。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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ドラマ。。。

2009.05.26 (Tue) 思うこと

先月、SMAPの草薙くんが【公然わいせつ】で逮捕されたよね。
最初報道を観た時は、本当にビックリしたけど
事情がわかれば、あれほど騒ぐことだったの?って思っちゃいました。
でもツヨポンも、今月28日から活動開始で29日にはテレビ出演も
決まってるみたいだし、また謝罪からの復活なんだろうけど
これからも、がんばってほしいなと思ってます。

で、23日からキムタクのドラマ【MR.BRAIN】が始まった。
ここ最近のドラマは、前評判で観てみても、続けて観ようと思えないものばかり。
だけど脳科学と言うところにも惹かれて、録画しておいたんだ。

主演はキムタク、役名九十九龍介は
元々軽いホストだったのが、事故で脳の前頭前野を損傷
が、しかし、傷ついた脳の代わりに
他の脳が活性化し始めて、IQも高く、脳科学に興味を持ち
大学に入り直して、わずか5年で素晴らしい功績を残し
警察庁科学警察研究所に配属され、数々の事件を
脳科学で解明するということらしい。

第1話の最後の方で、事故後に九十九龍介が言った言葉

「脳の中身が変わっても、前と同じ僕だと言えるんでしょうか?」

前頭前野を損傷すると、人格が変わる場合があると言われるけど
まさにその通りになっている。
事故前は好きだったアグネスラムに、事故後はまったく興味がなくなった自分。
奇妙な行動も目に付くし、人の話は聞かなかったり
思い通りにならないと、一瞬パニくるあたりも表現してるし
周りの状況、空気を読めなかったりもするし、こだわりはかなり強い。

これを観ていて、知ってる人ならすぐに気付くはず。
障害と言う言葉は、まだ出てこないし、流れから言うと
九十九龍介は事故後、脳科学に興味を持ったのは
自分自身を知るためということらしいけど
九十九龍介は、『高次脳機能障害』を背負っているということだ。

脳を損傷した人間に、ある期間リハビリはしたって
こんな風に対応してくれる病院が、日本にあるとは思えない。
周りが何を言おうと、結局は本人の努力次第だからね。

人間の脳って、10%ほどしか動いてないって言われる。
脳を損傷すると、今まで動いてなかった脳が動き補い始めるということもある。
実際に、本人が紆余曲折しながら、社会復帰を果たして人だっているんだから。

同じマンションの住人で、ご主人が運転中に脳内出血を起こして
事故ってしまった方がいる。
事故自体は、自損だけで済んだので、良かったけど
2回だったか?脳の手術を受けて、退院してきた。
今までの仕事は出来ず、知り合いのところでお世話になってるらしいが
それだけの収入では足りないらしく、奥さんも働き始めた。
その後主人、病気前は無愛想という言葉がピッタリで
挨拶しても、返ってこないこともあったけど、病気後は
いつもニコニコ、ご主人の方から挨拶もしてくるし世間話もするようになった。
話していてすぐに、高次脳を背負ったなってわかった私。
脳が傷つくって、ここまで人を変えるんだなって、改めて思ったんだ。

話は反れたけど、『MR.BRAIN』
脳科学を駆使しての、事件解決は面白いと思う。
脳がどういう働きをするのか?
今後、九十九龍介が背負った障害を、どう表現するのか?

ある実験で、眠っている人の首筋に氷を当てると
一瞬にして、その人は目を覚ます。
氷を首筋に当てて、目を覚ますまでのその一瞬のうちに
その人の脳は、自分が事件を起こしギロチン刑になると言う夢を観たんだって。
夢だからつじつまは合わないところもあるけど、一瞬でそれだけのことを
脳は考えるということらしい。

これ、私個人が思うことだけど、単純に

「脳ってすごい!」

ってことだけではない。
それだけすごい脳が、傷ついたらどうなるか?
そういうことも考えながら観ると、勉強になると思う。

高次脳機能障害は、脳の損傷。
本人にやる気さえあれば、そのやる気を引き出すことさえ出来れば
本人の努力次第で、社会復帰だって夢じゃない。
でも認知症は、脳が動かなくなっていくと言うことだよね。
支える側の負担は、計り知れないけど
どう折り合いをつけていくかも、脳が考えてることなんだよね。

久しぶりに続けて観たいと思うドラマでごじゃる。。。
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介護難民。。。

2009.05.16 (Sat) 思うこと

義弟が入院してから、介護からは解放された私達夫婦だけど
私の父と主人の父のこともあるから、義弟のことは手が離れても
介護は他人事ではない。

先日テレビでやっていたことだけど・・・

埼玉県では、16年後に介護難民が85万人出るそうな・・・
その時のコメンテーターの言葉。

「まだ16年もあるなら、なんとかなるんじゃないの?」

・・・┐( -"-)┌ヤレヤレ・・・
なんともマヌケな反応に、呆れてしまった。

つい先日、清水由貴子さんが介護自殺したばっかりだよ。
介護難民って、面倒を看る人がいない方だけのことじゃないと思うんだけどね。
看る側が限界を感じてる場合だって、介護難民になると思う。
その結果が、介護殺人・介護自殺じゃないのかな?
16年あるからなんとかなるって、埼玉県だけの問題じゃなかろうに・・・
今現在だって、全国に介護難民者がどれほどいると思ってるんだろう?

認知症だって、軽度から重度まである。
病院や施設でも看れない認知症患者だって、介護難民でしょ。
他力本願はいけないと思うけど、家族にだって限界がある。
介護士の資格を持っていても、身体はキツい賃金は安いで辞めてしまう人も多い。
私自身は、介護を経験して、家族だから出来ることであって
それを仕事にしようとは思えないし、それでも限界だった。
義弟は悪態もついたし、言うことも聞いてくれなかったけど
やり方によっては扱いやすかったと思うし、外面は良かったから
施設の方たちからも、苦情が来たことはなかった。
それでも、家族は限界を感じるのだ。
もっと重度の認知症だったら、徘徊とか暴言暴力とかがあったら
家族の負担は、どれほどのものか・・・?
正論は通じない、物事も理解できない。
拘束すれば虐待と言われる。
追い詰められるのは、看る側の人間だ。

私の父は

「下の世話を人にやってもらってまで、生きていたくない」

と言う。
でもそうなったからと言って、本人はわからないのだ。
主人の父、義父が主人に

「俺が憲児みたいになったら、殺してくれ」

そう言ってたらしいけど、それが出来ないのが日本だよ。

どうして誰も、尊厳死や安楽死のことを言わないのかな?
人間誰でも、家族や他人に迷惑をかけてまで生きていたいとは思わないよね。
身体は普通に動いても、自分のことを自分で出来ない。
下の世話もしてもらいながら、人格・・・自分自身を失ってまで
生きたいと思う人はいるのかな?
自分のことをきちんと考えられるうちに、先行きの自分の死を
選ぶことは出来ないんだろうか?

今の自分たちは、親の介護のことを考えているけど
いずれ私も、娘の介護を受ける時がくるかもしれない。

その日が来る前に、尊厳死・安楽死の法律が整ってほしいと思うのは
私達夫婦だけなんだろうか?

久しぶりの笑顔。。。

2009.05.15 (Fri) 義弟の病院・病気と症状

昨日は、義弟の施設の支払いもあったので
昼食時の義弟に会おうと思って、お昼頃施設に行ってみた。

4月は大部屋に移動して、丸々1ヶ月なので、今後の費用の予想も出来る。
4月分の費用は、なんと77,601円だった。
予想してたよりも、かなり安かったので、ちょっとびっくりした。
『介護保険負担限度額認定証』ももらえたので、食費や居住費の一部を
市が負担してくれてるのも助かる。
紙おむつやパジャマ等、アメニティ費用が、同じものでも
医療では1日1470円だったけど、介護になると990円。
これが3万円ほどなので、1ヶ月11万前後で済みそうだから
義弟の障害者年金で、賄っていける。

支払いを済ませてから、義弟の面会に行った。
ホールで介助を受けながら、昼食を食べているところだった。
車椅子に座っている義弟に

「弟くん、元気?」

と声をかけながら顔を見たら、私を見て義弟がニコニコ~と笑顔を見せた。

「うわ~、Aさんの笑顔久しぶりぃ~♪」

そう言って、看護師さんたちが喜んでくれた。
義弟を担当して看護師さんと代わって私が食事の介助してきた。
最初は笑顔が出たものの

「弟くん、私は誰?名前はなんだっけ?」

と何回も聞いてみたけど、最後まで私の名前は出てこなかった。
話しかけても目は泳いでしまうし、言葉も出てこなかった。
食事も声かけをしても、自分から進んで食べようとはしない。
スプーンを握っている手を持って、おかゆをすくい、口元へ持って行けば
口を開けてすすることは出来るし、咀嚼行為もある。
でもすすってしまうので、むせたりもするので、今後誤嚥肺炎の可能性もあると思った。
最初のR病院では、誤嚥肺炎を起こしたら、口からは物を入れないと言ってたけど
今の施設では、どうなるのかな?
今後何かあれば、連絡が来るだろうから、施設に任せよう。

面会時間外だったので、他の方の迷惑になってもいけないし
施設のやり方もあるだろうと思い、最後まで介助はぜす
途中で帰ってきたんだけど

「弟くん、また来るからね。じゃあね」

と声をかけても、もう無反応だった。
少しずつだけど、確実に状態は悪化してるように思う。

夕方になって、義弟の同僚のMさんからメールが届いた。
義弟が立ち上げから携わっていた、Ⅰ工場が今月いっぱいで閉鎖になるそうな。
義弟が物事の理解が出来れば、きっと悲しむだろう出来事。
で、16日付けで義弟はY工場の工場長補佐に異動になるとのこと。
本当ならキラれてもおかしくないのに、工場長補佐と言う役職を付けていただけたことに
感謝の思いしか出てこない。
お礼と昨日の義弟の様子をメールで返信した。

そして今日、人事のT部長からも電話が来た。
今のこのご時世である。
一つの工場を閉鎖しつつも、一つ買収した工場を立ち上げるそうな。
とは言え、資金繰りも苦しい中、従業員の残業代カットや賃金も下げているそうで
義弟のお給料も、5万カットさせてくれとのこと。

「お義姉さんからいろいろ聞いてるから、本当に心苦しいのだけど・・・」

そう言ってくださったけど

「いえ、もう9年以上過ぎてますから、これ以上は本当にもう・・・」

こちらとしては、本当にもうこれ以上はという気持ちもある。
感謝という言葉では、追いつかないほどに、ありがたいことだ。
社長様にもくれぐれもお礼を言っておいていただきたいと
T部長にも何度もお礼を言って、電話を切った。

先日義弟の面会に来て下さったT部長も、感じているのだと思う。
義弟には、来年はないかもしれない。
工場長補佐と言う立場のまま、逝かせてくれようという心遣いかもしれない。

主人にも、このことは伝えて、面会の話をしたのだけど
主人が行くとしたら、日曜日の2時からになる。
その時間、義弟は眠っていて起こしても起きない。
これは普段、看護師さんたちが起こしても、起きないそうだ。

「寝顔看に行ってもしょうがねえし、仕事もあるから、俺はもう行けねえよ」

・・・って、行かないのか?!
やり残したこともないし、もう何の後悔も未練もないと言う主人。
義弟の面会に身内は誰も行かないとは・・・
身内だからこそなのかもしれないから、しょうがないか・・・

確かに寝ている義弟の面会に行ってもしょうがない。
これから面会時間を考えた方がいいかな?
とは言え、毎回は困ると言われたから、いつも午前中に行くわけにはいかないし
夕方は、わんこのお散歩もあるし、主人も帰ってくる。
夜中の2時出勤だから、夕食を待たせるわけにもいかないしな。
ま、その場その場で考えるしかないか。

久しぶりの義弟の笑顔は、ほんの一瞬だけだった。。。

ケアマネさん&眼科

2009.05.15 (Fri) 父の看護日誌

12日はケアマネさんが父のところに来た。
1ヶ月に1度、来るわけだけど、今回はなんだか久しぶりな感じがしたよ。
それだけ、この1ヶ月はのんびり過ごしたということかな?

いろいろ聞かれたけど、父に特別変化はなく
毎度同じ話を繰り返す父の話を、いつものように聞いてくれていた。

現在父の介護度は、『要介護1』
来年の6月に更新となるのだけど、今回の改定で
父の場合『要支援』になる可能性がある。
でもやはりこの1ヶ月の間に、問題がたくさん出てきてるそうな。
父みたいタイプは、介護保険のしくみを理解してないから
もし今と同じサービスが受けられなくなったら
どうしてデイに通えなくなったのか?自分の何が悪かったのか?
って、自分を責めてしまうタイプだと思う。
それが原因で、さらに認知が進んでしまう場合もあるということで
一応介護認定が『要支援』になっても、今と同じサービスを受けたいという
希望を出せるようになったらしい。

あと1年あるから、またさらに変更もあるだろうから
今から心配してもしょうがないけど、週3回の通所は確保したいな。

とにかく、デイに行くことが楽しくてしょうがない父。
今の生活ペースを崩さないようにすることが大事だって言われた。

先日叔母の告別式で、福島まで出かけて、体調を崩した父。
49日や新盆の話も来たのだけど、父も出かけるのを嫌がるし
無理に連れて行って、また体調を崩されるのも困るので
出かけるのはやめて、こちらから送ることにした。

義弟と同じく、父ももう楽しいことだけして、穏やかに過ごしてほしいからね。


今日は、目薬が無くなったので、眼科に行って来た。
昨年8月に行って以来、義弟のことでドタバタしてた私。
目薬もたくさん残っていたので、今日まで行かなかった。
久しぶりの視力検査だったからか?
失明した右目も検査されていたけど

「真っ暗で何も見えないんだよ」

と父が何度言っても、検査したお姉さん。
父の右目の前で、指を立てたり手を振ってみたりしながら

「これもわかりませんか?」

と何度も聞いてるので

「ごめんなさいね。右目は10年以上前に失明してるから何も見えないんだ」
「光も感じませんか?」
「真っ暗だって本人が言ってるから、光もわからないと思うけど」
「・・・そうですか・・・わかりました」

納得いかないのか?( ̄m ̄*)

そのあと、診察となった。
右目はすでに石灰化が始まってるので、ガサガサに見える。
見える左目の視力は、裸眼で0.4あるそうな。
白内障が出てるけど、これだけ視力も出てるしメガネで見えるから問題なし。
右目は渇きを防ぐ目薬・・・こちらは値段も安く、成分的にも今までのより
良い目薬が出たということで、それに変更(ティアバランス)して、それと軟膏(タリピッド)。
左目は白内障予防の目薬(カリーユニ)が出た。

また3ヶ月後くらいに来るように言われた。

今年に入って、義弟が入院してから昼食と夕食はお弁当をお願いしてたけど
父も飽きてきたのか?たまには自分の食べたい物をと言うので
夕食だけに変更、水曜日はお休みにして、毎週水曜日は
一緒に買い物に出ることにした。
最近は朝晩のわんこのお散歩も、朝は起きれないし
夕方は飲んじゃってることもあるし、デイの日は行かないし・・・
一人でトレッサのスーパーに出かけると、必ず出口を間違えて迷子になっちゃう。
デイの日は、帰ってくると必ず携帯で電話をするように言ってるけど
それ以外で週に1度くらい、娘とのコミュニケーションも取らにゃいかん!
ということで、毎週水曜日は一緒に買い物に出かけることにした。

今日も眼科での待ち時間

「施設もよ~、車椅子やおむつの人が増えたな~」

・・・って、その話は毎回聞いてるがな・・・(≧m≦)

ゲームの話やお風呂のことや、毎回会うと同じ話が出るけど
それだけデイが楽しいんだろうな。

来年の更新時、今のサービスをそのまま受けられるといいんだけど。。。

面会。。。

2009.05.04 (Mon) 義弟の病院・病気と症状

4月23日、面会に出かけた。
午後2時から8時までが、面会時間なんだけど
私の生活リズムからすると、午後2時頃行くのがベスト。
なので、この日も2時に行った。

毎回眠っている義弟。

「弟くん?弟くん!起きて」

と言いながら、肩や足などを軽くたたいてみるのだけど
まったく反応がなく、近くにいる看護師さんに聞いても

「いつも、変わらないですよ(笑顔)」

と言われるので、1日のほとんどを眠って過ごしているのかと思っていた。
23日も、同じように起こしても起きなかったので
たまには相談員さんに話を聞こうと思い、ナースセンターに行ってみた。
残念ながら、相談員さんは外出中だったけど
いつも看て下さっている看護師さんと、お話をすることが出来た。

やはり入所当初に比べると、かなり意識レベルは下がったとのこと。
だけど午前中は、わりと反応も良く、起きてることが多いそうな。
脳腫瘍があるので、進行を止めることは出来ないけど
出来るだけ今の状態を維持できるようにと、リハビリもしてくれてるそうな。

「憲児さん、元々身体を動かすのが好きじゃないみたいですね?」
「そうなんですよね、家でもリハビリさせるのに苦労しました」
「でも嫌々ですけど、リハビリもやってますよ」

食事は現在、介助が必要なのだけど、口の中でモグモグしてる間は
次の物を絶対に受け付けないため、かなり時間がかかるそうな。
ちゃんと咀嚼行為もあるし、出されたものはすべて食べているとのこと。

曜日によるけど、午前中にリハビリやお風呂があるので
昼食を食べた後は、疲れるらしく、午後2時頃は
眠っていることが多いらしく、夕方も目が覚めていることもあるので
時間を見計らって来て看て下さいとのことだった。

毎回は困るけど、たまになら、11時半頃に食事の様子等
看に来てもいいと言われたので、GW明けに行ってみようと思っている。

5月1日は、義弟の会社のT人事部長と同僚のMさんが面会に来てくれた。
3時頃に来ると言うことだったので、少し早めに行き

「弟くん、起きて!T人事部長さんとMさんが来てくれるってよ」
「・・・・・」
「弟くん、起きて!目、開けられる?目、覚まして!」
「・・・・・」

何度も声をかけたけど、まったく反応なし。
しかたがないので、病院の外で待つことにした。
すぐに、T部長さんもMさんも来て、様子を話して病室へ。

足や肩、胸の辺りを軽くたたいて、起こしてみたけどなかなか目を覚まさない。

「弟くん、起きて!目、開けられる?」

何度か声をかけたら、かすかにうなずいたので

「T部長さんとMさんが来てるよ。目を開けて」

やっと目を開けたものの、私の目をジッと見つめたまま動かない。

「私は誰?わかる?私の名前、言ってみて?」

反応なし。。。

「T部長さんとMさん、来てるよ。あっち見てみて」

反応なし。。。
T部長さんとMさんも、何度か声を掛けてくれたけど
やっぱり私をジッと見たまま、動きがない。

いくらか視線は動くんだけど、泳いでると言う感じ。
まだ目が覚めていないらしい。
しばらくは下らないことを話かけていたら、やっと目が覚めてきたらしい。

T部長さんとMさんも、交代で声をかけてくださった。

「弟くん、私は誰?名前言ってみて」
「・・・・・恵子ちゃん・・・・・」

声はほとんど出てないけど、唇で読めた。

「そう、やっと思い出した?忘れられたらどうしようかと思ったよ(笑)」
「・・・・・」
「T部長さんとMさんも来てるよ。わかる?」
「けんちゃん、わかるか?俺だよ?」

かすかにうなずいた。

今度はT部長さんが声をかけてくれた。
すると、身体を起こそうとしたので、T部長さんのことも分かったようだ。
上司だということを、まだ忘れてなかったんだな。
反応があまりにも鈍かったので、忘れてしまってたらどうしようかと思ったけど
目が覚めてくるのに、時間がかかるんだな。

会話も成り立たないために、T部長さんもMさんも
持て余しているようだったので、30分程経ってから

「じゃあ、弟くん。また来るからね。またね」
「けんちゃん、がんばれよ」
「Aくん、またな」

そう言って、握手をした後、手を振ったら
義弟も右手をグーパーグーパーして、バイバイをした。
私達が義弟の視界から消えても、グーパーグーパーは続いていた。

その後、相談員さんと少し話をすることが出来た。
意識レベルはかなり下がったけど、症状としては落ち着いていて
毎日穏やかに過ごしているとのこと。

そのことを、T部長さんとMさんにも伝えて、病院の前で別れた。

今の状態がどこまで続くのか?わからない。。。

先日、義父から主人のところに電話が来ていた。
面会の話をしていたけど、主人はどうせわからないから来なくていいと言っていたし
義父も来る予定はないらしい、義姉も来ると言う連絡は来ない。

万が一の時、義弟の最後を看取るのは施設の方か?
連絡が間に合えば、私の可能性が大きいな。

確かに、義弟はもうまったくと言って良いほど、物事を理解してない。
でも身内って、こんなものなのか?身内だから、こんなものなのか?
義父も義姉も、主人に任せてるからと思ってるのだろうけど
実際に看てるのは、ほとんど私だぞ。
面会くらいしてもいいと思うんだけどな。

義弟が穏やかに過ごしてるなら、それでいいけど、いいんだけどね
なんかしっくりこないのよね。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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