。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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思うこと。。。

2009.09.26 (Sat) 思うこと

義弟の葬儀の時のことを少し・・・

我が家には、ラブラドールが2頭いる。
その子たちの世話も含めて、義弟が亡くなってから彩佳に家にいるように言った。
お通夜告別式の時は、同じわんこ好きの友人にも家にいてもらえるよう
お願いして、留守番を頼んでおいた。
そしてもう一人、その友人と共通の後輩がいるのだけど
コイツが、空気を読めないと言うか、常識知らずと言うか・・・
知っているから、腹も立たないのだけど、この時もやらかしてくれた。

彼女はバツイチ母子家庭なのだけど、彼氏がいる。
それはいいのだけど、お通夜に来た時我が家に寄って行った。
ラブの1頭は、まだ9カ月なのだけど、高校生の娘が犬を見たいと言ったらしい。
告別式の日、留守番を頼んだ友人に連絡が入り

「娘と彼氏が犬を見たいって言ってるから、連れて行ってもいい?」

と言ったそうな・・・
連絡をもらった友人、こんな時にいったい何を言ってるんだ?と

「恵子さんに連絡してからまた連絡する」

と答えたそうな。
腹が立ったらしいが、私に連絡をくれたのだけど私も第一声が

「はあ~?」

だった・・・
連絡を入れると言ってあったのだか、その友人が我が家に着くと
彼女らはすでに到着済み、しかもマンション内の駐車場に停めてある
車が出れない状態で、車を駐車してあったため、さらにヒートアップ。

「Kちゃん、車邪魔。あんなところに停めてたら、他の車が出れない」

我が家に入るなり、怒鳴ってしまったらしい。
我が家から出してる葬儀の最中に、犬を見たいとは・・・
ヤレヤレ ┐( -"-)┌ヤレヤレである。


そして、義姉・・・
義姉とは言っても、私は主人より3歳年上なので義姉の一つ上になる。

「憲一、お前長男なんだから、お前がやってよ」

何かにつけて、そう言っている義姉。
今回も主人がやると思っているから、口出しもしないのだが
私から言えば、もう少しケツを軽くしてもらいたいところだ。
2日間、すっかりお客さん状態だった。
通夜振る舞いも精進落としの時も、親族席に座ったまま
自分の父親と弟が、勤めていた会社の方々がたくさん来てると言うのに
食いっぱなしだった。
お通夜の日、彩佳と友人には、時間ギリギリに来るよう伝えておき
親族席で食事をするように言っておいたのだけど、席に着いた時には
ほとんど何もない状態で、義姉が追加を頼んだらしいが
それも義姉の家族5人でパクパクと食べてしまったそうな。
私と主人が、やっと席に着いた時には、お寿司はすっかりなく
サンドイッチとオードブルが少しだけ残っていた。

「誰一人、あなたたちの分を残しておくよう言う人がいなかった」

ずっと面倒を看て、バタバタと走り回ってる私達を誰も気遣わないと
友人が怒ってくれていた。

「自分の弟だけど、どう扱っていいかわからなかったし
 自分に出来ることは何かって考えたら、お金しかないと思ってさ。
 だから去年、2万円送ったでしょ」

2万円送ってくれたことをやたらと強調していたけど、その頃我が家は
経済的にギリギリだったから、施設の費用を助けてほしいと
私が手紙を出したからであって、様子を聞いてくることもなかったけどね。

「M江にも憲児の面倒を看させたかった。それだけは悔いが残る」

義父は年に3回、1回に2週間面倒を看てもらってたのだけど
夜8時頃、義弟がお風呂に入ると、義姉に電話をして愚痴っていたそうだ。
義父は自分も面倒を看て、その大変さをしみじみ感じていたようだ。
私が「怒ってばかりいたから」と言うと

「いいんだよ~。恵子はよくやった。社長にも言われただろ?」

バツイチ子持ちで年上女房と言うことで、最初は大反対された私たちだけど
やっと認めてもらえたと言う感じがした。
しかしお義姉さん・・・期待はしてないけど、こういう時
もう少しフットワークを軽くしないと、旦那さんが笑われるじょ。

義弟の会社と主人の会社は、同じ業界なのだけど義弟の会社はトップクラスだ。
主人の会社の親会社とも言える会社が、お花も出してくれて弔電もあり
もちろん参列もしてくれたのけど、主人の会社は
同居の親族でも、弟だからという理由でお花もなにも出なかった。
唯一届いた弔電は、なんと故人の名前が義父の名前だったのには驚いた。
後日謝って来たそうだけど、あってはならない間違えじゃね。


ところで、私ですが。。。
義弟の危篤状態のときから、体調は悪かったからそろそろだろうと思っていたけど
ピンポイントで、お通夜の前の晩から生理が始まってしまった。
参列者に頭を下げるたびに、目は回るし、身体は重いし・・・
気力で乗り越えたという感じだ。
お薬が効いてきたのか?少し身体が軽くなったと思ったのは4日間ほどで
また体調が悪くなり始めた16日に受診。
1週間以内に生理が来るだろうと思い、そのことを話すと
生理が来てしまうと貧血も改善されないので、生理を止める注射を打つことになった。
この注射、皮下注射なのだけど、最初は生理が始まってから打つそうで
案の定22日から始まったので、24日に最初の注射を打ってきた。
緊急性はないので、2ヶ月先の11月25日入院26日手術と決まり
来月21日の受診では、手術前検査と説明もあるようです。


義弟が旅立って、1ヶ月が過ぎた。
自分の身体と相談しながらだったから、横になってることも多かったけど
外出することも多くて、ドタバタした1ヶ月だったな~。
49日法要は、主人の実家近くのお寺さんで行うので
石屋さんにことや、法要後の食事のことなどの準備で
気持ち的には、まだまだ落ち着かない毎日。。。

この連休は、義弟の荷物整理を主人と二人でやった。
形見分けも考えながらなんだけど、義弟の古い手帳が見つかり
当時のことをメモ書きしてあったのを見て、こんなことをしてたのか・・・
なんぞと笑ったり、写真を見ては思い出話をしたりした。
CDの整理を始めると、主人の持ってるCDもあったりして

「アイツも聞いてたんだな~。双子でも趣味は違うと思ってたけど
 似てるもんだな~」

そんなことを言っていた。
衣類の整理をすると、主人は

「俺はもう洋服はいらないや。アイツのが全部着れるからな」

おしゃれさんだった義弟なので、ブランド物のシャツがたくさんあった。
主人は絶対着ないだろうと思う、義弟がいつも着ていた
キャプテンサンタのスイングトップは、残しておくことにした。
時計やお財布は、友人や会社の方々に形見分けすることにした。

「あきらめもついてるし、覚悟も出来てると思っていたけど、俺はまだ
 覚悟が出来てなかったんだな~。こんなに引きずるとは思わなかった」

晩酌の時など、義弟の話が出ると、涙ぐんでる主人。
両親の愛情が薄いと言ってた主人と義弟は、産まれた時からいつも一緒。
私から見ても、双子ってこうなんだ・・・と、絆の強い二人だと感じていた。
どんなことでも、二人で相談して過ごしてきた35年。
そして闘病後義弟と同居が始り、症状が悪化するにつれて、主人の気持ちが
変わっていくことがせつなかったもんな。

義弟の書棚から、行動記録を書いていた頃のノートが出てきた。

「これはお前の、介護記録みたいなもんだな」

残しておいてもしょうがないものだけど、捨てることが出来なかった。

コーヒーを飲みながら、一服することが大好きだった義弟。

「最後に美味しいコーヒーで一服させてやりたかったな」

そう言う主人。
49日までは我が家にいる義弟。
毎朝大好きだったコーヒーとショッポに火を点けて、一緒に一服しとります。

もしあの時、自宅介護をしていたら、違った感情だったと思う。
施設に入れてから、私たちの気持ちの切り替えがまだ出来てなかった。
切り替えが出来てないのに、義弟が逝ってしまったから
悔いが残ってしまったんだと思う。
逝ってしまったから、思えることなんだと思う。

主人と義弟の思い出話をするば思い出す。
行動記録を書かせていた頃、毎朝毎夕勉強会をしたなとか
スイミングに通ってた頃、溺れそうになったなとか
下の世話が始まった時、「出来ない~」って主人に泣いて言ったっけ。
でも一人で義弟の遺影を見ていると、我が家で過ごした約8年間のことは
あまり思い出さないんだよね。
主人はいろいろ思い出してるみたいだけど、私は頭が真っ白と言う感じだ。

今は49日のことでドタバタしてる。
主人は、納骨が済んだら、もっと寂しくなるんだろうな。。。
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葬儀。。。

2009.09.09 (Wed) 義弟の病院・病気と症状

義弟が旅立って、半月過ぎたんだな~。
もう半月なのか?まだ半月なのか?

義弟の危篤を聞いて、すぐに病院に向かいそのまま病室へ。

「憲児、来たぞ!」
「弟くん、目開けて」

そう声をかけたけど、義弟の反応はなかった。

「けんちゃん、弟くん息してる?」

二人で胸を触ったり、口元に耳を近づけたりしていると
相談員のOさんが来た。

「息してます?」
「そうなんです。10時35分ごろに呼吸が止まってしまって・・・」
「間に合わなかったのか・・・」
「弟くん、一人で逝っちゃったの?」

しばらく、二人で涙が止まらなかった。
不思議なものだ・・・あんなに憎たらしくて、介助することや介護することが
苦痛だったのに、こうなってしまうと、義弟の痩せ細った身体に
ペタペタと触れたくなってしまうのだ。
本当に人間とは、自分勝手な生き物です。

看護士さんたちが、義弟の身体を綺麗にしてくれてる間
連絡を取るべきところに、連絡をした。
義父も義姉もお昼頃と言っていたけど、連絡が来たのは12時半を過ぎていた。
義弟の死を知らせても、二人ともあまり動じることもなかったようだ。
二人とも携帯を持っていないので、二人が合流したら
また連絡をするということになっていたけど、その後なかなか連絡が取れなかった。

前日ある程度の打ち合わせしていたので、すぐに葬儀屋さんに連絡を取り
迎えにきてくれることになった。
マンションのエレベーターのない5階の我が家。
ラブラドールが2頭もいることから、最初は会館として借りたお寺さんに
預かってもらう予定だったが、1日3万円という金額は、ちょっと出せなかったので
そのまま葬儀屋さんに預かってもらうことにした。
お焼香できるように準備が出来たら、連絡をくれることになり
義弟を送り出した後、すぐ駅に義父と義姉を迎えに出た。
探すこと30分、やっと合流することが出来た頃に
葬儀屋さんから、準備が出来たと連絡が入り、そのまま葬儀屋さんへ。
義弟の会社、U取締役、T人事部長とその部下のAさん、同僚のMさんも
駆けつけてくれた。

義父と義弟は、同じ会社いた。
義父は今もその会社のOB会に入っているし、義父も役員までやっていた会社。
主人のことも義弟のことも、小学生の頃から知っている役員が今もいる。
もちろんU取締役もT人事部長のことも、義父は知っている。

「Tさんよ、今回もまたよろしく頼むよ」

義弟が倒れてすぐに、義母が亡くなった時も
会社の方々が、葬儀の手伝いをしてくれたのだけど
9年6ヶ月も休職してたにもかかわらず、義弟の場合は工場長補佐と言う役職から
現役役員の死と言うことで、扱ってくれたのだ。

葬儀は、ほとんど社葬に近い形で行われた。
お通夜が28日、義弟が亡くなったのが25日。
丸3日あったわけだけど、その間毎日夜10時過ぎまで打ち合わせが続いた。

当初は親族も入れて、100名予想だったけど
会社関係だけで、100名を越えると言われ
150名で設定したけど、200名まで対応できるようにお願いした。
会場のお寺さんを下見した際、約30台ほど駐車出来るスペースだったけど
30台分では足りないと言われ、駐車場の手配にも追われた。
まずは我が家が借りてる駐車場の、空いてるところを5台分確保。
さらにお寺さんの前に某大学のグランドがあり、管理人さんと知り合いだったので
お願いしたところ、お寺さんから連絡をもらえれば貸せるということで
葬儀屋さんにお願いして、お寺さんから連絡してもらい
さらに30台分の駐車場も確保、これでなんとかなった。

遺影は、闘病中の義弟ではなく、10年前の物だけど
義弟が倒れる半年前、まだバリバリの現役の頃の写真を選んだ。
会社の方々にとっての義弟のイメージは、この顔だと思ったからだ。

その間に、お花の注文も続々と入っていた。
喪主が2基、主人と私で1基、義姉と義兄で1基
その4基も含めて、全部で42基のお花が届き、祭壇はお花で埋まった。

会社の役員さんたちがいらして、主人が私を紹介するとみなさんが

「よく面倒見てくれたな。ありがとう!お疲れ様!」

そう声をかけてくださる方ばかり。

「お前は良い嫁さんもらったな。自慢の嫁さんだぞ」

社長様には、そう言ってもらった。

怒ってばかり怒鳴ってばかりの、ちっとも優しくない兄嫁だったのに
そんな言葉が、嬉しくもあり、せつなくもあった。

「俺のことなんか、誰も褒めてくれねえ。俺だって寝ないで働いたのに」

主人が笑いながら、そう言った。

祭壇・・・
祭壇に向かって、右側に親族、左側には社長様を始め役員の方々が列席してくれた。

お経をとなえてくださってる間、参列者は途切れることなく続いて
お世話になったご近所さんも、たくさん来てくれた。
さらに終わってからも、作業着で駆けつけてくださる方もいた。

お通夜が終わり、社長様や役員の方々が食事をしてる間
外では会社の社員の方々が、30名ほど残っていた。
中で食べてくれればいいのにな~と思いつつ
私もあっちにこっちにと、あいさつで走り回っていたのだけど
8時半過ぎ、社長と副社長が帰られると、それを見送った後
残っていた社員さんたちが、蜂の子を散らすように帰られて行った。

「すごいですね~」

葬儀屋さんと、ビックリしてしまったと同時に、ちょっと笑ってしまった。
社長様のお人柄もあるだろうが、従業員の団結力も強い会社なのだ。

告別式にも社長様始め役員の方々が列席してくださり
この日もお経をとなえてくださってる間、参列者が途切れることはなかった。
そして同僚のMさんが、弔辞を読んでくれた。

工場長になるまで、寮生活の中、二人で夢を語りながら過ごした日々や
工場長になってからも、二人でよく話をしたこと
闘病中のことや、私たちにまで労いの言葉も添えてくださった。

火葬場までも一緒に行ってくださり、お骨を拾ってくださり、精進落としまで
17名の方が、残ってくださった。

お通夜告別式を通して、述べ300人の方々の参列者。
私たち夫婦で仕切った葬儀だけど、こんな大きな葬儀は最初で最後だと思う。

会社人間だった義弟。
お嫁さんには恵まれなかったけど、この会社でこの人たちに囲まれて
仕事が出来たことは、義弟とって大きな財産だったに違いない。
長い闘病生活だったけど、会社の方々に見送っていただけたことは
何よりの幸せだったね。

8か月ぶりに自宅に戻ってきた義弟。
家に戻って・・・
49日までは、ここで休んでもらってます。

まだ書きたいことはあるのだけど、やることが山積みの毎日。
なので、また次回に・・・

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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