。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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美談じゃない。。。

2009.04.23 (Thu) 思うこと

このところ、体調が良くない私。。。
なんとも身体が重くて、気力が湧いてこないという感じ。
彩佳には、季節の変わり目だからじゃない?と言われ
主人には、子宮筋腫のせいじゃないか?と言われ
自分では、更年期じゃないか?と思っているんだけど
素人判断は良くないと思う。
子犬のメイが、まだ長時間のお留守番が出来ないから
主人が1日休みを取ると言ってくれてるので
とにかくまずは、婦人科を受診してみようと思っている。

義弟は、一日のほとんどを眠って過ごしている。
まだ主人のことも、私のこともわかっているので
それだけは救いなのだと思う。
不思議なもので、一緒に暮らしていたころは
こんな毎日がいつまで続くのかとうんざりしていたけど
今は義弟を見ていると、去年の今頃はまだ自力で歩いていたし
減らず口も叩いていたのになと思ってしまう。
だからと言って、また一緒に生活したいとは思わないのだけど・・・
大部屋に移ってから、排泄の匂いがキツクなった。
義弟の会社の社長さんがお見舞いに来てくれると言っていたけど
匂いの問題や、義弟の反応の鈍さも伝えた。
それを理解してもらってないと、介護経験者じゃなければ
不愉快な思いをさせてしまうように思う。

昨日、清水由貴子さんが、介護疲れから自殺したのではないかと報道された。
介護から手が離れた今だからこそ、わかることもたくさんあるけど
その真っ只中にいるときは、必死の何物でもない。
周りから何を言われても、追い詰められてしまう時だってある。
私だって、介護殺人は他人事じゃなかったのだから
介護自殺、介護殺人の報道を観ても
当事者の気持ちが痛いほどわかってしまうだけに、私にはそれが
必ずしも悪いことだとは言い切れない。
理性が吹っ飛んだ瞬間、自分の抱えている物を
自分で始末しようと考えてもおかしくないと思う。

この前は老人施設『静養ホームたまゆら』の火事で
10人亡くなり、4人がまだ身元不明だと聞いた。
生き残った老人は、まだこの施設にとどまりたいと言っていた。
身寄りがなかったり、子供たちに迷惑をかけたくないと言って
自分から進んで、この施設を利用していたらしい。
それでいいんじゃないの?と、私は思ってしまう。
火事が出て、施設の設備に問題があったとか、この施設を紹介した市がどうとか
いろいろ言われている。
介護施設も拘束をすると虐待になるとか、徘徊があるからと言って
鍵をかけ閉じ込めるのはどうなのか?とか、本当に言うのは簡単だ。

そうせざる負えない状況のある現実を、知らないから言えるんだと思う。
介護の実態は、綺麗事じゃない!

介護殺人や介護自殺には、気持ちが痛くなるけど
美談として放送される介護には、感動何ぞという気持ちは
さっぱり湧いてこない。

介護保険を当然の権利として、サービスを受けるべきだと言うけど
この4月からの改正では、なるべく介護保険を使わせない方向に行ってるし
表向きは介護される側が人間らしく生きるためと言ってるけど、老人ホームを減らして
実際は自宅介護しろと言うような方向に向いている。
介護する側には、人間らしい生活から程遠くなって行ってるような気がする。

実際に義弟の介護をしてる時、合間の時間を使って
買い物に出かけたとき、レジのところにある鏡を見て

「うわっ!私ったらひどい!」

と、自分でビックリすることも、しばしばあった。
髪はボサボサ、歯磨きも忘れて、体調が悪くても後回しで
顔色も悪くて、キツイ顔して・・・
あの頃は、人間らしい生活なんて出来てなかった。

その症状や生活する環境によっては、うまく介護保険を使えない場合だってある。
我が家だって、もし『階段用リフト』がなかったら、施設の利用は出来なかったと思う。

脳の障害や認知の症状もそれぞれだと思うけど
一度拒否されてしまったりすると、二度目の気力が湧いてこないこないことだってある。
自分が頑張ればいい、自分が我慢すればいいって思ってしまうことだってある。
介護だって、自分で自分を追い詰めてしまうこともある。
いくらお金を払っていても、施設に預けることに罪悪感だってある。

先日、長門裕之さんと南田洋子さんの介護生活が報道されていた。
75歳になっても、6000万円の借金があり休むことは出来ないと言うが
一般家庭とは違うし、それでも家政婦を雇える経済力があるのだから
『老々介護』とは言っても、本当の『老々介護』とは違うと思う。

これは決して、長門裕之さんのことを非難してるわけじゃない。
長門さんの愛情は、素敵なことだし素晴らしいことだと思うし
あの年齢で、過酷なことだ。
父と長門さんは1歳違いだから、父と比べたらどれほどの苦労か。
長門さんの気持ちの大きさに、感動はする。

実際に介護する相手が、配偶者だったり親だったりすれば
また気持ちも違ってくるのかもしれないし
介護される側の、症状にもよると思うけど、それでも介護を美談にしてほしくない。
長門裕之さんと南田洋子さんの、夫婦愛として報道されるのであれば
それは素敵なことだと思うけど、介護の実態として報道するのはどうかと思う。

あくまでも、私個人の意見と言うことで・・・

介護は美談じゃない!きっぱり!
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面会&支払い。。。

2009.04.10 (Fri) 義弟の病院・病気と症状

先週土曜日、義弟の会社の社長が面会に来てくれる予定だったけど
急用が出来たということで中止になった。

私はすでに病院に到着してたので、そのまま面会をしてきた。

昨日は、3月分の支払いをしながら面会。
3月17日から大部屋に移動出来たことで、金額は167,878円。
来月はベッドの差額代が無くなるから、もしかするともっと安くなる可能性もある。

あれほどきつかった我が家の経済・・・
義弟の入院費用も心配だったけど、いろいろな補助金が出てることや
障害者年金、義弟の会社のお給料と、保険金が降りてくれたことで
ここに来てずいぶんと楽になり、毎月四苦八苦してた金策だけど
こんなに楽していいのか?と思うほど・・・
もっともこれからもどうなるかわからないし、父や義父のこともあるから
やりくりとしては、今までと変わりはないけどね。

義弟は最近、面会に行っても寝ていることが多い。

「弟くん、起きてる?」

と声をかけても、薄眼だけ開けて、また閉じてしまうし
目を開けてから話しかけても、やっぱり反応は鈍く
何を話しかけても、ほとんど反応はない。
去年の今頃は、まだ自力歩行が出来ていたし、一人でバスにも乗れてたのに
この1年間で、ここまで悪化してしまうとは・・・
自力での排尿はまだ出来ないようで、やっぱり管が入っていた。
もう管が抜けることはないかもしれないね。

今度の日曜日は、主人が面会に行くと言っている。

「もう、しょうがねえよ」

そうなんだけどね・・・

主人も私も、今まで自分たちが出来ることはやった。
後悔も悔いもない!きっぱり!

とにかく、義弟が穏やかに過ごせているのなら、それでいい。。。

改定。。。

2009.04.10 (Fri) 父の看護日誌

4月から、介護保険が改定された・・・らしい・・・
ポイント数も上がって、料金も上がる・・・らしい・・・

これは7日、父のところに来たケアマネさんから聞いたことなんだけど
ケアマネさんたちも、今は戸惑ってるんだって。
父は去年の6月に更新があって、向こう2年間は『要介護1』の認定が降りてる。
だけど、これから新規で申し込む方や更新される方は
判定基準もかなり厳しくなってるそうで、今まで『要介護1』や『要介護2』だった方は
『支援1』や『支援2』になってしまうらしい。

今回の介護保険の改定は、人手不足解消というのが建前らしいけど
判定基準を厳しくすることで、実際はサービスを受けられないような
仕組みになってるみたい。
今朝だったか?介護保険改定のことをテレビで見たけど
ケアマネさんが言うには、この改定で苦情もあるだろうし
マスコミも騒ぐだろうから、また何かしらの変更が出てくる可能性もあって
この1年間は、ドタバタするんじゃないかって言ってた。

父の場合、今は『要介護1』でも、今回の判定基準だと
ある程度のことは一人で出来てしまうから、1番軽い『支援1』になってしまうみたい。
そうなれば、週3回通ってるデイも、週1回になってしまうし
今までと同じサービスは受けられなくなるんだって。
幸い父は去年の6月に更新も終ってて、期間も2年間なので
落ち着いた頃の更新となるようだから、少しホッとした。

父にとって、デイに通うことが何よりの楽しみだし
週3回のデイで生活ペースが出来あがってるから、先週のように
ペースが崩れただけで、体調が悪くなることもあるわけだし
デイに行く日が突然減ったら、それこそ「ウツ」になりかねないよ。
父だけに限らず、お年寄りが出来あがった生活ペースが変わるって
不安をあおるようなもの。
そういうことが原因で、認知が出たり、さらに進んだりってこともあるんじゃないかな?

どんな風になっていくのかはわからないし、調べようと言う気力も湧いてこないんだな。
申し訳ないが私は今、自分のことや自分の周りのことだけで精一杯だ。
多少料金が上がっても、今現在父が受けているサービスが変わらず
義弟も今のまま、病院で看てもらえるなら、今はそれでいいと思ってしまう。

それだけじゃ、いけないのかもしれないけど。。。

意識レベル低下。。。

2009.04.04 (Sat) 義弟の病院・病気と症状

先週面会に行ったとき、反応が鈍かった義弟。
尿道に管が入っていたのも、尿量が多いせいかと思っていたんだけど・・・

その二日後、病院からケアプランが郵送されてきた。
病院では時間が合わず、なかなか相談員さんと会えない。
郵送されてきたのでサイン押印をして、面会時のことも手紙に書いて返送した。

先週末手紙が届いたと言って、病院の相談員Oさんから電話が入って
今の義弟の様子を説明してくれた。

まずは、意識レベルが極端に低下したこと。
反応も鈍く、意思疎通も今は難しいとのこと。
言葉を発する時も、力なくハッキリしゃべることができないこと。
入所当時は、午前中ベッドで過ごしても、昼食後から夕食までは
車椅子で過ごしていたのだけど、最近は昼食後1時間もすると身体が倒れてしまい
車椅子で過ごすのは無理と判断、ベッドで過ごすことが多くなったこと。
食事も途中で止まってしまい、声かけと介助がないと食べれなくなったこと。
また尿道に管を通したのは、尿量が減り、その後自力で
排尿出来なくなったためであること。
バルーンを入れてるので、次の検査で排尿が出来るようであれば管は外すけど
出来なければ、そのまま管は入れておくと説明された。
けいれん発作は、起きてないとのこと。

前回の面会の時、今年の1月5日R病院に入院時と同じような感じに思えたけど
治療はしないと言ってるから、点滴もしないのかな?
もしくは、脳腫瘍が活発に動き出している可能性もある。

今は主人も私も、病状がどうこうというよりも
とにかく穏やかに過ごしてくれることを願うのみ。

本当は、昨日面会に行く予定だったけど
木曜日義弟の会社のMさんから、4日土曜日
社長さんが面会に来る予定だと連絡が来たので、今日行くことにした。

義弟は社長やMさんのこと、わかるかな?

生活ペース。。。

2009.04.04 (Sat) 父の看護日誌

今週は、父の方でアクシデントが続いた。

先週末、父の兄貴のお嫁さん、叔母が危篤という連絡が入り
翌朝には、亡くなったと連絡が入った。
最近は出不精になり、特に長距離で車に乗るのが嫌な父。

「具合が悪いって言って、行くのやめようか?」
「そういうわけには行かないでしょっ!」

と叱ってやった。
30日がお通夜、31日告別式だったので、弟と相談して31日に出席することにした。
父の兄の家は、福島県。
こちらから行くと、渋滞なしで片道約4時間かかるので、早朝4時出発ということになった。

月曜日は、父はデイの日。
私はわんこの病院に行き、戻ってきて買い物を済ませて
朝昼兼用の食事をしようかと思っていたところで、携帯が鳴った。
着信音が父だったので、???と思って出てみると

「恵子~、迎えが来ないんだけど、どうなってるか聞いてみてくれよ」
「今まで待ってたの?」
「そうなんだよ~、もう来るかもう来るかと思ってよ~」
「すぐ電話して聞いてみるから、待ってて」

で、すぐにデイの施設に電話をすると、19日に父が30日は休むと言ったらしい。
どうやら、23日に用事を済ませてから、私が送ると言っていたのを
自分は休むと思い込み、さらに日にちを間違えて伝えたらしいのだな。
なので、施設ではお休みとなっていたらしく、お迎えがなかったらしいのだ。
事情を説明したら、今からすぐにお迎えに行ってくれるとのこと。
なにしろ、施設に行くことが何よりの楽しみな父。
いつもの時間に連絡がなければ、1時間後位には電話をかけてくればいいのに

「どうしたんだろう?どうしたんだろう?」

って不安と緊張で、午前中いっぱい待ったらしいのだな。
で、すぐにお迎えに来てもらい、午後から参加となった。

翌日は告別式に参列のため、日帰りで福島へ。
弟の嫁、義妹と甥っ子たちは春休みを利用して、義妹の実家に出かけてると言うので
前日に弟は我が家に泊まり、火曜日は3時過ぎに起床
父の家を4時に出発し、途中2回休憩を取り、8時過ぎに到着した。

地方によって、告別式のやり方は違う。
9時にお坊さんを迎えに行き、9時半に出棺の供養をして出棺。
火葬場に行った後、1時半からお寺さんでお骨での告別式となった。
その後、精進落としが時間制限なくあるので、夕方4時過ぎに退席することにして
東京江東区に住んでる叔父を乗せて、5時過ぎに叔父の家を出発。
途中1回休憩を取り、叔父を送り届けて、9時過ぎに家に到着した。

「疲れたな~。後ろに乗ってるより、運転してる方が楽だ」

そう言ってた父だけど、実は体調が悪かったらしい。
翌日はゆっくり休むように言って、月曜日のことを連絡帳に書こうと思い
父の顔を見ながら、連絡帳を取りに行き、家に戻って読んでみると
月曜午後から参加した父に、お風呂に入ろうと誘ったらめまいがすると言って
1時間以上、ベッドで横になっていたらしいのだ。
父もそのことを言わなかったから、翌日日帰りで福島にも行ったし
連絡帳を読んで、すぐに父に電話を入れて聞いてみた。

「月曜日、具合悪かったの?」
「いや~、別に・・・」
「月曜日お迎えが来なかったでしょ?」
「あ~、そうだね~」
「そのあと、デイに行って、フラフラするって言ってベッドで寝てたんじゃないの?」
「あ~、そうだったな~。めまいがしたんだよ」
「今は?フラフラするとか、頭が痛いとか重いとかない?」
「今は大丈夫だよ」
「ご飯は?食欲はある?吐き気はない?」
「ご飯は食べてるよ」

ろれつが回らないってこともないし、連絡帳を取りに行った時も普通だったし
とりあえずは大丈夫かなと判断した。

翌日木曜日もデイの日。
気になったので、朝電話で体調のことを聞いてみると、頭が重くて眠いって・・・
おいおい、もしかして頭の中で何かが起こってるかも・・・
変な話だけど、義弟がやっと介護施設に入所出来たと思ったら
今度は父かも・・・なんて、不吉な予感がしちゃって

「とにかく病院に行ってみようか?」
「う~ん」
「なんでもないって言われたら、また恵子が施設に送っていくからさ」
「行ってみようか・・・」

定期健診以外滅多なことじゃ、病院に行きたがらない父が行くって?
心臓がバクバクしちゃった。
月曜日にお風呂に入れなかった父は、今日はデイでお風呂に入りたいと言うし
デイには行きたいと言う。
とりあえず、施設に電話をして、異常がなければ行きたいと言ってるので
もう一度連絡すると伝えて、病院に電話することにした。

MRⅠ検査をするとしたら、神経内科で通ってるR病院の方がいいと思い
R病院に連絡をしてみたら、K先生を受診して異常があればK先生から
連絡をもらった方が、早く診れると言われたので、すぐにK先生の病院に向かった。

9時過ぎに病院に到着。
待ち時間の間、いろいろ話して、中待合に入るころには

「今は何ともなくなった」

と言い、デイの話を楽しそうに話始めたんだよね。

熱 36度4分 血圧 111/68 脈拍 63 と正常。
体重は57.5kgで、昨年末より2kg増えていた。
その前が痩せたから、痩せるより増えてくれる方が安心する。

それからK先生に、今週の出来事を説明した。
聴診器で、胸と背中の音を聞いて、父の話し方等々聞いても問題はなく
月曜日、お迎えがなかなか来なかったことで、不安と緊張感があった父。
施設に着いた時、ホッとしたと言っていた。
おそらく緊張が解けたことで、体調が悪くなったのだろうとのこと。
不安や焦り、緊張感が続いた後、それが解けると
体調を崩すこともあるから要注意と言われる。
また福島へ日帰りだったことも、通常でも疲れるのだから
父にとっては、かなり負担だったので、その疲れも出たのだろうって。
そうりゃそうだよね、私だって弟と行き帰り交代で運転ということになってて
夜の運転は怖いから、行きの運転をしたら、帰りは弟の奴飲んじゃって
結局往復私が運転、私自身もまだ疲れが残ってる状態だったもん。
脳の異常ではないから、心配はないって言われた。

これでホッと一安心した。
施設に今から連れていくと連絡をして、施設に向かった。
到着すると、すぐ父はいつもの席に移動して、もう私のことは眼中にない様子(^m^*)
逆にその方が、安心だけどね。

職員さんに病院でのことを説明して、同居じゃないため
連絡帳も毎回読めないので、体調が悪かったり何かあった時は
私の方に連絡をもらえるようにお願いし、また遅刻早退、お休みの時も
必ず私から、連絡帳に書くか、電話をするからと伝えると
もし父が何か言った場合は、確認の連絡をくれることになった。

最近父の記憶は、本当に危なっかしい。
自分の言ったことや行動も、順を追って話せば思い出すからいいけど
こちらから聞きださないと、自分から言うことはない。
特に体調が悪い時は、言ってくれないと私にはわからないからね。

デイから戻ると、毎回携帯から電話をくれることになっている。
木曜日の夕方電話が入り

「今日はお風呂に入れたの?」
「うん、入ったよ」
「調子はどう?」
「返って調子が良くなった」
「ならいいけど、具合が悪い時は言わなきゃダメだよ」
「うんうん、わかった、わかった」

ジイジの「わかった」は当てにならん!(○`ε´○)ぶーっ!

今週は生活ペースが乱れたことが、体調不良の原因。
疲れが取れてくれば、いつもの父に戻ってくれるでしょう。

主人も父の体調が悪いから、病院に連れて行くと連絡し
何事もなかったことを報告したら

「悪いけど、今度はじいちゃんか~?と思ったよ」

って、私と同じことを考えてたらしい(≧m≦)

そして今日も元気に、デイに出かけて行きました。
あ~、ホッとした。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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