。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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合格!

2010.06.30 (Wed) 父の看護日誌

今月は、父の介護保険の更新月。

父の場合、『要介護1』と『支援』では天国と地獄の差なんだよね。
『支援』になったら、週3回のデイが2回に減るし
ケアマネさんも外れてしまうし・・・
先週半ばになっても書類が届かず、毎日父の家にポストを確認。
ケアマネさんからも、確認の電話が入ったりして・・・

「なんだか合格発表を待ってるみたいですね(笑)」

で、しびれを切らして、先週役所に電話してみた。
審査会が終わったばかりで、今週中には書類も届くそうな。

「結果は教えてもらえませんよね?」
「そうですね~、う~ん・・・前回と同じですね」

やった~♪合格だ!現状維持が出来るじょ!
んで、役所に電話した日の夕方、書類も届いた。
期間も2年だから、しばらく安泰だな。

昨日、ケアマネさん来訪日で、今回の計画書もいただいた。
もう1日デイを増やすことも考えているのだけど
父はまだあまり乗り気じゃない。
週2日から3日に増やす時も、乗り気じゃなかったけど
増やしてみたら、結構楽しんでいるから
まあ、様子を看ながら考えて行こうと思う。

だけど、父の様子を看てると、なんだか最近
疲れ易くなってるように思う。
動作も鈍くなってきてるし、本人も自覚があるみたい。
これが何かを意味するものなのか?どうか?
脳の血流検査の結果も、来月27日と先だから
それまでは、様子を看るしかあるまい。

父は、義弟の時とは違って、暴言を吐くことはない。
父娘だから、暴言なんか吐きやがったら、負けてないけどね。
・・・って、まるで義弟の時は負けてたような言い草だけど( ̄m ̄*)
でもたぶん、父の言葉に傷つくことはないと思う。
今のところは、ケアマネさんもデイの職員さんにも
可愛いおじいちゃんで過ごせていることは、ありがたいことだ。

ここで、父のおトボケを少し。。。

ここ横浜も梅雨に入ってしばらく経つんだけど
梅雨に入ったばかりの頃、湿気もあって暑い日。
父の部屋に行ってみると、部屋の中はムッとしてるのに
長袖を着込んで、なんだか体調が悪そうな顔。

「お父さん、しんどい?」
「う~ん、なんだかかったるいんだよ」

それもそのはずさ。
これだけ暑い日に、窓は閉め切りエアコンも入れてない。
おまけに、肌着の上に半袖ポロシャツ、その上に長袖Tシャツ
さらにベストまで着込んでおる。
買い物に出かける時、私はノースリーブを着てるのに
父は、薄出のジャンバーを着てたりする。

「暑くないの?」
「別に・・・」

って、確実に暑いってば!
で、ジャンバーを脱がせたこともある。

あまり汗も出ないし、季節感もなくなってきてるみたい。

「お父さん、暑いんだよ」
「えっ?」
「外はもう夏だよ。そんなに着てたら暑いって(笑)」
「そうか?」

ちゅうことで、長袖Tシャツを脱がせ、エアコンのスイッチON。

「もう半袖だけでいいよ」
「そうだな~」
「脱水症状起こして、死んじゃうといけないから(笑)」
「そんな簡単に人を殺すなよ~(笑)」
「暑いから、身体がしんどいんだよ。もう長袖着ちゃダメ」
「わかった、わかった」

で、夕方様子を看に行ったら、体調も戻ったそうな。
でも油断すると、電気代を気にしてエアコンを切ってしまうので

「今のエアコンは、そんなに電気食わないから大丈夫。
 こんな暑い部屋にいたら、おとうさんが気が付かないうちに
 脱水起こして、倒れちゃうよ。エアコンは入れっぱなしでいいから」

それでも、様子を看に行くとエアコンが切れてる。
毎回同じことを伝えて、1週間くらいで切らなくなった。

涼しい時は、窓を開けてもいいのだけど
窓を開けてることを忘れる時がある。
朝のお散歩の時、早朝窓が開いていたので
声をかけたけど返事がない。
日曜日の早朝だったので、主人も一緒だったから
わたくし、窓から父の部屋に不法侵入。
1階だし、それが出来てしまうんだな。
父はぐっすり眠っていて、トイレを借りて出てきても爆睡中。
今の時代、お金が無ければ命を取られる場合もある。
時々私が行って、部屋の空気の入れ替えをすればいいので
基本エアコンに頼ることにした。

もう一つ・・・父の部屋のポスト。
番号を合わせて開けるポストになってる。
いつでも開けれるように、番号を合わせておいたのだけど
時々いじっては開かなくなるわけで、たまに確認してたんだけど
ポストの番号を教えてくれと言う。

「右に●を2回、左に▲を1回だよ。やってみる?」
「うん」

で、ポストに行って、実際にやらせてみた。
ポストのつまみを持った父。

「右に1.2.3・・・」

って、 ヾ(・_・; オイオイ
数を数えるんじゃなくてさ!

「おとうさん、そうじゃなくて、ここに数字があるでしょ?」
「うん」
「その数字を合わせるんだよ」
「そうか、そうか」

そうか、そうかって、本当にわかってるのか?

「よく見て。ここに数字が書いてあるでしょ?」
「うん、うん」
「こやって、右に●番を2回、左に▲番を1回。ほら開いたでしょ」
「そうか、わかった!右に~、1.2.3・・・」
「いや、だから数えるんじゃなくて・・・(爆)」

思わず吹いちゃった(≧m≦)
これ、数回続けた父に、数回同じことを教えた私。
なんとか出来たけど、一人で出来るかなぁ~?(^m^*)

そして、今だ検便が取れない父。
青汁のソフトカプセルを飲むように言ってから
調子が良いと言って、朝のお薬も飲み忘れることが無くなった。
けど、昼を飲み忘れることはあるんだけどね。
調子が良いとは言うものの、相変わらず
検便が取れるほど、出ないっちゅうんだな。
検便が取れる日は来るんだろうか?

目下のところ、私の悩みは、父の検便であります(*⌒m⌒*)ぷっっ♪
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自殺。。。

2010.06.17 (Thu) 思うこと

まさか自分の身近で、こんなことがあるとは・・・

今月6日から8日まで、犬連れの旅行に行ってきた。
帰ってから、チビの方がはしゃぎ過ぎて足に怪我をしたので
病院に連れて行ったり、彩佳からもヘルプコールが来て
彩佳の部屋に行ってきたりと、ドタバタしていた。
10日の夕方、帰ってきた主人が

「Sが死んだ・・・首つり自殺だって・・・」
「首つり・・・」

絶句した。
Sちゃんは今年30歳、主人の母親の妹の子供、従姉妹になる。
姉のMちゃんと、兄のTくんの3人兄弟。
特にMちゃんとは仲が良く、一緒に暮らし仕事をしていた時期もあるが
この家族、少々問題を抱えている。

Mちゃんは、「お兄ちゃん」と呼んで、主人を慕っていたので
時々主人のところに、メールや電話が来ていたらしい。
が、Sちゃんとの接点はほとんどなかったけし
MちゃんからSちゃんの話を聞くこともなかったらしい。
主人は二人ともを、可愛がっていて、気にもかけていた。
3年程前、一緒に食事をした時、いろいろ話も聞いていたが
Mちゃんは『パニック障害』を抱えていたし
当時、睡眠導入剤や安定剤も服用していたSちゃんも
おそらく『うつ』を抱えていたのではないかと思う。

その時から、彼女にプロポーズしていた男がいた。
だけどSちゃんにとっては、彼の存在は
あまり好ましい物ではなかったようだ。

「ハッキリ断らないと、後で困るよ」

当時もそんな話をした覚えがあるのだけど、結果として
彼との関係は続いていたようだ。
昨年8月、義弟の葬儀の時、Mちゃんは通夜に参列してくれて
私が10時過ぎに自宅に戻る時、帰って行った。
通夜も終わった夜中の11時過ぎ、叔母とSちゃんが
その彼に送られて、お線香を上げにきてくれたと
後で聞いたので、私はSちゃんに会うことはなかった。

だけどこのたび、話を聞いてみると、昨年5月と10月にも
自殺未遂を起こし、発見が早かったので
助かっていたということらしい。

Sちゃんが残したメモには、どこかに遺書を残しているから
探してくれと書いてあったけど、その遺書はまだ見つかっていない。

「私は誰にも必要とされていない」
「ひとりぼっち・・・」

メモには、プロポーズされていた彼のことは一切書かれていない。
結婚を申し込まれていたのに、私は必要とされていないと
書いていると言うことは、ハッキリと断れず
彼の親にも会っていたことを考えると、ずるずると引きずられて
しまっていることは、Sちゃんにとって重荷でしかなかったと思う。
だからと言って、彼のせいではない。

そのメモには、他の男の名字が二つ書かれていた。
彼女の本命は、その二人のうちどちらかだったのだろうか?
最後に会うことが出来なかったようなことが書いてあったから
妻子のいる人だったのだろうか?

でもそのメモを見ると、苦しかっただろう
辛かっただろうことは、よくわかる。

Sちゃんは、自宅の自分の部屋で首を吊った。
隣の部屋には、兄が寝ていて、階下には母親がいた。
過去2回助かったことを考えると
どこかに救いを求めていたのではないかと思えてしかたがない。
でも、結果は逝ってしまった。

「S、暑いからアイス食べよう」

そう言いながら、Sちゃんの部屋に入った母親である叔母が
第一発見者となった。

「私がSを殺したんだ、私もSのところに行く」

そう言ったかと思うと

「Sは明日起きるから、明日には目が覚めるから」

もう正気の沙汰ではない。
目もうつろだし、言動も行動もあきらかにおかしい。
これをキッカケに認知ということもあり得る話し。
子供たちや叔母の兄にあたる、叔父も叔母を
怒鳴りつけたり、怒ったりしていたが
伯父のお嫁さん、もう一人の叔母と二人で
うまくなだめて、寝かしてるけることが出来た。
2時間ほどして目を覚ました叔母は、正気に戻り

「あれ~、憲一も恵子ちゃんも来てくれてたの?」

安定剤を飲んだと言っていたのだけど、これほど違うのかと
かなり驚いた。
Mちゃんも、自分が2年前娘を連れて実家を出た時

「本当はSも一緒に出たかったんだと思う。
 でも私はN(娘)のことで、精一杯だったから。
 その後から、Sはおかしくなったのはわかってるの」

Mちゃんも自分を責めていた。
Sちゃんの兄であるTくんも、おそらく同じ気持ちに違いない。
その瞬間、自分は隣の部屋で寝ていたのだから。

首吊りは、醜いとよく言われているけど
Sちゃんの寝顔は、とても穏やかでスヤスヤと
よく眠っているようだった。
Mちゃんが化粧を施したその顔は、生前のまま
とても綺麗で、今にも起きてきそうな顔だった。
Sちゃん自身は、苦しみから解放されたのだろうな。

だけど、自殺は絶対ダメです!
残された者は、自責の念でいっぱいになって
これからずっと、その気持ちを持ち続けて行くのだから・・・

Sちゃんの冥福を祈ります。。。

結果。。。

2010.06.01 (Tue) 父の看護日誌

5月28日、MRⅠの結果が出た。
もしも悪い結果だったら、父に聞かせたくないので
父には言わないで行ってきた。

一番心配していた、脳腫瘍・脳内出血・脳梗塞・動脈瘤の
兆候はまったくなし。
小さい梗塞があったのだけど、それは見当たらないそうだ。

・・・が、側頭葉、海馬のあたりに隙間があった。
パーキンソンからくる認知症もあるそうで、その可能性あり。
脳の血流を調べて、血流が悪い場合
認知症のお薬を一つ増やすそうだ。

海馬と言えば、記憶の部分。。。
父の忘れ物は、このところ結構キテるもんね。
側頭葉は記憶や理解力の部分でもあるけど
理解力に関しても、怪しくなってきてるしね。
結果を聞いて、なるほど~と納得!

父は病院も私に言われるままに、着いてくるだけだけで
検査しても、結果を気にすることもない。

Ⅰ先生の診察で、病気の話をする中
アルツだの認知だのと話をすると

「Ⅰ先生は、俺をバカにしてる」

と、認めないところは、すでに始まってる証拠だな(^m^*)

昨日、K先生のところも検査結果とお薬をもらいに行ってきた。
胃がんの心配はなし、血液・尿も問題なし。
肺がんはまだ時間がかかるそうだ。
で、検便はまだ取ることが出来ないので
取れ次第持ってくるということで
気長に待ってもらえるよう、お願いしてきた。

I先生とK先生には、父は何かあると、萎縮したり
自分を責めてしまうことや、何が悪いのかは理解できなくても
「悪い」とか「ひどい」とか言われると、落ち込んでしまい
無口になってしまうことなどを、説明して
出来るだけ楽しい嬉しい気持ちで過ごさせたいから
悪い話は聞かせたくないとお願いしてきた。

昨日K先生のところで、介護保険の診断書は
まだ手元にあると言うことで、MRⅠの結果や
デイに行くことで、今を維持できていることなど含めて
診断書を書いていただけることになった。

脳腫瘍と言う言葉に、ちょっとビビっときちゃったけど
脳に異常が出ると言うことは、義弟と似たようなことが
起きるということだ。
義弟のおかげで、ある程度経験済みだし
自分の父親だし、いくらか余裕をかましてる私。

ケアマネさんにも報告済み。
K先生もケアマネさんも言うのだけど
父にとって、デイの役割はとても大きい。
とにかく、今を維持することが出来ればOKな話で
日々の生活を、あまり変化させずに過ごすこと。
それが出来なくなった時、現場処理でまた考えていけばいいのだ。

脳の血流検査は、6月2日
Ⅰ先生は、忙しい方なので、結果は7月27日。

介護保険の認定も、なんとか現状維持していきたい。
結果が気になるところです。。。


さてさて、先日我が弟とケンカをした。

甥っ子たちが野球を始めたことで、弟もコーチを頼まれ
義妹もスコア係をやってるそうで
週末は野球の練習で忙しいのはわかっている。
子育てまっ最中の弟夫婦だ。
とにかく病院の検査結果が出たら、電話しようとは思っていたら
先週の土曜日、上の甥っ子の小学生最後の運動会で
下の甥っ子から、観に来ないかと誘いがあった。
可愛い甥っ子たちの運動会、観に行きたいのは山々だ。
父も同じ気持ちなのだけど、デイ以外で
いつもと違うことをすると、体調が悪くなるのを
父もわかっている。
甥っ子には、ジイジが病院だからごめんねと伝え
弟に代わってもらい、父のことを話し始めた。

ところがだ、コイツ酔ってるのか?と思いながら
父の状況を説明したのだけど
こちらの話しを、まともに聞かずに

「いつもいつも家にこもってるから、ダメなんだよっ!
 たまには外に連れ出してみろよっ!」

なんで、こんなにケンカ越しなんだ?
と、思ったが、こちらもプチっとキレた。

「そう思うなら、お前が連れ出してみろ!」

そう怒鳴ったら、黙った。

父は車に乗ったり、デイ以外に出かける時
トイレが近くなると言って、水分を取らなくなる。
これは父にとっては良くない行為。
病院で時間がかかる時は、無理やりにでも水分を取らせ
トイレを気にかけなくちゃいけない。
そういうことを説明したら

「そんなこと、俺は知らねえっ!」
「知らないのに、簡単に物を言うな!」
「家は週末、野球で忙しいんだよっ!」

((o(>皿<)o)) キィィィ!!

「そんな話をしてんじゃないっ!」
「いつも、任せっきりですみませんね~」

って、この言葉、言い方・・・

「だから、そんなことを言ってんじゃない!」

我が弟ながら、情けなくなってきた。
その後もケンカ越しのやり取りをしたが
もう話してもしょうがないと思って、電話を切った。

お正月以来、顔を見せない弟夫婦。
元々、私が父のことを看ようと思って
こちらに連れてきているのだから、弟夫婦に
何かを期待してるわけでもない。
野球で忙しいのは、わかってるけど
パーキンソンの父の様子や状態が、気にならないのか?
たまには顔出せばいいのに・・・と、思うこともある。
でも、アテするから、腹が立つわけだ。
そういう意味では、期待はしてない。
主人も話しは聞いてくれるけど、やっぱり父のこと
弟に話をきいてもらったり、相談したりしたいじゃないか。
弟にとっても父親だし、二人っきりの姉弟なんだから。

なんだかムカムカいらいらしていた翌日
義妹から電話がかかってきた。

「お義姉さん、昨日ごめんね~」

小学生からサッカー少年だった弟。
どうやら韓国戦で日本が負けたために、不機嫌だったらしい。

「そんなこっとで、家族や回りにアタるなんて最低だ!」

と、今度会ったら言ってやると言った。
義妹は、弟と何かあると、必ず私に助けを求める。
縁あって姉妹になったのだから、なるべく力になれるよう
たとえ、義妹に不満があっても、義妹の方に付き
弟を怒ったり、諭したり、なだめたりするのは
私の役目だと思っている。

「お姉ちゃんは、いつもH(義妹)の味方だよな」

と怒ったことがあるくらい、徹底して義妹側に付く。
でもこの時、弟に言ったことがある。

たとえHちゃんに問題があっても、お姉ちゃんはHちゃんに付く。
何があっても、お前とお姉ちゃんは姉弟だから
許しあえるものだと思ってるし、当然Hちゃんのご両親は
お前の味方になってくれると思ってるから。
でももし、Hちゃんのご両親までお前を責めたら
その時は、お姉ちゃんはお前に付くよ。
だけどそうなったら、悪いけど離婚覚悟してくれ。


そう言ったら、弟は納得したようだ。
義妹の実家でも、何かあれば

「Sちゃんも悪いけど、Hも悪い」

と言って、義妹の方を叱ってくれるらしい。
それなら、それでいいじゃないかと言うことだ。
それに義妹は本音でぶつかってきてくるので
そこが可愛いところだと思っている。

義妹は、2.3時間ヒマが出来ると父のところに行こうと
言ってくれてるらしいが、弟が今度で良いと言ってたそうだ。
その気持ちだけで、嬉しい。
父の状態を話し、私の気持ちも話したあと

「二人っきりの姉弟なのに、相談もできないのか?って
 怒ってたって伝えといて」

と言って、電話を切った。
日曜日に、検査結果を電話すると

「Hにも怒られたよ。これからはなるべく行くようにするから」

なんとも、しおらしくなっておった。
父は、怒ったり責めたりすると萎縮する。
忘れたり、話が飛んだり、おかしなことを言っても
サラリと流すか、笑顔でツッコミを入れると
父もなんだかわからなくても、笑っているから
なるべく笑顔で対応すればいいからと伝えた。

次の日曜日から、2泊3日で犬連れ旅行に出かける我が家。
その間の連絡先は、弟の携帯電話にさせてもらった。

「旅行に行く時だけは、協力してくれ」
「わかった」

脳の血流検査で、ハッキリしたことがわかってくるだろう。
だけど今すぐどうこうではなくても、いずれその日は来るのだ。
忘れてしまってから、あわてても後の祭りなんだよね。

無理はしなくていいと思うが、後悔のないように
考えてくえればいいなと思う、姉であります。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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