。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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退院準備。。。

2009.01.31 (Sat) 義弟の病院・病気と症状

2月7日に退院が決まったけど、家の中は今のところ特別変わってはいない。
でも自宅介護に必要な物など、ケアマネさんの方は着々と準備が進んでいる。
どんなベッドが良いとか、エアマットを入れるかとか、車椅子用のマッドが必要だとか
いろいろ言われるけど、何が良くてどうなんだか、さっぱりわからん。

入院前から、義弟の仙骨部の出っ張りが赤くなった時や
ケツッペタの皮膚が黒く変色した部分も、少し床ずれっぽくなっていて
そこにも『アズノール』を塗ったりしていたけど、病院ではケツッペタの部分が
床ずれを起こしたようで、『ハイドロサイト』と言う貼り付ける物を使っているらしい。
それほどひどいと言うわけでもないらしいけど、ここは要観察で
退院時様子を看て、『ハイドロサイト』を処方してくれることになった。
これって、消毒をして貼り付けると1週間そのままのものらしい。
処方された場合、使い方を聞くように言われた。

で、床ずれ防止のために、病院でもエアマットを使用してるので
自宅でも使った方が良いと言われて頼むことにした。
ベッドにいる時は、ふわふわとしてるらしいけど、ベッドから移動させる時は
ふわふわだと安定が悪いので、スイッチで固くなるようになってるらしい。
車椅子に乗るにも、ケツッペタを保護すると言う意味で、座布団ではなく
車椅子用のマッドがあるらしく、義弟は車椅子はあるので、マッドだけ頼めるか
聞いて、もし頼めるのであれば、使った方が良いと言われた。

介護用品って、いろいろな機能があるんだなって、感心もするのだけど
何がどう良いのか?実際に使ったことがないから、なんだかピンとこない。

「なんだかよくわからないから、Tさんが良いと思うものでいいよ。
 あとは実際に使ってみてから、また考えさせて」

ということで、ケアマネさんに一任してしまった。
サイドテーブルとかもお願いしたんだけど、全部で月2000円程度でレンタル出来るみたい。
防水シーツとか食事用のエプロンは実費なので、これらもまずは1枚お願いして
使っていて足りなければ、追加することにした。

昨日は午後1時30分に、生命保険の外交員さんが来ることになっていた。
ガンサポートの一時金が降りると判断されたから、書類を届けながら
書き方の説明もされたのだけど、これも実際に振り込まれるまで当てに出来ない。

「用心深いですね」

って、外交員さんは笑ってたけどね。

老健を申し込む時に必要な健康診断書、これは老健によって独自の書式を
使っているところもあるらしいけど、横浜市内の老健ならだいたい通用するという
健康診断書を書いてもらえるよう頼んであって、出来上がっていたのだけど
これを書いてくれたのは病棟の担当医で、見ていたらお薬のところが書き洩れていた。

生命保険の診断書と、老健の健康診断書を書き直してもらうために
外交員さんが帰ったあと、すぐに病院に向かった。
いつ頃出来上がるか?月曜日返事をもらうことにして、毎日3時からリハビリしている
義弟の様子を看に、リハビリ室に向かった。

順番を待っていた義弟は、車椅子に座ってたんだけど、その車椅子に
ベルトで括り付けられてた。
一瞬座位が出来なくなってるのかと思って、義弟に声をかけてみた。

「弟くん、よっ!」
「あ~」
「これからリハビリするの?」
「うん」
「この赤いベルト、どうした?」
「恵子ちゃんが悪いんだろ?」
「えっ?私?私が何したの?」
「恵子ちゃんがやったんだろ!」
「何を」
「昨日恵子ちゃんが来て、こんなのを付けて行ったから悪いんだろ」
「これ、私が付けたの?」
「そうだよ!これだもんな~」
「私が悪いんですか?」
「そうだろ?」
「そうなんだ、私が悪いのね」
「そうだよ!」

なるほどね、昨日は笑って聞いていられたけど、帰ってきたらどうなるかしら?
どうやら車椅子から立ち上がろうとしてしまうらしく、固定されたそうだ。
義弟自身は、自分は歩けると思っているから、危険防止ということだ。

退院後デイにも通いたいけど、送迎の際車椅子対応の車ならいいけど
そうでない場合、ステップを使って2段ほどの段差の昇り降りをする。
数段でもいいから、階段の昇り降りが出来れば、対応してもらえる曜日も増える。
で、リハビリの先生にそのことを説明したら、昨日は階段の昇り降りもやってみてくれた。
昨日もなんだかやる気があったらしい義弟、もちろん支えは必要だけど
すんなりと3段の階段を昇って見せた。

「すごいじゃん、弟くん」
「でしょ?」
「階段もバッチリだね?」
「任しといて」

一旦椅子に座ってから、今度は降りてみた。
まだ自力歩行が可能な時から、階段を降りることは苦手だった義弟。
昇るよりは動きは悪かったけど、降りることも出来た。
車の乗り降りは、リハビリ室の階段よりも段差は低いし段数も少ない。
これが出来れば、デイに通うに当たってはまた一つクリアってことになる。
リハビリの先生も私も、大げさに褒めたから、義弟はご機嫌さんだった。
昨日は担当のリハビリの先生を待ってる患者さんが、数人いたので
そのあとの平行棒は、私が介助して歩かせてみた。
こちらも今までになく動きが良かったけど、家に帰ってからどうなるかは予測不能。

あと1週間、階段の昇り降りのリハビリを入れてくれることになり
月曜日と水曜日に、リハビリに立ち会うように言われた。
私も義弟の身体の動きは把握しておきたいし、自宅ではずっとベッド上でと思っていたけど
車椅子の上で過ごすということもやっておいた方が良さそうだ。

階段を昇る時、義弟のズボンが濡れてる事に気が付いたので
リハビリ終了後、病棟に戻って看護婦さんに声をかけたら
ベッドの脇で待ってるように言われた。
病室に戻ったら、ベッドにも拘束ベルトが付いていた。
義弟の動きは入院前と変わらないところまで、回復してるんだろう。
ずぐに来てくれた看護婦さんに聞いてみたら・・・

本人は歩けると思っているため、柵につかまってベッドから起き上がろうとするそうだ。
何気に手の力はあるし、足も歩けないが突っ張る力とかはある。
ベッドから降りようとはしないけど、エアマットを敷いたことで不安定だし
柵が低くなってしまったため、転落の危険があるので
拘束ベルトを使用してるとのだった。

勝手に立ち上がれば転倒するから、自宅では車椅子に固定すると言う意味で
固定ベルトみたいなものは必要かもしれない。

家に戻ってしばらくしたら、ケアマネさんから連絡が来た。
介護用品を届けてもらう日を、6日でお願いしたんだけど、その日でOKとのこと。
それと、入院前に通っていたデイサービスの施設、退院後はそこだけでお願いしたいと
頼んどいたら、施設側が入院前と同じ状態なら、受け入れ可能と言われたって。
その施設まで自宅から車で10分とかからず近いので、車椅子対応の車で行けるし
送迎に問題なしと言うことで、希望の曜日で対応してくれるというので
月・火・木・土の週4日でお願いすることにした。
でもその前に、退院後の様子は看に来たいとのこと。

で、ケアマネさんが調整してくれて、2月10日(火)に
介護用品をお願いしたところと、デイサービスの施設の方
デイケアで通っていたところで、老健のお願いをしてるので
その施設の方も、様子を看に来るということ、また役所のMさんも
都合が付けば来るということで、一同勢ぞろいということになるらしい。
みなさん、我が家のリビングに入りきれるかしら?(^m^*)

こんなにたくさんの方が、我が家のために動いてくれてるのかと思うと
なんだかとっても嬉しい。
仕事だと思ってしまえば、それまでだけど、心配してくれる人がいるのだから
入院前のようなイライラした介護ではなく、穏やかな介護が出来ればと思う。

生命保険のガンサポートも、担当医が治療法はなく治癒の見込みがないと
診断書に書いてくれれば、間違いなく降りると言われている。
そのことは担当医と話してあるし、昨日書いてほしいところも付箋を貼って渡してきた。
あとは出来上がったら確認して、書類を送付したら振込みを待つだけだ。
当てにしないと口では言ってるけど、これのおかげで当面は経済的なところは救われる。
主人も私も、精神面でかなり楽になったのも事実。

自宅介護はしたくないって思ったけど、自宅介護に踏み切ったことで
またいろいろなことが見えたような気がする。
本当に人生日々修行、勉強させられてるな~と思う。。。


あ、そうだ!
義弟が通っていたデイケアの施設から、お届け物があった。
1月16日は、主人と義弟のお誕生日だったからね。
お誕生カード♪  新聞。。。
裏面には、産まれた日の新聞。
なかなかおしゃれなお誕生日プレゼントだよね♪
これと一緒に、城みちるのコンサートの時などの写真も同封されていた。

ここの老健に入れたら、いいなって思う。。。
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結論・・・

2009.01.29 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

3時10分前に、ケアマネさんと合流。
役所のMさんと連絡が取れたか聞いたら、今日は忙しかったらしくまだ話してないとのこと。
なので、2月1日オープンの老健の話をしたら、またMさんと話してみてくれることになった。

3時には、Fさんと話をすることが出来た。
Fさんは、まだ義弟とは会っていないので、ケアマネさんと私の話と
書類上だけでの判断として、話を聞いてくれた。

今日中には、M先生が書類を書き上げてくれるそうなので
H病院にすぐに書類を流して、やり取りをするとのこと。
ただH病院、人気のある病院らしく、通ったとしてもしばらく待機になるだろうとのこと。
結果が出たら、すぐに知らせてくれるそうだ。
また義弟が入院前通っていたデイケアの施設も、老健があり
そこも一応審査会にかけてくれることになってるので、それに必要書類も揃えて
これはFさんとケアマネさんとで、やり取りをしてその結果を
ケアマネさんから知らせてもらえることになった。

看護師長のことが、今だ許せない私。
そのこともまた言ってしまったけど、ケアマネさんが一緒だからね。
一応大人の対応はしたつもり。
本性は出せないがな・・・だって、イケメンなんだし・・・( ̄m ̄*)

退院日については、M先生との話し合いになると言われたので
この後、M先生とも話をする予定でいることを伝え、そこで決めることになった。
退院にあたって、病院での様子もきちんと聞いて、自宅での対応に備えるように言われる。
いろいろな話をする中で、退院のことが具体化してくると
ケアマネさんが、また私のことを心配しだした。

「大丈夫だって、私だって犯罪者にはなりたくないもん」
「ん?犯罪者?」

冗談で言ってるのに、どうしてみんな真剣に受け取るんだ?(≧m≦)
で、ケアマネさんがFさんに

今までの経過を見て来て、看ている方が義理のお姉さんということもあり
ご自宅での介護は、限界を迎え超えているだろうと思いながら
ご家族の方は、がんばってこられました。
今回の入院で、次の施設が見つかるまでというお話の中で
ご家族の方は介護と言う部分の精神面は、一旦途切れてしまった。
それをもう一度立て直すと言う作業は、ご家族にとってとても大変なことだと思います。
ご家族の方も、自宅介護に自信がないとおっしゃられていますので
そういう部分で、心配なんですよね


「あ~、昨日も限界だって、お義姉さんも言われてましたもんね」

・・・って、だからさ、真剣に話さないでくれるかな・・・
まだ理性は働いてるってばよ(*⌒m⌒*)ぷっっ♪

3時からリハビリ時間の義弟、今ならリハビリ室にいるだろうから
一緒に行って、様子を看ましょうと言われ、リハビリ室へ。

昨日の義弟は、なんだかスッキリしていて、良い顔をしていた。
身体の動きも良く、今まで看てきた中で一番良いように思えた。
ここ数日の義弟は、ずっと同じかを聞いたら
リハビリの先生によると、昨日はあまり良くなかったけど
今日はとてもいい感じらしい、やはり日によって波はあるみたい。
あちこち注意が飛び散ったり、相変わらずのゴミ拾いはやっている。
でもケアマネさんも、入院前に近い状態まで戻ってると感じたそうだ。
車椅子からリハビリ用のベッドに移り、仰向けに転がるのに時間がかかった。
先生が股関節を伸ばしたり、お尻を上げたりした後、また車椅子に戻り
少し休みましょうと言われて、待っている時ケアマネさんが声をかけた。

「憲児さん、どうですか?調子は?」
「うん、いいよ」
「今少し動きましたけど、感想は?」
「もう、疲れちゃって、疲れちゃって、大変なんだよ」

なるほどね、こういう認識は相変わらずなんだな。
階段の昇り降りはしてないので、それが出来るかどうかも問題になる。
今くらいの状態であれば、デイに通えるけど、車椅子対応の車でないと
送り迎えが出来ないから、回るコースによって通える曜日も限られたりする。
自宅に戻ったら、少し様子を看たところで、すぐにでもデイを利用したいからね。

ケアマネさんには、デイケアではなくデイサービスでお願いをした。
今までは義弟が出来ることは、時間をかけてでも、怒っても怒鳴ってでも
なんとかやらせようとやってきたけど、もうリハビリに意味が持てない。
デイケアでリハビリしてると思ったら、私の意識が家でもやらなくちゃって
思ってしまいそうだだから、今後はお互い穏やかに過ごせるようにしたいから
リハビリ目的は外したいとお願いした。
デイサービスで通っていた施設が、とても良かったので
もう一度そこでお願いしたいことも伝えておいた。

Fさんから、リハビリが終ったら一緒に病棟に戻り、M先生とお話するように言われ
平行棒を使って1往復した後、義弟と一緒に病棟に戻った。
ナースセンターに声をかけて、病室に戻った。
車椅子からベッドに移そうとしてる時、看護婦さんが一人入ってきた。
名札を見たら、「S」って書いてあった。すぐに近寄って

「先日はお電話ありがとうございました。Aです」
「え、あ・・・」

と言った後、、満面の笑みを浮かべて

「いえいえ、こちらこそ失礼したしました」
「いろいろ言っていただいて、本当にありがとうございます」

ケアマネさんもいたので、ここまでの皮肉しか言わなかったけど
ケアマネさんもすぐに名刺を渡して

「先日はお電話いただきまして、NKセンターのTと申します」
「あ、いえこちらこそ、失礼いたしました」

なんだ?この対応の違いは?

「入院されたばかりの頃は、食事も出来ませんでしたけど、こんなに良くなられて~。
 良かったですね~♪先日お預かりした書類も出来てますので、後で持ってきますね」

とにかく気持ち悪いほどの、満面の笑みだ。
相談員さんから私の言ったことが伝わったのか?
それとも、その話の中で、退院のことも言ってあったから
シメたものだとでも思って、向こうも嫌味か?
看護師長がいなくなってから

「なんだあれ?」
「だからそういう人なんですよ」
「タヌキか?キツネか?タヌキだな、あれは」

そう言ったら、ケアマネさん笑っておった。
ケアマネさんが一緒だから、大人の対応はしたつもりだけど
もう顔も見たくなかったので、その後話しをしても視線は一切合わさなかった。

義弟をベッドに移そうとしている時、その看護師長は向かいのベッドに
入る人がいるらしく、その準備をしていた。
ベッドに移動した後ちょっと目を放したとき、靴を脱ごうとした義弟がバランスを崩した。
ここはやっぱり看護師長で、すぐに飛んできて

「危ないですよ。先日も自分で車椅子からベッドに移ろうとして
 転びそうになってるので、移動の時は目を放さないほうが良いですから」

このときも、不気味なほどに満面の笑顔で教えてくれたよ。
なるほど、そういうことはやっぱりするんだな。

しばらくして、M先生が病室に来てくれて、その後ナースセンターに移動して話した。
開口一番、M先生が言った言葉は

「先日看護師長がお電話をしたそうで、本当にすいません」

通院してる時からの担当医がM先生なので、担当医と言われるとM先生と思うけど
病棟での担当は、T先生になっている。
なので、電話をいただいたときはT先生との話しだったらしい。

「今Fから話を聞いたんですが、自宅介護されるとか?」
「だって、あんなお電話いただいたら、そうせざる負えないですよね?」
「いや、本当にすません。師長もベッドを回さなくちゃいけないもんで」
「お電話では今後のことを話したって聞いたんですけど、今後のことって
 どんな話をされたのか?それも聞きたいところですけど、その話はもう良いですよ」
 これからのこと考えなくちゃいけないから」
「本当にすいません」

M先生も苦笑いしてたけどね。
で、聞いておかなくてはいけないことをメモにしてきてたので、すぐに話しに入った。

入院してから、義弟の状態は老化・老衰状態と言っていたし
食事をしても栄養を吸収できず、自宅での食事管理は無理と聞いている。
現段階で、点滴も外しているけど、どういう状態にあるのか?
今後もまた同じ状態になった時、点滴をしないという選択は出来るのか?
もし点滴をしない選択が出来るとしたら、点滴をしないとどうなるのか?


それに対しての、M先生の回答。

現在点滴も外し安定はしているが、老化・老衰状態は同じ。
最初に話し通り、振り幅の問題で、水分が足りなくても多すぎても
栄養状態が悪くなっても、また血中濃度に変化があっても
今回のようにガクっと、状態が悪くなる場合がある。
その時はまた入院と言う事になるが、義弟さんの持ってる振り幅が
どれくらいかはわからないため、どこで状態が悪くなるかは判断が出来ない。
また点滴をするかしないかは、ご家族の判断によるけど点滴をしない選択も出来る。
点滴をしなければ、衰弱するということになる。


なるほどと思いつつ、これは後で考えて、点滴をしない選択をした場合
その後はずっと入院となるのか?それともまた自宅に戻されるのか?
そこのところを聞くのを忘れた。

また、今回転移した腫瘍をガンマナイフで治療したが
転移と言うのは、元々あった腫瘍からポンとその場所に飛ぶわけではない。
たとえば肺がんの場合、脳に転移する場合があるが
これは肺からがん細胞が、全身の血管を通り血液と一緒に脳へ移動をする。
その際がん細胞は、全身にばら撒かれることになるので、ご本人は見た目元気でも
実は全身、ガンまみれの状態のときもある。
義弟の脳腫瘍の場合、脳の中の神経細胞を伝わって移動する。
画像としては、大きくなったところが白く映し出されるが
転移した腫瘍が大きくなっているということは、画像としては確認できなくても
その周りにも腫瘍は転移しており、そこも動き出していることは確かで
振り幅の問題で状態が悪化することもあるが
この腫瘍のせいで、状態が悪化することもあるのだそうだ。
治療をするとすれば、腫瘍が大きくなるたびにガンマナイフを当て続けるか
『デモタール』の使用があるが、どうするかは家族の判断になるんだって。

最初から言ってるが、今の状態の義弟を生き長らえさせることに
意味を持てない私達夫婦。なので、それはしたくないことを伝えた。

とすると、脳腫瘍の治療は今後しないので、振り幅の問題で状態が悪化しても
腫瘍の問題で悪化しても、医療行為としてやることは点滴のみ。
これは通常の(通常ってあるのか?)高齢者も同じことなので
対応は高齢者と同じと考えて良いそうだ。

デイケアで通っていた施設で、老健の検討をしてくれることになっているけど
脳腫瘍としての医療行為のことが、ネックになっていたようなので
これを施設側がどう受け止めてくれるかということになりそうだ。

とりあえず、2月7日が退院日と決まった。
ただしこの安定した日々を、どれくらい保てるかはわからないので
退院前に状態が悪化した場合は、退院はキャンセルとなるし
自宅に戻っても、1週間もしないうちにまた入院となる可能性もあると言われた。

だったら、このまま置いといてよとも思うのだが
病院の仕組みから言えば、今が安定してるから退院準備はせざる負えないんだろう。

お薬に関しては、けいれん止めのお薬しか飲んでいないので
これを止めると、やはりけいれんが出やすくなるから
お薬だけは飲んでおいた方がいいと言われた。

病院での義弟の過ごし方は、リハビリ以外はベッド上となっている。
起き上がろうとすることはあるが、ベッドから降りようとすることはないそうだ。
自宅にいる時は、トイレに行きたがることもあったが、病院では1度もないそうな。
おむつ交換のとき、お尻を持ち上げてと言えば持ち上げる程度のことはするけど
ベッドに入ってしまえば、自分から動くことはほとんどないらしい。

夜勤だった主人に連絡することになってたので、電話をしてこの話を全部伝えた。

「医者の言うことなんて、当てにならねえよ。今まで何回こんなことがあった?
 余命2年とも言われたし、再発も転移も何回言われた?そのたびに動けば早いって
 言われて、もう10年経つんだぜ。どうせこの後だって、まだ長いんじゃねえの?」
「そうかもしれないけど、そういうことらしいよ」
「ま、医者のいうことなんか、俺はもう絶対信じないね。お前も信じるなよ。
 どうなるかなんて、もう誰もわからねえんだから」
「わかってるよ」
「はあ~、またアイツが帰ってくるのか・・・」

今回の件で、人間不信病がさらに悪化した主人。
そうなってもしょうがないとは思うけど、支えてくれようとしてる人もいるわけだし
そこはわかっているようだけどね。

あと10日で、義弟は戻ってくる。
あの看護師長の電話の後から、不眠と胃痛に悩まされてるから
義弟が戻るまでに、私も体調を整えておかなくちゃだ。

今日はもう何もしない日。少し休んでもいいよね。。。

嬉しいね。。。

2009.01.29 (Thu) 義弟との日々の出来事

何に腹が立ったって、ケアマネさんにまで電話したことが許せなかった。
何度も催促されてるのを、私がシカトしてたならそれもしょうがないだと思うけど。
腹も立つけど、やらなきゃいけないことでもあるから
相談室に依頼書が届いた後、どういう流れになるのかを聞いてみようと思い
朝1番で相談室に電話をしてみた。
電話に出たのは、前日とは違う方でFさんだった。

「ちょっと待ってくださいね。今カルテを見ますから・・・」

そう言って、Fさんは電話でじっくりと話を聞いてくれた。
病棟の看護師長からいきなり電話が来たこと。
相談して連絡をすると言ってるのに、直後にケアマネさんにまで電話したこと。
状態が安定しなければ、次の施設だって探しようがないのに
点滴はしなくていいとは言われたけど、実際今どういう状態かもわからないのに
明日にでも退院しろと言われたこと。

などなど、ちょっと感情的に話をしてしまったけど、このFさん
さすがソーシャルワーカーとでも言いましょうか、すべて黙って聞いてくれて
冷静に答えてくれているのを聞くうちに、こっちの気持ちがだんだん治まってきた。

「電話したのは、病棟の看護師長って言ってました?」
「Sさんって、言われたと思いますけど」
「あ~、Sですか・・・」

ちょっとその言い方に、こういうことはよくあるんだなって印象を受けた。
まあ、そんなことよりも、今後のことを話さなくてはいけない。
病院がどういうところかはわかっているから、ずっといられないこともわかっている。
何もしてなかったわけではなく、安定したら、すぐ動けるように
それなりに準備もしていたと話しもした。

Fさんの説明によれば、入院当初2週間という治療計画が出ている。
2週間が過ぎて、ガンマナイフも終わり、義弟の状態も安定しているので
その後の治療計画もなく、退院できる状態にある。
この病院は救急病院でもあるため、ベッドの確保も必要となり
看護師長としてはベッドを回すという役割があるので、そういう電話を入れたと思われる。

それで思い出した。
確かに入院の時、2週間様子を看てその後のことは考えると話した。
ただその後、次の施設が見つかるまでと言われたので、こちらとしては
月単位で考えてしまったんだよね。
見解の相違と言うか、認識の違いと言うか・・・そう思ったら、妙に納得してしまった。

「最初からそういう説明があれば、私も納得できる部分もあります。
 病院がどういうところかはわかってますから、ずっと看てもらえるとは思ってません。
 相談室があるなら、入院した時に教えていただけてれば、すぐにそちらに伺ってました。
 でもいきなり電話で、明日にも退院しろみたいに言われたら、パニくりますよ」
「わかります、わかります。おっしゃってることはよくわかりますよ。
 本当は担当医のMがきちんと、今の状況をお話した上で
 退院と言うお話をしなくていけなかったわけです。これは病院側の不手際です」

なるほど、そこを認めるんだなと思ったら、少し気持ちが落ち着いた。
私はM先生にも他の看護婦さんのこともなんとも思っていない。
でもあの看護師長の言い方は、人を追い詰めるような言い方だった。

「あんな言い方するのが看護婦ですか?病院ってこんなに不親切なところなんですか?」
「そうですよね~、おっしゃってることは本当によくわかります」

こうやって言われたことを思い出していて、ふと思ったけど
病院のソーシャルワーカーだけあって、不手際と言う言葉は使ったけど
言ってることはよくわかるって、病院が悪いとは絶対に言わなかったな。
まあ、病院が悪いと言うわけでもないけどさ。
でも結果は出さなくていけないってところだと思うけど

「依頼書はまだ届いていませんが、このお電話で受付ますので
 すぐに担当のMに紹介状等の書類を書くよう要請して、H病院には私の方から
 連絡をして、やり取りをしますので、そこはご安心ください」

H病院とは、私が見つけて検討してくれると言った病院と併設された老健のこと。
幸い横浜市は病院同士の横のつながりが蜜になっているそうで
こういった場合は、病院同士のやり取りでどうなるかを決めて
結果を家族に知らせてくれるんだって。
ただの老健は、またやり方が少し違うみたいだけどね。
担当のM先生の判断にもよるらしいけど、2月いっぱいは難しいと言われた。
もっといろいろ話したのだけど、結果としてはやはり退院はせざるおえない。
電話だけではなく、会って話をしたいとお願いして、翌日の午後3時に約束をした。

Fさんとの電話を切った後、自宅介護を覚悟することにしてケアマネさんに連絡をした。

「でもお義姉さん、自宅介護で大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、もうしょうがないよね。この状況じゃ・・・」
「そうなんですけど・・・」
「もう前みたいに、やらせなきゃとは思ってないから、後は穏やかに過ごせることを考えるよ」
「今度はお義姉さんが主体で、完全な介護になるとは思いますけど」
「大丈夫だよ。犯罪者にはならないから」
「いや、僕はそこが心配で・・・」

おい、おい、他人の目からみると、私って本当に危ないのか?
自分じゃそこまで追い詰められてるとは思ってないけど、そう見えるのかな?

で、自宅介護に必要な物や、私が必要と思われる物を伝えて
翌日以降、いつでも届けてもらえるよう手配してくれることになった。

その夕方、そう言った準備のことで、ケアマネさんと電話で話しているとき
携帯に病院から電話が入ったので、一旦電話を切った。
よし!対決の時が来た!そう思ったのにさ。
相談室への依頼書と、M先生と話す時間を
翌日看護師長から電話させると言っていた看護婦さん。
結局電話をくれたのは、そのとき対応してくれた看護婦さんだった。

逃げたのか?そう思ってしまったよ。
M先生との話しは、翌日2時から3時と言われたのだけど
3時に相談員さんと約束があることを伝えると、それが終った後
病棟の看護婦に声をかけてくれれば、M先生に連絡を取るということになった。

折り返しで、ケアマネさんに連絡した。

「文句言ってやろうと思ってたのに、あの看護師長逃げたのかな?」
「いやいや、そういう人なんですよ。だからいつまでも、腹を立ててる方が損ですよ」
「そうなんだけど、ケアマネさんにまで電話したのが許せなくてさ」
「僕のことはいいですよ。よくあることですから、気にしないでください」

だけど、ムカつくわ。
だから、翌日病院に言ったら、どの方が看護師長なのか知らないので
顔だけは見て、あいさつはしてやろうと思ってた。

「それでですね、明日の話に僕も立ち会っていいですかね」
「あ、都合がつくなら、そうしてもらえた方が私は助かる」

と言うことで、ケアマネさんも立ち会ってくれることになった。
その電話を切ってしばらくして、今度は役所のMさんからも電話をもらった。
今までのいきさつを話してる途中で、生命保険の外交員さから
携帯に電話が入ったので、明日また電話をすると言うことで切った。
生命保険のガンサポート、一時金が降りるそうなので
2.3日中に本社から書類が届くから、すぐに届けてくれるそうな。
もっとも振り込まれるまでは、当てに出来ないものだけど少しまた希望の光が見えた。

そして、翌日。それが昨日なんだけど、Mさんも忙しい方なので
朝一で連絡を入れて、話の続きを簡単にしたら

「今日3時に、Tさんも一緒に話すんだよね?」
「そう」
「3時か、私も立ち会いたいけど、今日は無理だな~」

Mさんも立ち会ってくれようと思ってるのか?って考えたら、ちょっと嬉しかった。

「だけどさ~、恵子さんは大丈夫?」
「なにが?」
「いや、自宅介護になっても大丈夫なの?恵子さんの身体もそうだけど」
「まあね、あの看護師長の電話の後から、不眠と胃痛が治らないけどね」
「ほら~、だからさ、身体の心配もしてるのよ」
「Tさんにも同じこと言われたけど、大丈夫だよ。犯罪者にだけはならないから」
「いや、いや、そういうことを防ぐのも私たちの仕事だから」

・・・って、おい!私冗談のつもりで言ってるんだけど
本当に私はそんなに危ないのか?って・・・(≧m≦)

「それでさ~、私も昨日あれから考えてね。先週の金曜日に男性一人空きがあるって
 言ってた老健があって、それと2月1日にオープンする老健があるのね。
 そこもどうかな?って思ったんだけど」
「いいもなにも、そこは私が電話しても大丈夫?」
「それでもいいんだけど、ちょっとTさんと連絡して、私から電話してみるよ」
「えっ?Mさんが電話してくれるの?」
「それくらいはやるよ」

って、その言葉を聞いたら、ふと涙腺がゆるんだ。
もちろんケアマネさんも、一緒に動いてはくれてるんだけど
我が家だけを担当しているわけじゃないし、自分でなんとか見つけられればと
思ってた部分もあるし、役所の人がこういうことで動いてくれるとは思わなかったんだ。

「ありがとう、本当にありがとう」
「いや、いや、こんなことぐらいしか出来ないし、ダメかもしれないからさ、その時はごめんね」
「私はまだ恵まれてるよね。Tさんだって、いろいろやってくれてるし
 Mさんだって、こうやって電話くれて話し聞いてくれるじゃん」
「いや、聞くだけで何の役に立たないんだけどさ」
「でも一緒に考えてくれるじゃん。それだけでも、幸せなことだよね。
 もっと大変な人だって、自宅介護してる人はたくさんいるよ。
 この程度のことで、限界だの無理だのって騒いでたら、がんばってる人に申し訳ないよ」
「本当恵子さんって、前向きだよね?」
「前向きと言うより、能天気なだけだと思うけど、一緒に考えてもらえるのは嬉しいよ」

Mさんが電話してくれる老健の結果は、ケアマネさんと相談して
Mさんかケアマネさんから連絡をくれると言うことで、一旦電話を切った。
しばらくして、Mさんから連絡が来て、ケアマネさんとは連絡が取れなかったそうな。
結果としては、男性一人空きがあると言ったところは、埋まってしまってたらしい。
2月1日オープンの老健は、個室が1部屋空いてるらしいけど
月々が30万近くなるということで、これも無理。
でも4月1日オープンの特養があるので、4月以降動きが出てくると思うから
申し込みだけしておくといいんじゃないとの事だった。

午後からケアマネさんと会うから、そのとき伝えておくと話して電話を切った。

来週には義弟も自宅に戻ってくるだろう。いよいよ自宅介護突入だな。
支えてくれようとしてる人が、私にはたくさんいるわけで
そう思ったら、へこたれるわけにはいかんよ。

そう思いながら、午後3時10分前、ケアマネさんとの待ち合わせ場所に出発した。。。

なんだよっ!

2009.01.26 (Mon) 義弟の病院・病気と症状

金曜日の夜6時過ぎに、病院の看護師長から電話をもらって
一応の今後のことは、主人と話し合いが出来ていた。

で、もう一つの方法として、まったく治療をしない選択は出来ないか?
そんな風にふと思って、これも主人と相談をした。

義弟がこうなった元々の原因は、悪性脳腫瘍。
手術で取り切れなかった腫瘍が動き出せば早いと言われ
再入院となったら、どこの病院に入院しても同じと言われ
手術をしても余命2年と言われ、幸か不幸か今現在に至る。
取り残した腫瘍は、術後の放射線治療とお薬が効いてるということで
今現在も安定したまま、動きはなく、転移した腫瘍が大きくなった。
本当は、脳腫瘍の治療的なことはしないと決めていた私達。
言葉をつかさどる場所だから、言葉を確保するという意味でガンマナイフもやった。
次の施設が見つかるまで看てくれるという、言葉を信じていたから
医師や看護婦さん、またどこかの施設でお願いした場合にも
ある程度の意思確認が出来るなら、これに付いての治療はありかと思ったからだ。

「何のために、ガンマナイフやったんだ?」

主人がそんなことも言っていたので、今後治療をしない選択をしたらどうなるのか?
取り残した腫瘍が動き出したとしても、何もしない。
老化、老衰状態だと言うのなら、今後また同じような状態になったとしても
点滴治療もしないで、義弟の身体が自力で出来るところまで
そういう選択は出来るのか?
もし出来るとして、緩和ケアというものが、義弟の今の状態を
受け入れてくれるものなのか?
ガンの緩和ケアって、痛みとか苦痛を和らげるためのホスピスだから
義弟には、痛みも苦痛もあまりないけど、あとの余生はただただ穏やかに
過ごさせてやれる場所はないものか?

特養とか老健も同時に探しながら、そういう形の何かを探してみるのも
一つの方法じゃないかと思った。

今朝はめずらしく、主人の起きる1時に目が覚めたので
久しぶりにお弁当とおにぎりをこさえて、持たせることが出来た。
もう一眠りしようと思ったのだけど、なんだか胃の調子も悪く
今日はどう行動しようか?などと考えてしまうものだから
眠ることも出来ず、ネットでいろいろと検索をかけたりしてたら夜が明けた。
エリーのお散歩や家事を終らせて、少し何かを口にすれば胃も落ち着くかと思い
おかゆさんを作って食べた。

そして、まずはケアマネさんに電話をして相談することにした。
看護師長には、ケアマネさんと相談してまた連絡をすると言ったからなんだけど
私に電話した後、ケアマネさんにも電話をしたらしく

「もう退院です」

みたいな、頭ごなしにそう言ったらしい。
ケアマネさんは、金曜日の夜6時を過ぎているので、とにかく週明けに
ということで電話を切ったそうだ。
相談して連絡をすると伝えたにも関わらず、ケアマネさんにまで電話をするのか!
嫌がらせでもされてるような気分になった。
でもケアマネさん、義弟の入院してる病院から同じようなケースで
何度か電話が来たことがあったので、だから病院の言うことは
信用してないと言ったんだって。

「迷惑かけちゃって、ごめんね」
「いや、いいんですよ。とにかく受け入れ先を探しましょう」

そう言ってくれた。
グダグダと文句を言ってても始まらないので、とにかく我が家の考えていることも
伝えたら、ホスピスの一覧表と老健の一覧表をFAXで送ってくれた。
それと、義弟がデイケアで通っていた施設も老健をやっているので
そこにも問い合わせをしてくれることになった。

まずは緩和ケアに付いて知りたいと思ったので、ホスピスのある病院に
問い合わせてみることにした。
3件電話をしてみたけど、どこもまずは担当医に治療を中止出来るのか?
中止した場合、その後どういう風になるのか?
その上で、緩和ケアが適切かどうかの判断をしてもらった方がいいと言われた。
なので、これはまずは担当医に聞くしかないと言う事になる。

そんな電話をしながら、調子の悪い胃がキリキリと痛み出して
吐き気までしてきたので、ちょっと横になっていたんだけど
やばい!と思って、トイレに駆け込んだら思いっきりリバースした。
吐いたらスッキリしたんだけど、ここで私が倒れるわけにはいかないから
ちょっと休憩と思い、1時間ほど睡眠を取ったら気分も良くなった。

で、次に老健の一覧表。
ホスピスもそうだけど、やっぱり自宅から近い場所で探したい。
預けるからには、なるべく通ってあげたいとも思うから、近くがいい。
数件電話をかけて、1件病院と併設している老健に問い合わせたら
検討してくれると言う事になった。
当然だけど、そのためには今の病院からの紹介状やその他の書類を
お願いしなければいけないことになる。

「そこの病院に相談員さんがいるはずですから、その方にお願いすれば
 必要な書類をこちらにFAXしてくれるので、聞いてみてください」

病院からのFAXで、検討してくれるとのこと。
なので、すぐに病院の相談員さんのところに電話をして聞いてみた。
ところがだ・・・
現在義弟の入院してる病院にいる、相談員・・・ソーシャルワーカーさんは
3名いるそうで、次の受け入れ先を探してる患者さんに関しては
病棟から依頼書が届き、それから担当を決めて、今後の受け入れ先のことなど
相談しながら決めると言うシステムになっているそうな。

「でも金曜日の夜に、突然電話が来て、治療するとこはないから
 早く受け入れ先を決めてすぐにでも退院してくれみたいに、言われたんですよ」
「いや、おっしゃってることはわかるんですが・・・」

義弟のカルテを見ながら話をしてくれてたようだけど、義弟の今の状態や
様子等がわからないのに、紹介状は書けないので
まずは電話をしてきた看護師長に、依頼書を書いてくれるよう伝えてくれだって。
そんな話し、知らないがな。。。

「自宅で次の受け入れ先が、見つかるのを待ったらどうですか?」

ってなことも言ってたから、退院してくれりゃあいいやくらいに思ってたのか?
ケアマネさんにまで電話をしたのは、やっぱり嫌がらせか!
そういうシステムがあるんなら、入院した時に教えてくれよ!
最初からずっと病院にお願いできるなんて、思ってないよ。
そういう場所があるなら、すぐに相談に行ってるさ。
早く見つけろと言うから、こっちだって必死だったけど
次の受け入れ先に、紹介状や書類が必要なことぐらいは知ってんだろ!
いろんな患者さんも看てるだろうし、どういう過程を踏むかも知ってるだろって!
状態が安定しなくちゃ、受け入れてくれる施設だって見つからないし
早くても、2~3週間はかかることぐらいわかってんじゃないのか!
これが病院のやり方なのか?ふざけるな!

本当は面会時間の3時に病院に行くつもりだったけど、お昼寝もしちゃって
受け入れを検討してくれると言った病院を見つけたのが、3時を過ぎてしまっていたので
今日はやめて明日病院に行くつもりでいたんだけど、看護師長と対決してやろうと思って
エリーのお散歩終了後、おむつ&パッドを買って病院に行った。

担当医のM先生のことや他の看護婦さんたちに、文句を言うつもりはない。
どちらかと言えば、感謝してるよ。
看護師長だって、仕事をまっとうしてるだけだと思ってた。
病院がどういうところかは、私だってわかってるよ。
でももう少し言い方があるだろうとは思ってた。

「担当医はこう言ってたかもしれないが、病院はこういうところだから」

みたいな言い方だったら、1週間くらいの猶予をもらって
自宅介護に踏み切っていたかもしれない。
だけど頭ごなしに、そっちの事情は関係ない、さっさと退院しろみたいな言い方をされて
それもしょうがないのかと思って施設探ししていざ紹介状を書いてもらおうと思ったら
こういうシステムがあるってことを知って、白衣の天使だって?あきれるわ!

6時少し前、病院到着。
そろそろ夕食の時間だ、本当なら介助をしてやりたいところだけど
そういう気持ちになれなかった。
義弟はベッドを起こされていたけど、座位がきちんと出来ておらず
身体が曲がっていた。

「今日は看護婦さんと話があって来たから、また来るね」
「うん」

看護師長を呼んでほしいと言ったら、会議で席を外してるとさ。
紹介状の話をしたら、看護婦さんが

「下のソーシャルワーカーとは、お話されてます?」
「いや、そういうシステムがあること事態知らなかったので
 依頼書を書いてもらいたいんですけど」
「わかりました。師長に話して、書いてもらうようにしますから明日以降で」
「それって、依頼書が出た後、ソーヤルワーカーさんから連絡来ます?」
「いや、えっと・・・師長から明日にでも連絡させます」
「お願いします。それとM先生とお話したいですけど、いつでもいいので
 M先生のお時間が取れる時に連絡いただけます?」
「わかりました」

他の看護婦さんに文句は言いたくない。
私のターゲットは、看護師長だ。
本当はナースセンターの前で、話したいところだったけど
電話でもいいや。言いたいことは言ってやる。
言ったところで、どうなるものでもないだろうけど
2月いっぱいは、病院で看てもらおうじゃないか!

ちゅうことで、対決は明日だな。。。

これが現実。。。

2009.01.24 (Sat) 義弟の病院・病気と症状

私はどちらかと言うと、楽観主義だと思う。

「ま、なるようにしかならん」

最終的にはそう思って、現実逃避に入るから思考回路が停止するんだと思う。
だからよく寝る、これでもかってくらい、よく眠る。
元がお気楽極楽ズボラ主婦だから、早く言えばグウタラなんだと思う。

が、その私が昨夜は、脳みそがグルグルといろんなことを考えてしまった。
昨夜は主人も夜勤仕事でいなかった。
考えてしまうと、脳みそって覚醒しちゃうから眠れない。
違うことを考えようと思って、本を読んでみた。
読んでる間は、本の中に入り込もうと思って、その本の内容を考える。
で、眠くなってくるから、電気を消す。
けど、暗くなってしまうと、また考えてしまう。
その繰り返しで、ほとんど眠れなかった。

自分の愛した人でもない、育ててくれた人でもない。
自分が選んだ人を育てた人でもない。
病気になる前、元嫁も一緒に旅行にも行ったことがあるけど
言ってはなんだが、どこかで義弟と出会ったとしても
きっと私は義弟を選ぶことはなかったと思うし、どちらかと言えば
避けて通りたい人だった。
その人の下の世話を、なんで私がしなくちゃいけないのか?
主人の大事な弟だから、主人と付き合い初めの頃
義母と義姉に会うチャンスをくれた人だから
それを支えに看てきたけど、もう限界なんだってば!

そんなことばかり考えてしまうから、何もかもが堂々巡りになってしまう。

ガンマの後、担当医と話した内容は主人にも伝えてあった。
それから主人は、超機嫌が悪くなった。
別に私に当たるわけではないけど、元々が人間不信の主人。
それが再燃したようで、何に対しても否定的になってしまってる。
テレビを観てても、ブツブツと文句が始まるし
それを聞いてる私も、不愉快になるほど口汚く文句を言う。
長い付き合いだから、こういうときは当たらず触らずが一番いいのだけど
義弟のことは相談したいから、かかる費用とか病院でのこととか施設の話はする。

何か光が見えれば、少しは主人の気持ちも和らぐかも・・・と思って
昨日は昼間、ケアマネさんからもらった有料老人ホームの紹介所に電話をして
現状を説明したら、一応は理解を示してくれて
とりあえずその内容で受け入れてくれる施設のパンフレッドを
2~3日中に送ってくれることになった。
もちろん経済的なことも話したので、まだ決定ではないことも伝えた。
情報も知りたいし、ただ待ってるだけじゃ事は進まない。
で、その後主人から電話が入ったので、その話をしたんだけど

「現状は理解出来たって、だからどうなるかなんてわからない」とか
「高い金出したって、やっぱり看れませんって言われるかもしれない」とか
「どうせ結局は家で看るしかないんだろ」とか・・・

そんな否定的なことばかり言われたら、どうにもならないし
要するに、期待はするなと言うことを言いたいのだと思うけど
じゃあ自宅介護にするしかないじゃないかと言う事になってくる。

これは泣き言だけど、主人には働いてもらわなければ困る。
仕事をしてる最中は、勝手にいろいろ考えて人間不信になってるようだけど
病院とのやり取りも、施設探しも、今後自宅介護になったとしても
矢面に立つのは、ずべて私。

「家に帰れば、またアイツの面倒を看なくちゃいけないと思うとうんざりする」

って、今度戻ってくる時は寝たきり状態だ。
リハビリの様子を看てても、動きは良くなってるようだけど
ベッドに戻れば、身体を動かすことはない。
手だけは意味もなく頻繁に動いてるけど、それ以外は動かそうとしない。
昨日も病院に行ったけど、おむつ替えに二人の看護婦さんが来た。
カーテンを閉めちゃうから中でどうやってるのかはわからないけど

「あ、Aさん、動かないで。お尻を持ち上げてくれればいいから」
「動かなくていいのよ、お尻を持ち上げて」

そんな言葉が聞こえてきたから、どういう状態かは想像がつく。
それを私は24時間体制で看なくちゃならなくなるんだよ。
主人より私の方が切羽詰ってるって感じ。
主人には、強制的に退院と言われるまで粘れと言われたけど
その言い訳を考えるのも、私じゃないか。。。
と、それを主人に言ったところで、どうにかなるものでもない。
経済的なところを、一人で背負ってくれてるのだから、文句も言えない。

何か一つ動いても、数日間は待ち時間が必要になってくるし
これ以上どうすればいいのか?

昨日は障害者年金の年金証書が届いた。
1級と認定されたので、もし会社にお給料の支給を止められたとしても
お給料よりは、少しプラスの支給額だった。
先日の人事部長さんの電話で、社長さんがこのままお給料は継続して
支給してくれると言ってたけど、認定が降りたら連絡するようにと言われているから
これを連絡したら、お給料の支給は止まるかもしれない。
それでも、この3月で丸9年面倒を見てもらえただけで、幸せなことだ。
支給が止められたとしても想定内のことで、少しプラスになるのだから
ほんの少しの光だけど、一つクリア出来たと言う感じがした。

ほんのちょっとの安堵感だけど、今の私にはそれだけでもありがたい。
生命保険の外交員さんからは、今書類が本社に回っていて
認定されるかどうかを検討してるけど、来週頭には返事が出来ると連絡も来た。
土・日が入るから、何をどうも出来ないけど、来週また何か動きがあるだろうと
週末は考えたところでしょうがないと思っていたところに
病棟の看護師長と言う方から電話が入った。
これが眠れなかった原因だ。

「担当医とリハビリの先生と、Aさんの今後のことを話したのですが・・・」
「はい・・・」

義弟の状態は、今すこぶる良好で点滴の必要もない。
21日にガンマも終っているので、もう治療をする必要がないとのこと。
次の施設を探しているのか?聞かれたから、現状をそのまま話したのだけど
この看護師長にしてみれば、仕事を真っ当しているだけのことだろうと
思いながら、その言葉を聞いていた。

担当医は、次の施設が見つかるまでと言ったらしいが
本当に施設を探しているのか?と、施設名も聞かれたから5ヵ所の施設名を答えた。
いつ申し込んだのか?というから、去年の10月だと答えた。
ケアマネさんは誰か?そこの電話番号は?と聞かれたから、どちらもそのまま答えた。
その聞き方は、淡々としてて感情はない。
もっともいちいち感情移入してたら、看護師は勤まらないだろうけど。

すぐに施設が見つかるわけじゃないことぐらい知らないのか?
特養と有料の違いも知らないらしいし、介護保険の仕組みもわからないみたい。
分野が違うのだから、当たり前のことだろうけど、なんだか納得もいかない。
だったら、なんで次の施設が見つかるまで病院で看てくれるってなんて言った?
受け入れ先が見つかっても、受け入れ拒否になって
半年1年入院してる人もいるって言ったじゃん。
と、心の中では思ったけど、それは口に出さなかった。
言ったところで、向こうは仕事だし、治療の必要がない者は去れで当たり前のことだ。

介護保険の更新が遅れたのも、意見書に記入漏れがあったからで
介護度が変更にならないと、書類の変更も出来ないって言われていることを
私としては柔らかく話したつもりだったけど、向こうはカチンときたらしい。
介護保険のことはどうでもいいと言われた。
他の患者さんは直接施設に電話をして、移った方もいるから
直接聞いてみてもらいたい・・・って、そりゃあ有料の老人ホームだろ。
次の施設が見つかるまでと言われても、何ヶ月も先では困るので
退院の日にちを決めたい。

なるほどね・・・
結局、ケアマネさんと相談してまた連絡をすると言う事で電話を切った。
さっきも書いたけど、看護師長は仕事をしてるだけなのだ。
これが現実だ。口約束なんか信じるものじゃない。
転ばぬ先の杖は、考えておこうと思った私たちは間違ってはいなかったけど
3ヶ月を目安に考えていたから、こんなに早く催促されるとは思わなかった。

ここから、普段動かさない私の脳みそがフル稼働し始めちゃったよ。
6時半を過ぎてたけど、ケアマネさんに電話をしてみたら、やっぱりもう帰った後で
土・日はお休みだって。
役所ももう終ってるし、こちらも土・日はお休みだし・・・
看護師長から言われたことを、反復作業しちゃって(何しろ年女、丑年なもので)
なんで私が義弟のために、ここまで悩まなくちゃいけないって堂々巡りに始まって
今何をどうすれば良いのか?考え始めちゃった。

一番手っ取り早いのは、自宅介護を選択することだ。
金のない者は、身体と神経使うしかない。
病院を当てにすること事態が間違ってるんだけど、
それでも、ギリギリまでは自宅介護を避けられる方法を見つけたい。

で、朝のエリーのお散歩中に、やっと気持ちが固まった。
生命保険の一時金が降りなければ、有料老人ホームは問題外の話し。
いくら外交員さんが、たぶん大丈夫と言っていても、実際に生命保険の一時金が
振り込まれるまでは、本当に当てに出来るお金じゃない。
かと言って、特養を待つ間病院にいられるわけじゃない。
生命保険は降りると決まれば、今から申し込んで2月中には出るだろうと言われた。
降りるか降りないかの結論は、2月には出るということだ。
2月の中旬には、介護保険の介護度もハッキリするだろうから変更も出来る。
有料老人ホームもいくつかピックアップしておいて、もし生命保険から
振り込まれたら、それと同時に動けるように準備をしておく。
もし、生命保険がダメだったら、自宅介護をするにしても準備がいる。
介護ベッドや、返してしまったリフトもまたお願いしなくてはいけないし
食事は自分の手料理じゃ自信がないから、宅配を頼もうかと思う。
それらの手配も必要になってくるから、準備期間だっているさ。

といろいろ考えると、2月中旬過ぎには、何かしらその先の展望は見えてくる。
そんな気がしてきた。
だったら、2月末日を退院日としてもらって、あと1ヶ月猶予をもらおう。
病院がそれで納得するかどうかという問題は残ってるけどね。

人間不信に陥ってる主人に、昨夜のうちに電話をしようかとも思ったけど
自分の気持ちさえ落ち着いてない時に、私に当たるわけじゃなくても
そういうときの主人の言葉は、返って私を落ち込ませる時があるし
夜勤仕事の最中に、そんな話をしてさらに気分を悪くさせてもしょうがない。
自分の中で結論が出たら連絡しようと思っていたから、さっき電話をしてみた。
どうやら主人も吹っ切れたようで、声の感じが違っていた。

「あのさ、昨夜私も夜勤仕事したわ」
「何の?」
「昨日6時過ぎに、病院から電話が来たよ」

で、↑の話をしたのだけど

「ま、そう上手く行くとは思えないけど、その方向でやってみるしかないな」
「自宅介護も覚悟しちゃえば、どう転んでもいいやって感じだよ」
「そういうことだな」

とりあえず、来週はケアマネさんと役所のMさんにも要相談。
ケアマネさんの名前と電話番号も教えちゃったから、ケアマネさんにも
迷惑がかかるかもしれないから、こちらの考えも伝えて
極力迷惑があかからないようにしないといけない。
生命保険の方も、ちょっと催促してみよう。
ガンの方がダメなら、高度障害に変更してそれも検討してもらいたいし・・・
2月に入ってから、病院には今月いっぱいで退院と言う話をしてみて
ダメだと言われたら、それでもそこから1週間の猶予はほしい。

腹を括れば、どうにかなる・・・と言うか、どうにかしなくちゃならんのだ。
自宅介護となったら、介護虐待・介護殺人、これは我が家にとって他人事じゃない。
限界を感じてる中で、自宅介護に踏み切るのだからね。

「後は自分たちが犯罪者にならないように、努力するだけだね(笑)」

そう言ったら、主人も笑ってた。
笑えるうちは、まだ余裕ってことだ。

義弟が我が家に来て、丸7年8年目に入ってる。
これまで何度も仕切り直してはやってきた。
転んだら立ち上がればいい、立ち上がったら、前に踏み出せばいい。
文句はいろいろあったって、転んで擦り傷だらけになっても
いつも一足先に立ち上がる主人が、手を引いてくれる。

「ビール1本飲んで、寝れば」

そう言ってた主人。
そう思えば、私は恵まれてるんだ。
いつも字を聞かれると、「恵まれない子と書いて恵子です」と言ってたけど
私の名前は恵まれた子、恵子だからね。

これが現実と言うことで、そうと決めたら
週末はのんびり過ごそう・・・って、今週もか?ってことで・・・

やっぱりね。。。

2009.01.21 (Wed) 義弟の病院・病気と症状

主人も私も、転ばぬ先の杖は考えている。
万が一にだって、自宅に戻る可能性も0ではないとわかってはいる。
わかってはいるけど、出来ればそれは回避したいのが本音なのだ。

父の話が終った後、そこで義弟の話しもした。
今日はガンマーナイフの日でもあるから、午後から様子を看に行くことも知ってる。
今後の施設に付いての話にもなった。

「これは僕の経験からのお話なんですけど・・・」

とケアマネさんが話してくれた。
我が家と同じく、次の受け入れ先が見つかるまで病院で看ると言われても
状態が良くなれば、治療するところがなくなる。
担当医が看ると言っても、その上から退院の指示が出れば
治療するところのない患者を、いつまでも病院では看てくれない。
だからやはり退院となったケースを、いくつも見てきているとのことだった。

「だから僕としては、担当医の言葉を100%信じてないんですよね」

このところの、義弟の状態は私が見ても良いと思う。
受け答えもしっかりしてきてるし、短期記憶も少し出来てるように思う。
身体の動きも、自宅で安定して来た頃に戻ってるようにも思う。
車椅子にも乗れるようになってるし、寝返りも出来てるように思う。
寝返りに付いては、無意識に行うことだから、出来てると言えるけど
日中ベッドで過ごしているときは、自分から動こうと言う気はない様子。
たとえば、ベッドを起こされた状態で、身体がどちらかに傾いても

「ねえ、座りづらくない?」
「なんか、変だよね?」

というような感じで、身体が傾いてると言う意識がないらしく
身体の位置を戻すように言っても、理解が出来ないようで
ベッドにいる時は、完全介助になる。
今は私も介護から解放されてるから、イラつきもなく介助をすることが出来ているけど
これを毎日と考えたら、また怒鳴り散らすのは間違いないだろう。
点滴も朝は7時ごろ、夜は9時ごろの2回だけになったらしく
看護婦さんの話では、脳の腫れを抑える点滴だと言っていた。

昨日義弟の会社の方と話してるとき、看護婦さんに声をかけられ

「Aさんは、次の施設は探されてるんですよね?」
「はい、申請はしてますけど、まだ何も」
「それは役所かどっかから、通知が来るんですか?」
「申し込んでる施設から、連絡が来ると思うんですけど」
「わかりました」

なんても言われたことを思い出して、その話もしておいた。
有料の老人ホームを紹介してくれる団体もあるそうで
それらのパンフレットもいただいて、今後のことも考えた方がいいだろうと言われた。

午後3時に病院に到着すると、義弟の病室の手前の廊下で
ちょうど担当医のM先生にお会いできた。

「今日、午前中に終って、もう枠も外れてますから」
「これの効果って、どれくらいで出るんですか?」
「数ヶ月先になると思いますけど、今日照射してますからもう動き出してはいると思います。
 大きさもこの前のMRⅠの時と、変わりありませんでした」

現在金策として、保険会社とのやり取りをしてるので
また診断書を書いてもらいたいという話もすると

「えっと、施設の方はどうですか?探してるんですよね?」

と聞かれた。

介護保険の更新が遅れていて、審査会議が2月2日になるため
認定が降りてくるのが、2月の中旬になること。
それから特養の変更をかけること。
保険会社の認定が降りれば、有料の老人ホームも視野に入れて
探したいと思っているけど、まずは金策をしないとそれも出来ないこと。

などなど説明をしたのだけど、義弟の今の状態はすこぶる良好らしい。
話からすると、M先生もこんなに早く好転するとは思っていなかった様子。
病院にいるので点滴はしているが、今は点滴をしなくても良い状態まで回復してるらしい。

「たとえば、どこかの施設に移っても、また悪化することもありますよね?」
「あるでしょうね」
「そうしたら、またここで看てもらえますか?」
「それはもちろん看ます」
「でも同じ施設には戻れないので、また新しく探さなくちゃいけないみたいで」
「なるほど・・・」
「それの繰り返しになりますよね?」
「そうなるかもしれませんね」
「家でもいろいろ探してはいますけど、まずは金策をしないと・・・」
「わかりました。なるべく早くお願いします」

当たり前のことだけど、治療の必要がない患者は置けないということだ。
それと、脳腫瘍に付いても、最初の手術で取り残してる腫瘍に動きはない。
もしこれが動いたとして、治療法としては、ガンマーナイフを照射し続けるか?
『デモタール』を使用するか?ということで、治療方法はあるということになる。

放射線治療がとお薬が効いてることで、この腫瘍は安定してると言われているけど
義弟の身体は、素人考えだけど、お薬の良く効く体質のように思う。
今回転移した腫瘍に付いては、言葉を確保すると言う意味で
ガンマーナイフをやったけど、取り残してる腫瘍に関しては治療を拒否してるんだよね。
『デモタール』だって、それを飲むことで昔の義弟に戻ってくれるなら
どんなに高額なお薬だって、使ってもらいたいと思うけど
脳腫瘍は安定しても今の義弟のままなら、飲ませることに
何の意味があるのかわからない。だから拒否したい。

そう考えたら、ガンの長期サポートも治療をしない選択をしていると伝えれば
使えるかどうかわからなくなってきたし、高度障害も保険会社の方の面談で
簡単なことなら、わりとしっかり受け答えできるようになってるから
これも使えない可能性も出てきた。
今日の話を保険会社の担当の方にも伝えなくちゃいけないよな。
『デモタール』を使用しても、ガンマーナイフをやったとしても
完全治癒の見込みはないとは言っていたから、これをどう判断してくれるか?
今週中に連絡をくれることになってるから、そのときに伝えることにしよう。

なるべく早く施設を見つけろと言われても、お金がなければ有料は無理。
特養だって、受け入れの連絡がなければ入れないし
面談をしてみなくちゃ、どうなるかわかならいし
ということは、やっぱり自宅介護を考えないといけないってことだ。

主人にこの話をしたら

「やっぱりね・・・だから楽観視は出来ないって言ったんだ」
「まあ、そううまく行くわけがないってことだね」
「でもお前、期待してただろ?子犬入れたい言ってたもんな」
「そりゃあ言ったけど、それは宝くじが当たったらこうしたいってのと同じじゃん」
「今までも、こんなことばっかりだったもんな」
「そうだね、その繰り返しだった」
「少しは楽になるかと思えば、これだもんな」
「病院でも、3ヶ月看てもらえないかもしれないね」
「はあ~、俺一気にブルーに入った」

私の方は、もっとだよ。

退院と言われるか?施設へ移動の催促をされるか?
それを言われるのは私で、どう返事をしていけばいいのか?

ケアマネさんは、今までの私たちの状況を見てきて
自宅介護は限界だと言ってし、私たちだって限界だと思ってるけど
そうは言っても、現実はこちらの気持ちには関係なくやってくるんだよ。

お金が無ければ有料は無理なんだから、今は特養の返事待ちしか出来ないけど
介護保険だって、更新が遅れてるから変更もかけられない。
病院から退院してくれと言われれば、自宅に連れ帰るしかない。

少しずつ、義弟が我が家にいた痕跡がなくなりつつあり
細かいことだけど、戻ってきたら新しい物にすればいいやと
義弟のハブラシを片付けたり、義弟専用のコップやお茶碗を
食器棚に片付けたり、排泄の臭いもなくなって
少々寂しさも感じつつ、過ごしていたし、もしかしても想定して
リビングはそのままに、私達は今も女中部屋で過ごしている。

もしかしては、現実になりつつあるな~。
義弟が戻ってくるかもしれないと思ったとたん、またあの臭いや
排泄の処理に追われる毎日になるのかと思ったら
どんよりとした気分が蘇ってきちゃった。

好転してるかと思ったけど、人生そううまくは行きません!
(´Д`)ハァ・・・

ケアマネさん来訪。。。

2009.01.21 (Wed) 父の看護日誌

今年に入り、義弟のことがあったので、父の方までなかなか気が回らない。
なので、デイの施設の連絡帳に、現在の状況を少し書いて
何かあれば、電話をくれるように頼んでおいた。
今のところは、穏やかに問題なく過ごしているらしい。

今日は父のところにケアマネさんが来る日。
9時45分過ぎに、父の家に行った。

このところ、父のお薬の飲み忘れが気になっているところ。
なので、テーブルの上にはクリアファイルに入れて
お薬箱の横には、貼り紙をすることにした。

飲み忘れ注意!!

朝8時と午後1時お薬を飲む。

日付と曜日は間違ってないか?
朝は飲んだか?
お昼は飲んだか?

必ずお薬箱を見て確認すること!

飲み忘れてばかりいたら
もっと手が震えちゃうからね!

お薬は朝とお昼1日2回
きちんと飲みましょう!!


貼り紙を見せて、クリアファイルはテーブルの上に置き

「ジイジ、これ見てちゃんとお薬飲んでよ」
「わかった、わかった」

この「わかった」が曲者なんだってば。

「これで飲み忘れたら、毎日電話するからね」
「そこまでする?(笑)」
「だって、お薬飲まなかったら、もっと手が震えちゃうんだよ。それでもいいの?」
「いや、薬飲めば手の震えはなくなるんだよ」

だから、そのお薬を飲み忘れんるんじゃろが!
Ⅰ先生には、調子が良いから飲み忘れるんだろうけど
ずっと飲み忘れるのは、進行してしまうから要注意って言われたからね。

時間通り10時に、ケアマネのTさん到着。
今月から、月・木・土と週3回になったデイ。

「週3回になりましたけど、どうですか?」
「いや、別に問題はないよ」
「知ってる方はいましたか?」
「うんうん、いたよ。顔合わすと、(手を上げて)よっ!てあいさつするんだよ」
「じゃあ、良かったですね」

お薬の飲み忘れに付いては、少し症状が進んだかもしれないけど
この貼り紙に期待して、様子を見ることにした。

「施設でよ、Kさんに進さん、お薬ちゃんと飲まなきゃダメよって言われたよ」
「そうだよ、Kさんにもお願いしたんだもん」
「そうか~、だから言われたのか(笑)」
「朝も電話で、お薬飲みました?って聞かれない?」
「いや~聞かれねえな~」
「あれ?施設にはお願いしてあるんですけど、もう一度お願いしておきましょう」

父が忘れてるだけかもしれないんだけどね。

「お薬飲み忘れてばかりいたら、毎日デイに行ってもらうからね」
「毎日~」
「そうだよ、家にいたらみんな忘れちゃうんだから」
「そこまで言う?」
「言われたくなかったら、ちゃんとこれ見てお薬飲んでよ」
「わかった、わかった」

だからこの「わかった」が曲者なんだってばよっ!

あんまりキツく言うと、父はしょげちゃうのでここまでにした。

ケアマネさんがデイでの様子を聞くと、ゲームのことやお風呂のこと
食事のことなど、まあいつも同じ話ではあるけど
楽しそうに話していたから、父にはピッタリの施設だったのだと思う。

お薬に付いては、しばらく様子を見ることで
あとは問題なく、月に一度の面談終了となった。

義弟の方もどうなるかわからないからさ。
まだまだ父には、一人でがんばってもらいたい。

お薬ちゃんと飲んでよね、頼むぞ!ジイジ!

恵まれたこと。。。

2009.01.20 (Tue) 義弟との日々の出来事

今日の午前中は、保険会社の方が来ていた。
↓でも書いたけど、リビングニーズは無理だろうと思っていたとおりだったので
高度障害で請求をしてみるか?
ガンの長期サポートで、請求をしてみるか?

最初に問い合わせた保険会社宛てで、診断書が出来ていたのだけど
その診断書の最後に、回復の見込みなしと判断されたのは昨年の6月と書かれていた。

高度障害で請求すると、そこに遡って保険金が一括で降りるそうで
今月まで支払った保険金も返金されるそうだ。
なので、もし今回の入院給付金をいただいてしまうと、それも返すことになるそうだ。

ガンの長期サポートでの請求は、一時金として降りる。
これは借り入れと同じ考え方で、3年間の利息を差し引かれるらしい。
が、同時に入院給付金も請求できるので、こちらでの請求がいいだろうと言うことになった。
手術で取りきれていない、腫瘍がまだ動かない状態で残っているので
これを保険会社の査定で、どう判断するかによるらしい。

いろいろ相談した結果、これらの情報を持ち帰り
事務方と相談して、今週中に連絡をくれることになった。

3年分の利息を引かれる・・・この3年と言う月日がズシッときた。
この先、まだ3年あるかもしれないと言うことだ。
『死』を望んでいないと言えば嘘になる。そう思うことだってあるんだから。
でも『生』にだって、こだわれない。複雑な心境だった。。。

この保険会社の方と話しているとき、先日お見舞いに来てくださった
義弟の会社の人事部長さんから、お電話をいただいたので
終り次第また連絡するということで、すぐに電話を入れた。

「社長にAくんのことを話したんだけどね、社長がお義姉さんよくやっているって
 とても感動されていたんだけどね・・・」
「いえいえ、ありがとうございます」
「でね、うちの社長も気遣いのある人なんだけど、個人的なことだから
 言いたくなければ言わなくていいんだけどね・・・」

ん?いったいなんだろう?と思っていると、要するにこういうことだった。

先日来ていただいたとき、我が家の事情も何もかもお話したわけだけど
義弟の会社の社長さんが、私のことをとても褒めてくださったらしい。
経済的なこともお話してたので、今後も義弟のお給料を現状のまま
支給してくださるとのこと。
そこで社長さんが気になさったのは、義弟の保険金の受取人のこと。
義弟が我が家に来て数ヶ月経った頃、主人と人事部長さんが一度お会いしている。
その頃離婚は成立していたけど、通帳とキャッシュカードはまだ元嫁が管理していた。
家の売却が済むまでは、自分が管理したいとのことだったのだけど
義弟のお給料はその通帳に振り込まれていた。
売却が済み、住宅ローンを支払い残りの400万とそれ以外すべて引き出され
残高20万弱で、通帳は戻ってきたのだけど、そのことも人事部長は知っていたし
2社の保険のうち、1社は義弟が元嫁に残したいと言って、受取人の名義を
変えていないことも知っていた。
なので、保険金の受取人を変更したのかどうかと言うことを心配されたらしい。

「そこまでの面倒を看てるのに、亡くなったら保険金は元嫁なんて
 そんなバカな話はない!って、うちの社長が気にしてね」

そう言って、怒ってくれたらしい。
受取人はどちらも主人に変更してあることを伝えると

「じゃあ、良かった。もう関係ないんでしょ?縁は切れてるんだよね?」
「携帯を失くしてからは、もう連絡を取ってないと思います」
「それなら、良かった!大きなお世話だとも思ったけど、そんなバカな話はないからね」

障害者年金も結果が出たら教えてほしいと言う事で
人事部長さん、「安心した」と言って、電話を切った。

主人にもこの話を伝えると、とても喜んでいた。
業界では一流どころの会社なんだよ、本当に。
いくら幹部クラスだったからとは言え、休職して今年で10年目を迎える社員のことを
ここまで心配してくれる会社がどこにあるんだろう?
社内では、もう義弟のことを知らない人だっているのだし
それが問題なったことだってあるはずだ。
それでも今後もお給料の支払いは、継続してくれると言う。
本当にありがたく、恵まれたことだと思う。

明日はガンマーナイフがあるので、様子を看に行きたい。
だから今日は行くのをやめようと思っていたのだけど
午後1時半過ぎになって、義弟の会社のMさんから電話が来た。

「今日はうちの常務がこっちに来てるんだけど・・・」

ということで、病院に来てくださるとのこと。
3時に来るというので、2時40分過ぎに病院に行って待つことにした。
義弟は前日、床屋さんに行ったので、丸坊主になっていてスッキリしてた。

「弟くん、UさんとMさんが来てくれるってよ」
「えっ?U本部長が?」

Uさん、今は常務になっているけど、義弟の中では本部長らしい。

「うん。もうそろそろ来ると思うけど」

が、3時からリハビリに入ることになってしまったので
まずは義弟を車椅子で、リハビリ室に連れて行き、先生に聞いてみたら
見学しながらお話しても良いと言われたので
エレベーターのところで、会社の方を待つことにした。
5分ほど待ったところで、常務のUさんとMさんが到着。
事情を説明すると、一緒に見学すると言われたので、リハビリ室に案内した。

「Aさん、今日は良い所見せないといけませんね」
「うん、そうだね」

前日と同じリハビリで、どうしてもキョロキョロはしてしまうし、指示も入りにくい。
けど、Uさんも声をかけてくださるので、義弟も適度に緊張感を持っていたらしく
身体の動きとしては、前日よりもはるかに良かった。

30分のリハビリにお付き合いいただき、今度は病室へ。
ベッドに移動させて、しばらく会話を楽しんでいた。

「お義姉さんに、感謝しなくちゃダメだぞ」
「・・・・・」
「感謝はしてくれてるんだよね?でも時々うざったいんだよね」(私)
「この人はね、言うと○×△□※・・・・・」

聞き取り不能だったけど、なぜか笑っていたので、その場はみんなが笑った。
ふと見ると、Uさんの目に涙が光ってた。

「ケンがいないと、工場が汚くなっちゃって困るぞ。リハビリして、早く復帰して来いよ」
「そうか~、たまには工場に顔出さないとダメかな?」
「そのためには、早く歩けるようにリハビリがんばれよ」
「はい、わかりました」

受け答えも、わりとしっかり出来ている。
疲れも出てきたのか、少しウトウトと始まったので、帰ることになった。

「じゃあ、ケン。リハビリがんばるんだぞ」
「はい」

そう言いながら、涙を拭いてるUさんを見てたら、切なくなった。
義弟のバリバリと働いてる姿を思い出したのかもしれない。
見てくれを気にする、わりとカッコつけマンだった義弟が、老人のような容姿。
そのギャップは大きいと思う。

私も一緒に帰ることにして

「今日はTさんからもお電話いただきました。社長さんには私のことまで
 気にかけていただいて・・・」
「あ~、昨日社長とTと話したから、Tがいろいろいろ説明してから」
「本当に感謝してもし切れないほど、良くしていただいてて、ありがとうございます」
「いやいや・・・」
「主人もくれぐれもよろしく言ってましたので、社長さんにもよろしくお伝え下さい」
「はいはい、お義姉さんも身体気をつけて」
「はい、ありがとうございます」

そう言って、駐車場で別れた。

本当にありがたいことだと思う。
感謝の気持ちだけは、絶対に忘れないでいたいと思う。

いろいろ大変ことはある。
これからだって、どうなるかはわからない。
でも私達夫婦も義弟も、決して不幸ではない。

どちらかと言えば、恵まれていると思う。

う~ん・・・・・そしてなんとか、お金にも恵まれたいな・・・・・(* ̄ー ̄)> てへ

見送り。。。

2009.01.20 (Tue) 成人後見制度

義弟の後見人に、私がなるということで、義父と義姉から同意書ももらい
その他諸々必要書類も整って、後は私が書類を書いて申立と言う段階。

これをやろうと思ったキッカケは、義弟の持っている株にあった。
と言っても、このご時世、株が暴落しているので、今解約すれば大損もいいとこ。
でもいずれどこかの施設に入居とか、万が一入院となれば
経済的なことを考えたら、大損も何も言ってられなくなる可能性もある。
判断能力も理解力もない義弟が、株の解約が出来るはずもないから
いろいろな意味で、後見人を立てておこうと話していたんだけど
義弟が入院したことで、他の方法が見つかった。

義弟は2社の生命保険に加入していた。
入院給付金特約を付けている保険会社に連絡を入れたのだけど
そこでありがたい特約が付いてることがわかった。
我が家に来た時加入していた保険は、42歳になると掛け金が3倍になる保険だったけど
そんな金額払えるはずもなく、3年前に主人が保険の内容を見直して
死亡受取金額を一番低く設定しなおして、それまでの保険金を下取りにして
60歳まで掛け金を均等にしてもらっていた。
同時に指定代理人を、主人にしていたので、義弟に判断能力がなくても
主人が代理人で請求が出来るようになっていた。

おまけに1年以上前になるらしいが、その頃は義弟宛に来た郵便物は
封を切らずに義弟に渡していたから、知らなかったのだけど
同じ保険会社で、新しい特約が出来て、無料で付けられるということで
がん治療特約と言うのを、義弟が申し込んでいたらしい。

まずは高度障害特約。
これは保険会社が決める高度障害に、義弟があてはまるかどうかと言う問題があるけど
認定されれば、死亡受取金と同じ額が降りてくることになり、これで終了となる。

次がリビングニーズ。
これは余命6ヶ月と診断されれば、一時金が下りる。
ただし、これには担当医が余命宣告できるかどうかと言う問題もあり。

そして、ガン治療特約。
ガンと診断され、治療しても治癒の見込みがない場合、これも一時金が下りるらしい。
当てはまるとすれば、これだと思うのだけど・・・

どの特約で下りてきたとしても、義弟がもし今後どこかの施設に入居となれば
1年持つかどうかと言う金額だけど、それでもとりあえずは経済的な部分がクリアになる。
1年持ってくれれば、彩佳も大学は卒業になるし、主人のトラックのローンも終る。
そうなれば、ずいぶんと経済的にも楽になってくるだろうと思う。

今はその手続きのために、保険会社の方とやり取りをしている最中。

入院中はなんとか義弟のお給料で賄えそうだだから、義父と義姉からの
援助の件も一先ず延期にした。

成人後見制度の申立も、保険会社との話がうまく行けば今は必要がなくなるので
こちらも見送ることになった。。。

後見人の仕事内容って、読んでいたら結構大変な仕事だったから
憂鬱でもあったんだよね。

もし保険が下りてくれれば、今年は波乱の幕開けだと思っていたけど
もしかすると、いくらか好転してるのかもしれない。

でも病院に預けてしまったと言う、後ろめたい感情と、罪悪感もあるし
義弟の状態だって、楽観視は出来ないけどね。。。

安定。。。

2009.01.20 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

ここ数日の義弟は、かなり安定してきた。
点滴も1日中ではなくなったようだし、感情コントロールは出来てないようだけど
イライラすることも少なくなったせいか、目つきも穏やかで暴言も鳴りを潜めてる様子。

土曜日は昼食の最後の方くらい介助しようと思って、1時に到着。
あちこち余所見をしながら、食事をするのを手伝ってきた。
やっぱりスプーンの持ち方が、不安定になってきてるから
うまくスプーンですくえなくて、こぼしてしまう。
なのでスプーンに一口サイズをすくって、自分で持たせて口に運ばせるようにした。
でも身体の方は、しっかり座位が出来てる様子。
と言っても、ベッドを起こしての状態だから、支えは必要ということになるかな。
食事が終って、少し義弟と話をした。

「調子はどうですか?」
「うん、いいよ」
「今日は午前中何をしたの?」
「・・・・・なにも・・・・・」
「リハビリは?」
「今日はないみたい」
「土曜日だから、お休みかな?」
「・・・・・そうみたい・・・・・」

そう話してると、目をつむってしまったので

「眠いの?」
「うん」
「じゃあ、私帰るよ」
「えっ?もう帰っちゃうの?」
「いた方がいい?」
「そりゃあ、いた方がいいよ」
「じゃあ、もう少しなんか話そうか?」
「うん」

で、くだらない話をしながら、引き出しを開けたら、リハビリの計画書が入っていた。
それ見ながら、また少し話をして、しばらくしたら

「あ、書類もらいました?」
「引き出しの中にリハビリ計画書は入ってましたけど」
「先生から預かってる物があるので」
「あ~、わかりました」
「今身体の向きを変えますので、少し廊下で待っててください」

そう言われて待っていたら、先日の説明の時渡した診断書が出来ていたのと
入院計画書と言うのをもらった。
身体の向きを変えると言う言い方だったけど、実際はおむつ交換だった。
ちょっとした気遣いなんだけど、なんだか申し訳ない気がしちゃうんだよね。

元旦にデイでお風呂に入った後、3日は発熱でお風呂に入らず。
安定してきたら、病院でお風呂にも入れてくれると言っていたけど
まだお風呂には入ってない様子。
本当は今月のショートで、床屋さんもお願いしようと思っていたから
ヒナ鶏のようにホワホワした義弟の髪の毛は、もうぺったりとしてきてる。
リハビリも始まり、車椅子にも乗れるようになったので
病院内の床屋さんに連れて行ってもいいか?
床屋さんに連れて行くには、予約が必要なのかどうか?
看護婦さんに聞いてみた。
水曜日にはガンマーナイフもあるから、それまでに坊主にしてもらった方が
枠の取り付けにも良いかなと思ったりもして・・・

「月曜日に、床屋さんに連絡して時間を見て連れて行きますから」
「えっ?やっていただけるんですか?」
「こちらでやりますよ」

なんだかね・・・自分が出来ない・・・いや、やりたくないから
病院に預けてしまったと言う、後ろめたさとでも言いましょうか・・・
なんでもやってもらえるありがたみと言うか・・・申し訳ない気持ちになってしまうのだな。

「弟くん、床屋さん行って、入院中は坊主にしてもらっちゃおうね」
「やだ」
「坊主はいやなの?」
「うん、やだ」
「でも床屋さんは行きたいでしょ?」
「うん」

と話してるうちに、やっぱり眠りに入ってしまう。

「じゃあ、弟くんまた来るからね」
「帰っちゃうの?」
「うん、洗濯物もしまわなくちゃいけないから」
「あ~そうか」
「また来るから、少し眠りな」
「うん」

そう言って、土曜日は帰って来た。

日曜日、今週は病院に行かず身体を休めると言っていた主人。
朝のお散歩時に、どうやら腰がズキッときたらしく、伸びなくなった。
この段階で、ストレッチやマッサージをしておかないと、絶対にギックリになる。
椎間板と頚椎のヘルニアを持ってるから、今までの経験でどうすればいいかは
主人が一番わかっているので、家でマッサージと湿布で様子を看ることにした。

いつもなら1週間は早くやってくる、私の生理。
筋腫持ちだから生理痛も辛いんだけど、先月がとても軽かったのに
今月はなんと10日遅れでやってきた。
土曜日の朝から、体調は今一つだったけど、日曜日は完全にダウン。
とは言え、主人の腰のマッサージをしながら、1日ゴロゴロすることにした。

昨日月曜日、午前中に来客あり。
紙おむつの補充もあるし、義弟の様子も気になるし、任せっぱなしというのも気が引ける。
なので、3時からの面会時間に出かける予定でいたら
2時過ぎに病院から電話が来た。
お願いしていた床屋さんに連れて行ってくれるそうな。
坊主と言っても、1mm2mm5mmなど長さがあるんだって。
なので、一番短くしてもらってくださいとお願いして、3時に行くことを伝えると

「3時からリハビリ予定なので、病室にいないかもしれません」
「リハビリの見学は出来ますか?」
「出来ますよ」

ということで、リハビリ前になるか?後になるかはわからないけど
床屋さんもお願い出来るそうなので、3時に直接リハビリ室に行くことにした。

3時10分過ぎに到着すると、義弟はリハビリ室で車椅子に乗り居眠りしてた。

「弟くん」
「あ・・・」
「これからリハビリ?」
「うん」
「身体動かすのに、眠ってちゃダメだよ。起きてて」
「そうだね」

まずは持って行った紙おむつを病室に置いてきて戻ると、リハビリが始まるところ。

「ご家族の方ですか?」
「はい、姉です」

と伝えて、見学させてもらうことにした。

車椅子から、マットへの移動。
先生がいくら声かけをしても、高次脳機能障害が邪魔をするから
自発はない、意欲もない、依存が強いで、自分から動く気がない。
しかも注意欠陥も出ていて、キョロキョロとあちこちを見ていて集中しない。

「ご自宅でも、こんなにキョロキョロしてたんですか?」
「高次脳があるので、集中力がないんですよね」

見学と言いつつ、黙って看てられない私、またまた口出ししてしまった。

「弟くん、集中して!足を動かすのよ。この足」

とポンポンと叩いて、指示を出してしまった。

「あ、すいません。口出しして」
「いいですよ。一緒にやりましょう」

だってね、先生の言い方があんまりにも優しいから、義弟は自分がやらなくても
やってもらえることわかっちゃってるんだよね。

「弟くん、自分でやるのよ。自分で出来るようにならなきゃ退院も出来ないのよ」
「うん」

・・・が、心ここにあらず・・・あちこちキョロキョロしてちゃってた。

リハビリ
まずは、関節を伸ばすことからなんだけど、この態度。
やってもらいながら、居眠りまでしてしまう。

「Aさん、寝ちゃダメですよ」

と声をかけられるけど、うっかりすれば目をつぶっていた。
それから膝を立てて、腰を自分で持ち上げる動作。
出来ることは出来るんだけど、集中してないから途中からはただ動かしてるだけになる。

「Aさん、あと10回やりましょう。自分で数えてね」

だけど、1度に2つのことが出来ない義弟。
数を数えれば腰が上がらない、腰を上げれば数がわからない。
その間もあちこちに意識が飛ぶ。
次の準備のために、先生が離れてる間、義弟に足を持ち上げるように言うと
リハビリ2
右足はここまで持ち上がるけど、左は持ち上げた状態を保つことは出来ない。
けど、まったく身体が動かなかったことに比べれば、ずいぶんと回復してる。

「ずいぶん良くなってきたね~(笑)」
「でしょう~(笑)」

次は目の前に大きな鏡が用意され、その前で歩行器を使って立位。
リハビリ3
目つきを見ればわかるけど、まったく集中してない。
鏡を見ながら、自分の姿勢を確認しての立位なんだけど、鏡を見ないんだな。
15秒ほどで座ろうとするので、先生がまだ座ってはいけないと言うけど
30秒立っていられず、勝手に座ってしまう。座ってから鏡を見て、髪型を気にしてる。
使い方が違うんだってば(^m^*)

「立ってるのはキツイ?」
「いや~もうキツくて、キツくて・・・」

キツいと言うよりも、立っているということは、そこに集中しなくては倒れてしまうから
それを維持することが出来ないから、キツいと言う表現をするのだと思う。
家にいる時は、本人が勝手に動き出した時は、つかまるところが見つかれば
自力で立つことはで来たけど、支えがなければ出来なくなってた。

次は平行棒を使って、歩行訓練。
先生が言うには、平行棒につかまると、手の移動が出来ないことに困ったと言ってた。

「一度何かをつかむと、離せなくなっちゃうんですよね」
「そうなんですよ」
「家では、移動させるときはつかまるなって言ってました」

で、筒状の手すりだとつかんで離せなくなるので、手を置けるタイプの平行棒へ。
リハビリ4
平行棒での歩行訓練は、楽しいらしく笑顔も見れた。
歩き始めると、やはり支えは必要で、右足よりも左足の方が前に出る。
右足を軸にしていると左足は前に出るけど、左足が弱いため左足を軸にすると
支えることが出来ず、右足をすぐについてしまうということらしい。
車椅子に移動の時など、足を動かすことが出来ないのに
平行棒では動くのは、義弟がそれを楽しいと思うから
意欲も弱冠出るからだと思う。

ここまでのリハビリを、約30分間で行っていた。
家でもそうだったけど、日によって体調に変化はあるらしい。
水分量・栄養量・お薬の血中濃度が少し変化しただけで
調子の良い時、悪い時があるみたい。
自宅にいた頃は、原因がわからなかったけど、こうやって説明をきちんと聞くと
なるほどと納得が出来る。

その後、床屋さんの予約が入っていると聞いてたので、床屋さんに連れて行き
終ったら、看護婦さんが迎えに来てくれることになっていたので
時間も4時を過ぎてしまったから、私はここで帰ることにした。

「弟くん、短く切ってもらうからね」
「うん」
「入院中は短い方が、タオルでゴシゴシ出来るから楽でしょ?」
「うん、そうだね」
「終ったら、看護婦さんが迎えに来てくれるから」
「もう帰るの?」
「エリーのお散歩があるから、また来るから」
「うん、わかった」
「じゃあね」

そう言って、帰って来た。

ベッドの上では、まったく動こうとしない義弟で
寝返りもおむつ交換の時にやってもらっている。
でもリハビリの見学をして、身体の機能はいくらか回復したように思う。

気持ちも穏やかなようだし、この安定した時期をどれくらい保てるか?
考えたところで、なるようにしかならないんだけどね・・・

M先生の説明。。。

2009.01.15 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

主人には

「けんちゃん、私はもう限界。先生にそう言ってくるよ」

そう言ったら

「お前だけが限界じゃなくて、私達が限界だって言ってこい」

主人がそう言ってくれた。
もちろん病院から退院と言われれば、それはそれで対応しなくていけないし
現実はイヤでもやってくるのだから、それに向き合わなければいけない。
それをわかった上で、限界だということを伝えようと思った。

先生と会って、すぐに義弟の様子のことを聞いた。

「今だいぶ状態が良くなってきましたよね?」
「今は良いですよ」
「この前先生が点滴の針を刺し直してくれた後、看護婦さんにもかなりの暴言を
 吐いてましたけど、家でもああいうことはありましたが、ずっとああだったんですか?」
「いや、ステロイドの点滴を流したら、効き過ぎちゃったみたいで
 感情コントロールが出来なくなっちゃったみたいなんですよ」
「あ~なるほど・・・」

そこで納得が出来た。
ちょっとしたことなのに、いきなり怒鳴りつけたり、会社の方が来た時涙ぐんだり
妙に納得してしまって、少し気持ちが落ち着いた。

それからガンマーナイフをやる意味をもう一度聞いてみた。
今動いてる腫瘍がイタズラを始めると、言葉が話せない、言葉を雑音としかとらえない。
また自分は言葉を発することが出来ても、相手の言葉が理解できない。
その逆に、相手の言ってることはわかっても、言葉を発することが出来ず
自分の言いたいことが言えないとなると、かなりのストレスを抱えることになる。
「痛い」「かゆい」も言えなくなるが、身体は動くと言う事で
奇声を発したり、暴れたりということもあるらしい。
理解出来る出来ないは別で、本人の意思は聞くことが出来るから
やはりガンマーナイフはやった方がいいと言われた。
これに納得して、ガンマーナイフは来週21日の水曜日に行うことになった。
やり方などを説明されたのだけど、ガンマーナイフは頭に枠を取り付ける。
その枠に目盛りが書いてあり、そのままMRⅠを撮ることで
腫瘍の場所を確認して、30分から1時間ほど照射するそうだ。
朝その枠を取り付けて、早ければ午前中で終るし
長くても夕方には、枠を外せるらしい。

「でも先生、今の義弟の状態でジッとしてることが出来るんですか?
 枠を気にして触ったり、動いたりもしますよね」
「もっと動きのある方でもやってますし、危険の無い程度に
 鎮静をかけて眠ってもらうので、大丈夫ですよ」

これまた納得。

「この前先生、身体が栄養を吸収しないって言ってましたけど・・・」
「あ~、今なら自宅でも大丈夫ですけど、それはご家族の方の判断ですが」
「いや、先生。家ではと言うより、私が無理です」
「でしたら、このまま病院で構いませんけど」
「でもこの前みたいに暴言を吐くだけならいいですけど、暴力だってありえますよね?
 そうなったら看護婦さんにご迷惑かけちゃうし、病院でも無理ってことになりませんか?」
「脳外のナースは、Aさんよりもっとひどい状態の方も看てますから。
 それなりに対応して行きますので、そこは心配しないでください」
「ずっと病院で看ていただけるんですか?」
「施設とか探されてるんですよね?」
「はい。経済的なこともあるので、介護保険が使えるところで探してますけど」
「でしたら、次の受け入れ先が見つかるまでは病院でいいですよ。
 ただそのときのAさんの状態にもよりますけど」
「じゃあ、自宅に戻さなくても良いってことですか?正直もう限界なんです」
「前にも話しましたけど、Aさんの身体は老衰に近い状態ですから
 これからもどう変わるかわかりませんし、放射線も前頭葉に特に強く当たってますから
 高次脳の症状もかなり出てますし」
「あ、高次脳のことは私かなり勉強したので、憲児がどの症状に当てはまるかは
 わかってます。記憶障害・注意欠陥・遂行障害に、自発もないし
 意欲もないし、依存も強いですから、前頭葉にかなりのダメージがあるなって」
「なるほど・・・ナースもそれなりに対応しますから、そのことを気になさらなくて
 いいですから、次の受け入れ先が見つかるまでは、病院で看ます」

これを聞いて、かなりホッとして安堵したら、また涙が出た。

↓でケアマネさんとの会話で笑って書いたけど、あれは切実なことだ。
この前介護殺人の判決がテレビで流されていた。
殺めるというのは短絡的だと、裁判官が言っていた。
その言葉に違和感がある。決して、短絡的なんかじゃない!
何度そう思う、思ってしまう気持ちにブレーキをかけて
自己嫌悪を感じながら、自分の持つ感情を押し殺して、介護をしてると思ってるだろう?
何度も何度もガマンを繰り返して、限界が来ちゃったってことじゃない。
どのタイミングで理性がなくなるかなんて、自分でもわからないもの。
症状もいろいろあるから、穏やかな認知症方もいるだろうし
上手に介護されてる方もいらっしゃると思うけど
自宅介護には忍耐が必要ってことだと思う。

義弟のようなケースは、極々稀だと言われているから
もしかすると、病院でも経過を知りたいってこともあるかもしれない。
そうだとしてもいいんだ、それが今後の医療に役立つならそれでいいって
主人も言っていた。

とりあえず、介護からは解放されたと言っていいと思う。
次は受け入れてくる施設探しもしなくちゃならない。
ケアマネさんだけに頼ってるわけにも行かないだろうし
これから先がどれくらいあるのかも、担当医でさえもわからないのだからね。
とは言え、経済的なところも含めて、やるだけのことはやってみようと思う。

成人後見制度の申立も、今月中には済ませたいし
他にも認定されるかどうかわからなくても、手続きだけは
した方がいいものがいくつかある。

どうなるかわからないからこそ、転ばぬ先の杖ってことだな・・・

来客。。。

2009.01.15 (Thu) 義弟との日々の出来事

昨日は、M先生の説明が2時から3時の間と言う予定だったのだけど
前日、義弟の会社のMさんから

「明日、T部長が午後から病院に行きますので、同行します」

とメールが来た。
T部長は義弟の会社の人事部長さん。
担当医の説明があることを告げて、2時から病院で待機してることを伝えておいた。

で、夕方今度は、ケアマネさんから病院に別の用事があるから
夕方病室に寄りたいということで、会社の方と重なることはないだろうと
しかも横着な私なので、一度で済めばいいかと思って承諾した。

義弟が発症してから、今年の3月で丸9年になる。
今でもお給料を出してくれる会社はない!と言い切れると思う。
義弟が会社に残した業績もあるだろうし、義父も同じ会社で
定年前は、取締役になっていたことも、関係しているかもしれない。
それでも、休職と言う形はわかるけど、お給料まで出してくれて
今も自分の健康保険が使えると言うのは、家族にとってはありがたい話で
Mさんは時間を作っては、自宅に来て様子を見に来てくれていたし
T部長も時折電話をくれていたし、社長から直にとということはなかったけど

「Aはどうしてる?まだ自分のことは自分で出来てるか?」

などと、Mさんに聞いてくることもあったらしい。
業界では一流どころの、義弟の会社。
年末から派遣切りで騒がれている世の中だけど
人情味あふれる会社とは、この会社のことを言うのだろうと思う。

火曜日の暴言の後、気持ちの中ではまだ義弟の顔は見たくなかった。
でもしこれが自宅だったらと考えて、こういうことの後顔を見たくないと思っても
仕切り直しては何度もまたやってきたんだと思い、気持ちを切り替えることにした。
顔を見たくないからって看護婦さんに任せっきりなんて、申し訳ない気もした。

2時ピッタリに病院に到着して、ナースセンターで声をかけて病室に行くと
別の看護婦さんに、髭剃りをしてもらっていた。
会社の方が来るから、顔もさっぱりして、良かったと思った。
またメモが貼られていて、おむつが無くなっていて、病院から借りていると書いてあった。
点滴の針は刺したままだったけど、点滴はしていなかった。
今日の顔は、この前とは違ってずいぶんと穏やかに見えた。
おむつを補充するために売店に買いに行きながら、先日帰ってしまったことを
看護婦さんに謝った。

「一昨日はすいません。ずいぶん暴言を吐いてる様で、それを見てたら
 家でのことがフラッシュバックしてしまって、本当は夕食の介助をしようと
 思ってたんですけど、すぐ帰っちゃったんです」
「大丈夫ですよ。それよりもお義姉さんの方が、大丈夫ですか?」
「すいません」
「今日は先生とお話があるんですよね。先生に連絡しますから、病室で待っててくださいね」
「おむつだけ買ってきますので、義弟の会社の方もいらしてるから病室で待ってます」

看護婦さんに心配までかけちゃったよ。
エレベーターを降りたところで、T部長とMさんに会った。
おむつを買ってくるので、先に行っててもらえるように言って
急いで戻り、病室の手前で会社の方に追いついた。

「弟くん、T部長とMさんが来てくれたよ」
「えっ?」

T部長とMさんの顔を見ると、起き上がろうとした義弟に

「あ、いいよ。起きなくていいから」(T部長)
「でもそういう訳にはいかないから」
「起きるの?」
「うん」
「じゃあ、ベッド起こすから、ちょっと待って」

そう言って、ベッドを起こした。
やはり部長さんが来たことで、少し緊張感が出たらしい。
けど、T部長が話しかけてもあまり良い反応ではなく
小さな声で何か話してるのだけど、聞き取りづらかった。
食事が終って髭剃りもしてもらったから、疲れたのかもしれない。
MさんはT部長がいたせいか、口数も少ない。
T部長も反応が薄いし、話してる内容もよくわからないから
何をどう話していいかわからないように見え、私に話しかけてきた。
義弟はそれを聞いてるのか?聞いてないのか?
ベッドは起こしていたけど、目をつむってしまうことも多く、話してる内容は
わかってない様子、話が途切れたところで

「弟くん、T部長さんとMさんが来てくれて、良かったね」
「うん」

と、うなづきながら少し涙ぐんだ。
あまり感情もなく、意思表示もなかった義弟なので、ちょっと不思議な感じだったけど
その理由は、その後の担当医の説明で納得が出来たんだけどね。
目をつむったり、私の顔をジッと見つめたりするので

「弟くん、聞きたいこととかはないの?何話していいか?わからない?」
「うん」
「でも嬉しいんだよね?」
「うん」

などと話してるところに、看護婦さんが車椅子を持って来た。

「すいません。リハビリの声がかかったので」
「リハビリ始めてるんですか?」
「そうなんですよ~、昨日から始めたんだよね~。Aさん」
「車椅子も乗れるようになったんですか?」
「そうなんですよ~」

そう言いながら、移動の準備が始まった。

「Aさん、自分で足動かしてね。動かしてくれないと車椅子に乗れないからね」

そんな風に声をかけていたので、高次脳のせいで自発はなく依存性が強いのは
変わりないだろうから、私も一緒に声かけをしながら、移動を手伝うことにした。

「Aさん、私につかまって。いい?移動するよ~」
「弟くん、右足動かして。この足動かすの」

が、右足を動かさないので、移動が出来ない。
義弟よりも私も小さくて細い看護婦さんに、義弟が抱きつく形で移動させるのだから
大変な作業だよ。

「ちょっと待って下さいね。車椅子少し動かします」

少し車椅子を移動させながら、声かけをして車椅子に移動。
1時間ほどのリハビリに出かけた。
関節が固まらないよう、リハビリをお願いしてると担当医から聞いていたけど
14日から、1日1回1時間ほどのリハビリが始まったそうだ。
先生の都合がついたら、呼んでもらえるように伝えて
待合室で会社の方とお話をすることにした。

今までの経過や今の義弟の状態。
これからガンマーナイフの説明が担当医からあるので、今後のことも聞くと言うこと。
経済的に厳しい状態なので、今でもお給料を頂けていることは
本当に助かっていることへのお礼。
今後自宅介護は、私自身が限界だから、出来ればこのまま自宅には戻らず
どこかの施設に入れればと思っていること。

などなど、私の愚痴まで話してるうちに涙が出てきてしまった。

「正直に言って、下の世話が一番辛いです。出来ればもうやりたくないのが本音で・・・」
「いや、お義姉さんはよくやってますよ。普通はここまで出来ないでしょ」(T部長)
「そうだよ。俺なんか、自分の子供のおむつだって変えられないのに」(Mさん)
「どこか良い施設が見つかればいいね」(T部長)

今現在私達夫婦が考えていることも話しているところに、看護婦さんが呼びに来た。
M先生との話しは、この後改めて書くけど、20分ほど話して
待合室で待っている会社の方にも、M先生との話を説明した。
結果としては、次の受け入れ先が見つかるまでは、病院で看てくれることになり
ガンマーナイフのことなども説明して、また何かあったら連絡することになった。
病室をのぞいたけど、義弟はまだ戻っていなかったので
駐車場の入り口まで送り、そこで別れた。

一服して病室に戻ると、義弟も戻っていて、ベッドに横になっていたんだけど
枕をしていないし、なんだか身体もおかしな形だった。
リハビリ後だから、何か意味があるのかな?と思い、とりあえずはそのままにして

「リハビリはどうだった?」
「やっぱり身体を動かすのは気持ちがいいな」
「そうだね、ずっとベッドの上だと関節が固まっちゃうもんね」
「そうだよな」

こうやって会話をしてみると、なんだか反応が良い。

「T部長とMさんが来てくれて、良かったね」
「うん、やっぱり来てくれると嬉しいな~」
「もうすぐTさんも来るよ」
「あ~、Tさんにさっき会ったよ」
「えっ?」
「○×△□※・・・・・」

その後が何を言ったのかわからず、どこで会った?と思いながら
また妄想族が始まったのかと思ってしまって、その場は話を合わせることにした。
しばらくして、Tさんが到着。

「さっきリハビリがんばってましたね」

と開口一番Tさんがそう言った。

「えっ?会ったの?」
「はい、リハビリ室で会いましたよ」
「さっきそう言っただろ~?」
「あ~、そう言ったね」

うそっ!短期記憶がちゃんとあるじゃん。
先ほどの話をして、私はすっかり妄想かと思っていたことを話して
Tさんと二人で、笑ってしまった。

義弟のリハビリの様子を見たTさんが言うには、平行棒に支えてもらいながら
立位の体勢で、歩行訓練をしていたらしい。

「動きも良かったので、ビックリしました」

私も聞いて、ビックリした。
今度リハビリの時間に間に合うようなら、様子を見せてもらうことにしようと思った。
会社の方も来て、リハビリもして、そしてTさんも来て・・・
が、時間はすでに4時を過ぎていたので、義弟は電池切れのようで
話しかけても、目も開けずに返事するようになって、反応も鈍くなってきたので

「じゃあ、憲児さん。帰りますけど、リハビリがんばってください」
「うん」
「弟くん、私もエリーのお散歩があるから帰るね」
「うん」

そのまま眠りについたので、また待合室で話すことにした。
M先生の話の説明をして、今後は家に戻ることはたぶんないだろうと言うこと。
このまま特養の申し込みは続けて、義弟が今の状態を保てるのであれば
受け入れ先が見つかれば、そこでお願いしたいこと。
階段用リフトも、とりあえず必要がなくなったので、返却したいこと。

などなど話すと、ケアマネさんの見解としては

おそらく介護度も5に近い 『要介護4』 か 『要介護5』 になる可能性は高く
『要介護5』 であれば、受け入れ易くはなるけど、脳腫瘍のことと点滴のの必要性が
あるとなると、また難しくなるらしい。
今の状態が保てたとして、どこかの特養に入れたとしても
また容態が悪化すれば再入院となり、その施設には100%戻れないだろうとのこと。
その後また容態が安定したとしても、次を見つけるのはかなり難しくなるらしい。

「病院で看てもらえるのが、一番ベストだと思うけど、いろいろありますね」
「とにかく自宅介護はもう限界だと思うんだよね。介護に直面したのは
 この半年だけど、その前も長かったからさ。もし家に戻すって言われたら
 私が首を絞めるか?主人が殴り殺すか?本当に介護虐待になりそうだもん(笑)」
「確立から言うと、それを発見するのは僕になりそうですよね。
 そんな連絡はしたくないからな~(笑)」

笑いながら話したけど、切実な気持ちだ。

ついでに父の話も少しした。
最近お薬をのみ忘れることが増えた。

「えっ?少し進みましたね」
「うそっ?やっと義弟の介護から解放されると思ったのに、やめてよ」
「ま、お父さんの場合は、もしもの時は毎日デイに行ってもらいましょう」
「そういう方法もあるのね」

今はまだお薬のことだけなので、デイに行く日は朝のお迎え時の電話で
お薬の確認をしてくれるよう、施設にお願いしてくれることになった。

ケアマネさんと駐車場まで一緒に行き、5時少し前に別れた。

なんだか忙しい、半日だったな。。。

無理っ!

2009.01.13 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

義弟が入院して3日目くらいになって、私の体調に変化が出た。
鼻水がズルズル出るし、クシャミも連発する。
最初は気が抜けて、風邪を引いたのかと思った。
けど、目がかゆい、喉の奥がかゆい、鼻の奥もかゆい。

「お前、アレルギーじゃねえの?」
「なんで、この時期に?何に反応してるの?」

スギ花粉には弱冠反応してた私だけど、この時期になるって
何に反応したんだろうか?
おまけに、元々白髪の多い私だけど、この半年でまた一気に増えた。
で、年末に染めたのだけど、いつもは1ヶ月ほどはそれほど気にならなくなる。
が、鏡を見て驚いた。
顔の毛の生え際にまた白髪が増え、右側頭部にはメッシュ状の白髪。
ストレスなのかな?でも介護から解放されてるのに、何にストレスを感じてる?
どうなるかわからないことに、ストレスを感じてるのかな?
これはショックだった・・・

話を義弟のことに戻して。。。
先週の木曜病院に行ったとき、到着してしばらくすると
看護婦さんが二人やってきて

「おむつ交換しますので、ちょっと廊下で待っててください」

と言われて、「えっ?」と一瞬とまどってしまった。
そうか、ここは病院だから、私がおむつ替えをしなくてもいいんだと改めて思った。
私がやりたくないと思いながらやっていたことを、看護婦さんはイヤな顔をせずに
やってくれるのだから、ありがたいの一言に尽きる。
デイに行ってもそうだけど、それが仕事なんだろうけど
それを仕事に出来るということ素晴らしいと思う。
私は身内だからやるけれど、これを仕事にしようとは絶対に思わない。

昨日は父の家の冷蔵庫がカラッポだろうと思い、まずは父の食材の買い物を済ませた。
その後我が家の買い物を済ませて家に戻り、いつものように
朝食権昼食を摂り終えたのが、12時近かった。

主人も私も、すっかり仏心が芽生えていたから
これからは穏やかに過ごせれば、それでいいと思っていた。
土曜・日曜・祝日は、1時頃に行けば食事の介助が出来るから
何もかもを看護婦さんに任せるのも忍びない。
出来る範囲で無理をせずに、私たちに出来ることはやろうと話していた。

なので祝日の昨日は、1時から面会が出来るから、その時間に行けば
昼食の介助が出来ると思っていたんだけど、ホッと一息ついてるところに
主人から、夜勤で帰らないと電話が入った。
そしたら私、すっかり気が抜けてしまった。
彩佳も昨日は先輩の家に行くと言って出かけたし、私一人で夕飯の心配もない。
病院に行くのも、億劫になってしまって

「ま、いっか~」

と思ってしまって、そのままグウタラしてしまった。
そこに病院から電話が来た。

「ガンマーナイフの件でのM先生とのお話の時間なんですが・・・」

14日午後2時から3時なら、先生の都合も良いとのこと。
ただし、手術が長引いたりした場合、少し待ってもらうかも・・・と言う事で
14日に先生との打ち合わせが決まった。

その電話を受けた後、今度は不思議な物で、病院に行こうと思って行かなかったことに
なんだか負い目のようなものが出てきて、気持ちがモヤモヤし始めた。
入院してるのだから、行きたくないと思ったら行かなければいい。
そういう気楽さを持っていようと思っていたんだけど、モヤモヤが取れない。
で、夜は夕飯の支度もないし、午後8時までの面会時間。
夕方のエリーのお散歩を済ませて、病院に出かければ6時ぐらいに到着できる。
そしたら、夕飯の介助が出来るだろうと思い、夕方から出かけることにした。

病院に到着したのが、5時45分ごろ。
病室に行くと、担当医のM先生が点滴の針を刺し直しているところだった。

「点滴、抜いちゃいました?」

看護婦さんに聞いてみたら、両手にミトンを巻かれてるのだけど
物をつかむことは出来るので、点滴のチューブを引っ張りパックの根元から
引っこ抜いてしまったそうで、針の刺し直しをしてるとのことだった。
義弟の血管は細くなっているので、刺し直しも大変らしく
左手に2回ほど針を刺したけどうまく行かず、もう一度右手でなんとか血管を見つけて
やっと刺し直しが出来た。

「ごめんなさいね~、もう少し我慢して」

とM先生が声をかけていたんだけど

「いってぇ~」

と顔をしかめながら、頭を上げては先生の様子を見てた義弟に

「自分で抜いちゃったんでしょ?しょうがないよね?」
「じゃあ、俺が悪いのか?」
「そうだね~、もう痛い思いしたくないと思ったら、点滴には触らないことだね」
「あ~、そうか」

と、ここまでは良かった。
M先生が立ち去る間際に、14日の話しになった。

「ガンマーナイフはやっていいんですよね?」
「はい、お願いします」
「ちょっとまだいつになるか、予定を立ててないので、14日までに決めますから」
「先生にお任せしますので、お願いします」

と言うことで、14日にはガンマーナイフの件も決まりそうだ。
右側を下にして横になっていた義弟の動きが良く、起き上がろうとした。

「弟くん、起き上がらなくていいから」
「今日は元気になっちゃって、頭がベッドの上につっかっかちゃうくらいなんだよね」
「家でも多動でしたけど、動き始まったんですね」

看護婦さんが話しかけたりしたけど、それよりも動くことの方が忙しい。
ウツロだった目つきも、今日はハッキリしてるように見えた。
この時点では、私もまだ安心と言うか、ホッとしていた。

「Aさん、もうすぐご飯が来ますからね」

そう言って、看護婦さんが立ち去った後、また起き上がろうとする義弟に

「だから弟くん、起き上がらなくていいの、ベッドを起こすから」
「なんだよっ!うるせぇ~なっ!」

と、いきなり怒鳴った。
この時点でも、怒鳴るが元気も出てきたんだなと思っていた。
枕の位置が悪いのかと思い、枕を寝やすいように直したり
身体を支えている、クッションの位置をずらしたりしながら

「だからベッドを起こすから、勝手に起き上がっちゃダメなの!」

私もちょっと大きな声を出して、押さえつけたら動きが止まった。
そして今度は両手にはめられてるミトンをいじりだし、外そうとする。

「だからね、ミトンもまだ外せないの」

右手で左のミトンを外そうとするので、その右手を左手から引き離す。
が、私が手を放すと、右手は左手をつかむ。

「だから、まだ外せないの。これつかんじゃダメなんだよ」

この時点でも、まだ私は笑って言っていた。
義弟は私をジッと見つめていて、私が手を放すとまたつかむを何回か繰り返していた。

「弟くん、これはつかんじゃダ・・・」
「うるせぇ~んだよっ!」

私が言い終わらないうちに、大きな声でまた怒鳴った。
その言い方に私、プチっと切れかけた。
でもここは病院だ、ジッとガマンガマン。

「うるせえじゃないの。これは外せないんだから、触らない」

で、看護婦さんが食事を持ってきて、食べる準備が始まった。

「Aさん、ご飯来ましたよ。ベッド起こすから、ちょっと待ってね」

と声をかけると、また義弟は起き上がろうとした。

「だから弟くん、起き上がらなくていいの。べっどを起こすから」
「うるせぇ~んだよっ!いいだろっ!」

また大きな声で怒鳴る。
ここから私、家での義弟がフラッシュバックして、ムカムカしてきた。

「今日はずっとこんな感じですか?」

と看護婦さんに聞くと

「いや、ずっとと言うわけではないですけど・・・」

そう言いながら、ベッドを起こす準備を始め

「Aさん、ベッド起こしますね」

と声をかけたら、義弟がまた起き上がろうとした。

「あ、Aさん、起きなくていいの。ベッド起こすからね」

そう言った次の瞬間、義弟は目を見開いて看護婦さんを睨み付けたまま

「言ってる意味がわかんねぇんだよっ!うるせぇっ!」

これで私、ブチブチブチっと切れました。

「意味がわかんねえのはお前だ!」

と心の中で叫んだ後、看護婦さんの前に身体を出して
義弟の左胸のところを、バンバンバンと3回叩きながら

「誰に向かって、そういうこと言ってんのっ!やってもらってんでしょっ!」

と怒鳴りつけてしまった。

「あ~、そうか・・・」

その後は静かになり、ベッドを起こしてもらい手を拭くように言われて
看護婦さんから渡されたおしぼりで遊びだした。

無理っ!私の気持ちがイライラし始めた。
この気持ちのままで介助なんて無理っ!
また同じようなことを言ったら、今度は私が何を言い出すかわからない。

「すいません、私今日は帰ります」

と看護婦さんに声をかけて

「弟くん、今日はもう帰るから」

そっぽを向いたままうなずいて、他の事に気を取られていた。
この間、約15分。
そのまま病室を出て来たんだけど、実は泣きそうだった。

「無理っ!絶対無理っ!もう家に戻られても、義弟の介護なんか出来ない」

そう思ってしまった。

医学的に言ったら、暴言を吐くほどまでに回復したということだろうけど
この状態の義弟が家に戻ってきても、私にはもう無理!
家での義弟がフラッシュバックしてた私。
もう一度あれをやらなくちゃいけないのか?って思ったら
気持ちが拒否反応を起こした。

もちろんこれから、ガンマーナイフをするわけだから
まだ退院の目途は立たないし、また状態も変化があるかもしれない。
でも昨日は、これでガンマーナイフをやる意味があるのか?と思ってしまった。
しっかりと意識をこっちに向けさせて説明すれば、その瞬間は理解するようだけど
それこそ次の瞬間には忘れる。
一瞬でも一応は理解できるから、ここが老人のなる認知症とは違うところかとも思う。

点滴の管を抜いてしまうようなことをするのだから、手を拘束されるのは
仕方のないことだけど、身体の自由が利かないことにイライラしてたのかもしれない。
ご飯だから起き上がると義弟は思ったから、起き上がろうとしたんだろうけど
それを制止されたことが気に入らなくて、怒鳴ったのだろうと思う。
でも要するには、こちらの言葉が通じないのと同じこと。
今だって言葉を理解してないのと同じだし、おまけに暴言まで吐く。

家にいる時、これをやれば、主人がゲンコで頭を殴ったし私は怒鳴りつけていた。
意味を理解させることよりも、怒られるからやらないと言う意識付けだけで
良いとも思っていたから、ある意味力ねじ伏せていたと言えるけど
それでも時には仏心が出て優しく接すると、暴言を吐くを何度も繰り返していたことを
思い出した、だから鬼兄嫁に徹してきた部分もある。
暴言を吐かれれば、私の心は傷ついたんだもん。
これは私の自己防衛でもあったんだな。

夜主人に電話を入れて、その日の出来事を話した。

「えっ?看護婦さんにもやったのか?」
「そうだよ、看護婦さん睨みつけて、怒鳴ってたよ」
「はあ~・・・」

看護婦さんは優しい・・・だからこれからだって、暴言は吐くだろうし
ヘタしたら、暴力だってありえない話じゃない。
退院は不可能と言われてるけど、暴力まで出たら?
病院では看切れないと言われたら、現段階では家に連れ帰るしか方法はない。
身体が栄養を吸収出来ないと言われたけど、それなら医療行為は必要になるだろう。
主人といろいろなことを考えてたら、ここに来てまた問題に直面したような気がした。

介護に直面したのは、確かにこの半年間だけだ。
でも我が家はその前も長い。
高次脳機能障害のリハビリだって、自己流でやってきてる。
これと同じようなことを、何度も何度も数え切れないほど繰り返してきたんだ。
自宅にいた時の義弟が、完全にフラッシュバックしてる私には
もう自宅でと言うよりも、私自身が限界だ。
自宅介護も考えなくちゃいけないだろうし、やらなければいけない状況になれば
イヤでも現実はやってくる。

でも・・・でも・・・もうイヤっ!
イヤって言ってもいいんでしょう?無理って言ってもいいよね?
義弟には申し訳ないと思うけど、出来る限り自宅に戻らなくてもいい方法も考えたい。
主人もそれには賛成してくれた。

14日M先生の説明の時、また詳しく話を聞いてみようと思う。
その結果によって、今後のことを考えよう。

今日は病院には行かない。。。

出来ること。。。

2009.01.12 (Mon) 義弟の病院・病気と症状

土曜日も3時に病院に行った私。
同じ病室だったけど、今度は窓際に移動されていた。

「今度は窓際になったから、外の様子が見れるからいいね」
「うん」

なんだか反応が鈍いような・・・
役所のMさんが来た日から、両手にミトンをされてる義弟だけど
右手は動いてたけど、左手の動きはない。
ちょうど来た看護婦さんに

「今日は反応が鈍くないですか?」
「いや~、昨日よりはいいと思いますが」

昨日はもっと悪かったのか?

「さっきおしゃべりしたから、疲れちゃったのかな?」

確かに疲れると鈍くなるし、良い日もあれば悪い日もあるだろう。
土曜日は話しかけても、あまり反応がなかったけど、妄想はやっぱり激しい。
会話の途中で

「○×△・・・事故報酬が下りたら、兄貴と折半すればいいから・・・□※・・・」
「なに?事故報酬ってなに?」
「違うよ・・・○×△兄貴と折半すればいいんだから□※・・・」
「兄貴と折半すればいいの?」
「そうじゃなくて・・・○×△□※・・・」
「ん?じゃあ、何を兄貴と折半するの?」
「そうだよ・・・」

右手を上に上げて、何か手で表してるんだと思うけど、結局何を言ってるかは不明。
事故報酬って聞こえたけど、車で事故を起こした時のことを思い出したのかな?

またメモが残されていて

「セキューラを購入することをお勧めします」

と書いてあったので、これは何かを聞いてみたら
乾燥肌の潤いを保つローションだそうで、義弟の肌は乾燥してるので
床ずれ防止にもなるから、買っておいてほしいとのこと。
メモを義弟に見せて

「売店でこれを買ってくるから、ちょっと待ってて」
「すぐに帰ってくるの?」
「これ買ってくるだけだから、帰ってくるよ」
「すぐに帰ってきてよ」
「わかった。ちょっと待っててね」

すぐに売店で購入して、戻ってから気が付いて、紙おむつの残りを確認したら
紙おむつも残り1枚、パッドも2枚しかなかったので

「あ~、ごめん、弟くん。おむつもないから、もう一度買いに行って来るね」
「何やってんだよ。また行くのかよ」
「だって紙おむつがないと困るでしょ?」
「そうだけどさ~」

たいした会話をするわけでもなく、話しかけても固まってしまうことも多いけど
元々が甘えた義弟だから、一応私みたな者でも、来ることを楽しみにしてるのかな?
買い物が終って、しばらく話しかけたりしたけど、やっぱり反応も鈍くて
ボーッとしてしまう。

「弟くん、眠いんじゃないの?」
「うん」
「じゃあ、私は帰るから、少し眠りな。また明日来るから」
「絶対くる?」
「明日はけんちゃんと一緒に来るから」
「絶対に来てよ」
「兄貴と一緒に、絶対に来るよ」
「うん」

と返事した後は

「じゃあね、明日また来るから」

と声をかけても、無反応だった。

金曜日の夜、主人と話をした。
主人は、今までだっていつどうなるかわからないと言われ続けて9年が過ぎた。
これからだってわからないし、まだまだ先は長いかもしれないと言う。
それはそうなんだけど、実際に老衰と言われたわけで
生きることは出来ても、どこで人の認識が出来なくなり
会話も出来なくなるかわからないと思う。
今後のことがハッキリしてからでいいと言って、義父にも義姉にも連絡をしない主人に

「急変もあるって言われてるんだよ。万が一を考えたら、お葬式の打ち合わせで
 連絡なんてことになったらどうするの?」
「葬式って・・・お前・・・」
「老衰って言われちゃったんだから、それだってありえない話じゃないでしょ?
 たったの半年で、こんな風になっちゃったんだよ、進行は早いってことでしょ?
 今ならまだ人の認識も出来てるし、ある程度の会話も出来るんだから
 今のうちにお義父さんとお義姉さんに、会いに来てもらった方がいいってば」
「・・・・・」
「来れないならそれはそれでいいけど、今の状況を連絡ぐらいしておくべきだと思うけど」

と何度も言ったので、やっと連絡を入れてくれた。
義父は今月は忙しいから来月になるそうで、義姉は近いうちに来ると言っていた。
来る時は連絡をもらえるように言って、病院で待ち合わせることにした。

土曜・日曜・祝日の面会は、午後1時からだとわかったので
昨日の日曜日は主人と、1時過ぎに病院に到着した。
食事にはいつも1時間以上かけていたので、昼食を食べてる途中だった。
ベッドを起こして、クッションで支えて座っていたけど、いくらか左に傾いていた。
食べこぼしも、家にいる時よりひどくなっている。
食事の内容は、全粥・白身のお魚とマッシュポテト・細かく刻んだ煮物と味噌汁だった。
半分ぐらいは食べていたけど、日曜日で他の方の面会も多く
そちらに気を摂られているので、身体を元に戻して

「弟くん、ご飯食べちゃいなよ。食べることに集中して」

そう声をかけたけど、これは家にいる時と同じ反応だった。
けど、スプーンの持ち方も持ち運びもおかしいから、うまく口に運べない。
これじゃあ、食べこぼしもひどくなるわけだ。
スプーンを持ち直させて、おかゆにスプーンに乗せて

「口に入れて」

と指示を出せば、なんとか口に運ぶけどこぼす。

「そんなにたくさん乗せたら、こぼしちゃうから」

そう言いながら、フォークでおかゆをちょうどいいくらいに調節しては

「口に入れて」

と言いながらの食事。
主人も一緒に介助をしたり、声かけをしたりしながら

「お魚は?食べる?」
「おいもは?」
「煮物もあるよ」

二人で介助をしながら、食事をさせた。
マッシュポテトは味もないらしく、口に入れれば咀嚼はするけど、しかめっ面をしたので
これには主人と大笑いしちゃって

「まずいの?」
「美味しくない」
「なんちゅう顔してんだよ(笑)」
「・・・・・(笑)」

最後に味噌汁になったけど、持ったおわんを口元までつけても
そこからおわんを上げることが出来ないので飲めない。
これも手を添えて介助をしながら、全部飲んだ。
コップに麦茶が入っていたけど、コップでは口から水分が摂りにくいだろうと思い
売店に行って、ストロー付きのマグカップを買ってきたんだけど
マグカップでの飲み方がわからないらしく、蓋を外そうとしたので、主人が

「そうじぇねえよ。ストローで飲めばいいんだろ」
「あ~そうか・・・こう?こうでいいの?」

と聞いてきたけど、一応飲み方はわかったらしい。
ヒゲが少し伸びていたので、ベッドを少し倒して主人が髭剃りをした。
タオルで顔も拭いたので、少しこざっぱりとした。
もう少し安定したら、病院でお風呂も入れてくれることになってるんだけど
髪の毛がペタッとしてきてるので

「弟くん、許可が出たら、床屋さんで坊主にしちゃおうか?」
「やだ」
「なんで?坊主にしちゃった方が楽だよ」
「やだね」

外見を気にする人だから、坊主はイヤらしい。
でも車椅子に乗れるようにならなければ、床屋も無理だよな。
食事も終ったし、髭剃りも終って、またまた手が忙しく動き出した。
前日動かなかった左手も、また動き出してる。
手を触ったら、冷たかったので

「弟くん、手が冷たいから、ミトンはめておこうね」

そう言って、両手にミトンをはめた。
主人が話しかけてる最中、首を上げていたのが、枕にコトッと頭をおいた瞬間に
電池が切れたようで、目をつむって眠りだした。

「あれ、電池が切れた・・・」

主人と二人でまた大笑いしてたら、笑ってることに気が付いたらしい義弟が
目を閉じたまま、笑ってた。

「もう眠いんじゃねえの?」
「うん・・・・・まあ、なるように○×△□※・・・・・」
「なんだって?」
「なるようにしかならねえよ」
「そういうことだな」

私には何を言ってるか?聞こえなかったので、主人に聞いたら

「なるようにしかならねえってよ。本人もわかってるわ」

ふと現実に戻る時に、考えるんだろうね。
目を閉じたまま話しかけても、反応が鈍くなり始めたので

「じゃあ、また来るからね」
「・・・うん、また午後に来てよ」
「午後?」
「うん、また午後に来て」
「わかった、また来るよ」

もう今が朝なのか?夜なのか?わかってないのかな?
帰ろうとして振り返ったら、少し目を開けて手を振っていたので、手を振って帰って来た。
食事をして、髭剃りに会話が続いたことで、疲れたんだと思う。

家にいたら、笑顔での会話なんてなかっただろう。
義弟の身体が老衰だなんて、考えてもいなかったから
自分で出来る能力は残したいと思って

「こんなことも出来なくなっちゃって、どうするの?」
「着替えくらいは自分で出来なくちゃ、困るでしょっ!」

って、リハビリのことしか考えてなかったもんね。
主人と私の気持ちがトゲトゲしてないから、義弟のやることも笑って見てられるし
妄想話も、否定することなく付き合って聞くことも出来る。

家にいる時、義弟の食事の介助なんか絶対に出来ないと思っていたけど
全部を自分がやらなくていいと思えば、やりたくないと思っていたことも
これくらいならと思えるのだから、勝手な物だよ。
今日は祝日だけど、主人はいつもどおり仕事に出かけた。
1時少し前に病院に行って、食事の介助をしてやろうと思う。
あんなに怒鳴って怒って手を上げたこともあるのに、私の顔を見ればニコッと笑うのだから
来るのを待ってるのかもしれないもんね。

退院は不可能と言われてても、どこでどう変わるかわからない。
他の方はわからないけど、私が介護をしていて苦痛なのは
排泄の処理と匂い・・・これはどうしても避けて通れない。
もし自宅介護となれば、私の気持ちもまたトゲトゲすると思う。
でも今は、鬼兄嫁は返上して、義理とは言っても憲児の姉として
出来ることをやっていこうと思う。。。

気が付いたこと。。。

2009.01.09 (Fri) 思うこと

昨日役所のMさんと、待合室で話しているとき
話しながら涙がこぼれた。
その涙の原因が、最初はわからなかったんだけど・・・

私は悔しいんだと言う事に気が付いた。

発症した時、義弟は結婚をしていたし、主人と私は主人の両親には内緒で同棲中。
言ってしまえば、私はほとんど関わりがなかった言える。
時には元嫁から愚痴も聞いたけど、主人からの話の方を信じたし
私が面会に行った時や元嫁と話した感想や
主人からの情報を元にして、このBLOGの過去の部分は書いている。

発症から約1年9ヵ月後から、我が家での同居が始まった。
この時点でも、手術をしても余命2年と言う診断は重かった。

転移は認められても、手術で取りきれなかった脳腫瘍は安定していて
義弟の行動にも言動にも、不思議を感じながらの3年が過ぎて
テレビでやっと『高次脳機能障害』を知ることになる。
発症から5年が過ぎて、初めて聞いた障害。
まだ脳神経外科の医師でも、知らないわからないことが多いと言われていた障害。

そこから、私の行動は始まった。
本を探し歩いたり、ネットで調べたりして、その症状がどんなものかを調べて
毎日の生活の中で、義弟がどこに当てはまるか観察して
そしてリハビリをどうすればいいのかを、試行錯誤しながらあの手この手を使い
毎日勉強会を開いてた時だってあったし、スイミングにだって一緒に通った。
何度も挫折と諦めを繰り返して、習慣付けばなんとかこなせることもあるとわかった。
義弟には病識がなく理解も出来ないことや、自発がないことが
どれほどやっかいなことかも、痛感している。
何度も落ち込んでは、自分で自分を立て直して仕切り直してきた。

カッとして怒鳴りつけたこと、言いたくないこと言ってはいけないことまで
口走って、何度も自己嫌悪に陥ってもきた。

もう自宅で、私一人でのリハビリには限界を感じたのが昨年5月。
役所の力を借りて、通える施設が見つかり、少し光が見えてきたところで
義弟の状態の悪化。
あれよあれよと言う間に、自力歩行が出来ない、会話がままならない
すでに紙おむつはしてたから、排尿には問題はあっても排便は出来ていたのに
排泄全般がダメになり、苦痛に食事も喉を通らず泣きながら排便の処理も始まった。
それでも義弟自身が自分で出来る機能は、なんとか残したいと思って鬼兄嫁を続けて
介護保険も使えるようになって、週3回の通所とショートでやっと落ち着いてきたと思ったら
またしても急激に悪化、今度は寝たきりだ。

転移は数年前から認められていたし、今現在確かに動いている腫瘍もある。
でも放射線治療とお薬のおかげで、手術で取りきれなかった脳腫瘍は安定しているのに
脳が萎縮して認知症状が強くなって、身体的機能は老衰と同じって・・・

なんだよ!どういうことだよ!
どこにこの怒りと言うか、理不尽と言うか、納得行かない思いをぶつければいいんだよ。
医者はそのときそのとき、最善を尽くしてくれたのかもしれない。
医学が進んだことは良いことだけど、こういう状況を作ることも間違いではないんだ。

当時は最善な治療だったかもしれない。
義弟の症例は、極々稀かもしれない。
でも0じゃないってことは、症例はあったってことでしょ?

誰がこんなことを想像してた?
誰がこんな風になっていくと教えてくれた?

認知症が進んでから、たったの半年で老衰って・・・
今考えれば、義弟の身体的な老化は半年前から進んでいたんだろう。
施設に通い始めて、食事もきちんと摂っているのに、毎月1kg~2kg
体重が落ちていったのは、もう身体が栄養を吸収してなかったんだと思う。
どんどん痩せていく義弟に、どんな食事を与えればいいのかだってわからなかった。

これが放射線治療の後遺症だと言われても、気持ちが追いついて行かないよ。

私は何をやってきたんだろう?何か結果が残ったのか?
寝たきりなるって、漠然としか想像が出来ない言葉じゃなく
もっと懇切丁寧な説明がほしかった。
結果を求めてやってきたわけじゃないけど、こうなることを知っていたのなら
教えてほしかった。

義弟がここまで生きていられたことは奇跡だということはわかる。
だけど、義弟が生きながらえたことに、何か意味があったのかな?
私がいろいろと勉強して、やってきたことに何か意味があったのかな?

人間としては、多少は練られたかもしれないけど
なんだか挫折感でいっぱいになって、Mさんと話しながら

「なんだかわからないけど、悔しい」

って涙が出た。


でもきっと、義弟が生きてきた意味も、私のしてきたことにも
きっと意味があるんだと思いたい。

義弟の症例が極々稀なのであれば、自分で言うのもなんだけど
このBLOGは貴重なものでもあると思うし、私の経験だって貴重な物だ。

義弟と同じように悪性脳腫瘍と診断された方やご家族の方。
一口に悪性脳腫瘍と言っても、いろいろな形があって微妙に違うらしいけど
特に『異型星細胞腫』と診断された方・・・

サイバーナイフやガンマナイフではない、放射線治療をこれから受ける方
すでに治療を終えた方、どんな放射線治療を受けたか?
どんな風に放射線を当てたのか?
インフォームドコンセントをしっかりと受けてほしい。
生きてほしいと思うから、治療をする。
だけど放射線治療をどう受けたかによっては、その後数年も経ってから
出てくる後遺症を、覚悟してほしいと思う。

その経過を知りたいと思う方がいたら
どうかこのBLOGにたどり着いてほしいと思う。
こんなこともあるんだと言うことを、知ってほしいと思う。

今の義弟には、私に怒られながらやってきたリハビリの記憶はない。
家で怒鳴られた記憶もない。
今は病院で穏やかに過ごしている。
おそらくもう退院は出来ないと思う。

介護から解放された私。。。
今の私に何が出来るんだろうね?

安定。。。

2009.01.09 (Fri) 義弟の病院・病気と症状

昨日の義弟も、前日と変わりがなかった。
右側を下にして廊下側を見ていたので、私の姿を見つけるとニコッと笑った。

「今日はこっちを見てたの?」
「ずっとこっち側を見てるよ」
「昨日は反対側向いてたでしょ?」
「・・・・・そうだっけ?」

話す内容は別だけど、言葉もしっかりしてるし反応も良い。
持って行った電気シェーバーを見せて

「弟くん、今日は髭剃りを持ってきました。これのやり方覚えてる?」
「(ニコニコッと笑って)覚えてるよ~、当たり前だろ(笑)」
「そっか。私はわからないから、クリーニングのやり方どうやるか教えて?」

そう言って、クリーニング台と一緒に目の前に持っていくと

「ここ押して取るだろ」
「うん、こうやるのね?」
「そう、そしたらまた同じ向きで差し込んで・・・」
「こう?」
「ここを押すだけだよ」
「じゃあ、やり方を看護婦さんにも教えてあげてね」
「うん」

シェーバーのクリーニングのやり方は、ちゃんと覚えてたよ。
看護婦さんにも持ってきたことを伝えると

「Aさん、良かったね~。後で髭剃りしようね」

と声をかけてくれていた。
目やにが出ていたので

「今日は役所のMさんが来るから、少し顔を拭いておこうか」
「なんで?」
「目やにが出てるよ」
「そう?」
「汚い顔のままじゃ、恥ずかしいでしょ?」
「身だしなみはちゃんとしないとダメだよな(笑)」
「そうだね(笑)」

家にいたときよりも反応はいいし、会話になる。
もっとも私の方も、家にいるときよりトゲトゲしてないせいもあるだろうけど。
尿取りパッドの補充をしてほしいとメモがあったので、そのメモを義弟に見せて

「これ、なんて書いてあるか、わかる?」
「・・・尿取りパッドの補充、お願いします」

まだ字も読めることに、ちょっとホッとする。

「そう、だからちょっと買いに行ってくるね。すぐに戻るから待ってて」
「ほんとかね?」
「なにが?」
「本当にすぐに帰ってくるのかね?」
「帰ってくるよ。パッドを買ってくるだけだもん。Mさんもくるんだよ」
「そうか、じゃあ待ってるよ」

パッドだけ買って、すぐに病室に戻り、Mさんが来るまで少し話をしていた。

「今日は誰か来た?」
「誰も来ない」
「昨日は誰か来たよね?」
「・・・・・誰も来ないよ」
「来たでしょ?会社のMさんが来たでしょ?」
「あ~そうだった。だけどやっぱり来てくれると嬉しいよな~」
「そうだね。弟くんを心配してきてくれたんだもんね」

右手はミトンを付けられているんだけど、それでベッドの柵をゴシゴシこする。

「弟くん、これは何をやってるの?」
「・・・・・」
「弟くん、この右手はここを掴んで何をやってるのかな?」
「・・・・・掃除」

で、思わず吹き出しちゃったら、義弟が真面目な顔で怒り出した。

「なんで笑うんだよ。掃除してんだろ」
「でもさ、これミトンだよ。雑巾じゃないでしょ?」
「・・・・・」

固まってしまった。。。混乱するんだろうな。
家で同じことをやったら、怒鳴ってるところだけど
あ~、怒ることもできるようになったのねと思えば、笑い話しだ。
左手はそのままになってるので、使えない右手の代わりに左手も忙しく動いている。
右手は点滴の針が刺してあり、テープで止めてあるのだけど
そのテープを、左手で半分ほどはがしてしまった。

「弟くん、これははがしちゃダメなの。点滴の針が刺してあるんだよ」
「だって、かゆいんだよ」
「かゆくてもはがしちゃダメ。針が取れたら、また痛い思いしなくちゃいけないでしょ」
「あ~、そうだね」

と言いながら、今度は点滴のチューブをいじりだして、引っ張る。

「だからね、これも触っちゃダメなの。外れたら困るでしょ」
「この手が勝手に動いちゃうんだよ」
「左手が動くようになったから、イタズラして困るね?」
「そうなんだよ(笑)」

足の方は言えば動かすことは出来るけど、自分で動かそうとは思わないらしい。
相変わらず寝返りも出来てないようだし、座位もダメみたい。
手は頻繁に動かすけど、ずっと同じ体勢なので、痛いところはないか聞いてもないと言う。

そしてMさん到着。

「Aさん、入院したって言うからビックリしたよ~」
「(ニコニコ笑顔で)そう?(Mさんが手を握ると)冷てぇ~な~」
「外は寒いんだよ。明日は雪が降るって」
「ゆきぃ~?(顔をしかめて)困ったなぁ~」
「ほんと、困るよね~?」
「俺が言ってといてやるよ」
「うんうん、言っといて。誰に言うの?」
「・・・・・誰に言おうか?(笑)」
「誰に言えばいいのかな?」
「・・・・・」

で、すぐに面談を始めたんけど、寝たきりの状態なのに

「Aさん、歩ける?」
「歩けるよ~」

などと出来ないことも、全部出来ると答えていた。
その間も左手のイタズラは続いていたので、私が左手も持って

「この左手が、働き者で困るんだよね」
「そうなんよ~、勝手に動くんだよ」
「勝手に動いちゃうのか~(笑)」(Mさん)

義弟の皮膚の確認と言う事で、皮膚科の先生と看護婦さん数人が来たので
左手のイタズラのことを話し、テープをはがしてしまったことも伝えて
私とMさんは待合室に移動して、話をした。
Mさんもこの半年で、急激な義弟の変化に

「私もなんだか追いつかないけど、恵子さんたちはもっとだよね?」

と言っていた。
前日の担当医との話も説明して

「わかった。あとは私の方で整理して書いておくね」

と言うことで、もう一度病室に戻ると、左手もミトンを巻かれていた。
点滴をいじってしまうから、しょうがない。
身体の向きも、反対側に変わっていた。

「左手もミトンされちゃったね」
「・・・・・」
「弟くん、ここはどこか?わかる?何病院だっけ?」
「・・・J病院だよ。東京の・・・」
「弟くん、ここはR病院だよ」
「・・・あ~そうだった(笑)ここは快適なんだよ~」
「快適か~、良かったね~。あ、ねえ、弟くん。私は誰?」
「(ジッと私を見つめた後、ニコっと笑って)シワの多い恵子ちゃん・・・・・」
「シワが多いってか!ヒゲ面憲児」
「うるせぇ~なぁ~(笑)」

憎まれ口も健在だよ。Mさんも大笑いだ。

「ねえねえ、Aさん。生年月日教えてよ」
「え~っ!今さらまたかよ」
「だって、聞くように書類に書いてあるからさ~、教えてよ」
「・・・・・1月16日」
「何年?」
「・・・・・40年」
「じゃあ、もうすぐお誕生日だね?」
「そうなの?」
「何歳になるの?」
「・・・・・」

家にいたとき、37歳と言ってた義弟は年齢がわからないようで固まった。

「何歳になるかわからない?」
「○×□△※・・・・・そこが判断できないと、俺もやりようがないから・・・・・」
「妄想族になっちゃったみたいだね(笑)」

今までは固まって黙ることはあっても、会話の途中で妄想が入ることはなかったけど
おそらくは過去の物につながる何かがあって、違う話しになるのだろう。
ここからは、何を聞いてもずっと何かをしゃべり続けて、会話にならなくなった。
私とMさんが話してる最中も、義弟の妄想族は続きひとしきりしゃべり続けた後
一点を見つめて固まった。

「弟くん、疲れてきたんじゃない?眠いんでしょ?」
「そうなんだよ、眠くなってきた」

前日もそうだったけど、疲れてくると反応も鈍くなるんだろう。

「じゃあ、そろそろ帰るね」
「うん」
「ごはん、ちゃんと食べるのよ」
「うん」
「じゃあね。また来るから」
「うん」

役所の前を通って帰るので、車でMさんを役所まで送ることにした。
その間にもいろいろ話をしたんだけど、Mさんと話して気が付いたことがある。
それは次に書くことにするけど、とりあえずは今安定期と言うことだと思う。

この安定した時期を、どれくらい保てるのか?

今日の横浜は、冷たい雨が降ってる。
病院はお休みにして、少し身体と精神を休めようと思う。。。

老衰。。。

2009.01.08 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

昨日は病院の駐車場に到着と同時に、義弟の会社のMさんから電話が入った。

「今から様子を見に、病院に行きたいのですが・・・」

ということで、主人に連絡をしたら早めに帰れると言うので
エリーのことを頼んで、私はMさんが来るのを病院で待つことにした。
病室に行くと、入院当初と違う病室に移っていた。
目を閉じていた義弟に

「弟くん、起きて」

と声をかけると、目を開けたので

「私が誰だかわかる?」
「・・・・・恵子ちゃん・・・・・」

あ~良かった!まだ人の識別は出来てるんだと思った。
けど、声の力は入院当初と変わらないし、寝返りも出来てないようで
背中と足の間に、クッションが置かれていた。
いつもデイで髭剃りをしていたんだけど、土曜日はお風呂に入らなかったし
救急車を呼ぶ前に主人が髭剃りをする予定でいたけど
バタバタと救急車で病院に行き、入院となったのでヒゲもじゃだった顔が
綺麗になっていたので

「ヒゲ、剃ってもらったの?」
「剃ってもらってない」
「でも顔が綺麗になってるよ」
「剃ってもらってないよ」
「顔に触ってごらん。剃ってもらったの、忘れちゃったんじゃない(笑)」
「そうかな~?本当だ」

一応会話が成り立つぞ。

「病室変わったね?」
「・・・そう?」
「うん、入院した時とは違う病室になってるよ」
「・・・・・」

点滴を受けてる右手は、ミトンをはめられていたけど
その代わりに動かなかった左手が、頻繁に動き出していたし
曲がったままの左足も、完全ではないけど伸びていた。

「弟くん、あとでMさんが来てくれるって」
「Mちゃんが?」
「入院したから、様子を見に来てくれるってよ」
「そう・・・・・」
「看護婦さんと話して、Mさんに病室変わったこと知らせてくるから、ちょっと待ってて」
「うん、ありがとう」

・・・・・「ありがとう」だって・・・・・
いくらか状態が改善されてるように思うし、意識もハッキリしていたのでちょっとビックリ!

病室を移動したのは、ナースセンターから見える位置に移動しただけで
特別な理由はないらしい。
言葉も出てくるようになり、看護婦さんとおしゃべりもしてるそうだ。
食事も昨日のお昼からは、自力で口に運べるようになったらしけど
半分くらいで遊び食いになってしまうので、介助で完食してるそうだ。

Mさんが来る前に、お願いしてた成人後見制度の診断書を受け取りに行った。
中身を確認したら、とりあえずは問題はないように思うし
受付の方から、現状を説明して裁判所の判断を聞いた方がいいと言われた。
それが終って、病室に戻ったら、すでのMさんが到着していた。

「ガンコさは変わってないですね(笑)」

Mさんが話しかけたら、憎まれ口を言ったらしく
その後も減らず口や憎まれ口が続いた。

「弟くん、ここはどこ?」
「J病院」
「J病院は最初の病院でしょ。ここはR病院だよ」
「(笑)あ~そうか」
「ケンちゃん、J病院なんて言ってると、看護婦さんに怒られちゃうぞ」
「うるせ~な~」

と会話の途中で

「もう和解したからいいんだよ」
「和解した?誰と?」
「・・・・・」
「(ポンポンと足を叩いて)弟くん、誰と和解したの?」
「・・・・・」
「弟くん、誰かとケンカした?」
「うん」
「誰とケンカして、和解したの?」
「・・・そこらへんのチンピラ」

トッぽかった昔のことでも、思い出したんだろうか?

「チンピラとケンカしたの?」
「うん」
「和解出来たんなら、良かったね」
「うん」

家でこんなことを言ったら、「何言ってんの?」と怒ってるところだけど
言葉が出てきてることで、ホッとするのだから面白い物だ。
そんな話をしながら、動く左手でかけてあるタオルケットをはがし始めた。

「これは、はがさないの」
「うるさいな」
「ケンちゃん、左手もミトンの刑になっちゃうぞ」
「わかってるよ」
「右手が動かせないから、今度が左手がイタズラするね」
「そういうこと・・・」

わかってるのか?わかってないのか?
それなりに会話が成り立つことが不思議。
Mさんが来てからは、わりとしっかり話せるようになった。
担当の看護婦さんが来て、一緒に少し話をしたのだけど

「憎まれ口が出てきたから、少し安心ですね」
「家ではもっと話しますか?」
「会話はあまり出来なかったですけど、憎まれ口は叩いてましたから」
「そうなんだAさん、じゃあもっともっといろいろお話してくださいね」

義弟の手を握って、看護婦さんが話しかけると、笑顔が出た。
可愛い看護婦さんだからね~ (^m^*)
看護婦さんに、担当のM先生とお話したいことを伝えておいた。

「思ったより悪くなくて、良かった」
「私もさっき話して、ビックリしたんですよね」

約1時間ほど一緒に話をしたのだけど、疲れてきたのか反応が鈍くなった。

「ケンちゃん、眠いんじゃねえの?」
「うん、もう眠くて眠くて・・・」
「でも弟くん、もうすぐご飯だと思うよ」
「J病院のごはんが、また美味しくてさ~」
「だからここは、R病院だって」
「あ~そうだった~(笑)」
「ケンちゃん、ちゃんとメシ食ってから寝ろよ」
「わかってるよ」

そう話しながらも、目が一点を見つめて動きが止まってしまう。
あまり疲れるのもどうかと思うので、Mさんと一緒に帰ることにして

「弟くん、明日は役所のMさんが来るからね」
「そうなの?」
「また明日来るから、今日は帰るよ」
「うん」

そう言って、病室を出たら、ちょうど担当のM先生がいた。
Mさんとはナースセンターの前で別れて、そのままM先生と話をすることが出来た。

MRⅠ検査も終っているということで、詳しく話しを聞くことも出来た。

結果は、右脳にある腫瘍は前回6月のMRⅠ画像と変わりなし。
左脳にある腫瘍は、CT画像と同じく大きくなっているとのこと。
また脳に腫れも見られたので、腫れを抑える点滴も投与しているとのこと。
でも、これが原因で今の状態になっているわけではないので
症状の改善の見込みはないらしい。
左脳の腫瘍の出来ている部分が、言葉をつかさどる部分なので
これがさらに大きくなってくると、言葉が出てこなくなり言葉を雑音としか
捕らえることが出来なくなるので、意思疎通は完全に不可能となって
ほぼ植物に近い状態になってしまうそうだ。
今の大きさなら、1回だけ1時間の照射で改善が見込まれるから
今現在程度の意思疎通は確保できるので、予防策として
『ガンマーナイフ』を施し、会話は出来る状態にしておいたらどうかと提案された。

問題は、経済的なところ。
ありがたいことに、障害者医療保険の手続きをしていたので
保険の使える治療であれば、自己負担はない。
主人と相談した結果、『ガンマーナイフ』はやってもらうことに決めたので
今日は看護婦さんにその旨を伝えてこようと思う。

たとえば、健康な人なら正常値を5として、振り幅が1~10まであるとする。
これが0.1になったり11になったりしても、健康な人はあまり変化はない。
義弟の場合、この振り幅が小さいのだそうだ。
どれくらいの振り幅を持ってるかは不明なので、数値としては正常値内の
4でも6でも0.1違っただけでも、異常が出てしまうらしい。
口から食事が摂れていても、身体の方で栄養を吸収することが出来ていないため
栄養不足にもなっているので、1日1500ccの栄養補給の点滴もしていることと
水分補給も出来たので、少し状態が改善されたらしい。
が、水分を取りすぎても悪化することがあり、ここの判断は難しいのだそうだ。

義弟は肉体的には43歳でも、脳も身体的機能も、現在老衰の状態にあるんだって。
今日少し安定していても、明日また悪化することもあるらしい。

「昨日義弟がいつ戻っても良いように、主人と二人で部屋の模様替えはしましたけど
 食べても栄養が摂れないって・・・先生、私には食事に責任が持てません」
「そうでしょうね。自宅での食事管理は無理だと思いますよ」

1~2週間様子を看てと思っていたけど、自宅に戻るのは無理なんだろうな。
ここで入院したら、退院は出来ないかも・・・って言われたもんね。

今日は3時に役所のMさんと待ち合わせをしている。
病室が変更になったので、連絡も入れた。
ケアマネさんにも、MRⅠの結果と経過報告も電話でした。
火曜日と土曜日に通っていたデイケアの施設から、請求書が送られてきたので
今日は病院の前に支払いに行き、あいさつもしてこようと思う。

順番を決めて、やるべきこともこなしていくしかないんだけど
あっちもこっちもで、頭がまだ混乱しているみたい。

病院で、髭剃りを持ってくるように言われた。
今まで義弟が使っていた電気シェーバーを持って行こうと思ってるのだけど
義弟がこのシェバーのやり方を覚えてるか?聞いてみよう。

・・・・・って、まだ何か可能性を求めてしまってるように思うけど
イライラがなくなった分、精神衛生的には良いのかもしれないね。。。

模様替え。。。

2009.01.07 (Wed) 義弟との日々の出来事

昨日まで主人がお休みだった。
早ければ1週間ほどで、義弟が戻る可能性も0ではない。
なので、昨日のうちに部屋の模様替えを決行した。

なつがいなくなって、女中部屋の物をリビングや和室に移動させていたのだけど
リビングに置いていた洋ダンスの場所に、介護ベッドを置くのが一番ベスト。
どこにいても、義弟が視覚に入ってくるから。。。
とりあえずは和室を物置代わりにしようと言うことになった。

和室の絨毯の上で、オシッコを3回漏らされているので
新しい絨毯を購入、絨毯の交換から始めて
模様替え。。。
こうなった・・・
今はソファーを置いてあるところに、介護ベッドを入れる予定。
左のカラーボックスの中には、おむつやおむつ替えに必要な物
お薬等を置けるようにした。
手前の白い壁のところに置いてあった書棚も和室に移動。
今後は家の中でも車椅子が使えるようにした。
もっとも車椅子に座れるかどうかは不明だけど、義弟を運び入れるにも
スペースを空けておかなければいけないから、なるべくリビングは
広く使えるようにした。
これでいつ義弟が戻っても、とりあえずは対応が出来る。
後は実生活と経験で変えていくしかないだろうな。

昨日夕方にケアマネさんから連絡が来た。
ちょうど介護保険の更新をしているところ。
ケアマネさんの面談後に、状態が悪化したので変更のことで
役所のMさんに連絡してくれたらしい。
担当医の診断書に記入漏れがあり、書き直してもらってる最中で
まだ審査会にかけてないということなので
再度Mさんが面談をして、変更をかけてくれることになったそうだ。
Mさんから連絡が入るからと言われ、電話を切ったらMさんから連絡が来た。
一応経過報告をして、8日の午後3時に病室で待ち合わせとなった。
ケアマネさんの面談の時は、『要介護3』 か 『要介護4』 か微妙と言われたけど
一気に『要介護5』になる可能性大だ。
もっとも入院中は、介護保険は使えないけどね。

身体障害に付いては、役所のDさんに聞いたところでは
『1種2級』 と 『1種1級』とでは、それほどの変わりはないから
まだ何もしなくてもいいけど、もし入院が長引き3ヶ月を超えた場合は
障害者特別手当の支給は中止になるので、それは連絡をしてほしいとのこと。

まだ入院2日目で、大きな変化はないと思うのだけど
自分が何をすればいいのか?何をしなくちゃいけないのか?
なんだかまだパニクってるみたいで、焦ってるのかもしれない。

主人とは義弟の入院後から、いろいろ話をしているんだけど
今の義弟の状態は、要するに放射線治療の後遺症だと言われたことを思い出した。
放射線の後遺症が出てくるまで、生きてる方が少ないと言うことなんだと思う。
兄嫁の私が中心で介護をしていると言う、おそらくは特殊な環境の中で
担当医の言葉には

「家ではもう限界でしょう」

と言う暖かい言葉も含まれていて、今回の入院はM先生の計らいがなければ
自宅へ連れて帰ってくることになっていたかもしれない。

「今回入院となれば、もう退院はないかもしれません。それでもいいですか?」

と言うような問いかけもあった。
老化ということだと、緩和ケアを自宅でと言う方もたくさんいらっしゃると思うけど
申し訳ないが、私には義弟を自宅で最後まで看取りたいと言う気持ちはない。

けど、主人と話しながら、思い出したことは
現在危篤状態ではないけれど、急変の可能性もあると言われた。

義弟の後半の人生が、これほど寂しいものになってしまうとは・・・
今さら後悔しても遅いけど、あの時手術をしていなければ
大好きだった元嫁の下で、惜しまれての旅立ちだったかもしれない。
主人の心の中にも、バリバリと働いている義弟の姿が残ったに違いない。
病院に預けてしまった後ろめたさはあっても、介護から解放されたことに
ホッと安堵している私達は、なんだろう?

主人は3日に1度くらい、病院に顔を出せばいいと言ってたけど
昨日は模様替えもあって、行けなかったし
ちゃんと食事は出来てるか?身体の動きはどうか?反応は?
やっぱり気になるので、今日は様子を看てこようと思う。

そう言えば、成人後見制度の診断書も出来上がってるはずだけど
これも書き直してもらわないといけないかもしれないし
介護保険の診断書のことも聞きたいし、M先生とお話できるかどうかも聞いてみよう。

午後3時からの面会時間は厳守と言われているから
2時半過ぎには出発しよう。。。

入院。。。

2009.01.06 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

日曜日、座椅子に座らせて1日を過ごした義弟だけど
あれほど多動だった動きはまったくなくなり、眠ったり
頭を座椅子に持たれかけて、口を開けた状態でボーッとしてたり
反応もかなり鈍くなっていた。
座椅子から少しずつずれてしまう身体を直そうともしない。
今までだって、眠ったりボーっとしたりはしてたけど
今までの、それとはあきらかに違う。
夕食もおかゆにしたけど、朝の食べ方よりは少しはマシだったけど
口に運ぶ途中で止まってしまったり、こぼしてしまったり
食べることはなんとか自分でやってほしいから、1時間半かけて
なんとかほぼ完食させた。

主人が仕事に出かければ、今後は私が一人で義弟を介護しなくていけない。
ちょうど主人はお風呂に入ってる間に、義弟のおむつ替えから着替えを
私一人でやってみることにした。
今までは、何とか自分で這ってでも和室に移動が出来たけど

「弟くん、和室に移動します。わかる?」
「・・・・・」

目は泳いでいるし反応はなく、ただジッと私を見つめるだけ。
何度か声をかけてみたけど、自分から動く気配はないので
後ろから抱え上げて、和室へ移動させる。
お布団に寝かせた状態で、ズボンを脱がせおむつ交換。
これがかなりの重労働となった。
硬直してるという言葉がピッタリだと思うんだけど、身体がとにかく動いてくれない。
寝かせると左足は曲がってしまうし、伸ばしてもすぐに曲がってしまう。
おむつを替えるにもお尻を持ち上げることが出来ない。
紙おむつもパンツ式からテープ式に変えて、身体を右に倒しておむつをお尻の下に
挟み込み、今度は左に倒すのだけど、曲がった左足が邪魔をするので
左に倒した身体を支えてながらの作業になる。
座位はまったく出来なくなり、お布団の上に座らせても支えがなければ倒れてしまうから
足で支えながら、上着を脱がせる。
仰向けにお布団に寝かせたけど、右側を下にして義弟自ら横向きになった。
お布団をかけて、日曜日の夜は7時半過ぎに就寝となった。

ここまでの作業で、息も上がるし、腰にもかなりの負担がかかる。
とにかく翌日は、病院に連れて行くことと、ケアマネさんに連絡をして
介護ベッドをお願いすることに決めた。

翌日7時過ぎに義弟を起こして、またまたビックリ!
デイに行き始めてからは、夜中に移動することもなくなっていたし
夜中のおむつ交換はしていない。
前日の夜まで出来ていた寝返りが、まったく出来ておらず
前日の晩に寝かせた時と、同じ格好で寝ていた。
身体の向きを変えると、ヨダレも飲み込めておらず、枕にかけてあった
タオルにベッタリくっついている。主人と二人で、唖然としてしまった。
たったの2日で、またしても急激な悪化。
まずはおむつ交換からだけど、右側の腰の辺りが紫色になっていて、床ずれが出来ている。

「これは痛いよ。痛くないの?弟くん」
「・・・・・」

しばらくマッサージをしてから、私が身体を支えながら主人がおむつ交換と着替えを済ませる。

「おかしいよ、絶対におかしいよ」

考えられるのは、脳腫瘍の再発。
すぐに救急車を呼ぼうかとも思ったけど、とりあえず食事をさせてみようと言うことになって
パンを出してみることにした。
いつもはこれにコーンスープを出すのだけど、熱い物は怖いので麦茶にしてみた。
まずはコップを持った義弟だけど、口元まで持って行くもののそこから先に進まず。
しばらくコップに口を付けた状態で、固まっていたけど、そのうちに手がだんだんと下がる。
飲むことをあきらめた様子で、今度はパンに手が伸びた。
口に物が入れば咀嚼はする、だから食べる行為は忘れてない様子。
パンを二つ続けて食べたけど、水分が取れてない。
やっぱりコップを持って口元まで持っていくけど、そこから先に進まない。
コップからは飲めないと判断して、すぐに階下のご近所さんにストローをもらって
コップにストローを差して渡し

「ゆっくり飲んでよ。ゆっくりね」

そう言うと、ストローからゴクゴクと飲み始めた。
吸い口か、赤ちゃんが使うストロー付きのマグか、食器類も軽い物に変えないと
今後は食事にも困るだろうと思い、とにかく病院の後で買い物だと思った。
お薬をいつものように出したけど、お薬の飲み方を忘れてしまったのか?

「弟くん、お薬を口の中に入れて」
「・・・・・ここ?(口を差して聞く)」
「そう、口の中にお薬を入れて、それからお水を飲むの」
「・・・・・こう?(口の中にお薬を入れたら、噛み始める)」
「そう、それからお水を飲んで」

ストローを口の中に入れると、飲み始める。が、そこで止まる。
なんだか心配になって、聞いてみた。

「ねえ、弟くん。私は誰だかわかる?」
「(ジッと私を見つめて)・・・・・恵子ちゃん・・・・・」
「じゃあ、この人は?」
「(主人をちらりと見た後、また私を見て)・・・・・兄貴・・・・・」
「ちゃんとわかってるね?」
「うん」

だけど義弟の言葉には、まったく力がない。
蚊の鳴くような声だから、口元に耳を持って行っても聞き取れないほど。
時間は8時30分になったので、すぐに病院に連絡を入れた。

担当医は外来が優先になるけど、まずは救急の先生に診てもらい
その後のことは、担当医との相談になるとのこと。
救急の方に連絡を入れておくので、救急車を呼んだらその旨を伝えてくださいと言われる。

すぐに救急車を呼び、10分後には到着。
救急隊の方が義弟に名前を問いかけると、蚊の鳴くような声だけどちゃんと答える。
病院に連絡をしてあったので、8月に転倒して救急車を呼んだときよりも
スムーズにことが進み、救急車はすぐに出発した。
今回は救急車に私が同乗し、主人には車で後から来てもらった。

病院到着後、救急の先生に3日からの様子を話した。
脱水や食事などによっても、電解質が壊れたりして、このような症状が出ることもあるとのこと。
また長いこと飲んでいるお薬の影響も考えられるが、まずはCT検査をするので
時間がかかるから、待つように言われる。時間は9時半。
父には義弟のことを話してなかったし、昨日はデイの日だったし
父の家の冷蔵庫の中身がカラッポだったので、その時間を利用して
私は一旦父の家の買い物のために戻った。
11時過ぎに病院に戻ると、主人は義弟に付き添っていて
義弟は水分補給の点滴を受けていた。

CTの結果、8月に撮ったCTと比べると、左側にあった腫瘍があきらかに大きくなっている。
だけど場所から考えて、このような状態になるとは考えにくく
左側の腫瘍だから、右側に影響が出てくるはずなのに
左半身への影響なので、詳しくはMRⅠ検査をしないとわからないとのこと。
また腎臓・肝臓機能の数値も問題はなく、脱水の症状もないらしい。
担当医のM先生が外来診察中なので、連絡が取れるまで待つように言われたと言った。

しばらくすると、救急のT先生が来た。

「先ほどもお話しましたけど、CTの結果では確かに8月の時よりも腫瘍は
 大きくなってますけど、こういう状態になるとは考えにくいし
 この状態では家に連れて帰っても困るでしょうから、入院になるとは思いますけど
 担当のM先生と相談しますから、もうしばらくお待ちくださいね」

と話してるところに、M先生から連絡が入った。
話し終わって、もう一度説明があったのだけど

「今、M先生と連絡が取れたんですけど、脳腫瘍の影響ではないようです。
 全身的なものというか、悪いところはなく、治療と言っても点滴以外にないらしいですね」

さっきまで入院と言っていたのに、ニュアンス的に治療するところはないから
連れて帰った方がいいと言われているように聞こえた。

手術をした病院から、今の病院に転院するとき、私達夫婦は最初から
今後脳腫瘍の再発があったとしても、治療はしないと言い続けてきた。
M先生から『デモタール』を勧められた時も、拒否をした。
要するに、脳腫瘍の治療はしないと言ってきている。
けど、最初の担当医には、病院は治療をするところだから、治療をしないのであれば
次の転院先を探すか、自宅で看るように言われていた。
M先生にも治療はしないと言ってきたけど、高次脳のリハビリのことや
家での様子等は、診察時に話して、相談もしてきたんだけど
T先生の話し方が、ガラリと変わったことからやはり家で看るしかないと
主人と二人、覚悟を決めていた。

「とにかく今、M先生が一度こちらに来ると言ってるので、M先生の判断を待ちましょう」

家に連れて帰るなら、ベッドの手配もしなくちゃいけないし
今までのように和室に寝かせるわけにもいかないから、模様替えも必要になる。
義弟は身体は動かないけど、右手だけは頻繁に動かし
心電図を取るために貼っているものをはがしてしまったり、点滴の管をいじって
外そうとしたり、左人差し指に挟んでる機械を外そうとしたりしているので
そのたびに、注意をしながら、M先生が来るのを待っていたけど
何をどうしていけばいいのか?

週3回のデイにも慣れてきて、やっと安定してきたところ。
ショートステイも問題なく通えて、ストレス解消で通っていたスポーツセンターも
ずっと休んでいたけど、今月からまた再開させようと考えてもいた。
けど、どう考えても義弟はこのまま寝たきりになる。
身体は硬直してるし、45kg近くある義弟を抱えることは不可能だし
階段用リフトに乗せることだって不可能だ。
デイに通うことも出来ないのだから、ヘルパーになるのか?
エレベーターのない我が家、お風呂はどうする?
ケアマネさんと、また1から考えて行かなくちゃいけない。
そんなことを考えてるところに、M先生が来てくれた。

以下、M先生の説明。。。

CT画像を見た限りでは、確かに左の腫瘍は大きくなっているけど
現状はそれが影響している物ではない。
MRⅠを撮ってみないとハッキリとは言えないが、脳腫瘍の再発ではないと思われる。
術後の放射線治療の影響と、長く飲んでいるお薬の影響もあり
簡単に言えば、脳みその老化によるもの。
数値的に問題はないけど、通常の43歳ではないために、ちょっとしたことで
こういう状態になってしまうこともある。
現段階では、治療するところはないけど、点滴を打つことで改善される可能性も0ではないが
残念ながら、回復の見込みは少ない。
今ここで入院すれば、退院の判断がつき難くなる。
また感染症や誤嚥肺炎等にかかれば、治療をするが命にも関わってくる。
病院では誤嚥があれば食事は中止になり、点滴になるため
食事を再開させることも不可能に近くなる。
入院をしながら、特養や老人ホームの空き待ちをしてる方もいるけど
申し込み時と状況が変わっていることも多く、受け入れ拒否をされ
半年1年と入院している方もいるが、どうするかは家族の判断となるが
この状態で、連れて帰ると言うのにも問題がある。


手術をしても2年と余命宣告をされていた義弟が、5年過ぎて高次脳と言われ
8年過ぎて、放射線治療の影響で認知となり、そのたびになんとか
対応してきたけど、今またこの状態。
こんな風になるとは、誰も教えてくれなかったし説明すらなかった。
義弟のような例は、他にはないのかを聞いてみた。

まったくないわけではないが、極々少例。
同じ悪性脳腫瘍と言われても、その形など弱冠違ったりもする。
が、だいたいが2年から3年で亡くなる方がほとんどなので
そこまでの説明をする医師も少なく、当時の治療としては最善だったと思われる。
かなり強く脳全体に放射線を当てているため、その影響も強く
一気に状態が悪化してしまう場合もある。
今後どのような経緯を辿るかは、正直なところ判断出来ない。


連れて帰るにしても、我が家はエレベーターのない5階。
今後はデイに通うことも難しく、今の状態の義弟を連れ帰るにしても
ベッドの手配や、家の中の模様替えも必要になってくるし、一番心配なのは食事。
誤嚥があったときや、緊急事態にどう対応すればいいのか?
M先生もそう言ったところも理解してくれている様子で、とりあえず入院を勧めてくれた。
点滴で1週間から2週間様子を看て、その後のことは決めることになった。
入院中にMRⅠ検査もして、異常があれば連絡をくれるそうだ。
幸い脳外の病室が開いてるとのこと。少し安堵感も出てきた。

病室に移動してから、熱を計ると37.0度。またしても発熱。
良く解釈すれば、発熱ということは菌に対してまだ抵抗力があると言うことだと
M先生は言っていたけど、数値的に問題はなくとも
感染症を起こしかけてる可能性もあるということらしい。

認知症があるので、治療等に影響があると、拘束することもある。
これは同意書にサインがないと、違法行為とみなされるそうで
主人が同意書にサインをした。
必要な物を用意して、もう一度病院に戻ると、義弟はグッスリ眠っていて
手にはミトンがはめられ、それ以上手が上がらないよう紐がベッドの足元に結ばれていた。

今日は義弟がいつ戻ってもいいように、リビングと和室の模様替えをしておく予定。
もし退院となった場合、すぐにベッドの手配が出来るよう
ケアマネさんとも話しはついた。

どこが悪いというわけでもないのに、入院させてしまい
本当なら自分たちで看なくていけないところを、病院に預けてしまったという
後ろめたさがあると、主人は言っていた。

「ちょっと長いショートに行ってるくらいに思って、しばらく介護から解放されよう」

そう言われたんだけど、なんだろう?
正直なところ、私は気が思い。
どうなるかわからない、宙ぶらりんの状態がそう思わせるんだろうな。

今朝は2時過ぎに目が覚めて、もう眠れなくなったので、これを書いている。
主人も同じくらいに目が覚めたようで、テレビを見てる。

目の前の現実を受け入れて、その都度対応していくしかないんだろうけど
たったの2日でここまで急変するとは、気持ちが追いついて行かないよ。。。

波乱の幕開け。。。

2009.01.04 (Sun) 義弟との日々の出来事

新年明けまして~♪
人間社会では通用しませんが、我が家は昨年三女なつが旅立っておりますゆえ
新年のごあいさつは、控えさせていただいております(^▽^*)ニャハハ

今年は波乱の幕開けとなりました。
元旦からデイに通っている義弟ですが、元旦の朝は排便処理からのスタート。
主人もいるので、気持ち的には楽なので

「ま、運が付いたと言うことで(≧m≦)」

と笑って過ごしました。
元旦は私の実家に弟一家も揃い、義弟がデイに出かけた後は
実家で昼間から飲んでおりました。
夕方みんなでエリーのお散歩に行き、義弟が戻ってからは
主人に家に残ってもらい、私はまた実家に行き、8時過ぎに帰宅。
すでに義弟は寝ておりました。

この日もそうだったらしいけど、義弟は最近デイから戻ると着てるものを脱いでしまう。
上着と靴下は必ずと言っていいほど、脱いでしまうんだな。

「寒くないの?風邪を引くから着てなきゃダメ!」

と着せても気が付けば脱いでいたし、鼻水も垂らし始めていたから
風邪を引くかもしれないと思い、着せても脱ぐし
毛布を出してかぶせてもはいでしまうを繰り返してた。
2日はいつもと変わらず過ごした義弟だけど、異変は3日の朝から始まった。

いつものように朝起こしたけど、まったく身体に力が入らず起き上がることさえ出来ない。
まだ目が覚めていないからかもと思い、義弟の身体を私が支えながら
主人がおむつ交換から着替えを済ませる。
そしていつものように座布団の上に座らせたけど、座位が出来ない。
支えがなければ、座っていることも出来ないので、座椅子を出すことにした。
朝食に出したスープカップも持ち上げるけど、しっかり持てないためにこぼしてしまう。

昨年の7月から9月にかけて、一気に状態が悪化したことも考えると
このまま寝たきりになる可能性もある。
3日もデイの日だったので、朝からの状態を説明して、その日の様子を
帰りに教えてもらうことにした。
今までは移動も多いので、ベッドにしたら落ちる可能性もあるし
起き上がる動作もリハビリの一つと思っていたけど
このままの状態であれば、もうお布団で寝かせていては介護するのに
腰をやられてしまうだろうから、介護ベッドも考えなくてはいけないことになる。
リビングから玄関までは段差もないから、部屋の中では車椅子にした方が・・・
などなど、今後のことも考え始めていたんだけど、お昼過ぎデイから電話が来た。

朝の検温では36.7度だったけど、現在37.7度で発熱してるとの事。
本人には発熱の自覚はないらしいとのこと。
お風呂は入りたくないと言うので、午前中は横になって過ごしていたらしい。
発熱の自覚はないけど、身体はだるい、動きたくないと意識はあったらしい。
元旦と3日は、デイサービスの施設でお願いしてたので、いつも一番最後に
送ってもらうことにしていたけど、昨日は一番最初に送り届けてもらった。
施設を出るときの体温は、37.8度。
でもデイでの、食事とおやつは完食したとのこと。

食欲はあるようなのでまずは一安心したけど、家に戻ってからも身体の動きは変わらず。
熱があるので、足に毛布をかぶせたけど、これも何度かぶせてもはいでしまう。

「弟くん、熱があるのよ。寒くないの?」
「別に・・・」

別にってか!
毛布に付いてるわんこの毛を気にして取っていたり、ゴミ拾いも始めたので
心配はないかな?とも思うけど、暑い寒いの感覚も鈍ってるんだろうな。
夕飯はおかゆにしたけど、1時間かけても半分食べられず
食器のふちに付いてる一粒や、こぼしたご飯ばかりをいつまでも
スプーンで拾うとして、一向に食べる気配なし。
何度も声かけを続けて、1時間半ほどで4/5まで食べたところでおしまいにした。

昨日今日は病院も休みなので、前に影響はないと言われた
市販の風邪薬を飲ませてみた。

義弟の寝ている頭のところにソファーが置いてあり、その上に発泡スチロールの箱が3個
座布団や毛布などを置いてあるのだけど、夜中にそれをいじるらしく
昨日の朝は座布団が顔の上に乗っていて、窒息してるんじゃないかと驚いた。
今朝は箱を2つ落としてあり、座布団も顔の横に落ちていた。
動くことは出来ないし、暗いから自分が何を触ってるかはわかってないと思うけど
手に触れるものをいじるから、発泡スチロールは軽いし、夜中に落とすらしい。

今朝の体温は37.0度。
朝これだと、午後から上がってくる可能性もある。
熱が出るとけいれんも出やすくなると言われているし、本当に風邪なのかどうかも
判断が出来ないから、とりあえずかかりつけの病院に電話を入れてみた。

今日は休日なので救急外来になるし、脳外の先生もいないとの事。
休日はMRⅠが撮れないので、CTになるし診断としても難しいらしい。
緊急性があれば、救急車で行けば診てもらえるけど、緊急性がなければ
明日は担当医が外来日なので、電話をかけてから、救急車で来た方が確実。

と言われた。

主人も様子を看ていて、熱だけのせいではないような気がすると言うし
おむつ交換や着替えの最中、左足が曲がったままなので伸ばすと
「痛い」と言い、伸ばしても勝手に足が曲がってしまうと言うので
左の麻痺も強くなってるような感じもある。
昨日まではパンツ式の紙おむつだったけど、今朝はテープ止めに変えて
私が義弟の足を持って持ち上げて、主人がお尻の下におむつを入れての
おむつ交換をしたけど、身体が硬直してるような感じもする。
明日も主人がいるので、今日の様子にもよるけど
明日電話をしてから、病院に連れて行くことにした。

座椅子に座らせると、曲がったままの左足も伸びた。
足元に毛布をかぶせて、首にタオルを巻いての朝食。
今朝の義弟。。。
なんと食事中にも眠ってしまうし、ボーッとして動きも止まるので
ずっと声かけをしながらの食事なんだけど、飲み込みも悪くなってるように思う。
左手も肘や手首のところで、おかしな風に曲がったまま動きもない。
やっぱり麻痺が強くなってるような気がするな・・・
朝食は2時間かけて、やっと終了。
このところお薬を噛んで飲む義弟、口に入れたものは噛むという本能かな?
これからは、誤嚥もありえる話し・・・

今日は昨年末から、主人はトラック整備に行く予定だった。
朝の様子で、一旦は中止にしたけど、明日病院に連れて行く予定なので
やっぱり整備に行ってくると言って、出かけた。
これから主人の仕事が始まれば、一人で看なくちゃいけないわけで
昨日から、私の気持ちはブルーに入っております。
主人もそれをわかってるけど、こればかりはどうしようもないことで
やるっきゃないんだよね。

「もう何事にも動じる必要はないから、何かあったら救急車呼んで連れて行けばいい」

そうは言われてもねえ~。

このまま寝たきりになっていくのかなぁ~?
熱が下がらなければ、火曜日のデイケアは頼めないし
10日からはショートステイの予定だったのにな~。
明日は病院が終ったら、ケアマネさんに電話して、ベッドのお願いと
事情説明しなくちゃだわ。
場合によっては、介護保険の変更もだな。

はあ~、年明けからすっかりブルーに入ってる私です。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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