのか?」
「うん、だからこのおトイレ買ったんだよ」
「そうか・・・」

今現在、倒れて救急車に乗ったことも、入院してたことも
ケガをして5針縫ったことも、父の記憶にはごじゃいません。

「都合の悪いことは、忘れるんだよ」

・・・だそうです・・・( ´艸`)ムププ
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担当者会議。。。

2012.05.30 (Wed) 父の看護日誌

ある程度回復して、退院してきた父。
退院の手続きを済ませて、お昼過ぎに自宅に戻った。

「これに乗るのか?」

階段用リフトを見た父が言った。
義弟は痩せていたので、お尻に肉がなくて
昇るときの衝撃でお尻が痛いと言って、座布団を使用したけど
父の体系は、相変わらず豆タヌキ体系だったので
それほど気にならないようだった。

ケンタッキーのフライドチキンとポテトが大好物の父。
昼食は、ケンタッキーを買って来た。
ずっと病院食だったから、美味しそうに食べていた。

「向こうの部屋のものは、捨てたのか?」

家に戻ってから、しばらく同じことを聞いていたっけ。
その後は、ベッドの中でウツラウツラしながら、テレビの番をしてた(^m^)
退院の時、翌日からデイに通って良いと言われていたので
さっそく13日から通所が始まり、退院翌日だったけど
それほど大きな変化もなく、1日過ごして帰ってきた。

14日は、午前中にK先生を受診した。
7時前に犬のお散歩から戻り、8時前には家を出発しなければならない。
なので、朝とてもあわてて家を出た。
K先生の病院は、駅前通りにあって、駐車場はコインパーキングしかない。
そこから少し歩き、階段を昇らなくてはいけないのだけど
おぼつかない足取りではあったけど、なんとかたどり着いた。
ところがここで、気が付いた。
朝のお薬を飲ませるのを忘れた・・・父を病院において
あわてて自宅に戻る途中、病院のすぐ隣にコインパーキングが
出来てたことがわかって、そこに車を停めてお薬を持ってきて父に飲ませた。
K先生に紹介状を見せて、同居することを伝えると

「これから先、症状が悪化する可能性があるから同居の方が安心でしょう」

K先生から、少し注意事項等を聞いて
3月29日にⅠ先生を受診することも伝え
2ヵ月分のお薬を、処方してもらった。

家に戻ると、横になると言って、ベッドに入った父。
お昼を食べて、午後からは担当者会議。
ケアマネさん、5年間通所したデイ(Mのさと)の職員さん
新しく通うデイ(S本舗)の責任者さん、福祉用品のFベッドの担当者さん
そして、父と私。
部屋が狭いので、父はベッドに寝かせたままで会議となった。

週5回通っていたMのさとを、とても気に入っていた父。
同居になったので、私自身も父との関わりが長くなれば
今の気持ちが、どう変わるか?わからない。
これは、義弟の時に学んだことだ。
最初は、義弟に良いと思ったことを優先させたけど
結果それが、自分たちの首を絞めることになったわけだから
まずは、自分たちを優先して考えると、同居をしていても
ある程度の距離を置いて、父と接したい。
それに、お正月休みで1週間デイをお休みした後
父の様子が変わったこともあり、毎日の生活パターンが変わるのは
父にとって良くないと思われ、毎日の生活パターンを習慣化させるため
そして、主人も日曜日はゆっくりさせたいため
日曜日も含めて、毎日デイに通わせたいのが私の希望である。

父自身も、一人でいた時からそうだけど、家でテレビばかり見てるより
デイに行った方が、みんなでご飯を食べたり、会話をしたりすることが
楽しく、大きなお風呂に入れるのは気持ちが良いと言っていた。
Mのさと以外に行くことは、Mのさとの職員さんに悪いという思いが
父の気持ちの中にあって、頑なに変更をしないと言っていたけど
Mのさとがお休みの日に、新しいデイに行くことは話してあった。
父が納得するかどうかは、行ってみなくてわからない。
でも、何度もその説明を私から父にしていた。

これらのことを、ケアマネさんの口から話すことから会議は始まった。

5年間通所したMのさとは、大規模なデイになる。
入所当初は25人前後だったけど、施設を拡張したことで
2部屋に分かれ、現在は50人前後の、利用者さんがいるらしい。
前日のデイでの父の様子は、歩行に問題はあるけれど
他の利用者さんや、職員さんから声をかけられ
少し涙ぐんだりもしながら、笑顔で答えていたそうな。
今後も父の様子を看ながら、対応していただけることとなった。

新しいS本舗さんは小規模のデイで、普通の民家で
多くて10人前後の、利用者さんがいるそうな。
緊急の場合、当日でも空きがあれば宿泊が出来るそうだ。
こちらは、18日日曜日から水曜と日曜日の利用になった。
18日は、施設の場所等見たかったので、私が連れて行くことにした。
会議が終了後、説明や契約書等の件で、少し残ってくれたのだけど
父の排泄の手伝いをしてくれ、話し方もとても穏やかな方で安心した。

福祉用品のFベッドさんは、義弟の時もお世話になっている。
手すりの注文もして、これも父の様子を看ながら変更することも可能で
こちらの要求通りに、対応してくれることになった。

会議が始まる前、眠っていた父。
ぐっすり眠ってしまっていたようで、皆さんが来ていることを伝えながら
肩を思い切り叩いて起こしても起きる様子がなく、少し心配になった。
眠りが深いのか?はたまた、悪性症候群の名残なのか?
私も父の様子を看ながら、対応の仕方の勉強をしていくしかない。

パーキンソン病についても、まだ何も知らないに等しい私。
同居をきっかけに、勉強しなくちゃいけないと思いながら
まだ父の部屋も、ゴミの山と化したまま。
我が家の和室と、元の娘の部屋も片付いておらず
まずは片付けを終わらせなくては、先に進めない状態だった。。。

そして、退院。。。

2012.05.29 (Tue) 父の看護日誌

確か5日だったと思う。
役所から連絡が来て、8日に病室で面談することになった。
階段用リフトは9日金曜日、介護ベッドは10日土曜日に
届くと連絡も入った。
6日は3時頃、ケアマネのKさんも病院にくることになっていたけど
家の方の片付け終了後だったので、少し遅れてしまい
Kさんが、病院のエレベーターから降りてきたところで行き会えた。

「思ったより元気そうでした」

そういう印象だったらしい。
新しくお願いしていた、泊まれるデイも水曜日と日曜日の
受け入れ可能と連絡があって、毎日デイに行けることになった。
Kさんと別れて、病室に行き

「今Kさんが来たでしょ?」
「あ~来た来た」

Tさんから変わって、Kさんに会うのは2回目だった父。
Kさんを認識出来ていたかは不明。

8日役所の方が、介護保険区分変更のための面談に来た。
看護師さんたちにもいろいろ聞いていたんだけど
その時に、看護師さんの話に驚いた。
家の片付けで、私が2日間病院に行けなかったとき
夜中に不安になった父。

「娘はどこに行った?」「娘を呼んでくれ」

なんて、ちょっと手こづらせたそうな。。。
ふ~ん、そうか・・・
自分の父親ながら、ちょっと可愛いと思ってしまった(^ω^)

無事面談は終了。
義弟の時お世話になった役所のMさんはまだいらっしゃるのか?
ちょっと聞いてみたら、まだいらっしゃるそうで
事情を説明して、よろしくお伝えくださいってお願いした。

病棟の担当医は、M医師。

「土曜日あたりに退院してもいいですよ」

そう言われたけど、我が家の住宅事情も話

「先生、今週末にリフトやベッドが届くので、土・日には
 父の部屋も片付くと思うから、月曜の退院じゃダメですか?」
「あ~、いいですよ。じゃあ、月曜日にしましょう」

っちゅうことで、12日の退院が決まった。
そうなると、ますます焦る。
まだまだ部屋は、片付いてなかったからね。

9日金曜日、階段用リフトが来た。
これを使用するには、講習を受けなくちゃいけない。
義弟の時に使っていたから、すぐにコツはつかめた。
2008年に使用していたリフトは、愛知の方で
転落事故が起きたそうで、改良されていた。

階段移動用リフト   今の階段用リフト

左が、2008年に使っていたリフト
右が、今回使用するリフト。
画像で見ると、足を置くところに、ベロのようなものが付いた。
階段を昇るとき下りるとき、リフトを後ろに倒すのだけど
もしリフトを起こしすぎると、安全装置が働いてロックされ
ロック音がして、絶対に転落はしないようになっている。
また階段を下りたり昇ったりするとき出てくる足
画像では見えないけど、2008年のものは、ただの棒状だった足が
今回のは、L型で安定感がある。
講習会も終わり、OKが出て無事にリフトを受け取れた。
翌土曜日には、介護ベッドが入ったのだけど
介護保険の区分変更中のため、現在は『要介護1』扱い。
『要介護1』では、介護ベッドは使用できないそうで実費となり
介護認定が下りた時点で、介護保険適用のベッドに変わるそうな。
毎日デイを利用して、泊まりも利用すると
『要介護3』でも、実費は免れない。
父が退院してきて、ほかに手すりなど介護用品を利用しても
まあ、なんとか父の年金内でどうにかなりそうだった。

11日の日曜日も、主人と二人で朝から大格闘!
なんとか父の部屋だけは片付いて、父の受け入れは整った。

6日から退院の日まで、毎日面会に行った私。
その間の父との会話をいくつか・・・

「おれはなんで、入院したんだ?」
「おとうさん、倒れちゃったんだよ。覚えてない?」
「忘れちゃった」

「なんかな~、気持ちがな・・・落ち込んじゃってるんだよ~」
「毎日病院にいるから、やることないもんね」
「もうデイにも行けなくなっちゃったしな~」
「そんなことないよ、退院したらまた行くんだから」
「そうなのか?」
「そうだよ、みんなおとうさんが来るの待ってるって」
「そうか(笑)」

やっと笑顔が出たけど、次の日にはまた似たようなことを言った。

「おれ、家に帰って一人で大丈夫かな?」
「うん、だからね、退院したら恵子達と一緒に住むんだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ、もう一人じゃないから大丈夫だよ」
「おれのとこの物は、みんな捨てていいからな」
「大丈夫!ちゃんと片付けてるから」

これも、次の日には同じことを言っていた。
退院前日の日曜日、1時過ぎに面会に行くと
看護師さんと話をしていた父。

「今病棟をリハビリで2周、歩いて来たんですよ」
「すごじゃん。歩けるようになったね~」

ニコニコ笑顔の父。

「でも、家に帰っても一人だから不安だって言ってましたよ」
「あらやだ、おとうさん。退院したら恵子達と一緒に住むんだよ」
「良かったね~。これで不安が一つ解消したじゃない」
「昨日も言ったんだけどな~、忘れちゃったの?」
「忘れちゃった(笑)」

こんな会話を毎回しながら、約2週間ほどの入院で
支えがあれば、自力歩行は出来るようになった。
排泄に関しては、入院中は紙おむつで
看護師さんのお世話になっていたせいか?
排泄の感覚はあるようで、時々おトイレにも行っていたけど
ほとんど紙おむつの中にしてしまっていた。

入院すると、認知症が進むと言われていたけど
それほど大きな変化はなかったけど、同居をすることで
またどう変わってくるか・・・

まあ、先のことを考えてもしょうがないので
義弟のときと同じく、現場処理で行くしかない。

そして、12日午前中に、父は退院してきた。。。

入院。。。

2012.05.25 (Fri) 父の看護日誌

父の退院後は、同居を決めたわけだけど
まずは、貸倉庫が借りられなければ、どうにもならない。
初めて貸倉庫の申し込みをしたのだけど
FAXだけのやり取りで、翌日には審査も通り
3日の土曜日には、宅急便で鍵が到着。
2畳ほどの広さで、天井も高く、きれいな倉庫だった。
これで、4日の日曜日から作業開始となった。

1日の夕方に、介護保険の区分変更の書類を持ってきてくれたケアマネさん。
その足で、役所に提出して下さったそうで、あとは役所からの連絡待ち。
2日には、同居を決めたことを、ケアマネさんに連絡した。
我が家は、エレベーターのないマンションの5階。
退院して最初に使うのは、義弟の時も使用していた階段用リフト。
そして、家の中では介護ベッドが必要となるので、その手配をお願いした。
以前のケアマネTさんから、1月に担当が変わることを告げられた日に
泊まれるデイサービスがあるから、利用してみては?と提案されていた。
父の症状に変化があったことから、週5回のデイのうち1回か2回
そちらのデイを利用すれば、私たちが出かけなくていけない時など
宿泊出来れば、心配がなくなるんじゃないかと言われていた。
そういうデイもあるということも知ったけど、とりあえずは
3月の診察を受けてからと考えていたんだけど
退院後は、週5回のデイを毎日にしてもらい
休みの水曜日と日曜日に、泊まれるデイを利用したいことを伝えた。

父の面会時間は、平日は15時から20時、土・日・祝日は13時から20時。
過去のブログを読んでいただいてる方は、ご存知かと思うけど
我が家には、毛むくじゃらで4本足の可愛い娘が二人いる。
他人から見れば、我が家は異常とも言えるかもしれない。
主人も私も、最優先することは、この二人の娘のこと。
この娘たちのお散歩は、最優先事項ととなる。
朝はともかく、冬の夕方は16時からお散歩になるので
15時には病院に行き、16時には自宅に着くように面会をした。

入院2日目、父は拘束されていた。
入院の時、私と弟で同意書にサインをしている。
これは仕方のないことだ。
ベッドの上で、ウツラウツラと眠っていることが多いみたいだけど
時々、自分で起き上がろうとしたり、立とうとするらしい。
その時点では、まだ自力で起きることも立つことも出来なかったが
ベッドの手すりにつかまって、身体をずらそうとしたり
運よく身体が起き上がってしまい、立とうとすれば転倒する。
まあ、そういったところだと思う。
入院3日目も、同じような感じだった。
入院すると、認知症状が進むと言われる。

「お父さん、私は誰?」
「お父さんには息子がいるけど、名前は?」
「ここはどこだっけ?」
「デイに通ってたけど、なんていうところだっけ?」

などなどを毎回聞いた。
この時点で父は、自分がなぜ入院してるのか?
自分が倒れて救急車に乗ったことも、すっかり忘れてしまっていた。
とにかく病院にいれば、安心というわけだ。

そして3月4日からは、部屋の大改造の始まり。
父の部屋は、3月分まで家賃を払っていたので
3月いっぱいで解約することを、不動産屋に伝えた。
まずは、父を受け入れるために、我が家の模様替えだけど
粗大ごみで捨てなくてはいけないものはあっても
とりあえず、元の女中部屋、物置に置きっぱなしになってたり
天袋や押し入れなどにも、使わなくなったものは
たくさんあったので、捨てるものは父の部屋に
必要だけど、使わないものは貸倉庫に移動するため振り分けから始めた。

だけど、これが予想外に時間がかかった。
元々夫婦揃って、物が捨てられない。
このマンションに越してきた時、2Kの部屋で一人暮らしだった主人と
2DKの部屋で母子家庭だった私と娘が、3LDKに一緒になった。
このとき捨てたのは、主人の冷蔵庫とガスコンロだけで
ほとんど物は捨てず、使わないものは箱に詰めたまま収納していた。
まずはそられの箱を広げて、中身の確認して
捨てるもの、必要なものを分けたのだけど
主人が不要と思っても、私が必要と思ったり、その逆もあったり
よくありがちな、物を見てつい思い出話をしたり、見入ってしまったり

「こらぁ~、手動かせぇ~っ!」
「おやじ、休んでじゃねえぞ!」

夫婦なので、ボケとツッコミは、一応息が合ってます(≧ω≦)
で、倉庫に運び込む物を、5階から下ろすわけだけど
これまた階段の踊り場で、ぐるりと回る時、押して壁にぶつけたり
何かと笑いを取り入れないと、気がすまない私たち夫婦
腹が痛くなるほど笑い転げて、作業が中断したりと
余計な時間ばかりがかかるという、おバカな夫婦です。
結局夕方になっても、終わる見通しが付かず
主人は、月曜日・火曜日の2日間お休みを取るハメになり
夕方のお散歩の後も、作業を続け、初日は夜10時近くまで行った。
本当はこの日、弟夫婦が父のところにお見舞いに来ることになっていたから
早めに行ってもらい、帰りに寄って少し手伝ってもらいたかったから
それを伝えてあったのだけど、中学生と小学生の子供がいるから
なかなか予定通りには行かないのだろう。
アテにしていただけに、病院からそのまま帰ると連絡が入り
少々ガッカリというか・・・
でもアテにするからいけないわけで、主人からなだめられた。

翌月曜日は、朝から雨が降ってしまい、この日の作業は
倉庫に持って行けるよう箱詰めし、家具の移動を行った。
義妹が気にしたのか?手伝いに来ると連絡が来て
主人はいいと言ったけど、我が家の状況を弟夫婦に知っておいて
もらいたいという思いもあるから、来てもらうことにした。
寒い雨の中、義妹が手伝いにきてくれて、父の部屋をお願いし
押し入れのお布団、食器棚の中身と衣類の整理お願いした。
義妹が来てくれたおかげで、父の部屋は必要なもの
不要な物の整理が出来たので、とっても助かった。
やっぱり来てもらって、良かったというわけです。
この日も10時近くまで、作業を続けた。

翌日、さすがに2日病院に顔を出してないので
父も不安がっているんじゃないかと思いと
主人も翌日は仕事だから、夕方のお散歩までに
区切りをつけようと、早めに作業を始めた。
主人が、箱詰めにしておいたものを、貸倉庫に持って行き
その間私は、父の部屋の方を片付け貸倉庫に持って行く物
我が家に持って行く物の準備をし、細かいものは運び出した。
何しろ5階までを昇ったり下りたり、主人も私もクタクタ
この日は朝から、思考回路がおかしくなっていた。
お互いの言ってることが理解出来ず、何度も聞いたり
次は何をやるのか忘れちゃったり・・・
ま、これも笑いのタネとなったのだけどね。

元女中部屋は、父の部屋にするべく家具の移動を行い
父の部屋から、タンスを入れ母のお仏壇を乗せた。
和室には、女中部屋にあった本棚等を移動
元娘の部屋には、和室にあったもので私の必要な家具を移動
父の部屋で、お仏壇を乗せていた家具も入れた。
これで、模様替えは終了。
とりあえず、出ているものを収納した。
いくつかコンテナボックスも空いたので
父の部屋で使っていた、カーテンやエリアラグは
洗濯してからコンテナボックスに入れて、貸倉庫へ。

3日かけて、予定したところまでは終了。
私は父のお見舞いに出かけ、主人は貸倉庫へ荷物を運びに出かけた。

日曜日、弟夫婦がお見舞いに来た時は、拘束されていたそうな。
それを外してもらい、コーヒーを飲みアンパンを食べたらしい。
おむつ交換に看護婦さんがきたらしいけど、外に出され
カーテンを引かれたそうで、カーテン越しに義妹が聞き耳を立てると
まあ、義妹にとっては気に入らない会話があったらしい。
何を言っていたか?は、教えてくれなかったけど
まあだいたい想像はつくってものです。
神経内科や脳外科の病棟には、言い方は悪いけど、脳をやられた人が
沢山いるわけで、白衣の天使とは言うけど、看護婦さんだって人間です。
そういうのを気にしていたら、神経が参るというものです。


2日ぶりに病室に行くと、父はベッドから起き上がり座っていた。
今日は拘束はされていない。私の顔を見て、ニコニコ~と笑った。
ちょっとつまらなそうにしてたので、テレビでも見ればと言ったけど
あまり興味も湧かないらしい。
いつもの質問をしたり、コーヒーを一緒に飲んだり
足りないものを補充し、少し会話もした。
2日会わなかっただけで、ずいぶんと回復したと感じた。

「退院したら、恵子達と一緒に済むんだよ」
「そうなのか?」
「また倒れちゃうと困るからね」
「おれの部屋のものは、みんな捨てちゃえばいいからな」
「うん、いろいろ考えてやってるから大丈夫だよ」

この日から、毎日同居するということを話したけど
毎回、初めて聞いたような反応だった(≧ω≦)

「じゃあ、お散歩があるから帰るね。また明日来るから」
「うん、わかった」

怒涛の3日間だったけど、まだまだ父を受け入れられる状態じゃなく
落ち着かない毎日が続くことになった。。。





2012年3月1日

2012.05.24 (Thu) 父の看護日誌

救急車で運ばれた翌日、8時過ぎデイに連絡をして
救急に入院したことを伝え、今日はお休みすることを伝える。
父の部屋を片付け、退院の準備をして病院に行った。
9時過ぎに、病棟の神経内科の先生とお話が出来た。

病名としては 『悪性症候群』 と言うらしい。

パーキンソン病のお薬を急に減らしたり、増やしたりすると
原因不明の発熱や、筋硬直等の症状があるそうな。
原因は、これだけではないらしいんだけど
父の場合は、処方されたお薬はきちんと飲んでいたわけで
原因となるようなことが考えられないので、不明と言うことになるらしい。
このまま退院はさせられないようで、ちょうどお薬を増やす予定も
あったのだから、入院して点滴しながら、どのお薬が合うか?
様子を看ながら、対応してくれることになった。

「回復するから、大丈夫ですよ」
「どれくらい回復しますか?」
「どこまで回復するかは、わかりませんが、歩けるようにはなると思います」
「何日くらいの入院になりますか?」
「1週間ぐらいでしょう」

1週間か・・・1週間と言われたら、1週間前後で目途を立てなくていけない。
何しろ、このR病院では、義弟の時に苦い経験をしている。
興味のある方は、『2009年1月』のブログを読んでみてくださいな。

「お父さん、調子はどう?」
「うん、いいよ~」
「しばらく入院だからね」
「そうなの?」
「うん、そうなの。ま、しばらくのんびりしましょう」
「そうだね~」

自分が今どこにいるのか?今一つ理解出来てないようだけど
混乱はしてないようなので、まずは一安心。
とにかく、グウグウとよく眠っている父。
11時過ぎに病棟に移る予定だと言うので、その間に
あちこち連絡をすることにした。

まずは、主人と弟に入院したことを伝える。
主人には、今後の様子で同居を考えたいことも伝えた。
そして、ケアマネさんに連絡。
介護保険の、区分変更の手続きと、同居を考えていることを伝える。
それから、またデイに連絡し、入院したことを伝え
しばらくお休みすることを伝える。

病棟に移ると、義弟の時と同じ階の反対側の棟の病室だった。
あの看護師長はいるのかな?
なんぞと考えながら、看護婦さんの説明を受け
紙おむつや尿取りパッド、必要なものを買い揃え
入院の手続きを済ませた。

「お父さん、これで帰るけど、また来るね」
「うん」

まだなんとなく、ウツラウツラしていて覚醒してないようだった。

自宅に戻ったら、グッタリ。
しばらく横になっていると、ケアマネさんから連絡が入った。
区分変更の書類を、今日中に提出した方が良いので
これから印鑑をもらいに行きたい・・・とのこと。
もちろん、すぐに手続きを取ってもらうことにした。

夕方、主人と話し合い。
年内には、同居を考えなければいけないかもとは思っていた。
でも正直私は、まだもう少し別居で行きたい。
この入院で、どこまで回復するか?その様子を看てから
判断してもいいんじゃないかと思った。
だけど主人は、原因がわからないのだから、今回と同じことが
いつまた起きるか?これまでと同じ生活をしていたら
必ず、同じことがまた起きるわけで、手遅れになる可能性もある。
年内に同居を考えていたのだから、少し早まったと思って
これを機会に、同居した方が得策だと言った。
1週間入院して、それほど回復せず、退院となったら
同居の準備が出来るまでを、どうやって過ごしていくのか?
そう考えた時、同居を決めた。

さて、同居を決めた以上、我が家も準備をしなくてはいけない。
義弟がいたころ、女中部屋と言っていた部屋は、物置状態。
娘の部屋は、主人の仕事関係や車の整備用品でいっぱい。
リビングと和室は、広々と使っていた。
まずは、女中部屋だった部屋を父の部屋に。
元の娘の部屋は、私が寝室に、和室は主人用に変えることに決めた。

が、義弟の荷物も残っているので、我が家には荷物が多すぎる。
そこで、近所にある貸倉庫を借りることにした。
1日に連絡をして、FAXでのやり取りで、申し込みは完了。
翌日に、審査の結果に連絡が来ることになった。

必要のないものは破棄し、使用しないものは倉庫へ。
主人と私と、頭の中でいろいろ考えつつ
この日は、ここまでで終了にした。。。

2012年2月29日

2012.05.23 (Wed) 父の看護日誌

この日は、朝から雪が降り出していた。
お天気予報も、大雪の予報が出ていた。
水曜日は、デイがお休みの日。元々、怠け者の私です。
朝の父の様子で、お昼に行くか?どうか?考えようと思った。
なので、昼食の準備もして、朝様子を看に行った。

いつもと変わりなく、会話もまあ普通に出来ていたので

「今日は、雪だから外に出ないでよ。あったかくしててね」

そう言って、着ている洋服の確認をして、お薬を昼食の
準備をしたところに置き、飲み忘れないようにして家に戻った。
1時過ぎまで雪は降り続いて、かなり積もっていたので
私の怠け者病が発症し、お昼は父のところへ行かなかった。

そして夕方、のんびり犬のお散歩を済ませ、いつものように
5時半に、父の部屋に様子を看に行った。

玄関を開けると、部屋の電気は点いてない。
ストーブも消えていて、寒かった。
父の姿が見えないので、お布団に入っているのかと思った。
でもお布団の中にいない・・・そして、リビング・・・
いつも座っている椅子・・・その横の壁に沿うように
左側を下にして、左手を伸ばし、右手を曲げ横たわる父がいた。

一瞬何が起きているのか?わからず、父を見つめて固まった私。
どれくらい固まってたのか?たぶん、数秒だと思うけど
父の唸り声で、我に返った。

「どうしたの?倒れちゃったの?」
「身体が、動かないんだよ~」

鼻の詰まった声で、言った。
父を抱き起こすと、身体が異常に熱い。
熱が出てることは、すぐにわかった。

「いつ倒れたの?」
「今だよ~」

・・・今ってことはない・・・
だって、ストーブも消えてるし、寒いし・・・
いつもの椅子に座らせようと、抱き起こし立たせようとしても
自分で立つことが出来ない。
椅子に座らせ、痛いところはないか?
身体のおかしなところはないか?
確認しながら、グーパーをさせれば出来る。
でも足を動かすことが出来ない、私が曲げても痛がる様子はないけど
曲げた足が勝手に伸びるし、身体が固く硬直してるような状態で
自分では、身体を動かせない。
熱を測ると、38度7分。発熱すると動きが悪くなるけど
動きが悪いどころではなく、硬直して動けない。

一瞬、義弟のけいれん発作を連想した。
もしかして、脳に異常があって、けいれんを起こしてるんじゃないかと思った。

すぐに、家に電話をして、主人に連絡した。

「けんちゃん、ジイジ倒れてた。救急車呼ぶから」

何しろ、ドテラにスウェット姿の私。
主人にそう伝えて、コートとお財布、父の診察券等を
持ってきてくれるよう頼んで、すぐに119番した。
R病院で、緊急時は受け入れてもらえることになっていることを伝えると
電話連絡を入れておくように言われたので、すぐに電話を入れた。
R病院と連絡している最中に、救急車到着。主人も来た。
救急車が到着したことを伝えると、救急隊員の指示に従うよう言われた。

救急隊員の方に、いろいろ聞かれている父だけど
言うことがこれまた、二転三転する。
認知があることを伝え、私のわかる範囲で答える。
その後、救急車に運び込まれるが、違う隊員から質問を受けた父。

「いつ倒れちゃったか?覚えてる?」
「おれは、倒れてないよ~」
「あ、すいません。認知があるので・・・」

その後、救急隊員の方からR病院に連絡をして
受け入れの確認を取り、出発。
5時40分過ぎ、119番。5時50分、現着。
6時、出発。6時10分、R病院到着。
その間父は、救急車の中で、グウグウと眠っていた。

病院に到着後、弟に連絡すると、仕事中ではあったけど
すぐに来るということになり、1時間後に到着。
紙パンツを取り替えてなかったので、洋服が濡れてしまい
着替えを用意するよう言われて、洋服を返され病院の寝巻を着用。
その間、CTやら何やら検査、その後尿を取るように言われる。

・・・と、弟はす~っと場所を変えた・・・まったく・・・
検尿を済ませにトイレに入ると、父はあっさりなすがままになった。
8時半過ぎになって、若い研修医が説明に来た。

検査の結果としては、脳にもどこにも異常がないとのこと。
自宅で様子を看て、明日もう一度来院して、専門医に
診てもらった方が良い・・・

というような内容だったけど、そう言われても父は一人暮らし
我が家は、エレベーターのないマンションの5階だ。
とりあえず、帰りは主人も弟もいるから、なんとか我が家に
連れていくことは出来ても、明日の来院時、私一人で
介護の準備も何もない状態で、身体の動かない父を
どうやって、連れて歩けと・・・
ま、連れて帰るよう言われるだろうとは予想していたけど
身体が動かない原因は、なんのか?
それがわからないまま、連れて帰って大丈夫なのか?
それを教えてほしいと伝えると、またしばらく待つよう言われた。

その間に弟に、父の衣類等を持ってきてくれるよう頼み
主人に、父の部屋の鍵を届けてくれるよう連絡
父の部屋に到着したであろうころに、弟に電話。
案の定、忘れものあり・・・
まったく我が家のヤロウどもは・・・ε=(‐ω‐;;)

9時半過ぎて、当直の神経内科の先生から説明があった。

発熱はあるが、風邪の菌は出なかったこと。
CTでも、脳に異常はないとのこと。
若干の脱水もあるけれど、こういう症状になるほどではないこと。
お薬もちゃんと飲んでいたにも関わらず、この状態になるとは
原因が、今のところわからないとのこと。
おそらく、自宅に連れ帰っても、症状は悪化するだろうから
今夜は、救急に入院してもらうが、明日病棟の神経内科に移した後
病棟の担当医の、指示に従ってほしいと言われた。
神経内科のベッドが、現在130%近く使用しているので
転院の可能性もあることを、理解してほしいと言われた。

とりあえず、今夜はなんとかなる。
明日のことは、少し考える時間が出来たわけだ。

父は、救急のベッドに移されたが、やっぱりグウグウと
イビキを掻いて、ぐっすり眠っている。
身体があったまって、人の気配もあるから安心したのかもしれない。

明日は、9時過ぎに病院に来るよう言われて
弟に送ってもらい、11時半過ぎに帰宅した。

普段、深夜1時には起床、2時前には出勤する主人。
でもこの日は、3時半起床だった。
それでも、もう寝ていると思って、連絡をしなかったのだけど
主人は、父が我が家に帰ってくると思っていたらしく
起きて待っていてくれた。

「とりあえず、今夜は救急に入院した」
「なんだ、連絡しろよ」
「もう寝てると思ってたから・・・でも、ありがとう」

そして、1時過ぎにやっと就寝となった。。。。

同居。。。

2012.05.23 (Wed) 父の看護日誌

突然ですが、3月から父と同居生活が始まっています。

順を追って、綴っていこうと思う。

1月のケアマネさん来訪日。
恐れていた、ケアマネさんの変更が伝えられた。
Tさん、会社を辞めて自宅近くでケアマネの仕事を始めるそうな。

父が介護保険を申請して、今年の2月で丸5年になる。
当初から、担当してくれて、義弟のケアマネも務めてくれて
我が家の事情を、よく理解してくれていたTさんです。
思えば、父も時折やらかしてくれたけど、まあまあ安定していて
義弟の介護で、限界に近かった私の相談や愚痴を
嫌な顔しないで、根気よく聞いてくれたケアマネさんです。

「このままTさんに、お願いするわけにはいかないの?」

と聞いたら、担当の方々を連れていくことは禁止というのが
退職する際の、決まり事だそうです。
残念なことに、これで縁は切れてしまうわけです。

次のケアマネさんを、自分で見つけるか?
会社の方で、引き継ぎするか?は
我が家で、選択出来るそうなので
Tさんの信頼する方を、お願いしたいと伝えた。
3月で退職だけど、2月の中旬から有給を消化するとのことで
2月の訪問日に、新しいケアマネさんを連れてくることになった。

2月になって、新しいケアマネさんKさんを紹介された。
Tさんもイケメンちゃんだったけど、これまたKさんも
背が高くかなりのイケメンちゃんです( ´艸`)ムププ
専業主婦のこのおばちゃんにとって、若いお兄さんとの会話は
リフレッシュになるっちゅうものです(*≧m≦*)
Kさんも、よく話を聞いてくれる方で、安心しました。

あとは、父がTさんからKさんに変わったことを
どこで認識できるかってこと。

父の状態は、お正月が明けてから、少しずつだけど
私が確認できるほど、悪化してるようだった。
朝様子を看に行くと、リビングでゴロリと横になっていて
体調が悪そうに見える。
よくよく話を聞いてみると、夜中から起き出していたらしい。
そんなことが、ちょくちょく起きるようになった。

「新聞取ってないけど、どうしたの?」
「いや、見に行ったけどまだ来てなかった」

ちゅうことは、新聞が来る前に起きてたってことだよね。
朝食用のパンなどを、夜中に食べてしまって、デイで

「朝食べるものがなかったんだよ~」

と言うこともあったらしい。
歩行も、フラフラすることが増え
気持ちも落ち込んでいるような・・・

とにかく、3月の受診でお薬が増えることになっていたので
起床時と起き上がった際の、血圧を数回測らなくちゃいけない。
で、朝犬のお散歩前に、父の家に出かけるとすでに起きていたり
朝血圧を測りに来るから、玄関のチェーンはかけないよう言ってあるのに
玄関の鍵を開け、ドアを開けるとチェーンが掛っていて入れなかったり
それでもなんとか、3回ほど血圧を測ることが出来て
あと2回ほど測ろうと思っていた。
朝父が眠っている部屋に入ると、父は前日着ていた洋服のまま
ズボンだけ脱いで、お布団に入っている。
デイに行くことを嫌がることはないけど、足のフラつき、めまいなど
本人も自覚し始めて

「身体が思うように動かなくて、情けなくなるんだよ~」

と、気持ちも落ち込んできたことも、気になった。
父の様子が気になりながらも、3月の受診でお薬が増えれば
また元の父に戻ってくれるんじゃないかと、勝手に思っていた。
毎朝毎夕様子を見に行き、デイのない水曜と日曜はお昼も行った。

デイの職員さんも、年が明けてから父の状態が良くないことを
気にかけてくれていた。
私といる時間より、デイにいる方が長いのだから
デイの職員さんの方が、父の状態を敏感に感じ取ってくれていて
連絡帳や電話でも、心配してくれていたけど
事情を話して、とにかく3月の受診まで様子を看てほしいと伝えてあった。

とりあえず、トンチンカンなことは言うけど
それなりに、会話は成立していたし、食事も
時々残すことはあっても、食べないことはなくなっていた。
・・・と、私は思っていたけど、実際のところはわからない。
父の言うことは、二転三転したし、さっき自分で言ったことを
忘れてしまってたり、当然だけど私の言うこともスッポ抜けた。

とにかく、早く3月の受診日が来ればいいと、そればかり考えてた。

そして、2月29日水曜日。
この日は、横浜でも朝から雪が降って、とても寒かった。
その雪は、どんどん降り積もって、デイはお休みだったから
本当は、お昼も様子を看に行く予定だった。
でもあまりの大雪に、この日お昼はサボってしまった。

その結果、夕方様子を看に行って、倒れている父を見た。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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