。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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Ⅰ先生検査結果。。。

2010.07.27 (Tue) 父の看護日誌

6月に行なった、脳の血流検査の結果が出た。

結果としては、血流に問題はなし。
アルツハイマー型ではないと言うことである。
と言っても、脳に委縮はあるわけで

「病名としては、何になるんですか?」
「う~ん・・・PPDDとかいろいろあるんだけど
 まだ一般的に知られてないし、う~ん・・・」
「じゃあ、パーキンソン病に付属したような認知症ということですか?」
「まあ、そんな感じかな・・・」

とりあえずは、何かが大きく変わったわけではない。
認知症と言っても、初期段階で物忘れが多くなった程度なので
処方しようかと考えていたらしいお薬は、副作用があり
飲むことで興奮状態になることもあるので、今の段階では
処方の必要もないので、K先生とも相談しながら
しばらくは様子を看るということになった。

デイを週4回に増やしたことを話し
日々変化を持たせず、自発的にやっていることには
なるべく口を出さず、いろいろなことが習慣化出来るように
していることなどを話すと、とても良いことだそうで
そのまま続けるように言われた。

実は先週、父が

「恵子、ちっちゃい虫が飛んでるから、殺虫剤買ってきてくれ」

と言うので、ちょっとドキっとしたが殺虫剤を買って渡しておいた。
数日後掃除をしに行くと、お風呂場やキッチン、窓際などに
小さな虫の死骸がたくさん落ちていた。
うん、本当にちっちゃな虫が存在していた(='m')
どこから湧いてるのか、原因を究明しようと思い
探したのだけど、私にはわからず・・・
お砂糖を器に移す時にこぼした物を、きちんと拭けなかったり
キッチンの生ごみの処理が、うまく出来てなかったりするので
そのあたりが原因かとも思われ、気が付くと綺麗にしてくるのだけど
とりあえずは、殺虫剤でごまかしている。

病院から家に帰ってから、ネットで検索をかけてみた。
私のとらえ方なので、もしかすると違っているかもしれないけど
以下のようなことらしい。

パーキンソン病もしくは認知症を発症し、同時期または1年位内に
認知症もしくはパーキンソン病を発症した場合

『レビー小体型認知症』

と診断されるらしい。
パーキンソン病を発症して、1年以上経ってから
認知症を発症した場合は、『レビー小体型認知症』とは
診断されないそうな。
またパーキンソン病を発症して、8年後には認知症の
発症率は8割になるらしく、その症状は
『レビー小体型認知症』とほとんど変わりがないため
これを区別するのはどうか?と言う、論議があるらしい。
現時点では、父の場合で考えると、脳の血流に
アルツハイマーの所見は見られないので

『パーキンソン病認知症』

としか言えないようだ。

父の場合、当初は左手の震顫だけで
パーキンソン症候群と言われていた。
それから10年近く経ち、今は左手足に震顫があり
関節も硬く、元気な頃の父に比べると
少々前のめりにもなっているけど
その症状以外は、まだ今は出ていないが
現在は、『パーキンソン病』と診断されている。

パーキンソン病は、国の指定する難病なんだけど
この認定を受けるには、レベル(←言い方が違うかも)があるそうな。
Ⅰ先生の診察の最中、病院のケースワーカーさんだと思うけど
パーキンソン病と診断された方の、認定のことで連絡がきた。
その患者さんは、他にも疾患がありⅠ先生に初めて受診した時は
すでに車椅子で、自力歩行は不可能だったらしい。
なので自力歩行が出来ないのは、パーキンソン病が
原因じゃないため、診断書は出せないと言っていた。
んで、今の電話を聞いてしまったことお詫びしてから
疑問に思うことを聞いてみた。

「パーキンソン病って、国の指定する難病ですよね?」
「うん、そうだよ」
「認定を受けるには、レベルみたいなのがあるんですか?」

これが気になった。
パーキンソン病の認定を受けるには、レベル3以上だそうだ。
まっすぐ立たせて、肩を後ろに軽く押した時
踏ん張れずに、後ろに倒れてしまうとレベル3になるらしい。
父の場合は、震顫と関節が硬くなっているけど
まだまだ踏ん張ることも出来るので、レベル1だそうだ。

発症して10年近く経っても、気になるのは手足の震顫だけで
認知症初期段階ではあっても、ほぼ発症時と同じ状態で
いられることは、先生も興味深いところらしい。
ケアマネさんも言っていたけど、発症して10年近く経って
変わらない状態でいられるのは、めずらしいんだって。

義弟も手術をしても2年と言われて、9年半がんばった。
これも奇跡だと思うけど、父の場合も奇跡と言えるかな?
でも、正直長くなると看る方は大変だ。

今のところは、幻覚や幻聴もなく、足腰も弱ってきているけど
支えなくとも自立歩行も出来ているし、踏ん張りもきく。
便秘もパーキンソン病の症状だけど、便秘をした時や
先日のように発熱した時など、体調不良になると排泄が間に合わず
粗相をすることもあるけど、ほぼ問題はない。
父も今の状態を維持出来てるうちはいいけどね。


義弟の介護を経験して思うのだけど・・・

「親の介護が出来て幸せね」

そんなことを言う人がいる。
確かに義弟の介護を経験して、介護のノウハウは
私なりに身に付けたと思うから、父にもしもの時は
それなりに対処出来ると思う。
義弟の介護を経験する前は、どちらかと言えば
父親っ子だった私、父の下の世話ぐらい平気だと思っていた。
だけど大人の下の世話は、子供のおむつ交換とは全く違う。
自宅介護の厳しさを、身を持って経験した今では
父の下の世話、出来れば介護はしたくないと思う。

最初の1年ぐらいは、優しい気持ちが持てるかもしれない。
でも2年3年と長引けば、気持ちにどう変化が出るかわからない。
先日、ケアまねさんと施設の職員さんが来た時
義弟の介護の時の話が出た。
昨年義弟が病院に入院して、その病院から退院するよう言われ
自宅介護の覚悟を決めた時、私の中では覚悟を決めていた
つもりだったけど、周りから見るとすでに限界を超えていると
感じていて、このまま自宅に戻したら、いつか私が
義弟の首をキュッとしてしまうんじゃないか?
階段用リフトを使用中、手を離してしまうんじゃないか?
そんな心配をしてくれていた。
自分では、覚悟を決めていたつもりでも自信はなかった。
でも私を心配してくれる方々がいたと言うのは、私にとって
大きな支えになったと思う。
だけど、父親にそんな感情を抱いてしまったらと考えると
それは避けたいと思う。
だから、介護はしたくないと思う。

これは私の個人的な見解だけど

「親の介護が出来て幸せだ」

そう言える人、そう思える人の方が
はるかに幸せだと思う。

順番から言えば、どうしたって親の方が先に逝く。

「もっと長生きしてほしかった」

そう思えることが、遺された子供の幸せじゃないかと私は思う。
私の母は、余命宣告をされていた。
でも宣告された余命よりも、かなり早くにこの世を去った。
母の看護介助が始まった頃、私は彩佳を産んで1年ほど。
当時都内に住んでいて、仕事もしていて、週に1度
日曜日に入退院を繰り返していた母の顔を見に
実家だったり、入院先に出向いたりした。
車で片道、渋滞無しで1時間半かかる。
余命宣告をされていても、週に一度通うことは
精神的にも肉体的にも負担になった。
介護をしてたわけじゃないし、ほんの少し介助をしただけで
ほとんどを父がやっていたのに、それでも大変だったけど
それは半年続かなかった。
その日、翌日から入院が決まっていた母の
お風呂の介助をして帰る時

「おかあさん、明日からがんばってね」
「うんうん、お前もがんばるんだよ」

それが最後に母と交わした言葉だった。

その2日後、母は父だけに看取られて、この世を去った。
弟は、母の病気の深刻さに気付いてなかったし
私は結婚して都内に住んでいて、週に1度しか戻れなかったし
父は一人で、母の面倒を看ていた。

「自分の女房は、自分で看る」

これが父の信念だったようで、子供に助けを求めることもなかった。
母が亡くなった時、自分が何か一つでも違うことをしていたら
母は今も生きていたんじゃないか?
もっと時間を作って、会いにくればよかった。
やり残したことだらけだった。
もし母が生きてたら、なんて言ってくれたんだろう?
そして、今でも母が恋しいと思える私は、幸せだと思う。
あの時、私が母の介護をしていたら、母がいなくなって22年
達成感は残っても、母を恋しいと思えただろうか?と疑問に思う。

これはあくまでも、私の個人的な見解なんだけどね。

どこかの県で、『PPK運動』と言うのがある。
ピンピン元気に生きて、死ぬ時はコロリと・・・
ピンピンコロンが合言葉だと記憶してるんだけど
間違ってたら、ごめんなさい。

「ピンピンコロン」

私自身もこうありたいと思うし、父もそうなりたいと言っている。

ま、先のことはわからないけどさ。。。



余談だけど、母が私に遺してくれた言葉

「お前もがんばるんだよ」

最後の会話ではあるけど、この言葉は
母が私に遺してくれた言葉だと思ってる。
苦しかった時、辛かった時、悲しかった時
そして義弟の介護の時も、何度この言葉を思い出したか・・・
きっと父の介護が始まったら、またこの言葉を
思い出して、自分を元気付けるんだろうな。

これを書きながら、母のことを思い出した。
先に逝った親のことを、嘆き悲しむ時間が過ぎたら
親にしてもらったことを、子や孫に伝えることが
親孝行に繋がるんじゃないかな?
だけどこれ、肉親だけにとどまらずだと思うけどね。

ありがたいことに、私には娘がいる。
母が私にしてくれたことを、彩佳に私がしてあげる。
それが今、そしてこれから母のために私が出来る
親孝行なんだろうなと思う。。。
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ケアマネさん来訪日。。。

2010.07.24 (Sat) 父の看護日誌

昨日はケアマネさん、来訪日だった。
先月介護保険の更新月だったので、今回は
父の通っている施設の方も来る予定になっていた。

施設のKさんから、少し遅れるとの連絡があったので
まずは、ケアマネさんといつもの面談から入った。

実は先週金曜日の朝、様子を看に行った時便秘をしていた父。
思うように排便がなく、硬いと言っていた。
翌土曜日、施設に行く前もお腹が張っていた様子。

「おとうさん、水分が足りないんじゃない?」
「そうかな~?」

お薬も飲み忘れていたので、コップ1杯のお水と一緒に
お薬を飲ませたのだけど、そのままデイに出かけた。
施設でも何度もトイレに行き、長いこと座っていたらしい。
職員さんが気が付いたのは、お風呂の時。
おパンツからズボンまで、粗相をしてしまい
お風呂の前洋服を脱いだ際に、スボンの汚れを
隠れてティッシュで拭いていたそうな。
気が付いた職員さんが、汚れ物を軽く流してくれて
下着類は持参してるので、施設のズボンを貸してくれた。

粗相をしたことは、父にとって恥ずかしくて隠したい。
ちょうど施設から帰ってきた時、お散歩に行くのを
仕事から戻った主人が、駐車場で待っていたのだけど

「なんかじいちゃん、下向いて元気なかったぞ」

と言っていて、職員さんにその話を聞いて納得。
お散歩の帰りに寄って、聞いてみることにした。

「おとうさん、今日デイでうんち出たの?」
「いや、出ないよ」

ん?と思ったけど、少し突っ込んでみた。

「トイレで、ズボンに漏れちゃったんじゃないの?」
「そんなことないよ」
「ふ~ん・・・お腹はスッキリした?」
「うん、もうお腹はスッキリしたよ」
「じゃあ、うんち出たんだね?」
「いや、出てないよ」

なるほど・・・排便はないのに、スッキリしたってか( ̄m ̄*)
漏れ防止で紙おむつの話をしても、これだけは絶対に拒否するし
これ以上突っ込むとさらに落ち込むので

「ズボン借りてきたんでしょ?」
「うん、だからもう洗濯してんだよ」
「じゃあ、月曜日忘れないようにね」

洗濯するために、ズボンを脱ぎおパンツ1枚だったので
タンスから半ズボンを出して、履くように言うと

「俺、こんなの持ってたのか?」

タンスにしまってしまうと、その存在を忘れてしまうので
和室の竿に掛けて、目に付くようにした方がいいようだ。

長くなったけど、そんな話もした。
約23年間、住み慣れた団地から我が家の近所に
越して来た時は、朝晩一緒に犬のお散歩に出ていた父。
当時はコーギーのなつがいたので、なつのリードを持って
歩くのが父の役目で、張り合いもあったようだけど
一昨年なつが旅立ってからは、張り合いがなくなってしまい
次に迎えた子も、ラブラドールと大型犬だったので
父にリードを持たせることは出来ず、だんだんとお散歩に
出ることがなくなってしまった。
春咲きまでは、日中一人で歩いていたこともあったけど
今は暑さもあるので、買い物もあまり出ることはなく
私が買ってきて、置いてくる。

当初に比べると、確実に足の筋力は衰えてきてるのだけど
施設では、一番元気と言われている。
現在、月・木・土の週3回施設を利用しているけど
昨年から、もう一日増やそうかと言ってるのだけど

「今のままでいいんじゃない?」

と、なかなか首を縦に振らなかった父。
前から時々やっていたことだけど、最近家にいると
昼間から飲んで、寝てしまうことが多いのが
ちょっと気になっていた。
飲むと言っても、小さなコップに1杯程度だが
その話をケアマネさんにすると、やはり家の中で
横になることが多いと足腰も弱るし
足腰が弱れば、外出も億劫になってくるので
やはり、もう一日増やした方が良いかも、と言う話になった。

「いや~、俺はよ、目が悪いからな~」
「じいさん、話を反らしたな(笑)」

父は自分に都合が悪くなったり、会話が理解できないと
目の話しをして、話を反らすことがある (^m^*)
そんな話をしているところに、20分ほど遅れて
施設のKさんが到着した。
その20分の間に、2回連絡もあった。

施設のKさんが到着して、施設での父の様子は

「進さんは、何も問題はありませんよ」

と言われて、ホッと一安心。
先日の粗相の話もしたけど、問題するほどのことではないとのこと。
この施設3ヶ所に施設を持っているのだけど
父の通っているところは、開設して5年目。
昨年、その施設の裏手に増築をしたそうで広くなり
受け入れ人数も増やしたそうな。
開設当初から、通所している方もいるけど
状態が悪化している方が多い中、父は通所して3年半
状態に大きな変化もなく過ごしているのは
父だけかもしれないと言っていた。

「進さんは、うちの施設ではベテランですから」

と言われた父の顔は、満面の笑みを浮かべて

「ベテラン?そんなことないよ~(ニコニコ笑顔)」

元職人ですから、ベテランと言う言葉は嬉しいらしい( ̄m ̄)
で、もう1日増やしたいと言う話をしたら

「そうですね~、進さんの性格を考えると・・・」

父は最初人見知りをするところがある。
水曜日と思っていたのだけど、木曜・土曜に
通ってる方が、火曜日に多いからどうか?と言われた。

「おとうさんどうする?火曜日なら知ってる人もいるってよ」
「じゃあ、行ってみようかな?」
「お~、やっとその気になってくれましたね」(ケマネネさん)

ベテランと言われて、気を良くした父(='m')
しばらく様子を看て、疲労感が出るようなら
元の週3回に戻すと言うことで、来週から
試しに火曜日も通所が決まった。

「迎えに来てくれるのかな?」
「もちろんお迎えに来ますから、大丈夫ですよ」
「だけど、職員さんも大変だよな~」

父はよく、そういうことを言う。
ゲームも自分ばかりが優勝したらいけないからと言って
少し手を抜くこともあるらしい。
そういう方が他にもいらっしゃるそうだけど
周りに気を遣い、周りの様子を見れるというのは
良いことで、とにかく今を維持出来ることが大事。

自宅では時間をかければ、着替えも5本指の靴下(^m^*)も
履けるし、一人でやることが出来る。
デイでは、もちろんだけど職員さんは時間に追われるわけで
入所当初より、着替え時間がかかるようになり
足元もおぼつかない時もあるため、介助されることも
増えているらしい。
2年ほど前から、祝日も受け入れを検討していたそうだけど
やはり職員さんからの反対意見もあり、懸案事項として
伸び伸びになっていたそうな。
ところが、月曜日の利用者さんは
ハッピーマンデーが増えたことで、月イチで休みとなると
困ると言うことから、施設を変えると言う方が多数いたことで
今年から祝日も受け入れが始まった。
職員さんには、大変申し訳ないと思うけど
我が家も祝日受け入れは、本当にありがたいことだ。
父は、今の施設以外は行きたくないと言うので
施設を変える気はにけど、1年を通して1週間ずつ
同じように過ごせるのは、習慣化出来るから良い。
デイでのお風呂は、座って前の部分は自分で洗うらしいけど
頭、背中、足などは洗ってもらっているそうな。

「至れり尽くせりなんだよ~」

と父が言ってるいるが、うんうん、そうだよね~(*⌒m⌒*)
こんな話を聞いても、本当にありがたいことです。
歩く時も腕を取って、トイレなど介助してくださるようだけど
今まで、私が手を取ると、嫌がって振り払っていたのが
最近は、黙って腕を取らせるのは、施設でのことが
習慣化してることもあるのではないかと思う。
私にとっては、心配なとき腕を取っても嫌がらず
取らせてくれるのは、安心にもつながるのでありがたい。

週4回のデイも、うまく習慣付いてくれるといいな。。。

思うこと。。。

2010.07.10 (Sat) 思うこと

明日は選挙ですね。
このムシ暑い中、各党熱い選挙活動に汗を流して
お疲れさまです。。。と、言う感じです。

各党それぞれにエベレスト・・・いや、マニュフェストが
出ているようですが、今一つピンとこないです。

これ、あくまでも私個人の意見ですから
読み流してくださいませo( _ _ )o


北朝鮮の拉致問題、普天間問題、消費税などなど
問題山積みの我が日本であります。
昨年政権交代があったけど、私庶民として変わったことって
何か実感できたか?って言われると、何もない。
子供手当が支給されたけど、子育ての終わった我が家には
無関係だしね~。。。
菅さんが、消費税を10%に上げて、社会保障に当てると
言ってるけど、来年の財源をどうするか?も決まってないのに
じゃあなぜ、子供手当を実施したんだろう?と思ってしまう。
現在の日本って、今産まれたばかりの子供から
寝たきりの老人まで、一人800万程度の借金があるのと同じだって
何かで聞いた(違ってたら、ごめんなさいね)気がするんだけど
借金の返済はどうするんだろうね?
事業仕訳もやったけど、実際はどうなってるのかわからないし
税金って、ちゃんと支払ってはいるけど
実際どれだけの税収があって、何に使ってるかなんて
下々の庶民にまで、わかるようにはなってない。

事業仕訳があったおかげで、天下った方々が
2度も3度も、退職金をもらってたとか
こんなことに税金を使ってたのね・・・などなど
わかったこともあるんだけどさ。
そう言えば、宝くじのことも事業仕訳してたっけ。

「おいおい、そんな使い道あるかよ」

って思った部分もあるけど、宝くじに夢を観てる我が家としては
きちんとするまで宝くじの販売は、中止するべきと言われた時は

「庶民は夢も観れないのかよ」

って、思っちゃった。
ま、今のところは販売中止にはなってないけど・・・

今回の選挙で言うなら、私個人としては
別に宗教家ではないけど、公明党にがんばってもらいたいと思う。
本当かどうかはわからないし、実際に実施されるかどうかも
わからないことだけど、全国に公明党の党員3000人が
庶民の声を聞いてるそうな。

少子化対策として、子供手当ではなく
働く女性が、子供を産みやすい環境を作るべきだとか
10万人の介護従事者にアンケートを取った結果
2025年には、3人に一人が高齢者となる日本。
もっと介護従事者に、優しい環境を提供するべきとか
特養などの施設を、増やすなどなど・・・
生活に密着した提案をしてるように思うんだよね。
子宮頚がんの診療を無料にしたのも、公明党だしね。

誰に投票するかは、公言しないけどさ。

義弟の介護中は、我が家はとてもラッキーだったと思う。
高次脳機能障害がわかった時は、まだ知られていない障害だから
なかなか理解してもらえなかったけど、義弟の状態が
徐々に悪化し始めた頃に、役所の方にも恵まれたし
父の担当のケアマネさんが、義弟を担当してくれたことで
我が家の状況も、把握してくれていて、スムーズに
事が運んで、いろいろ手も尽くしてくれた。
入院して、出て行けと言われた後、精神的には極限まで
追い込まれたけど

「よし!いっちょやったるか!」

と覚悟を決めたところで、受け入れてくれる施設が見つかった。
そして、施設に移って半年でこの世を去った義弟。
過ぎてしまえば、あっという間だったように思うけど
私の40代は、義弟の看護・介護で語られると思う。

直面してる問題は、私の父親のことだけど、今はまだ看護の時期。
主人は、自分の父親は大丈夫って言い切るのだけど
誰がそんなこと保証する?
足の悪い義父が、頭はしっかりしていても
身体が動かなくなることだって、考えられるわけで
自分たちだって、明日どうなるかわからない年齢になってる。
そう考えたら、怖くなるさ。

年金なんて当てに出来ないし、老人ホームだって
お金がかかるわけだよ。
子供を産むか産まないかは、自分で選択出来ても
生きてるってことは、誰でも年を取るってこと。
高齢者に優しい環境作りも必要だろうけど
『尊厳死・安楽死』の問題も、取り上げてほしいと思う。
本人の意識がしっかりしてる時の、本人の意思も
尊重するべきだろうが、訳がわからなくなったら
看てる側の状況だって、考えてほしい。
家族で、夫婦で、介護をしていたら、役割分担も
出来るかもしれないが、それが原因で家庭崩壊もあるわけで
一人で看る人は、もっと過酷だ。
誰もがすぐに、どうにかしてくれとは言わないと思う。
出来る限り、自分で我が家でと思う気持ちも
日が経つにつれて、精神的に経済的に追い込まれることだってある。

がんばらない介護、楽々介護が出来る人は良いけど
出来ない人だっている。
本人の意思が確認出来ないなら、看てる側が
判断したっていいじゃないかと思う。
そういう選択肢があってもいいんじゃないかと思う。
でも今の日本、これをやったら、殺人だ。
これから先も、介護殺人は増えるだろうと思う。
ま、これを口にする政治家は、まずいないだろうな。

自分の父親だから、そう思うのかもしれないけど
私の父は、どちらと言われれば、温厚だと思う。
何かあれば、自分を責めてしまうし
昔から暴言を吐くと言うことがない。
実の娘だから、言いたいこともそのまま言える。
主人の父、義父は主人が子供の頃は手を上げたらしいし
義弟を看て、暴力はなかったけど暴言はあった。
つい最近まで、主人も義父には口答えしなかったことを
考えたら、義父の介護は難儀なことだと容易に想像が付く。

私の父に

「逝く時は、ポックリ逝ってね(笑)」
「うん、俺もそう思う(笑)」

なんて、冗談で言うけど、看られる方も看る方も
これが本音でしょ?

とは言っても、『尊厳死・安楽死』が認められない限り
どんな状態になっても、生きる人は生きるのだよ。
もしかすると、そこに何か意味があるのかもしれないけど
看る方は、精神的にも経済的にも大きな負担がかかるわけだ。
看る側は、ギブアップが出来ない状態って、どうなの?って思う。
介護保険って、ネーミングを付けたなら
どんな介護にも対応できるようにしてもらいたいな。
どんな状態の高齢者でも、受け入れてくれるような
介護専門者の育成や、施設作りをしてもらいたいと思う
今日この頃であります。

あくまでも、私個人の意見ですので、あしからず。。。


ところで、先日義父から電話が来た。
たまたま主人のトラックが、修理となって早く帰ってきてた日。

「はあ~?去年会社からもらった憲児の保険金どうしたんだよ?」
「俺は株なんかやらねえよ。そんな金はねえ」
「親父が自分の金で何やってもいいけど、俺はやらねえ」

(´Д`)ハァ・・・どうやら、またお金だ。

昨年、義弟の会社から保険金が下り、その1/5を我が家にくれた。
さらに義姉の子供3人にも50万ずつ渡している。
実はこれで、我が家は一悶着してるのだけど・・・
(興味のある方はこちら→『もめ事。。。』をどうぞ)
その他に、お仏壇にある義母の写真がボケちゃったので
写真を加工してもらったり、中古の車も購入
元々、絵とか掛け軸とか置き物とかが好きな義父。
だからと言って、高価な物を買うわけじゃなく
フリーマーケットなどで、買ってるらしいのだが
先日従姉妹が自殺した時、実家に寄ったのだけど
これまた掛け軸や置き物が増え、さらにはゴミも増え
ほとんどゴミ屋敷のように、足の踏み場もない部屋になっていた。
その中に、ソーラーで動く金の招き猫が手を振っていた。
招き猫って、左手を振るのは人を呼んで、右手がお金を呼ぶらしい。
義父が座ったテーブルの前は、隙間があるけど
足の踏み場もないような、物の置き場もないような場所に
ポツンと置いてあるその金の招き猫は、左手を振っていた。

「その猫は、人を呼ぶ招き猫なんだよ~」

と説明してくれた義父だけど、その前にこの部屋を
何とかしないと、人は来ないような・・・(≧m≦)
とんちんかんと言うか、何と言うか
まあ、お茶目と言うことにしておくか( ̄m ̄*)

話は反れたけど、義父のもらってる年金は
私の父の倍額だし、家賃がかかるわけじゃないし
貯金が出来てもおかしくない。
掛け軸や置物など買ったって、頂いた保険金の半分は
残っているはずなのにな~。
義父がお金の無心をする時の額は、1万2万じゃない。
10万単位か、多ければ100万と言ってくる。
独身時代は、主人もそれなりに蓄えていたし
義父に反論することもなかったので、言われるままに
お金を渡していたようだけど、今はそうはいかない。

「親父に400万近く貸してるけど、返してもらってねえよ」
「1円たりとも、返してもらってねえよ」
「親父に貸した金と憲児のことで、金なんかねえよ」
「俺は株はやらねえ」
「憲児の保険金、どうしたんだよ?」

主人の話によると、どうやら株に手を出したようだ。
どこの株か?知らないけど、持っていた全額投資したようだ。
さらに何か買いたいのか?昨年我が家に渡したお金を
当てにして、それと同じ金額を出せと言って来たようだ。

「宵越しの金は持たねえ」

って、義父はよく言うけど、それって人のために使って
言う言葉でしょっ!

今回ばかしは、主人もキッパリ断っておりました。

実家に戻ることを、嫌がっていた主人だけど
義父のことを考えれば、いずれは実家にと考えていた主人。

「借金でもしたら、遺産放棄だ。あんな土地なんかいらねえ」

私の父は、財産なんかないけど、2万円も渡せば
2ヶ月くらい、お金のことを言わない。
1ヶ月にその10倍のお金があっても、足りないと言うのは・・・

まだまだ、一波乱も二波乱もありそうな、我が家でごじゃります。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

最近のコメント

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