。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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迷子。。。

2009.02.26 (Thu) 父の看護日誌

22日の日曜日、我が家に四女ラブのメイが家族の仲間入りをした。
メイです♪   エリーとメイ♪
ただ今2ヶ月、イタズラ盛りのやんちゃ娘♪
子犬の存在ってすごい!
あれほど義弟のことばかり気になってた私、主人もそうだけど
夫婦で今は、メイにメロメロ状態です。
エリーもなつのときより、早くに受け入れたみたい。
しつけが終るまでは、長時間の外出が難しいので
今度の日曜日、私が義弟の面会に行くことになってます。

ところで一昨日、父に頼まれていた買い物をして実家に行くと、父は留守だった。
合鍵に入り、頼まれた物を置いて、帰って来た。
お小遣いを渡してあるので、自分で欲しい物は自分で買い物に行くから
買い物に出たのだろうと、気軽に考えていたのだけど・・・

いつも行く商店に行く時は問題ないのだけど、トレッサ内のスーパーに
出かけると、出口がわからなくなっちゃうんだよね。

「いや~、昨日スーパーに行ったら、帰り道がわからなくなってよ~、参ったよ~(笑)」

先日もそんなことを言ってたけど、近くに横溝屋敷と言う古民家があり
その場所がわかれば帰れるから、人に聞きながらなんとか帰り着いたと言っていた。
その時、出かける時は必ず携帯電話を持って出るように言っておいたんだよね。
わからなくなったら、私に電話をすれば、すぐに迎えに行くからって。
で、一昨日も携帯を持って出かけたらしいのだけど、案の定出口がわからなくなったらしい。
そこで電話をすれば、事なきを得てるんだけど、自力で帰ろうとするから
携帯の存在を忘れたらしい。

「横溝屋敷に行くには、どう行けばいいですか?」

通る人何人かに聞いたらしいけど、誰もわからなかったようだ。
スーパーの中なら、地元の人もいるだろうけど
スーパーから出てしまえば、地元の人は少なくなるもんな。
で、近くの出口から外に出たのはいいけど、ここはどこ?状態になった。
それでも歩きながら、横溝屋敷やいつも通ってる床屋さんの名前を言って
道を聞いたらしいのだけど、これまた誰も知ってる人がいなくて
だからそこで携帯を使えばいいのに、スタスタと自分の記憶を辿ったらしいんだな。

この町内には、前の団地に引っ越す前に、私が12歳から19歳まで住んでた町。
でも数十年過ぎてるのだから、様子も変わっているし、迷ってしまうのは当たり前だと思う。
不安になりながら、人に聞きながら、でも誰も知らなくて、必死に歩いたんだろうな。
最後に聞いた人が

「旦那さん、逆方向に歩いてるよ」

とやっと教えてくれたらしいけど、気が付けば最寄の駅まで歩いてたらしい。
でも自分がどこを歩いてきたかは覚えてなかったみたい。
最寄の駅までは、トレッサから徒歩で20分くらいかかる、
どう歩いたかはわからないけど、私が父の家に行ってから2時間以上経ってるから
相当迷ったんじゃないかと思う。
疲れ切った父は、駅前の銀行の前で携帯の存在に気が付いたようで電話をしてきた。

「恵子、駅の銀行の前にいるから、迎えに来てくれよ」

あわてて迎えに行ったら、疲れ切った父が

「俺はもう、自分で自分が情けない」

そう言って、かなり落ち込んでいた。

「でも携帯持って出たんだから、良かったよ」
「そうだよな・・・」
「それに駅に辿りついたのはラッキーだよ。
 どこだかわからなかったら、迎えに来れなかったもんね」
「そうか・・・」
「たまたま横溝屋敷を知ってる人がいなかっただけなんだから、しょうがないよ。
 道も変わっちゃってるし、迷って当たり前なんだから」
「もう疲れちゃってよ」
「だろうな~(笑)」

落ち込んでしまった父の気分を盛り上げるのに、笑い話に変えて
慰めるのに一苦労。。。

「俺はもう一人で出歩かない」
「大丈夫だよ。携帯があるんだから。恵子に電話すれば済むことじゃん」
「・・・・・」
「スーパーには行けるんだから、出口がわからないだけでしょ。
 トレッサの中は、私だって迷うよ。ジイジだけじゃないんだから」
「・・・・・」
「人に聞くんじゃなくて、スーパー出てわからないと思ったらすぐに恵子に電話しな。
 そしたら、すぐ迎えに行くから。携帯があるんだから、大丈夫だって」
「そうか、そうだよな」
「そうだよ。娘に電話するのが一番でしょ?」
「そうだな、それが一番安心だ」
「スーパー出たところに、椅子があるでしょ。そこに座って電話すればいいよ」
「そうだな、そうするよ」
「出かけるときは、必ず携帯持って出かけてね」
「俺もよ、もしかしたらと思って、携帯持って出たんだよ」
「だからラッキーだったね(笑)」
「そうだよな(笑)」

家に着く頃には、笑顔も出てきた。

「相当歩いたから、疲れちゃったでしょ?」
「もう疲れちゃってよ~」
「家に帰ったら、お昼寝しなよ」
「そうだな」

徘徊とは違うと思うけど、認知の初期に入ってきたような気がするよ。
義弟のことが一段落着いたら、今度はやっぱり父だな。
まあ、すぐにどうこうと言うわけじゃないだろうから、しばらく様子を見てみよう。

今日はデイの日だった父。
いつも家に着くと、携帯を使って電話が来る。
携帯をかける練習をしておいて、良かった。

「今帰って来たよ」
「今日はどうだった?」
「うん、まあまあいつもと同じだな」
「ゲームやったの?」
「やったよ」
「何やったの?」
「お手玉とわっかを使って、あれは輪投げみたいなやつだな」
「今日は賞状もらわなかったの?」
「今日はダメだったよ(笑)」

一昨日のことは忘れたか?B型は立ち直りも早いからの。
それが救いだな。。。
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記憶が。。。

2009.02.20 (Fri) 父の看護日誌

大きな落とし穴って、これか?と思う出来事が一つ。

父の記憶にまた問題が出てきたように思う。

先週父の兄、叔父から父の所に電話が来たらしい。

「昨日、兄貴から電話が来たんだよ」
「ふ~ん、なんだって」
「女房が入院したらしいんだけどよ。金がどうとか言ってたんだよな」
「お金?貸してくれって?なんて言ってたの?」
「貸してくれって言ってたけど、ないって言ったんだよ」
「ないって言ったのね?」
「うん」

で、その言葉を鵜呑みにしてたんだけど、今週になって叔父から私の家の留守電に

「お父さんに頼んでおいたんだけど、もう送ってもらえたか、聞いてみてくれ」

・・・( ̄□ ̄||)えええっ!!
私に連絡が来たってことは、お金は私に預けてあることは言ったらしい。
で、電話ではラチがあかないと思って、実家に行って、もう一度父に聞いてみた。

「この前、おじちゃんから電話が来たって言ったでしょ?」
「えっ?兄貴から電話なんか来たっけ?」

(-_-;)ホントカ・・・オイ・・・
記憶からこぼれたらしい。
これを追求すると、また忘れたことに落ち込んじゃう。

「電話来たって、言ってなかった?」
「来たっけかな~?」
「なんか頼まれなかった?」
「・・・・・???」

┐('д')┌ ダメダコリャ!
そこから話を他に移して、もう聞くのはやめた。
その後は、手紙で叔父とやり取りした。
叔母が入院したらしく、お金に困っているらしい。
父が電話で、調子よく

「わかった。いいよ、いいよ」

と返事をしたらしいのだけど、たぶん父もお金は恵子に任せてるから
恵子に言っておくとでも言ったのだろう。
だから、我が家に電話が来たんだと思う。
父も私が母子家庭をしてたころは、金回りも良かったし
心配しては、会えば私のポケットに数万円入れてくれた。
祖母が他界した頃は元気だったし、葬儀は経済的にも叔父に援助したらしい。
父の弟の奥さんにも、叔父に内緒で30万貸したけど
叔父に言わないまま、他界してしまったから、返ってこなかったし
父の妹にも、30万貸したと言ってたけど、これも返って来てない。
こちらに引っ越してくる時は、ローンで引っ越してきてるんだから、お人好しも良いところ。

父にはもうお金の心配はさせたくないから、私が預かっているわけだけど
こちらも経済的に余裕があるわけじゃない。
父も年金でギリギリの生活だし、我が家だって義弟のことでいっぱいいっぱいだ。
身内だからこそ、返済してもらえる可能性は低いもんね。
実際に60万のお金が返ってきてないわけだし・・・
今後のことを考えたら、父もある程度の貯蓄はしておかないといけない。
叔父だって息子と同居してるのだから、申し訳ないが息子と相談してもらいたい。
お見舞いと言う形で、3万円だけ送って、父の病気のことや
叔父からの電話も記憶からこぼれたこと、こちらの事情も説明して勘弁してもらった。

しかし、電話があったことも忘れてしまうとは・・・
義弟のことが落ち着いていきたら、今度は父かもしれない。
主人の父親も心臓に爆弾抱えて、一人暮らしだ。
まだまだ我が家は、前途多難だな。

子犬を迎えられるってことは、しばしの休息ってことなのかもしれないじょ。。。

2週間ぶり。。。

2009.02.20 (Fri) 義弟の病院・病気と症状

長々と放置状態になってしまった。。。

義弟が今のT病院に転院して、早2週間が過ぎました。
転院前、R病院でのリハビリに立ち会ったとき
前日から少し元気がなくなったとリハビリの先生に言われ
実際看ていても、なんとなく動きが悪いような気もして
もし状態がまた悪化したら、退院はキャンセルと言われていたし
もし退院できなければ、せっかく見つけた介護療養型医療施設だって
次の退院許可が出るまで待ってくれるはずもない。
だから転院当日まで、ドキドキものでした。
それに、退院前日には申し込んでいたこの4月開設という特養から
受け入れのための面談をしたいと連絡が入って、なんで今なの?って
ちょっと混乱気味にもなったりして・・・
申し込んだ時の、介護度は3だったけど、現在『要介護5』に変更になった義弟。
いきさつを説明したら、当然だけど今回は見送りになった。

とにかくR病院に入院していた、1ヶ月ちょっとの間
めまぐるしい日々だったけど、ここに来てやっと落ち着いてきたように思う。

昨日顔を見てきたのだけど、転院してからの方が元気になったような気がする。
面会時間が2時からなので、2時前後に到着するように行くのだけど
ホールで昼食後、しばらくそこで過ごしているらしく、私が行く時は
ホールで車椅子に座ってる義弟が、立ち上がろうとしてるところにいつも出くわす。

「弟くん、立っちゃダメ!」

と言うのが、私の第一声。

「調子はどう?」とか「今日は何をしたの?」とか
いろいろ聞いてみるんだけど、いつも考えながら止まってしまって
会話が続いたことがない。
夫婦じゃないし、親子でもないし、家にいるときも、共通の話題もないから
会話は少なかったけど、入院してからも何を話していいのかもわからなくて
くだらないことを聞いてみるけど、結局固まってしまうことが多くて、会話にならず。
無言のまま、しばらく一緒にいるだけなので、30分が私の限界。

「じゃあ、また来るね」
「えっ?もう帰っちゃうの?」
「うん、まだやらなきゃいけないことがあるからね」
「そっか~」

ただ黙って座ってるだけなんだけど、いてほしいらしい。

T病院には、まず医療で入院したのだけど、状態も安定していると言う事で
18日からは、介護保険を使っての入院に切り替わった。
そのため、昨日は手続きもあった。
義弟に会いに行く前に、相談員のOさんと面談しながら書類にサインをした。

一番気になっていた、今後またR病院のように突然退院なんてことがあるかどうか?
でも契約書等の内容の話をしているうちに、その心配はないことがわかった。

家族が退院を希望するか、特養に移るか・・・
それまでは、ずっとT病院にいられるそうだ。
また支払いに関しても、契約書上は支払いが1ヶ月以上遅れた場合は
退所と書いてあるが、信頼関係で成り立っている病院だから
もし支払いが遅れるとか、困った時は申し出てくれれば、分割にも対応するし
相談に乗るので、必ず申し出てくれるように言われた。

T病院には関連施設で、リハビリセンターもあるし、訪問介護もやっているし
急性期病院として、K病院もあるし、特養の『S苑』もある。
今の義弟の状態なら、T病院よりも『S苑』の方が楽しいのではないかと言われた。

「でも脳腫瘍があるから、もし状態が悪化したらどうなりますか?」
「S苑で具合が悪くなったとしても、搬送先はここかK病院になるから
 関連施設だから横のつながりもあるから、担当医も同じだし問題はないと思いますけど」
「特養も去年の10月に申し込んだままなので、変更をしないといけないんですけど
 ケアマネさんが、S苑は待ち人数が多いって聞きましたけど」
「う~ん、どうかな?そうでもないと思うんだけど・・・
 受け入れの連絡が来て、医師が大丈夫って言えば、S苑に移れると思いますよ」
「じゃあ、すぐにS苑だけで、介護度の変更をしてみます」

ということで、今日変更の用紙に記入して、さっそく郵送した。
T病院にいるよりも、特養の方が金額的にもお安くなる。
そううまく行くとは思えないけど、変更だけはしておいた方がいいと思う。

契約も終って、義弟の面会に行った。
昨日もホールにいて、いつものように少し話をした後、私はそこにあった本を読んでいた。
食事の時に飲んだ麦茶のコップが置いてあったのだけど、その中に
どうも口の中でクチャクチャやっていたものを、そのコップに戻したようで
食べかすのような物が入っていたんだよね。
そのコップを持って中身を確認してた義弟に

「弟くん、それもう何も入ってないでしょ?そこに置いておきな」

そう声をかけたら

「恵子ちゃん、これ飲む?」

飲むって、食べかすの入ったものを私に飲めってか?
なんだかニヤニヤ笑って言うので、ふざけてるのかと思って

「そんなもの、いらないよ(笑)」

と、笑いながら言ったんだけど、ちょっと強い口調で言ったもんだから

「なんだよっ!その言い方はっ!」

と、怒り出した。

「だって、それ何も入ってないし、弟くんの食べかすが入ってるだけでしょ?」
「だからって、そんな言い方しなくてもいいだろっ!」

(´Д`)ハァ・・・こうなると、気分が滅入る。
本人わかっててわざとやってるのか?何もわかってないのか?
判断が付かないし、一緒にいて気分が悪くなるのはもうイヤだ。
義弟の言葉に腹を立ててもしょうがないけど、気分は悪い。
返事をしないで、しばらく黙っていたら、義弟の意識は別なところに飛んだらしく
なんだかしきりに手を動かし始めた。
こうなると、一緒にいてもイライラしてしまうから、早々に帰ることにした。

「じゃあ、もう帰るね」
「もう帰っちゃうの?」
「支払いもあるから、また来るよ」
「・・・・・うん」
「じゃあね」

そう言って立ち上がったら、手を振っていたので、降り返した。

自宅に戻って、ケアマネさんに相談員のOさんと話した内容を伝えた。

「良かったですね~。お義姉さんも、楽になったでしょ?」
「うん、なんかやっとホッと出来たって感じ」

そのときにちょっと聞いてみた。
2週間で義弟の顔を見に行ったのが4回。
転院してから、8日に主人と部屋の模様替えをした。
今まで女中部屋で過ごしていたけど、リビングへ荷物の移動をして
7年3ヶ月ぶりに、本来の我が家の形に戻した。
9日の月曜日に行って入院の手続きを終らせ、その後面会。
すぐ先輩の訃報が入ったりしたので、その週はお通夜に行ったり
義弟がいた頃は、なんだか掃除も適当にしてたけど、模様替えをしたことで
気になるところがたくさんあったので、せっせと掃除をした。
なので、15日の日曜日に主人と一緒に面会。
そのときに、今まで診てもらっていた眼科で、目薬をもらってくるように言われ
16日に眼科で事情説明をして、目薬をもらい、その他足りない物も持って面会。
で、昨日19日介護入院のための手続きも含めて面会。
これって、多いのか?少ないのか?何かもっとしなくちゃいけないことがあるんじゃないか?
そんな風に思っていたので、ケアマネさんに聞いてみた。

「お義姉さん、ある意味燃え尽き症候群になる可能性もあるんですよ」
「燃え尽き症候群?」
「今まで大変だったけど、突然手が空いてしまうでしょ。だから他の何か見つけましょう。
 前にスポーツセンターに通っていましたけど、今は行ってないんですか?」
「いや、行こうとは思ってるんだけど、もう少し落ち着いてからと思って。
 それに子犬を迎えるかもしれないし・・・」
「子犬ですか?いいですね~♪普段通りの生活をして、子犬の世話もしながら
 空いた時間に面会に行けばいいんですよ。行かなくちゃって思っちゃダメです」
「あ~そうか、そういうことか・・・なんかまだ罪悪感みたいな物があるからさ~」
「義弟さんがいなかった頃の、普段通りの生活をしていいんですよ。
 任せっきりは良くないですけど、お父さんのこともあるんですから、そのためもあって
 介護施設に入所したんですから、空いた時間に行けばいいんです」
「そうだよね~。そうか、わかったよ」

燃え尽き症候群か・・・確かに今まで義弟のことばかりだったのが
すっかり義弟のことから、手が離れてしまった。
主婦として、やるべきことをやってはいるけど、なんだか調子が狂ってるんだよね。
今まで、主婦業の手抜きばかりしてたからな。
空いた時間に行けばいいのか・・・なんだか、本当に気が楽になった。

実は今度の日曜日、ラブラドールの子犬を見に行く予定になっている。
間違いなく子犬を連れて帰ってくるだろう。
在宅介護になったとしても、子犬は迎えるつもりでいた。
わんこは我が家にとって、何よりの癒し効果があるからね。

この罪悪感は、どこかで失くなるのかな?
何もかもがうまく行き過ぎてるようで、主人も同じ事を言うけど
やっぱりどこかに大きな落とし穴があるような気がしてならない。

だから車の運転も慎重に、普段の生活もいつも通りに・・・
でもわんこを迎える贅沢はいいよね?

無事に。。。

2009.02.07 (Sat) 義弟との日々の出来事

とりあえず、転院できました。

なんだかホッとしたら、気が抜けた~。

で、車に戻ったら、今度は先輩の訃報の連絡と
友達の母親が、入院中に脳内出血でⅠCUに入ったと・・・

またまたドタバタしそうな予感です。

詳しいことは、また落ち着いてからと言う事で。。。

思うこと。。。

2009.02.05 (Thu) 思うこと

面会時間が午後3時からとなっているR病院。
昨日役所が終った後、時間は10時過ぎだったけど、相談員さんに
病棟に上がっていいかを聞いたら、転院のことを伝えるためならいいでしょうと言う事で
病棟のナースセンターに行った。
転院の話しと、この前いただいた書類の中に、入院給付金の診断書がなかったので
それもどうなっているかを聞いて、返事をもらえるように頼んだ。
対応してくれた看護婦さんが

「師長がお渡ししたい書類があると言ってたので、ちょっと待ってもらえますか?」

と言うので、その間顔を見てきても良いかを聞いたら、やはり病室には入れないとの事で
待合室で待つように言われた。
しばらくすると、対応してくれた看護婦さんが来て

「本当は師長が渡すべきなんですが・・・」

と言って、入院給付金の診断書を渡された。
私と1対1で話したくないのか?それともまた逃げたのか?
そんなことも思いながら、その書類を受け取った。

その後、まだだった入院の手続きをしたら、書類を1枚病棟のナースに渡すよう
言われたので、もう一度病棟のナースセンターに行った。
看護師長がいたのはわかっていたが、あえて看護師長を避けて
別の看護婦さんに声をかけた。が、看護師長の方から

「あ、Aさん。すいません。書類受け取りました?」

と声をかけてきた。
やっぱりニコニコと満面の笑顔。

「7日にT病院に転院が決まったそうで、良かったですね~」
「私は9時に来ますが、介護タクシーの方が車椅子で9時半に病室まで来てくれますので」
「わかりました。準備しておきますから」

私の中のわだかまりは、まだ消えていないけど
この看護師長を責めたところで、病院の仕組みは変わらないのだ。
この人は仕事をまっとうしただけのこと。
日にちも経っているし、次の受け入れ先が決まったことで
私の気持ちもいくらか落ち着いているし、もう責める気持ちは失せていた。

こういう経験をしなかったら、急性期病院と療養型病院があることも
知らなかったし、併せ持った病院があることも知らなかった。
それに考えてみれば、救急車を呼んだにも関わらず、対応してくれる病院が
見つからず、たらい回しにされたあげく、命を落としてしまうこともある。
だからR病院のように、救急患者はすぐに受け入れてくれる病院は必要だと思う。
救急患者をすぐ受け入れるためには、ベッドも空けておかなくてはいけないし
その役割を看護師長が受け持っているのだとしたら、まあ病院の悪役を
受け持っているようなものだ。
中にはのらりくらりと退院を引き伸ばす者もいるだろうし、仕組みを知らない人には
逆に怒鳴り返されたりすることだってあるだろう。

あの電話を受けた後、確かに私は追い詰められたし、看護師長に対して
恨みのような憎しみのような感情も抱いた。
あの電話がかかってこなくても、もし次の受け入れ先がなかなか見つからなければ
日を追うごとに、やっぱり私は同じように追い詰められたと思うし
主人と相談をして、自宅介護に踏み切っていたと思う。

こうやって冷静に考えてみると、看護婦と言う仕事もしながら
そういう役割を果たさなければいけない、看護師長という仕事だって楽ではない。
そう思ったら、もうあの看護師長を責める気にはなれなくなった。

私達夫婦には、この後も主人の父、私の父の介護が待ってるかもしれない。
どちらの父親も、私達夫婦が抱えていることだ。
私の父は、義弟が入院してる病院の脳神経内科に通院している。
緊急時の受け入れ先は、やっぱりR病院になるだろう。
義父の通っている病院は、どういう病院かまだ調べてないけど
でもこの経験が、義父や父のもしもの時、その先の私たちの行動を
教えてくれてるような気がする。

介護は、経験した者しかわからないことがたくさんある。
親のことより兄弟のことで介護を経験するとは、順番は逆だけど
義弟にことを最後までやり遂げられたら、義父のことも父のことも
この先、どうにかなるような気もする。

今日は、土曜日の退院の時着ていく洋服を届けて
一応リハビリの様子も看てこようと思う。

大きな落とし穴・・・
もし義弟の状態がまた悪くなったら、退院はキャンセルと言われている。
せっかく受け入れてくれると言ったT病院も、今ならベッドが空いてるということだし
退院が延びたら、また受け入れ先を探さなくちゃいけないと言う事になる。
そんな落とし穴は、勘弁してほしい。

あと2日、安定した状態を保てることを願うのみ。。。

決まった。。。

2009.02.04 (Wed) 義弟の病院・病気と症状

昨日夕方4時に自宅を出発。
義弟を受け入れてくると言う、T病院の院長先生との面談に向かった。
だいたいの場所はわかっていたのだけど、道路が新しくなっていたりで
少し道に迷いながら、それでも10分前に到着した。
5分ほど待たされて、すぐに面談は始まった。

私たちとしては、介護中心で義弟の今後のことを考えていた。
今は点滴で安定し、入院前と同じくらいまでは回復してるけど
これから本当に寝たきりになる可能性あるわけで
だから出来るだけ長期で看てもらえる施設と考えていたし
今後も特養が受け入れてくれると言えば、そちらに移動することも考えていた。

今までの経過や、今回のことなども聞かれ

「僕は別にR病院の肩をもつわけじゃないけどね、あそこは急性期と言って
 緊急で治療が必要な患者は、すぐに受け入れてくれるんだよ。
 大学病院とかは、受け入れを渋ったりするけど、あそこは救急はすぐ対応するんだ。
 だけど、その半面で治療の必要が無くなった患者には、言い方は悪いけど冷たいんだな」
「はい、私もネットで調べたりしたので、それは納得しています」

そんな会話もしながら、話しは思わぬ方へ向かったような気がする。

「脳腫瘍が再発してることは聞いてますか?」
「はい。元々残ってる腫瘍は安定してるけど、転移した場所は動いてると」
「うん、この病気は進行が早いんだよね」
「はあ~・・・」
「そういうことも覚悟してるのかな?」
「えっと、今後どうなるかわからないとは聞いてますけど、余命宣告は受けてませんが」

生命保険の診断書に、余命6ヶ月のところにチェックが入っていたのは知ってるけど
余命2年と言われ、再発転移を繰り返し、最初は再発とか転移と言われれば
来年はないかも、夏は迎えられないかも・・・そう思って、あたふたした時期もあったけど
今年で10年目に入る今、そういう言葉に慣れてしまっているというか
ピンとこないと言うか、実感がないということも話した。

現在動いている腫瘍が進行してくると、けいれん発作も出てくるし
意識障害も起こすそうで、そうなると本当に進行は早いのだそうだ。

どう反応していいのか?自分でよくわからなくなった。

「脳腫瘍としての治療とかは、もうないって?」
「ないと言うか、私達がもう治療をする気持ちはありません」
「そこがブレると、こちらも対応に困るんだけど、治療はしないんだね?」
「はい、もう何度も主人とは話し合ってるので、治療はしません」
「ガンマナイフやってるけど?」
「転移したところがもっと大きくなると、言葉を失うと言われたので
 言葉を確保すると言う意味で、今回はガンマナイフをやりましたけど
 これ以上の治療は、もう意味が持てないので」
「病気が進行してきた場合の、覚悟もしてもらわないといけないけど」

そう言われても、私自身実感がまったく湧いてこない。
これって、もう長くないって言われてるんだよな?
残された時間は少ないってことだよね?
でも義弟は、入院前と変わらないくらい回復してるんだけどな。
減らず口も叩いてるし、憎まれ口も出てきてるし・・・

「えっと、先生も紹介状を読んで、余命6ヶ月だと思われるんですか?」
「お話を聞いてても、これだけ長い期間があるから、再発転移を繰り返して
 そのたびに大変だったと思うんだよ。憲児さんのような症例は
 本当に少なくて僕も初めてで、ご本人にまだ逢ってないし
 この紹介状に書いてある15行ほどの文字で、ちゃんとした判断は出来ないけど
 憲児さんの脳腫瘍の場合、動き出すと早いからね、そんなに長くないかもしれない」
「はあ~・・・」
「担当医にそこのところを、もう一度確認してみた方がいいかもしれないね」

介護の問題として捉えていたのが、脳腫瘍の方が問題なのか?
それからいろいろとまた話をしたんだけど

「要するに、自宅介護にもう行き詰ってるんだと思うよ。話を聞いてると
 ご家族の方が、もう限界を超えてたんだろうね。少し距離を置いた方がいい。
 今後はどう過ごして行きたいのかな?」
「とにかく、お互いに心穏やかに過ごして行ければと思ってます」
「こういう言い方は申し訳ないけど、最後の時は必ず来るんだ。
 そういうことを覚悟した上で、ここを憲児さんの終の棲家だと思って連れてきてください」

そう言われた。

「憲児さんの病室は、そこをもう空けてあるから、いつでも移ってきていいよ」

R病院はなるべく早くと言っていたので、5日を移動日にしようかと思ったのだけど
院長先生が立会いの下で、受け入れると言う事になり
当初の予定通り、7日11時までに病院に到着出来る様にと言われた。

最初は医療で入院して、検査等を行い、医療的処置はいらないと判断したら
介護保険での入院に切り替えるので、再度入院の手続きがいるらしい。

「移動手段はどうするの?」
「私が、自家用車で連れて来ると思います。主人が休めればいいんですけど」
「ダメダメ!介護タクシー使いなさい。そういう時こそ、事故を起こしたり
 何かがあって、骨折でもしたら、手間が増えるでしょ?」

手間と来たか・・・思わず笑っちゃった・・・
でも介護タクシーを頼めば、主人が休む必要がない。
介護タクシーのパンフレッドをいただいた。

お薬もT病院で出してもらえるので、R病院への通院は終了。

「うちに任せてもらえれば、診ますから」

その言葉に、ホッと安堵感はあるものの、まだ半信半疑なところもある。
余命のことも今だピンと来ないし、短い期間で物事考えて
一つずつクリアしていくというやり方は、変えずに行こうと思った。

先に戻っていた主人に報告。

「とりあえず受け入れてくれるって事で、一つクリアだな」

主人も私と同じ気持ち。
ケアマネさんにも連絡したら、とても喜んでくれた。

「いろいろセッティングしてもらったのに、全部キャンセルになっちゃってごめんね」
「いいんですよ。とにかくこれからは、穏やかに過ごしてくださいね」

自宅介護に向けて準備を進めていたけど、今度は転院のための準備に変わった。

今日は福祉のタクシー券をもらいに行き、役所のMさんにも報告。
出かけるところだったけど、話を聞いてくれて、こちらも喜んでくれた。

介護タクシーも、7日9時半に病室まで車椅子で迎えに来てくれるそうな。
入院の時T病院で必要な書類を、R病院で作ってもらえるようお願いもしてきた。

R病院で入院の時、入院手続きが省略されていたので、その手続きも済ませた。
7日に無事T病院へ移動が出来れば、また一つクリアになる。

T病院の院長先生も、相談員のOさんも、とても優しい対応で
話していても、安心感があった。
だけど、その半面で、どこか疑いの目も持ってしまう。
主人もそうだけど、うまく行き過ぎてるんじゃないか?
何か大きな落とし穴が待ってるんじゃないか?
そんな気持ちも捨てきれない。

ホッと安堵感はあるけど、半信半疑な気持ちもありながら
義弟の残された時間のことを考えると、なんだかとても複雑な気分になる。

とにかく今は、何事も無く無事に転院できることだけ考えよう。。。

どうなるか?

2009.02.03 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

先週は、かなりテンパっていた私。
あの看護師長の電話は、私にひどい衝撃を与えたんだと思う。
これほど能天気な私が、布団に入ると胃の痛みにイライラして
あの看護師長の言葉を思い出して、心臓がドキドキして眠れなくなってを
1週間近く繰り返したのだから、自分の中で何かが壊れちゃったのかと思った。
家にある胃薬を飲んでいたのだけど、友達に『ガスター10がいいよ』と言われて
思い出し、すぐに買いに行って飲んだら、あれほど痛いと言うか、重苦しいと言うか
しんどかった胃の不快感が、きれいさっぱりなくなって、それと同時に
いつものように、横になればすぐ眠れるようになり、いつもの老人体質に戻った。

この週末、主人の仕事が薄かったので、土曜日いつものように夜中1時に出かけて
朝9時に戻った主人は、そのまま日曜日までお休みだった。
そのおかげで、義弟の今後のこともいろいろ話が出来たし
なんとなくだけど、覚悟も出来て、気持ち的にも落ち着いた。
とにかく眠れるようになったことは、私にとって大きい。

で、気持ちも新たに、待つだけでは能がない。
最後のあがきをしてみようと思い立ち、また数件施設や病院に電話をしてみることにした。

施設入居に関して、家族が直接電話出来るのは、有料だけと思ってた私。
介護のことだけに限らないけど、自分がそいうことに直面しないと
知らないことがたくさんある。
家族が直接電話をしてもいいことがわかったから、とにかく行動あるのみだ。

特別養護老人施設(特養)は、申し込んで空きが出ると施設から連絡が入り
面談等を行って、入所が決まるものだと思う。(違ってたらごめんなさい)
介護老人保健施設(老健)・介護療養型医療施設と2種類あるのだけど
私は最初、どちらも同じだと勘違いしていた。
有料の老人ホームは、家族が探すのだろうけど、老健と介護療養型医療施設は
ケアマネさんを通してもいいみたいだし、家族が直接電話して問い合わせることも出来る。

介護療養型医療施設は、医療も行えるし介護保険も使えるらしく
老健は脳腫瘍がネックになってしまうようなので、介護療養型医療施設にも
問い合わせてみることにした。
今連絡待ちをしている、H病院はこの介護療養型医療施設に当たる。
でもね、調べてみたらこの介護療養型医療施設は2011年度にすべてではないらしいけど
廃止が決定していて、H病院でも対象外の患者さんを別の施設や自宅介護に向けて
移動する準備を行っているとHPに書いてあった。
義弟が対象になるかどうか?これまた問題発生ということになる。

でも脳腫瘍を持っていること、しかもそれも動き出してるわかった今
確かに老健よりは、この介護療養型医療施設の方がいいような気がした。

ところが、老健と介護療養型医療施設と両方数件電話してみたんだけど
老健では介護療養型医療施設の方がいいと言い
介護療養型医療施設では、安定してるなら老健がいいんじゃないかと言うんだな。
義弟の状態が中途半端なのか?擦り付け合いをしてるだけか?
どちらにしても、何件電話しても、玉砕に終った。

義弟の退院の日は決まっているのだし、自宅介護覚悟の上で問い合わせていたから
ことごとく玉砕しながら、だんだんあきらめも付いてきた。
介護用品のことで、ケアマネさんから連絡が来た時、それまで状況を説明したら

「お義姉さん、もうその辺で止めた方がいいですよ。
 断られるって結構キツい作業ですから、あんまり無理しないでください」

って言われて

「うん、わかってるよ。あと1件電話したら、もうやめる。あとは自宅で待機するよ」

そう伝えて、とりあえず家の用事を済ませてから、最後のところに問い合わせてみた。
T病院というところなんだけど、とても気持ちの良い返事をもらえた。

ちょうどベッドが二つ空いてます。
こちらは医療でも介護でも対応が出来る病院なので、院長の許可が下りれば
すぐに受け入れることが可能です。
ただし2人部屋のため差額が生じるので、1ヶ月17万プラスになります。
が、男性の空き待ちをしてる方がいないので、大部屋が空けばすぐに移れますが
いつ移れるかは約束は出来ません。
それでも良ければ、院長の判断を仰ぎますの、すぐに書類を送ってください。

との事だった。
すぐ主人に相談した。
現在の経済的なところから言えば、義弟の障害者年金とお給料に
少し足せばなんとかなる。
大部屋に移れれば、入院費用としては問題がない。
生命保険の一時金が降りれば、数ヶ月は持ちこたえられるだろう。
まだ実際手元にお金があるわけではないけど、まずは1ヶ月だったら
支払うことが出来るので、施設には言わないが、とりあえず1ヶ月様子を見て
経済的にダメだったら、退院をさせようと決めて、申し込むことにした。
すぐ病院の相談員のFさんに連絡して、書類をFAXしてもらった。

昨日は午後3時から、リハビリに立ち会う予定だったので
Fさんのところにも立ち寄り、FAXも流してもらえたことを確認した。
すぐにリハビリ室に行くと、腕を上げ下げするリハビリをしてた義弟だけど
リハビリと言うより、一人でやっていたので遊んでいるように見える。
数分私が声かけをして、そのリハビリをさせて
その後、ベッドに移り仰向けに寝て、先生が股関節を動かすリハビリ。
本人は寝てるだけだけど、「疲れた」を連発していた。
今は何時か?お昼は何を食べたか?などなど、質問もしながらのリハビリだけど
覚えているはずもなく、思いつくことだけ口に出しながら
リハビリの先生にも、憎まれ口を叩いていた。
で、ベッドから起こしたら、着ていた病院の寝巻きがびっしょり濡れてる。
先生に股関節を伸ばしてもらってる間に、しちゃったのね・・・
本人には、排尿した自覚はないし、濡れていてもまったく気にしない。

このままではリハビリは出来ないので、昨日はそこで終了となって
病棟に戻ることにした。
看護婦さんに言って、着替えとおむつ替えをしてもらった。

預けてあった、生命保険の診断書等も出来上がっていたので受け取る。
その診断書を見て、かなり複雑な気持ちになった。

余命6ヶ月にチェックが入り、家族には告知してあると書いてある。
どうなるかわからないとは言われたけど、余命宣告は受けてないぞ。
また患者の余命が6ヶ月以内と判断された理由には
悪性神経膠腫再発認め、開頭術・放射線治療・化学療法施行後であり
今後更なる治療法はなく、治癒の見込みなし。。。と書いてあった。

脳腫瘍の治療はしないと判断したし、治癒の見込みなしと書いてくれとお願いもした。
だけど、本当に余命6ヶ月なのか?
余命6ヶ月と判断した患者を、病院は家で看ろと言うの?

病院には2種類あるらしく、急性期と言って状態の悪い患者を診るところと
療養型と言って、その後の状態を診るところとあるらしく
両方を合わせも持った病院もある。
今義弟が入院にしてる病院は、急性期の患者を診るところらしいけど
そういうのって、極普通に生活してる人は知らないと思う。

主人にもこの話をしたけど、今までのことを考えてみろと言われた。
余命2年と言われた義弟が、今年で10年目に入るのだ。
このあと、たとえ6ヶ月と言われたとしても、それが正しいかどうかはわからない。
今回のことも含めて、医者の言うことなんか、信じられないと言う。
義弟の生命力はかなり強いと思うし、本当の寝たきりになってからも長いかもしれない。
そう考えたら、まだまだ先は長いんだ。

いろいろ思うところはあるけど、退院日は2月7日に決まったのだから
どういう状態であろうと、自宅で看るしかない。

家に戻り、エリーのお散歩も終わり、ホッとしたところに
書類をFAXした、T病院から電話が来た。

院長が受け入れ可能と判断したので、すぐにでも家族と面談したいとの事。
面談の際には、入院受付がスムーズに行くよう、保険証と介護保険証を
持ってくるように言われ、今日の午後5時から5時半の間に面談が決まった。
ここで面談がうまく済めば、翌日にでも転院出来るらしい。

電話をもらった時は、ホッと安堵感が来て、泣きそうになったけど
主人にその報告をしたら、なんか事がうまく進みすぎてないか?と言った。
あとでまた、大きな落とし穴があるんじゃないか?
言われてみれば、確かにそうだ。
まずは入院できるかどうかで、一つ。
もし入院出来たら、1週間で一つ。次は2週間、1ヶ月と短い期間で物を考えよう。
現段階で、お金が無いのだから、生命保険が降りなければ1ヶ月が限界。
そうなれば、いやでも自宅介護になるのだから・・・
期待を持たず、自宅介護を常に頭に入れて行動しようと話した。

まずは第一段階。
今日の面談結果がどうなるか?
ここがクリア出来なきゃ、話しにならんじょ。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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