。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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面会。。。

2009.03.26 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

先週面会に行こうと思った日、急用が入り
その翌日と思っていたけど、やはり急に来客がありで
12日に行って以来となってしまった。

12日は支払いを済ませた後、病室に行ったけど
義弟は眠っていて、声をかけても起きず
シェーバーのクリーナーを交換してる間も、ガタガタ音をさせたけど
起きる気配もなかったので、寝顔を見て帰ってきてしまった。

昨日病室に行こうと思ったら、病室の前にいた看護婦さんが

「あ、Aさん、病室が変わりました」

と言われた。
義弟の様子を聞いてみたら、最近は食事がなかなか進まず
介助が必要になっているらしい。
その後行ってみると、2人部屋から4人部屋に移っていた。
入所の時、空きが出次第移動出来るけど、失礼な話だが
空きが出るということは、誰かが亡くなるということだし
若い患者さんが多いから、いつになるかわからないと言われていたから
半年から1年ぐらいは、ベッドの差額代がかかるだろうと思っていたんだけど
予想に反して、早い時期に移動が出来た。

昨日も眠っていた義弟。
ベッドの周りを見たら、拘束具も準備がしてあり、管が入っていて
ベッドの横に、義弟の尿が溜まっていた。
自宅にいた頃から、尿量が多かったから、おむつでは漏れるのかもしれない。
病院に任せているのだし、たくさんの患者さんを看ているのだし
その大変さは実感しているから、看てもらえるだけでありがたいこと。

「弟くん、起きてる?」

と声をかけたら、昨日はパッチリと目を開けた。
他の患者さんが入浴タイムだったので、昨日はお風呂の日だったのかな?
義弟もお風呂に入った後らしく、顔色もよくさっぱりとした顔をしていた。

「私は誰でしょう?」
「・・・・・恵子ちゃん」
「良かった♪しばらく会えなかったから、忘れられたらどうしようかと思ったよ」
「・・・・・」
「調子はどうですか?」
「・・・・・」

パッチリと開いた目が、ジッと私を見つめたままで返事はしない。

「調子はどうですか?」

何か言ってるのだけど、口パクしてるだけで、声が聞こえないんだよね。
なので、口の動きを見ることにしたんだけど、その動きも遅い。

「調子良い?まあまあですか?」
「まあまあ」
「病室変わったね?いつ変わったのかな?」
「・・・・・」
「いつ病室変わりましたか?」
「・・・・・今日のお昼かな?」

後で、看護婦さんに聞いたら、日付は忘れたけど、数日経っているとのこと。

「ご飯は食べた?」
「・・・・・」
「お昼御飯は食べましたか?」
「食べた」
「美味しかった?」
「・・・・・」
「ご飯は美味しいですか?」
「美味しかった」

なんだか何を聞いても、ジッと私を見つめたまま固まっていて
数回同じことを聞くと、オウム返しをしてるだけみたい。

義弟の向かいのベッドの方は、テレビをレンタルしたらしく
結構大きな音で、テレビを見ていた。
義弟の隣の方は、義弟より少し年上くらいの方だったけど
手にミトンをされていて、眠っていたし、斜め前の方はご老人で
薄眼を開けていたけど、ボーっとしてたから、寝たきりの方なのだろう。
その中で、大きな音でテレビを観てるのは、周りの方の脳の刺激になってるんだと思う。
ちょうどWBC2連覇のワイドショーが流れていたので

「弟くん、WBC野球だけど、勝ったの知ってる?」
「・・・・・」
「日本が2連覇したね?」
「2連覇したね」
「日本は強いね」
「強いね」

やっぱりオウム返しをしてるだけみたい。
状態としては、悪化したと言えるだろうな。
去年の今頃を考えると、ちょうどお彼岸の時期で、実家に預けていた頃。
まだ自力で歩けていたし、悪態もついていたのに
1年でここまで悪化してしてしまうとは・・・

義弟は私が話しかけてる間ずっと、瞬きもせずにジッと私の顔を見つめていた。

「ここは快適ですか?」
「・・・・・」
「居心地はどう?悪い?快適?」
「快適」
「そう、良かったね(笑)顔色も良いし、気分はどう?」
「・・・・・」
「気分は良いですか?」
「良い」

ジッと見つめてるだけで、あまり表情が変わらない義弟。
話も続かない私としては、やっぱり15分くらいが限界となって帰ることにした。

「じゃあ弟くん、また来るね」
「・・・・・」
「何か欲しいものある?」
「・・・・・」
「また来る」
「・・・・・」
「じゃあね、バイバイ」
「・・・・・」

まったく返事はなく、ジッと私を見つめてた義弟だけど
帰りがけ義弟のベッドに足をひっかけて、コケた私を見てニコッと笑った。
私も照れ笑いをしながら、手を振ったのだけど、やっぱりジッと見たままだった。
1ヶ月前は、Vサインをしたり、バイバイって手を振ったり

「もう帰っちゃうの?」

なんて、甘えたことも言ってたのにね。

病院を出て、すぐに主人に電話をして、今の話をした。

「次は、俺が行ってみるわ」

状態が悪化してるのは、実感する。
でもけいれん発作は起きてないようなので、脳腫瘍は大人しくしてるのかな?

1週間面会に行けないと、なんだか気になってしまうのだけど
1週間から10日に1度くらいのペースで、主人と交代で面会に行こうと話している。
最近はよく眠っているらしいので、けいれんはなくても脳腫瘍の影響は
あるような気もする。

穏やかに過ごせているのなら、それでいいんだろうね。。。
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保険貧乏・・・でも。。。

2009.03.24 (Tue) 思うこと

我が家は、保険貧乏とも言える。
私も主人も、生命保険に数社加入してる。

ずいぶん前に、生命保険会社が破綻したのをきっかけに
主人が保険のことを勉強して、入り直したり
私の後輩が、保険会社に入った時に、私の保険も見直した。

「良い保険ってよく言うけど、保険の外交員にとって良い保険じゃなくて
 自分にとって、良い保険に入らなくちゃダメなんだよ」

だからこそ、保険の内容は吟味して入らなくちゃいけないって言っていた。

稼ぎ頭は主人しかいないし自営の我が家、主人に何かあればすぐ生活に直結する。
義弟のことも含めて、わんこのことやお互いの父親のことを考えれば
専業主婦の私に何かあっても、主人の仕事に影響する。
どこか1社が破綻しても、どうにかなるようにと
死亡保険から入院給付金、年金、介護に至るまで
数社に分けて入ってる私たち夫婦。
貯蓄と思えばいいのだけど、実際ここ数年は支払いがつらかった。
とはいえ、この生保から借り入れも出来たので、助かったりもした。

病気や事故、老後や、何かあった時の為のもの。
我が家は、とにかく保険貧乏だけど、お守りだと思っている。

今回義弟の入院、そして介護施設入所にしても
義弟の加入してた生保のおかげで救われた。
でも生保の手続きをするのに、ビックリすることがあったから、書いておこう。

今は指定代理人を立てるのは、常識と考えた方がいい。
義弟だって、こんなに若くして認知症になるとは思っていない。
自分に判断能力がなくなったとき、指定代理人は必要になる。
これがないと、成人後見人を立てなくちゃいけないわけで
これも簡単な裁判を起こすわけだから、手間がかかる。

義弟の持っている株のことがあったので、常に一緒にいた
私が成人後見人になる予定でいた。
義弟には貯蓄と呼べるものはなかったので、万が一の場合
この株を解約させてもらおうと思ってたからなんだけど
株価暴落で、すずめの涙になってしまった義弟の株はとりあえず放置となった。

義弟はS社とA社の保険に加入していた。
S社には、入院給付金の特約が付いていたのだけど
A社は、死亡、高度障害の時のみ下りる保険だった。
この『高度障害』って、どういう場合がそれに当てはまるのか?
A社に問い合わせたら、診断書を提出してほしいと言われた。
A社には、指定代理人特約を付けてなかったので
連絡をした担当者がすぐに来たんだけど、成人後見人が必要になると言われた。
この時点では、成人後見制度を利用するつもりでいたので
そのことを、A社の担当者には伝えてあったんだけど
その後のドタバタもあって、書類はそろっていたものの
なかなか申請に行くことが出来なかったんだよね。

A社に診断書を送った後、S社に入院給付金の申請用紙を請求してた。
S社は指定代理人が主人になっていたので、問題はなく
送られてきた書類の中に、特約内容が詳しく書いてあったので
担当者に連絡をしたら、すぐに担当者が家に来てくれて
結果、長期ガンサポート特約が使えることになり、主人が代理人として
請求することが出来て、担当者の対応も素早く
書類がそろって、1週間後には振り込まれた。
これのおかげで、二人部屋のためベッド代の差額が発生したけど
義弟は介護施設に入所することが出来たし
義弟のことで金銭的なところがクリアになったから、成人後見制度もやめた。
のちに入院給付金も振り込まれたし、義弟の今後についても
当面の間、お金のことで悩まなくて済む。
実際問題、義弟の施設代のことを考えたら、彩佳の大学費用も厳しい状態だったから
この保険がなければ、大学も辞めてもらうしかないと思っていたし
このご時世のこの時期に、保険金が下りたのは幸運だったと思う。

で、S社とやり取りしてる間に、高度障害と認定出来るとA社からも連絡が来てたんだけど
まだドタバタの真っ最中、退院か?転院か?で介護ウツになりかけだった私。
成人後見制度の申請にも行けなかったし
とりあえず、また連絡するからと言ってあったんだよね。

それからしばらくして、義弟の転院も無事に済んで、S社からも振り込まれたことで
ホッと一安心してた我が家、A社に連絡を忘れていたんだけど
主人とは、A社の保険はそのまま残しておこうと話していた。

ところがでしな、2月末になって

「1月で契約が消滅したので、保険料を返金する」

という内容のハガキが、A社から届いた。
これはどういうこと?と思って、すぐに担当者に連絡をしたんだけど
担当者も高度障害での請求が初めてらしく、よくわからないと言うんだよね。
しばらくして連絡が来たんだけど、どうやら診断書を出して認定された時点で
契約が消滅する決まりらしいんだな。
でもこちらはそんな説明は受けていない。
契約消滅ってどういうこと?ってことになった。

要するに、申し込みをしてくれれば高度障害として保険金は下りるから
契約は消滅するらしいのだけど、成人後見人を立てないことにした我が家。
この場合、どうするんだ?て問い詰めたら、なんだかややこしい書類を
あちこちから取り寄せろというんだな。

そんな時間はないから、契約を元に戻してくれと言ったんだけど
それは出来ないだってさ。

「確かに診断書は提出したし、連絡するから待ってくれとは言ったけど
 契約が消滅するなんて聞いてないし、申し込みもしてないでしょ?」

担当者の説明もなんだかよくわからないから、事務方と話をさせろと言っても
目の前で、携帯でかけてるのに、洩れ聞こえる声が

「絶対代わらないで!」

と強い口調で言ってるし、ならばと思ってコールセンターにかけてみたけど
これまた電話口に出た人から、その先にはつなげてくれない。

診断書は提出したけど、請求書類は書いてないし、書ける状態じゃないし
こちらの意思確認もせずに、勝手に契約を消滅させるって・・・???
確かに診断書を提出して認定されたのだから、ほとんどが請求するだろうし
保険料も払わなくていいわけだけど、おかしくない?

だけどこのままでは、義弟の保険は宙ぶらりん状態。
成人後見人を立てなくていいから、書類をそろえて受け取ってくれと言うんだな。

義弟の面倒を看てるのは、私たちだけど法定相続人は義父になる。
だから義父の同意書と、義父の戸籍謄本も必要だと言うから
義父にも連絡をして、書類をそろえてもらい、主人と義弟の謄本やら何やら
いつまでゴタゴタしてるのが嫌だから、3月2日にはそろえて書類を提出したんだよ。

が、次に連絡が来たのが、12日。
訃報があって、休んでいたから連絡が遅れたらしいけど
謄本を見れば、義弟が離婚したことも子供がいないこともわかるはずなのに
それがわかる書類が必要なんだと?いったいどんな書類が必要なんだ?
何を言ってるのかよくわからなくて、またしてもゴネてやったら
担当者もこれ以上お客様に迷惑かけられないと、上の人に言ったらしく

「あとは保険会社の方で、役所等々と郵送でやり取りさせてほしい」

というので、もう勝手にやってくれって言っておいた。

で、次が19日の夕方、やっと書類がそろって今日本社に提出したって
連絡が入ったから、いずれ義弟の口座に振り込まれるんだろうけど
そろえろと言う書類も、次ぐから次へと増えるし
なぜその書類が必要なのか?説明もよくわからないし
保険会社として、役所等々から書類を取り寄せると言ってたけど
そういう書類を取り寄せるのか?説明もない。
宙ぶらりん状態をどうにかしてくれるなら、何をしたっていいし
何を見られたところで、困ることもないから、勝手にやってくれって言ったけど
とにかく説明も不明瞭だし、対応も悪いし、主人がこのA社が一応メインだから
ちょっと不安になっちゃったよ。

保険金殺人や保険金詐欺があるから、簡単に保険金を出せないのもわかるけど
勝手に契約を消滅させておいて、こちらは謄本からなにから
プライバシーを全部見せて、挙句にこの対応の悪さ。
担当者のフットワークも関係してくるだろうけど、
それに比べると、S社の対応は本当に早いし良かった。

S社の担当も言ってたけど、先日主人の掛け捨て保険の更新があり
G社の担当の方も家に来たのだけど、その方にも話したら
S社もG社もこういう場合は、支店長クラスが菓子折り持って謝りに来るってさ。

結果として、保険金が下りてくるんだろうから、良いと言えば良いんだけど
いったいいつ下りてくるのやら・・・

国の年金は当てに出来ないし、介護保険だって場合によっては
支払いだけして、使えない場合もある。
金銭的に余裕がないと、精神的負担は倍増する。

S社の対応がとても良かったし、彩佳もそろそろ加入しようと考えてたから
60歳払い込み完了で、終身保障の保険にS社で加入。
一人娘の彩佳、娘の世話にはならないと今は言っていても
この先、どうなるかなんて、想像出来ないし、金銭的なところは
苦労させたくないと思って、主人はすでに別のところで加入してるから
私の介護の保険も、新たに加入した。

今回の義弟のことは、私たちの今後のことにおいても
良い経験が出来たと思う。

自力で貯蓄が出来る方は良いだろうけど、このカキコを読んだ方。。。

老後だけとは限らない。
いつ自分が、どういう病気なるか?事故に遭遇するか?わからない。
病気も事故も老後も、他人事ではありません。

対応の仕方は別問題として、生命保険に加入してる方は
自分の生命保険の内容を、しっかり見直してみてはどうでしょう。

そんなことを思った、今日この頃です。。。

義弟の命の軌跡。。。

2009.03.12 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

2月22日に子犬が来たことで、その週は病院に行けなかった。
義弟の病院には行ったのは、3月1日。
主人にメイを見ててもらって、10日ぶりに私だけ行ってきた。
病室のドアを開けて

「弟くん、久しぶり」

と声をかけたのだけど、義弟の表情は変わらず、ジッと私を見つめていた。

「ん?私の顔忘れたの?」
「・・・・・あ・・・・・恵子ちゃんだ」
「ピンポン、思い出した?」
「(笑)恵子ちゃんの顔を忘れたら、バチが当たっちゃうよ(笑)」
「バチが当たるの?」
「そうだよ~(笑)」

最初はそんな風に会話も出来たのだけど、とにかく声が小さいし
両足を曲げたままで伸びないと言うし、今年R病院に入院した時のような感じ見えた。
少しずつ悪化してるように感じた。

「調子はどう?」
「・・・・・」
「弟くん、調子はどうですか?」
「・・・・・うん・・・・・」
「調子悪いの?」
「ここに来てから、どんどん良くなってる気がする」
「そう、じゃあ良かったね」
「うん・・・・・」
「今週Mさんが来るかもしれないって」
「・・・・・」
「弟くん、Mさんが来るかもしれないよ。聞いてる?」
「・・・・・Mちゃんが来るのか~」

声が小さいので、何度か聞きなおしをすると、聞かれたことを忘れてしまうのか?
何を聞いても窓の外ばかり見ていて、返事をしなくなった。

どうにも間が持てなくなって、30分ほどで帰ってきた。

主人に報告したら、私の名前が一瞬出てこなかったことなどが気になったらしく
来週は自分が行ってみると言っていた。

翌日の3月2日、義弟の会社のMさんがお見舞いに来てくれることになった。
いつもなら同席するのだけど、この日はメイの通院もあり
午後からは来客予定もあったので、Mさん一人で行ってもらうことにした。

翌日になって、Mさんからメールが来た。

「顔を見ても表情が変わらず、会話も成り立ちませんでした。いつもこんな風ですか?」

おそらくMさんの名前が思い出せなかったのだろうと思う。
何を聞いても返事をしなかったり、何か話しても声が小さくて聞き取れず
会話にならなかったそうだ。
前日私から見た義弟の話をして、何かあればすぐに連絡をすると伝えた。

6日なって、施設の相談員Oさんから電話が来た。
施設内でフリースを羽織っているのだけど、食べこぼし等で汚れてしまったので
次に来る時に替えの物を持ってきてほしいとのこと。
日曜日に主人が行く予定なので、その時に持って行くことを伝えた。
汚れ物の洗濯を1枚200円でやってくれるそうな。
主人に相談したら、そのために行く手間を考えたら、1週間に1回と考えても
安いだろうということで、洗濯もお願いした。

「最近の様子はどうですか?」
「時々ナースセンターでお話しますけど、よくおしゃべりして面白いですよ」
「じゃあ、変わりなく過ごしてます?」
「今のところ安定してると思います」

私から見ると、あまり良い状態には見えなかったけど
医療型介護施設に入院してるわけで、脳腫瘍としての治療はしないと
最初に伝えてあるけど、何かあればすぐに医療的処置もしてもらえる。
病院で安定してると判断されているのであれば、心配はないだろう。

3月8日は、主人が面会に行った。
やはり表情は変わらなかったらしいけど、主人のことは忘れてなかったらしい。

「お前、1日何してるんだ?」
「う~ん・・・・・」
「テレビ見たいとか思わないの?」
「別に・・・」
「テレビ見ても、内容すぐ忘れちゃうもんな」
「そうなんだよ~、すぐ忘れちゃうからよ~(笑)」

そんな会話をしてきたと言ってた。

「忘れちゃうってことは、わかってるらしいぞ」
「そんな叩き落とすようなこと言わなくても・・・」
「本人笑ってたから、いいんじゃねえの。でもまあ、進んではいるな」

病院では、寝てるか?食べてるか?しかないから、刺激がない。
刺激がないから、脳を動かすこともない。
ケアマネさんが、施設に入ると症状は進むと言ってたけど、こういうことなんだろう。
脳腫瘍が進んで来れば、けいれん発作が出ると言われたけど
けいれんは起きてないようなので、脳腫瘍も安定してる判断していいと思う。

今日は入院費用の支払いをしてくる予定でいる。
先月は22日間の入院で、11日間は医療で入院。
費用は162,183円、来月はこの倍の請求がくるだろうな。

余命6カ月と言われた義弟だけど、やっぱりこれからも長そうな予感がする。
とにかくお互い穏やかに過ごせるなら、それでいいや。

義弟の命の軌跡は、まだまだ続きそうだ。。。

気がつけば。。。

2009.03.12 (Thu) 思うこと

もう3月も中旬になるんだな~。
なんだかゆっくりとパソの前に座ることが出来ずで
なかなか更新ができません。

義弟がT病院に落ち着いて、1ヶ月が過ぎた。
義弟が発病してから、3月4日で丸9年、10年目に入った。
発病から約2年間は、結婚していたから元嫁との生活
我が家に来て3年間は、高次脳機能障害なんて知らず好きなように過ごし
高次脳機能障害がわかって、自己流のリハビリを続けて3年間。
そして去年の7月には、突然のように自力歩行が不可能になり
8月には会話がままならず、今年になってほぼ寝たきり状態。

真っ只中にいたときは、毎日毎日こんなことがいつまで続くのかって
なつの発病、状態が悪化する中で、義弟も同時進行で
なつを持って行かれてからは、絶望的な気持ちばかりだった。

それでも我が家は恵まれているんだと思う。
理解して協力もしてくれたご近所さん。
ケアマネさんや、役所の方にも恵まれた。
ネット上でも励ましてくれた方や、こんな愚痴吐きBLOGを読んでくださってる方もいて
今年に入って、義弟が入院して、退院か?転院か?という時期は
どうなることかと思ったけど、無事に転院も出来て、落ち着いた。

義弟が発病してから、我が家に来るまでの間も主人は元嫁に
良いように使われていたし、一緒に暮らしていなくても義弟中心の生活。
義弟が我が家で暮らしたのは、約7年間だったけど
義弟が発病してから、我が家の生活は義弟に振り回されていたように思う。

経済的な部分も悩みの種の一つだったけど
これも義弟が入ってた生命保険のおかげで、当面はクリアになったし
今まで我が家から持ち出しだった部分も、返してもらえたから
ほんの少しの余裕が出来た。
ここに来て、気持ちの余裕も持てるようなったからだろうな。

9年って長い・・・長いのだけど、義弟が介護施設に入って落ち着いてくれて
通常の生活に戻り、新しい家族も増えて
振り返れば、それほど大変ではなかったような、そんな気持ちにもなる。

この9年間は、苦労だったのかもしれないけど、決して不幸ではなかったし
義弟が我が家に来なければ、なつを迎えることもなかっただろうし
メイだって迎えることはなかったかもしれない。

幸せ貯金の利息が、今少し返ってきたのかな?
エリーが横で、メイが腕の中でスヤスヤ眠り、なつのお骨や写真を見ながら

「なちゅ、おかあさん幸せ♪」

なんて呟いてる私。

どっかでバチが当たらなきゃいいんだけどな。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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