。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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49日法要。。。

2009.10.22 (Thu) 義弟の病院・病気と症状

義弟の49日法要、そして納骨が済んで
あっという間に10日が過ぎた。
なんだか毎日、午前中が忙しく午後には電池切れの状態で
パソコンを開く元気もなく、開いても読み逃げばかりでした。

義弟の49日法要も無事に終わり、納骨も滞りなく済みました。

主人は、我が家にお骨が無くなってしまったことに
かなり寂しい思いもあるようです。

最初はすべてを実家に持っていくつもりだったけど
仏具一式は、義母の時に揃っているわけだし

「お義父さん、コーヒー入れたり煙草に火を点けたりしないでしょ?
 だったら、仏具一式家に残して簡単なお仏壇もどきを作って家でやったら?」

主人にそう提案したら、すぐに賛成してくれて
義弟のお位牌と大きな遺影は、実家に持って行きましたが
小さい遺影とコーヒーカップは残し、義母と私の母の写真などを一緒に置き
その横に、なつのお骨やお位牌などを置いて
我が家流お仏壇
我が家流のお仏壇コーナーを作り

今も毎朝コーヒーを入れ、煙草に火を点けて一緒に一服しとります。

法要には、義弟の会社の人事部長のTさんと同僚のMさんが来てくださいました。
義弟はブランド物の時計をたくさん持っていたので
会社の方々6名と友人や従兄に、形見分けとしてお渡ししました。
法要後の食事会でも、義弟の思い出話に花が咲き
形見分けのことで、義弟の後輩に主人が電話をしたのだけど
同僚のMさんのところで、電話が来て

「声がソックリで・・・」

と、声を詰まらせていたと聞いたりしました。
双子だから声はよく似てて、リビングで二人で話しているのを聞いてると
短い言葉だと、どっちが話してるかわからない時もあったもんな・・・
なんて、思い出したりもした。

食事が終わって実家に戻り、お仏壇を片づけて義弟の場所を作り終わり
みんなで話している時、主人が

「姉貴よお、お通夜の時だって座りっぱなしでよお、俺とカミさんで社長なんかに
 お酌して回ってんのに、ずっと座ってんだからよお。
 姉貴の後ろで、手伝ってくれた会社の人たちが食ってたんぞ」
「そんなの知らない」
「知らないじゃなくてよお、親父と憲児が勤めてた会社の人達なんだから
 もう少し気を遣えよ、それに俺らが戻ったら、飯も残ってねえしよ~(笑)」

突然、主人がそんな話を始めたので、ちょっとビックリしたんだけど
その話しの間中、義姉は私をチラチラと見て、言った言葉が

「しょうがねえだろ、お前は長男なんだから」

おぉぉぉ~~~い!そういう問題かい!!
別に私が言わせたわけじゃないのに、そんな反撃かよ!
と、ここで叔母が

「でも長男でも、ここまではやらないわよ。普通は」

ナイスフォロー、ありがとうございました!
まあ、もうこういうこともないだろうけどさ。


私にとっては、最低最悪の体調の中、義弟の葬儀があり
その後も返礼品を選び、エクセルで住所録を作り
住所のわからない方の住所や電話番号を調べたり
法要の準備も、主人の実家近くで行ったために
義父と連絡を取りながら、お寺さんへのお願いや
その後の食事場所の手配などなど・・・
とにかく滞りなく済むように、主人と二人それだけを考えて
法要の日までを過ごした。

そのせいか?義弟が亡くなってから、49日法要までとても長く感じたけど
終わってからの、この10日間は早かったな~。

わんこの病院、父の病院が2回、私の病院、ケアマネさんが来たり
返礼品は、主人がお香典をいただいた方全員に返すということで
合計219名あったのだけど、送付が始まって
住所が違ってたり、集合住宅の部屋番号がなかったりで調べたり
午前中がなんだかんだと忙しく、午後になると電池が切れる状態でした。

昨日は、私の受診日。
手術前検査で、レントゲン・心電図・血液検査を行った結果
貧血も改善されていたんだけど、生理を止める注射のせいで
更年期の症状が出始めているみたい。
またフェロミア錠の副作用もあって、身体がだるいらしい。
フェロミア錠は、今回処方されなかったので、あと2日飲んで終わりだから
だるさも取れるといいんだけどな。
先月1回目の注射の後、2週間後にもう1回出血があると言われたのだけど
4日からまた出血、4日ほど通常の生理と同じだったけど
その後もダラダラと続き、現在も止まらないので聞いたところ
私の筋腫はたくさんあるそうで、それらが全部子宮内に飛び出してるから
不正出血が始まると、ダラダラと続くらしい。
4週に1回の注射なんだけど、次回はその1週間後が手術になるので
18日に受診して、出血の状態を聞いてから、注射をするか?しないか?決めるそうな。
また卵巣を残すか?残すこと、取ってしまうことの、メリットデメリットなどなど
手術に関しての詳しい説明をすると言うことで、主人同伴で午後3時からとなり
入院の予約をして、帰ってきた。
昨日も主人が一緒に行ってくれたのだけど、私にしてみれば
18歳の時に、虫垂炎で下半身麻酔は経験しているが
全身麻酔は初めての経験になるし、お産の時以降入院したことがない。
麻酔の事故だってあるし・・・なんて、マイナス面ばかり考えてしまうんだな。
そして、一番心配なことが。。。

「あの~、家にラブラドールが2頭いるんですけど
 退院したら、お散歩は出来ますか?」
「別に制限はないけど、お腹に力入れると、かなり痛いと思いますよ」
「い、痛い・・・」
「術後、2.3週間は痛むと思うから、出来ないんじゃないかな?」
「じゃあ、痛みが取れたら大丈夫ですか?」
「そうだね、痛むうちはやめた方がいいだろうね」

痛いのか・・・当たり前か・・・

「大丈夫だよ!正月には、切って良かった~♪楽になったって言ってるから」
「そ、そうだよね」

主人も私の手術が終わらないと落ち着かないって言うけど
ヘタれの私。。。あと約1ヶ月・・・長いな~。。。
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葬儀。。。

2009.09.09 (Wed) 義弟の病院・病気と症状

義弟が旅立って、半月過ぎたんだな~。
もう半月なのか?まだ半月なのか?

義弟の危篤を聞いて、すぐに病院に向かいそのまま病室へ。

「憲児、来たぞ!」
「弟くん、目開けて」

そう声をかけたけど、義弟の反応はなかった。

「けんちゃん、弟くん息してる?」

二人で胸を触ったり、口元に耳を近づけたりしていると
相談員のOさんが来た。

「息してます?」
「そうなんです。10時35分ごろに呼吸が止まってしまって・・・」
「間に合わなかったのか・・・」
「弟くん、一人で逝っちゃったの?」

しばらく、二人で涙が止まらなかった。
不思議なものだ・・・あんなに憎たらしくて、介助することや介護することが
苦痛だったのに、こうなってしまうと、義弟の痩せ細った身体に
ペタペタと触れたくなってしまうのだ。
本当に人間とは、自分勝手な生き物です。

看護士さんたちが、義弟の身体を綺麗にしてくれてる間
連絡を取るべきところに、連絡をした。
義父も義姉もお昼頃と言っていたけど、連絡が来たのは12時半を過ぎていた。
義弟の死を知らせても、二人ともあまり動じることもなかったようだ。
二人とも携帯を持っていないので、二人が合流したら
また連絡をするということになっていたけど、その後なかなか連絡が取れなかった。

前日ある程度の打ち合わせしていたので、すぐに葬儀屋さんに連絡を取り
迎えにきてくれることになった。
マンションのエレベーターのない5階の我が家。
ラブラドールが2頭もいることから、最初は会館として借りたお寺さんに
預かってもらう予定だったが、1日3万円という金額は、ちょっと出せなかったので
そのまま葬儀屋さんに預かってもらうことにした。
お焼香できるように準備が出来たら、連絡をくれることになり
義弟を送り出した後、すぐ駅に義父と義姉を迎えに出た。
探すこと30分、やっと合流することが出来た頃に
葬儀屋さんから、準備が出来たと連絡が入り、そのまま葬儀屋さんへ。
義弟の会社、U取締役、T人事部長とその部下のAさん、同僚のMさんも
駆けつけてくれた。

義父と義弟は、同じ会社いた。
義父は今もその会社のOB会に入っているし、義父も役員までやっていた会社。
主人のことも義弟のことも、小学生の頃から知っている役員が今もいる。
もちろんU取締役もT人事部長のことも、義父は知っている。

「Tさんよ、今回もまたよろしく頼むよ」

義弟が倒れてすぐに、義母が亡くなった時も
会社の方々が、葬儀の手伝いをしてくれたのだけど
9年6ヶ月も休職してたにもかかわらず、義弟の場合は工場長補佐と言う役職から
現役役員の死と言うことで、扱ってくれたのだ。

葬儀は、ほとんど社葬に近い形で行われた。
お通夜が28日、義弟が亡くなったのが25日。
丸3日あったわけだけど、その間毎日夜10時過ぎまで打ち合わせが続いた。

当初は親族も入れて、100名予想だったけど
会社関係だけで、100名を越えると言われ
150名で設定したけど、200名まで対応できるようにお願いした。
会場のお寺さんを下見した際、約30台ほど駐車出来るスペースだったけど
30台分では足りないと言われ、駐車場の手配にも追われた。
まずは我が家が借りてる駐車場の、空いてるところを5台分確保。
さらにお寺さんの前に某大学のグランドがあり、管理人さんと知り合いだったので
お願いしたところ、お寺さんから連絡をもらえれば貸せるということで
葬儀屋さんにお願いして、お寺さんから連絡してもらい
さらに30台分の駐車場も確保、これでなんとかなった。

遺影は、闘病中の義弟ではなく、10年前の物だけど
義弟が倒れる半年前、まだバリバリの現役の頃の写真を選んだ。
会社の方々にとっての義弟のイメージは、この顔だと思ったからだ。

その間に、お花の注文も続々と入っていた。
喪主が2基、主人と私で1基、義姉と義兄で1基
その4基も含めて、全部で42基のお花が届き、祭壇はお花で埋まった。

会社の役員さんたちがいらして、主人が私を紹介するとみなさんが

「よく面倒見てくれたな。ありがとう!お疲れ様!」

そう声をかけてくださる方ばかり。

「お前は良い嫁さんもらったな。自慢の嫁さんだぞ」

社長様には、そう言ってもらった。

怒ってばかり怒鳴ってばかりの、ちっとも優しくない兄嫁だったのに
そんな言葉が、嬉しくもあり、せつなくもあった。

「俺のことなんか、誰も褒めてくれねえ。俺だって寝ないで働いたのに」

主人が笑いながら、そう言った。

祭壇・・・
祭壇に向かって、右側に親族、左側には社長様を始め役員の方々が列席してくれた。

お経をとなえてくださってる間、参列者は途切れることなく続いて
お世話になったご近所さんも、たくさん来てくれた。
さらに終わってからも、作業着で駆けつけてくださる方もいた。

お通夜が終わり、社長様や役員の方々が食事をしてる間
外では会社の社員の方々が、30名ほど残っていた。
中で食べてくれればいいのにな~と思いつつ
私もあっちにこっちにと、あいさつで走り回っていたのだけど
8時半過ぎ、社長と副社長が帰られると、それを見送った後
残っていた社員さんたちが、蜂の子を散らすように帰られて行った。

「すごいですね~」

葬儀屋さんと、ビックリしてしまったと同時に、ちょっと笑ってしまった。
社長様のお人柄もあるだろうが、従業員の団結力も強い会社なのだ。

告別式にも社長様始め役員の方々が列席してくださり
この日もお経をとなえてくださってる間、参列者が途切れることはなかった。
そして同僚のMさんが、弔辞を読んでくれた。

工場長になるまで、寮生活の中、二人で夢を語りながら過ごした日々や
工場長になってからも、二人でよく話をしたこと
闘病中のことや、私たちにまで労いの言葉も添えてくださった。

火葬場までも一緒に行ってくださり、お骨を拾ってくださり、精進落としまで
17名の方が、残ってくださった。

お通夜告別式を通して、述べ300人の方々の参列者。
私たち夫婦で仕切った葬儀だけど、こんな大きな葬儀は最初で最後だと思う。

会社人間だった義弟。
お嫁さんには恵まれなかったけど、この会社でこの人たちに囲まれて
仕事が出来たことは、義弟とって大きな財産だったに違いない。
長い闘病生活だったけど、会社の方々に見送っていただけたことは
何よりの幸せだったね。

8か月ぶりに自宅に戻ってきた義弟。
家に戻って・・・
49日までは、ここで休んでもらってます。

まだ書きたいことはあるのだけど、やることが山積みの毎日。
なので、また次回に・・・

残念ながら。。。

2009.08.25 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

今日、午前10時59分、義弟は逝ってしまいました。

今日は義父と義姉が面会に来る予定になっていたので
お昼頃病院に行く予定でいたのだけど
10時過ぎに病院から連絡が入り、あわてて飛んで行ったけど
すでに呼吸は止まっていました。
実際に呼吸が止まったのは、10時35分ごろ。
私たちの到着を待って、死亡確認ということでした。

義弟の会社で、告別式は取り仕切ってくれるそうですが
友引も入ったため、週末までは忙しい毎日です。

また落ち着いたら、ご報告したいと思います。。。

危篤。。。

2009.08.25 (Tue) 義弟の病院・病気と症状

主人も仕事を都合をつけて、病院に向かうから
無理はしなくていいと言ってくれた。
昨日、↓の記事を更新後、体調は優れなかったものの
どうしても気になったので、やはり病院に行くことにした。
病院に行く途中で、義弟の会社の方から電話が入った。
1時半少し前、病院に到着、すぐに折り返し連絡すると
U取締役とT人事部長と同僚のMさんが、面会にくることになり
そのまま病院で待機することにした。

義弟に面会すると、呼吸も苦しそうで目もうつろ。
手を握って、声をかけても反応はかなり鈍い。
13日面会した時よりも、さらに痩せていた。
うっすら目を開けたり閉じたりするので、タイミングを見ながら
手を握って何度も声かけをしたら、私のことはわかったらしい。
骨々しくなった身体を少しマッサージしたら、気持ち良さそうだった。

会社の方々を待って、病室と外を出たり入ったりしながら
4時過ぎに会社の方が到着、続けて主人も到着した。
1時間ほどの面会の間、会社の方々も主人のことも認識したようだった。

相談員さんの話では、この2.3日が山だろうとのこと。
義父と義姉も、今日午後から面会に来る。

主人は葬儀の心配をし始めたので、今は事前準備もできるとのことで
昨日の夜、葬儀社の方と打ち合わせし、万が一に備えた。
しばらくは、病院を行ったり来たりになりそうです。

そんなわけで、落ち着くまで、ネット休業させていただきます。
よろしくお願いしますo( _ _ )o

病院から。。。

2009.08.24 (Mon) 義弟の病院・病気と症状

義弟のことを書く前に、私の検査結果を書いておこうかな。

19日に病院に行ったのだけど、病院は変えるつもりでいたから
結果だけ聞いたら、さっさと帰ってこようと思っていた。
ところがでしな、今回の先生の態度はガラリと変わった。

「その後、出血はありましたか?」
「7日から11日までありました」
「まず検査の結果ですが・・・」

と言うことで、がん検査の結果は問題なしだった。
問題だったのは、一応やっておきましょうと言った血液検査。

RBC 431  (正常値370~490)
Hb   8.5 (正常値11.5~15.0)
Ht 29.6   (正常値35.0~45.0)

これがどの程度なのかわからないのだけど
か弱い女性の代名詞・・・貧血・・・『鉄欠乏性貧血』と診断された。

なるほど・・・倦怠感やちょっとした作業で、すぐに疲れること。
おしゃべりするだけで目が回ったり、息切れもここからきてたらしい。
どうやら更年期ではないみたい。
もう2.3年前から、軽く症状は出ていたけど、徐々にだったから
自覚症状もあまりなかったけど、ここ1ヶ月ほどで悪化したらしく
自覚症状が強く出てきたようだ。

でも血液検査だって、こっちが言ってやったようなもの。
症状なんか、何一つ聞いてこなかったのに、今回はやたらと聞いてきたから
自分がおかしいと感じていることを、いくつか伝えたのだけど、とっても親切だった。
生活するのに支障がなければ、この程度なら手術の必要はないと言ってたのに
今回は

「それだけの症状が出てるなら、手術を考えた方がいいかもしれませんね」

( ̄△ ̄;)エッ・・・なんじゃと?

選択肢は三つ。
年齢的にも閉経は近い・・・( ̄□ ̄||)えええっ!!・・・そうだ・・・
が、当然個人差があるから、あとどれくらいは判断は出来ないそうだけど・・・

一つ目は、鉄剤を飲みながら、閉経を待つか?
二つ目は、お薬で強制的に生理を止め、閉経を待つか?
だけど、子宮側に飛び出してる筋腫のせいで、不正出血があるのだけど
生理は止まるが、不正出血は止めらないので、何かあれば出血は続くそうだ。
三つ目は、子宮全摘出手術。

が、現在の貧血の状態では、手術は出来ないので
まずは『フェロミア錠50mg』を、朝夕1錠服用して1ヶ月様子を看ることになった。
で、1ヶ月後の9月16日に、要相談。
午前の最後の予約で、時間をかけて説明をしてくれるらしい。

病院を変えるつもりでいたのだけど、主人に相談したら

「どこに行っても手術は選択肢の一つに入るだろ?
 今後のことを考えても、今手術しちゃった方がいいだろ」

まあ、少々複雑な気持ちもあるのだけど、手術と言う方向で
主人も付き添ってくれるということで、診察を受けることにした。

更年期のせいで、身体がしんどいんだろうと思いながらも
自分がなまけものなんじゃないかって気持ちもありつつ
「なにくそ!」根性で、毎日を過ごしていたけど
要するに、空気の薄い高いお山で、生活してるようなものらしいから
無理をすれば、引っくり返るわけだから、気を付けなくちゃいかんのよね。
原因がわかったことで、ある意味気持ちも楽になったし
か弱い(←ここ強調)女性の代名詞、貧血だなんて
私も普通の女の子?だったってことだわね。

「まあ、お前もタフだよな」

って、そう言う言い方かよ!と思いつつ、覚悟を決めるしかないわけで
この1ヶ月は、自分を労わることにしてた。

今日は、わんこの病院でフィラリアのお薬をもらいに行った後
買い物を済ませて帰宅する頃には、目が回ってフラフラとする。
少し横になろうと思っていたのだけど、義弟の病院から留守電が入っていた。

土曜日から38度越えの発熱で、今朝も38.2度あるそうな。
すぐに相談員のOさんに連絡をしてみた。

20日から口から物を食べることが出来なくなり
22日から発熱、今日あたりから点滴治療に入るだろうとのことだった。
点滴が入ると、状態が良くなる場合もあるが、厳しい状態らしい。

自分の状態も日々波がある。
今日は調子が良いと思う日もあるけど、午後には電池切れ状態だったり
朝起きた時から、横になりたい日もある。
今週自分の状態を考えながら、面会に行った時
Oさんに伝えておこうと思っていたのだけど、電話で伝えておいた。

すぐ様子を看に行きたいところだけど、今日の私の状態で車の運転は無理だ。
主人に連絡を入れ、義父と義姉には連絡をすると言い
なるべく早めに病院に行くとは言っていたけど
これを書いてる途中で、今また病院から、連絡が来た。

「痛み等には反応があるので、意識がないわけではないが
 いつ急変してもおかしくないので、ご家族に連絡をして面会に来てください」

とのこと・・・・・言葉では言わなかったが、危篤状態だ。

会社の同僚のMさんにも、連絡を取った。
後はなにをすればいいんだっけ?

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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