。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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思うこと。。。

2010.07.10 (Sat) 思うこと

明日は選挙ですね。
このムシ暑い中、各党熱い選挙活動に汗を流して
お疲れさまです。。。と、言う感じです。

各党それぞれにエベレスト・・・いや、マニュフェストが
出ているようですが、今一つピンとこないです。

これ、あくまでも私個人の意見ですから
読み流してくださいませo( _ _ )o


北朝鮮の拉致問題、普天間問題、消費税などなど
問題山積みの我が日本であります。
昨年政権交代があったけど、私庶民として変わったことって
何か実感できたか?って言われると、何もない。
子供手当が支給されたけど、子育ての終わった我が家には
無関係だしね~。。。
菅さんが、消費税を10%に上げて、社会保障に当てると
言ってるけど、来年の財源をどうするか?も決まってないのに
じゃあなぜ、子供手当を実施したんだろう?と思ってしまう。
現在の日本って、今産まれたばかりの子供から
寝たきりの老人まで、一人800万程度の借金があるのと同じだって
何かで聞いた(違ってたら、ごめんなさいね)気がするんだけど
借金の返済はどうするんだろうね?
事業仕訳もやったけど、実際はどうなってるのかわからないし
税金って、ちゃんと支払ってはいるけど
実際どれだけの税収があって、何に使ってるかなんて
下々の庶民にまで、わかるようにはなってない。

事業仕訳があったおかげで、天下った方々が
2度も3度も、退職金をもらってたとか
こんなことに税金を使ってたのね・・・などなど
わかったこともあるんだけどさ。
そう言えば、宝くじのことも事業仕訳してたっけ。

「おいおい、そんな使い道あるかよ」

って思った部分もあるけど、宝くじに夢を観てる我が家としては
きちんとするまで宝くじの販売は、中止するべきと言われた時は

「庶民は夢も観れないのかよ」

って、思っちゃった。
ま、今のところは販売中止にはなってないけど・・・

今回の選挙で言うなら、私個人としては
別に宗教家ではないけど、公明党にがんばってもらいたいと思う。
本当かどうかはわからないし、実際に実施されるかどうかも
わからないことだけど、全国に公明党の党員3000人が
庶民の声を聞いてるそうな。

少子化対策として、子供手当ではなく
働く女性が、子供を産みやすい環境を作るべきだとか
10万人の介護従事者にアンケートを取った結果
2025年には、3人に一人が高齢者となる日本。
もっと介護従事者に、優しい環境を提供するべきとか
特養などの施設を、増やすなどなど・・・
生活に密着した提案をしてるように思うんだよね。
子宮頚がんの診療を無料にしたのも、公明党だしね。

誰に投票するかは、公言しないけどさ。

義弟の介護中は、我が家はとてもラッキーだったと思う。
高次脳機能障害がわかった時は、まだ知られていない障害だから
なかなか理解してもらえなかったけど、義弟の状態が
徐々に悪化し始めた頃に、役所の方にも恵まれたし
父の担当のケアマネさんが、義弟を担当してくれたことで
我が家の状況も、把握してくれていて、スムーズに
事が運んで、いろいろ手も尽くしてくれた。
入院して、出て行けと言われた後、精神的には極限まで
追い込まれたけど

「よし!いっちょやったるか!」

と覚悟を決めたところで、受け入れてくれる施設が見つかった。
そして、施設に移って半年でこの世を去った義弟。
過ぎてしまえば、あっという間だったように思うけど
私の40代は、義弟の看護・介護で語られると思う。

直面してる問題は、私の父親のことだけど、今はまだ看護の時期。
主人は、自分の父親は大丈夫って言い切るのだけど
誰がそんなこと保証する?
足の悪い義父が、頭はしっかりしていても
身体が動かなくなることだって、考えられるわけで
自分たちだって、明日どうなるかわからない年齢になってる。
そう考えたら、怖くなるさ。

年金なんて当てに出来ないし、老人ホームだって
お金がかかるわけだよ。
子供を産むか産まないかは、自分で選択出来ても
生きてるってことは、誰でも年を取るってこと。
高齢者に優しい環境作りも必要だろうけど
『尊厳死・安楽死』の問題も、取り上げてほしいと思う。
本人の意識がしっかりしてる時の、本人の意思も
尊重するべきだろうが、訳がわからなくなったら
看てる側の状況だって、考えてほしい。
家族で、夫婦で、介護をしていたら、役割分担も
出来るかもしれないが、それが原因で家庭崩壊もあるわけで
一人で看る人は、もっと過酷だ。
誰もがすぐに、どうにかしてくれとは言わないと思う。
出来る限り、自分で我が家でと思う気持ちも
日が経つにつれて、精神的に経済的に追い込まれることだってある。

がんばらない介護、楽々介護が出来る人は良いけど
出来ない人だっている。
本人の意思が確認出来ないなら、看てる側が
判断したっていいじゃないかと思う。
そういう選択肢があってもいいんじゃないかと思う。
でも今の日本、これをやったら、殺人だ。
これから先も、介護殺人は増えるだろうと思う。
ま、これを口にする政治家は、まずいないだろうな。

自分の父親だから、そう思うのかもしれないけど
私の父は、どちらと言われれば、温厚だと思う。
何かあれば、自分を責めてしまうし
昔から暴言を吐くと言うことがない。
実の娘だから、言いたいこともそのまま言える。
主人の父、義父は主人が子供の頃は手を上げたらしいし
義弟を看て、暴力はなかったけど暴言はあった。
つい最近まで、主人も義父には口答えしなかったことを
考えたら、義父の介護は難儀なことだと容易に想像が付く。

私の父に

「逝く時は、ポックリ逝ってね(笑)」
「うん、俺もそう思う(笑)」

なんて、冗談で言うけど、看られる方も看る方も
これが本音でしょ?

とは言っても、『尊厳死・安楽死』が認められない限り
どんな状態になっても、生きる人は生きるのだよ。
もしかすると、そこに何か意味があるのかもしれないけど
看る方は、精神的にも経済的にも大きな負担がかかるわけだ。
看る側は、ギブアップが出来ない状態って、どうなの?って思う。
介護保険って、ネーミングを付けたなら
どんな介護にも対応できるようにしてもらいたいな。
どんな状態の高齢者でも、受け入れてくれるような
介護専門者の育成や、施設作りをしてもらいたいと思う
今日この頃であります。

あくまでも、私個人の意見ですので、あしからず。。。


ところで、先日義父から電話が来た。
たまたま主人のトラックが、修理となって早く帰ってきてた日。

「はあ~?去年会社からもらった憲児の保険金どうしたんだよ?」
「俺は株なんかやらねえよ。そんな金はねえ」
「親父が自分の金で何やってもいいけど、俺はやらねえ」

(´Д`)ハァ・・・どうやら、またお金だ。

昨年、義弟の会社から保険金が下り、その1/5を我が家にくれた。
さらに義姉の子供3人にも50万ずつ渡している。
実はこれで、我が家は一悶着してるのだけど・・・
(興味のある方はこちら→『もめ事。。。』をどうぞ)
その他に、お仏壇にある義母の写真がボケちゃったので
写真を加工してもらったり、中古の車も購入
元々、絵とか掛け軸とか置き物とかが好きな義父。
だからと言って、高価な物を買うわけじゃなく
フリーマーケットなどで、買ってるらしいのだが
先日従姉妹が自殺した時、実家に寄ったのだけど
これまた掛け軸や置き物が増え、さらにはゴミも増え
ほとんどゴミ屋敷のように、足の踏み場もない部屋になっていた。
その中に、ソーラーで動く金の招き猫が手を振っていた。
招き猫って、左手を振るのは人を呼んで、右手がお金を呼ぶらしい。
義父が座ったテーブルの前は、隙間があるけど
足の踏み場もないような、物の置き場もないような場所に
ポツンと置いてあるその金の招き猫は、左手を振っていた。

「その猫は、人を呼ぶ招き猫なんだよ~」

と説明してくれた義父だけど、その前にこの部屋を
何とかしないと、人は来ないような・・・(≧m≦)
とんちんかんと言うか、何と言うか
まあ、お茶目と言うことにしておくか( ̄m ̄*)

話は反れたけど、義父のもらってる年金は
私の父の倍額だし、家賃がかかるわけじゃないし
貯金が出来てもおかしくない。
掛け軸や置物など買ったって、頂いた保険金の半分は
残っているはずなのにな~。
義父がお金の無心をする時の額は、1万2万じゃない。
10万単位か、多ければ100万と言ってくる。
独身時代は、主人もそれなりに蓄えていたし
義父に反論することもなかったので、言われるままに
お金を渡していたようだけど、今はそうはいかない。

「親父に400万近く貸してるけど、返してもらってねえよ」
「1円たりとも、返してもらってねえよ」
「親父に貸した金と憲児のことで、金なんかねえよ」
「俺は株はやらねえ」
「憲児の保険金、どうしたんだよ?」

主人の話によると、どうやら株に手を出したようだ。
どこの株か?知らないけど、持っていた全額投資したようだ。
さらに何か買いたいのか?昨年我が家に渡したお金を
当てにして、それと同じ金額を出せと言って来たようだ。

「宵越しの金は持たねえ」

って、義父はよく言うけど、それって人のために使って
言う言葉でしょっ!

今回ばかしは、主人もキッパリ断っておりました。

実家に戻ることを、嫌がっていた主人だけど
義父のことを考えれば、いずれは実家にと考えていた主人。

「借金でもしたら、遺産放棄だ。あんな土地なんかいらねえ」

私の父は、財産なんかないけど、2万円も渡せば
2ヶ月くらい、お金のことを言わない。
1ヶ月にその10倍のお金があっても、足りないと言うのは・・・

まだまだ、一波乱も二波乱もありそうな、我が家でごじゃります。。。
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自殺。。。

2010.06.17 (Thu) 思うこと

まさか自分の身近で、こんなことがあるとは・・・

今月6日から8日まで、犬連れの旅行に行ってきた。
帰ってから、チビの方がはしゃぎ過ぎて足に怪我をしたので
病院に連れて行ったり、彩佳からもヘルプコールが来て
彩佳の部屋に行ってきたりと、ドタバタしていた。
10日の夕方、帰ってきた主人が

「Sが死んだ・・・首つり自殺だって・・・」
「首つり・・・」

絶句した。
Sちゃんは今年30歳、主人の母親の妹の子供、従姉妹になる。
姉のMちゃんと、兄のTくんの3人兄弟。
特にMちゃんとは仲が良く、一緒に暮らし仕事をしていた時期もあるが
この家族、少々問題を抱えている。

Mちゃんは、「お兄ちゃん」と呼んで、主人を慕っていたので
時々主人のところに、メールや電話が来ていたらしい。
が、Sちゃんとの接点はほとんどなかったけし
MちゃんからSちゃんの話を聞くこともなかったらしい。
主人は二人ともを、可愛がっていて、気にもかけていた。
3年程前、一緒に食事をした時、いろいろ話も聞いていたが
Mちゃんは『パニック障害』を抱えていたし
当時、睡眠導入剤や安定剤も服用していたSちゃんも
おそらく『うつ』を抱えていたのではないかと思う。

その時から、彼女にプロポーズしていた男がいた。
だけどSちゃんにとっては、彼の存在は
あまり好ましい物ではなかったようだ。

「ハッキリ断らないと、後で困るよ」

当時もそんな話をした覚えがあるのだけど、結果として
彼との関係は続いていたようだ。
昨年8月、義弟の葬儀の時、Mちゃんは通夜に参列してくれて
私が10時過ぎに自宅に戻る時、帰って行った。
通夜も終わった夜中の11時過ぎ、叔母とSちゃんが
その彼に送られて、お線香を上げにきてくれたと
後で聞いたので、私はSちゃんに会うことはなかった。

だけどこのたび、話を聞いてみると、昨年5月と10月にも
自殺未遂を起こし、発見が早かったので
助かっていたということらしい。

Sちゃんが残したメモには、どこかに遺書を残しているから
探してくれと書いてあったけど、その遺書はまだ見つかっていない。

「私は誰にも必要とされていない」
「ひとりぼっち・・・」

メモには、プロポーズされていた彼のことは一切書かれていない。
結婚を申し込まれていたのに、私は必要とされていないと
書いていると言うことは、ハッキリと断れず
彼の親にも会っていたことを考えると、ずるずると引きずられて
しまっていることは、Sちゃんにとって重荷でしかなかったと思う。
だからと言って、彼のせいではない。

そのメモには、他の男の名字が二つ書かれていた。
彼女の本命は、その二人のうちどちらかだったのだろうか?
最後に会うことが出来なかったようなことが書いてあったから
妻子のいる人だったのだろうか?

でもそのメモを見ると、苦しかっただろう
辛かっただろうことは、よくわかる。

Sちゃんは、自宅の自分の部屋で首を吊った。
隣の部屋には、兄が寝ていて、階下には母親がいた。
過去2回助かったことを考えると
どこかに救いを求めていたのではないかと思えてしかたがない。
でも、結果は逝ってしまった。

「S、暑いからアイス食べよう」

そう言いながら、Sちゃんの部屋に入った母親である叔母が
第一発見者となった。

「私がSを殺したんだ、私もSのところに行く」

そう言ったかと思うと

「Sは明日起きるから、明日には目が覚めるから」

もう正気の沙汰ではない。
目もうつろだし、言動も行動もあきらかにおかしい。
これをキッカケに認知ということもあり得る話し。
子供たちや叔母の兄にあたる、叔父も叔母を
怒鳴りつけたり、怒ったりしていたが
伯父のお嫁さん、もう一人の叔母と二人で
うまくなだめて、寝かしてるけることが出来た。
2時間ほどして目を覚ました叔母は、正気に戻り

「あれ~、憲一も恵子ちゃんも来てくれてたの?」

安定剤を飲んだと言っていたのだけど、これほど違うのかと
かなり驚いた。
Mちゃんも、自分が2年前娘を連れて実家を出た時

「本当はSも一緒に出たかったんだと思う。
 でも私はN(娘)のことで、精一杯だったから。
 その後から、Sはおかしくなったのはわかってるの」

Mちゃんも自分を責めていた。
Sちゃんの兄であるTくんも、おそらく同じ気持ちに違いない。
その瞬間、自分は隣の部屋で寝ていたのだから。

首吊りは、醜いとよく言われているけど
Sちゃんの寝顔は、とても穏やかでスヤスヤと
よく眠っているようだった。
Mちゃんが化粧を施したその顔は、生前のまま
とても綺麗で、今にも起きてきそうな顔だった。
Sちゃん自身は、苦しみから解放されたのだろうな。

だけど、自殺は絶対ダメです!
残された者は、自責の念でいっぱいになって
これからずっと、その気持ちを持ち続けて行くのだから・・・

Sちゃんの冥福を祈ります。。。

思うこと。。。

2009.09.26 (Sat) 思うこと

義弟の葬儀の時のことを少し・・・

我が家には、ラブラドールが2頭いる。
その子たちの世話も含めて、義弟が亡くなってから彩佳に家にいるように言った。
お通夜告別式の時は、同じわんこ好きの友人にも家にいてもらえるよう
お願いして、留守番を頼んでおいた。
そしてもう一人、その友人と共通の後輩がいるのだけど
コイツが、空気を読めないと言うか、常識知らずと言うか・・・
知っているから、腹も立たないのだけど、この時もやらかしてくれた。

彼女はバツイチ母子家庭なのだけど、彼氏がいる。
それはいいのだけど、お通夜に来た時我が家に寄って行った。
ラブの1頭は、まだ9カ月なのだけど、高校生の娘が犬を見たいと言ったらしい。
告別式の日、留守番を頼んだ友人に連絡が入り

「娘と彼氏が犬を見たいって言ってるから、連れて行ってもいい?」

と言ったそうな・・・
連絡をもらった友人、こんな時にいったい何を言ってるんだ?と

「恵子さんに連絡してからまた連絡する」

と答えたそうな。
腹が立ったらしいが、私に連絡をくれたのだけど私も第一声が

「はあ~?」

だった・・・
連絡を入れると言ってあったのだか、その友人が我が家に着くと
彼女らはすでに到着済み、しかもマンション内の駐車場に停めてある
車が出れない状態で、車を駐車してあったため、さらにヒートアップ。

「Kちゃん、車邪魔。あんなところに停めてたら、他の車が出れない」

我が家に入るなり、怒鳴ってしまったらしい。
我が家から出してる葬儀の最中に、犬を見たいとは・・・
ヤレヤレ ┐( -"-)┌ヤレヤレである。


そして、義姉・・・
義姉とは言っても、私は主人より3歳年上なので義姉の一つ上になる。

「憲一、お前長男なんだから、お前がやってよ」

何かにつけて、そう言っている義姉。
今回も主人がやると思っているから、口出しもしないのだが
私から言えば、もう少しケツを軽くしてもらいたいところだ。
2日間、すっかりお客さん状態だった。
通夜振る舞いも精進落としの時も、親族席に座ったまま
自分の父親と弟が、勤めていた会社の方々がたくさん来てると言うのに
食いっぱなしだった。
お通夜の日、彩佳と友人には、時間ギリギリに来るよう伝えておき
親族席で食事をするように言っておいたのだけど、席に着いた時には
ほとんど何もない状態で、義姉が追加を頼んだらしいが
それも義姉の家族5人でパクパクと食べてしまったそうな。
私と主人が、やっと席に着いた時には、お寿司はすっかりなく
サンドイッチとオードブルが少しだけ残っていた。

「誰一人、あなたたちの分を残しておくよう言う人がいなかった」

ずっと面倒を看て、バタバタと走り回ってる私達を誰も気遣わないと
友人が怒ってくれていた。

「自分の弟だけど、どう扱っていいかわからなかったし
 自分に出来ることは何かって考えたら、お金しかないと思ってさ。
 だから去年、2万円送ったでしょ」

2万円送ってくれたことをやたらと強調していたけど、その頃我が家は
経済的にギリギリだったから、施設の費用を助けてほしいと
私が手紙を出したからであって、様子を聞いてくることもなかったけどね。

「M江にも憲児の面倒を看させたかった。それだけは悔いが残る」

義父は年に3回、1回に2週間面倒を看てもらってたのだけど
夜8時頃、義弟がお風呂に入ると、義姉に電話をして愚痴っていたそうだ。
義父は自分も面倒を看て、その大変さをしみじみ感じていたようだ。
私が「怒ってばかりいたから」と言うと

「いいんだよ~。恵子はよくやった。社長にも言われただろ?」

バツイチ子持ちで年上女房と言うことで、最初は大反対された私たちだけど
やっと認めてもらえたと言う感じがした。
しかしお義姉さん・・・期待はしてないけど、こういう時
もう少しフットワークを軽くしないと、旦那さんが笑われるじょ。

義弟の会社と主人の会社は、同じ業界なのだけど義弟の会社はトップクラスだ。
主人の会社の親会社とも言える会社が、お花も出してくれて弔電もあり
もちろん参列もしてくれたのけど、主人の会社は
同居の親族でも、弟だからという理由でお花もなにも出なかった。
唯一届いた弔電は、なんと故人の名前が義父の名前だったのには驚いた。
後日謝って来たそうだけど、あってはならない間違えじゃね。


ところで、私ですが。。。
義弟の危篤状態のときから、体調は悪かったからそろそろだろうと思っていたけど
ピンポイントで、お通夜の前の晩から生理が始まってしまった。
参列者に頭を下げるたびに、目は回るし、身体は重いし・・・
気力で乗り越えたという感じだ。
お薬が効いてきたのか?少し身体が軽くなったと思ったのは4日間ほどで
また体調が悪くなり始めた16日に受診。
1週間以内に生理が来るだろうと思い、そのことを話すと
生理が来てしまうと貧血も改善されないので、生理を止める注射を打つことになった。
この注射、皮下注射なのだけど、最初は生理が始まってから打つそうで
案の定22日から始まったので、24日に最初の注射を打ってきた。
緊急性はないので、2ヶ月先の11月25日入院26日手術と決まり
来月21日の受診では、手術前検査と説明もあるようです。


義弟が旅立って、1ヶ月が過ぎた。
自分の身体と相談しながらだったから、横になってることも多かったけど
外出することも多くて、ドタバタした1ヶ月だったな~。
49日法要は、主人の実家近くのお寺さんで行うので
石屋さんにことや、法要後の食事のことなどの準備で
気持ち的には、まだまだ落ち着かない毎日。。。

この連休は、義弟の荷物整理を主人と二人でやった。
形見分けも考えながらなんだけど、義弟の古い手帳が見つかり
当時のことをメモ書きしてあったのを見て、こんなことをしてたのか・・・
なんぞと笑ったり、写真を見ては思い出話をしたりした。
CDの整理を始めると、主人の持ってるCDもあったりして

「アイツも聞いてたんだな~。双子でも趣味は違うと思ってたけど
 似てるもんだな~」

そんなことを言っていた。
衣類の整理をすると、主人は

「俺はもう洋服はいらないや。アイツのが全部着れるからな」

おしゃれさんだった義弟なので、ブランド物のシャツがたくさんあった。
主人は絶対着ないだろうと思う、義弟がいつも着ていた
キャプテンサンタのスイングトップは、残しておくことにした。
時計やお財布は、友人や会社の方々に形見分けすることにした。

「あきらめもついてるし、覚悟も出来てると思っていたけど、俺はまだ
 覚悟が出来てなかったんだな~。こんなに引きずるとは思わなかった」

晩酌の時など、義弟の話が出ると、涙ぐんでる主人。
両親の愛情が薄いと言ってた主人と義弟は、産まれた時からいつも一緒。
私から見ても、双子ってこうなんだ・・・と、絆の強い二人だと感じていた。
どんなことでも、二人で相談して過ごしてきた35年。
そして闘病後義弟と同居が始り、症状が悪化するにつれて、主人の気持ちが
変わっていくことがせつなかったもんな。

義弟の書棚から、行動記録を書いていた頃のノートが出てきた。

「これはお前の、介護記録みたいなもんだな」

残しておいてもしょうがないものだけど、捨てることが出来なかった。

コーヒーを飲みながら、一服することが大好きだった義弟。

「最後に美味しいコーヒーで一服させてやりたかったな」

そう言う主人。
49日までは我が家にいる義弟。
毎朝大好きだったコーヒーとショッポに火を点けて、一緒に一服しとります。

もしあの時、自宅介護をしていたら、違った感情だったと思う。
施設に入れてから、私たちの気持ちの切り替えがまだ出来てなかった。
切り替えが出来てないのに、義弟が逝ってしまったから
悔いが残ってしまったんだと思う。
逝ってしまったから、思えることなんだと思う。

主人と義弟の思い出話をするば思い出す。
行動記録を書かせていた頃、毎朝毎夕勉強会をしたなとか
スイミングに通ってた頃、溺れそうになったなとか
下の世話が始まった時、「出来ない~」って主人に泣いて言ったっけ。
でも一人で義弟の遺影を見ていると、我が家で過ごした約8年間のことは
あまり思い出さないんだよね。
主人はいろいろ思い出してるみたいだけど、私は頭が真っ白と言う感じだ。

今は49日のことでドタバタしてる。
主人は、納骨が済んだら、もっと寂しくなるんだろうな。。。

テレビで。。。

2009.08.15 (Sat) 思うこと

ザ・ベストハウス123で
『永遠の絆、夫婦で歩んだ感動の介護物語BEST3』
と言うのをやっていたのねん。
このことを、私も記事に書こうと思っていたんだけど
ある介護BLOGで、このことが書かれていたんだな。

この方は、ご自分も会社を辞め、ご両親と共に
お祖母様の介護をされている方。

介護って、時として介護している自分たちだけではなく
自分の子供たちにまで、影響を与えることがある。
実際に我が家でも、彩佳の大学の学費が払えなくなるかもしれないという
状況まで追い込まれた時期もあった。
幸い我が家は、なんとかそこは乗り越えたんだけどね。

認知の症状がひどくて、自宅介護をしていたら
子供の手も借りなければいけない状況だって、出てくるだろう。
そのことに、親はどれだけ責任を感じてしまうかわからないと思う。

でも実際問題、受け入れてくれる施設がなければ
同居している家族で話し合って、介護していくしかない。
経済的な部分を、父親が受け持ち、日々の介護を母親一人では
不可能と判断したから、子供が仕事を辞めて一緒に介護する。
介護保険も使えず、そうせざる負えない状況って
言葉にすると、軽々しく聞こえるかもしれないが、かなり切実で心が痛む。

で、そのBLOGに初めてコメントをつけさせていただいた。

私もこの番組見ましたよ。
2本目の車椅子の花嫁は、本人だって
かなり努力してのこと。
これは本当の意味での
(こういう表現が正しいかどうかはわかりませんが)
介護とは違うと思いました。

これを見て感動して泣いてる人って
介護を知らない人じゃないかな?
って、主人と話しました。
私は感動もなければ、涙もこぼれませんでしたから・・・

介護に自己犠牲は、当たり前のことだし
経済的に余裕があるから、できたんじゃない。。。

そんな風にしか、観れませんでしたね。

私達夫婦も介護を『愛』だの『絆』だの『感動』だので
済ませてほしくないです。


と、こんなコメントをつけさせていただいたのだけど
この記事とコメントに、反論されてる方がいた。
この方のBLOGにご迷惑をかけてはいけないので
私のBLOGで、それについて、ちょっと書かせてもらおう。


反論されてた方は、私たちの精神が荒らんでると
映像の部分だけ見て、それ以外を想像できないから
そんな意見しか出ないんじゃないかと・・・
金があるなら、施設に入れるなり家政婦を雇うことも出来たのに
妻への愛があるから、仕事を辞めて自分で看ようと思ったんだろうと・・・
決して楽をして、介護をしていたとは思えない。
綺麗な話ばかりが放送されていなかったと・・・

(ー'`ー;)う~ん・・・申し訳ないが、視点が違うのだな。
すべての人とは言わないが、介護の真っ最中の方は
介護される側の程度にもよるだろうけど、いくらか精神は荒らんでると思うよ。
毎日葛藤の中で、生活してるんだからね。
実際あの頃の私は、精神は病んでたと思うしね。

それ以外を想像できないって言われても、想像する必要がない。
だって、あれ以上のことが現実問題として、毎日起きてるんだから
想像しなくても、実際に経験してることだしね。
うんうん、お金があれば家政婦も雇えたし施設にも入れられたかもしれない。
でも仕事を辞める選択が出来る人って、やっぱり経済的に余裕があるからでしょ。
庶民は、仕事を辞める選択は出来ないよ。食えなくなるもん。

介護経験者が、楽して介護してるなんて思ってる人はいないと思う。
綺麗な話ばかりが放送されていなかった・・・って
私に言わせれば、綺麗事しか放送されてませんよ。
介護の現実は、もっとひどい。
言うなら、もっとひどいこともあっただろうに
なぜそれは放送しない?と聞きたいくらいだ。

あの市長さんだって、3本目の自分自身もがんと闘いながら
介護をしてた方だって、すごいな~とは思う。
自分達には出来なかったから、義弟を施設に入れたんだからさ。
でも感動とは違うんだよな、観てる視点が違うからだと思うけど。

あの番組を観て、私達夫婦は、感動はしなかった。
番組の中で、認知症の奥さんを思い余ってひっぱたく。
さも大変なことのように「あ~っ!」ってな声が、テレビの中から聞こえてきたけど
この程度のことは、すでに経験済みだし、まだ良い方だと思う。

「しょうがないね」

と言う言葉しか出なかったもんね。
テレビで放送されてるようなことは、まだ良い方だ。
だから綺麗事だと思うのだ。
あの程度のことは、茶飯事のようにあって、毎日自己嫌悪で
あの程度のことで、追い込まれていたと言われてもね~・・・

介護拒否なんか、まだまだ序の口。
部屋の中が、うんこまみれになることがどういうことか?
徘徊する人を探すことが、どんな気持か?
自分の時間もなく、自分を構う時間も寝る時間もなく、目を離せない
地獄の毎日を送ってる人に、この番組を見せて感動出来るわけがない。

あくまでも個人的な意見だけど、私が言いたいのは
こういう番組を観て、介護経験のない方たちが
介護はこれが当り前だと思ってほしくないと言うことだ。

そこに経済的なことが絡んで来たり、無理解の中で介護をしてる人
認知の症状の程度によっても、『絆』や『愛』だけで乗り越えらない
状況の人もいるってことだよ。
この番組に限らずテレビで流されてる認知症の程度は、軽い方だと思うしね。

私がこのBLOGを書き始めたのは、一括りに高次脳機能障害と言うが
損傷を負った部分で、その症状はまったく違うし
こんな家族もいるということを知ってほしいと思ったからだ。
今は認知が進んで、ほぼ寝たきりになってしまたから
書き始めた頃とは、違ってきてるけど。。。

わずか半年ほどで、認知症状がどんどん進んで行くと
気持ちもだけど、対応の仕方も追い付いて行かない。
実際ここには書けないことだってあったし、毎日のことだからね。
今もし自宅介護をしていたら、私は毎日『殺意』を抱いていたと思う。
今は施設に入って、穏やかな日々を過ごしているけど
もしあの時、受け入れてくれる施設がなかったらと考えた時
今それをやっている方たちを、これ以上追い込んでほしくない。
『愛』だの『絆』だの『感動』など言う言葉で、済ませてほしくないんだよね。
すべてが、これで済むのなら『介護殺人』も『介護心中』も
世の中から無くなるでしょ。

ああ言う番組を観て、感動する人もいるだろうし、それはそれでいいんじゃない。
でもあれをお手本にして介護生活に入ったら、そのギャップに苦しむのは必至。

介護は綺麗ごとじゃないよ。
『愛』や『絆』が、どこのタイミングで『殺意』に変わるかなんて
自分で想像できないからね。

13日、主人と二人で義弟の面会に行ってきた。
主人は無理やり義弟を起こすから、いくらかの反応も見れた。
ヒゲを剃って、タオルで顔を拭いて、おやつの介助もしてきた。
マヒした左手を主人が無理に伸ばしたら

「痛いよ!」

と大きな声を出したので

「なんだよ。お前ちゃんと声が出るじゃねえか。いつもそうやって話せよ」

そりゃあ、痛けりゃ声も出すさ (^m^*)
少しの笑顔を見れて、1時間ほどの面会だった。

こんな風に穏やかに義弟に会えるのも、離れて生活出来たからだ。

どうすればいいかなんて、わからないし
私が騒いだところで、どうにかなるもんでもない。

でも今この時も限界を感じながら、『愛』だの『絆』だので片づけられない状況で
自宅介護をしてる方がいるんだよ。

義姉からの電話。。。

2009.07.25 (Sat) 思うこと

普段主人の起床時間は、夜中の1時過ぎ。
義弟の施設、主人の父、私の父からの電話は緊急の場合を考えて
鳴るようにしてあるのだけど、それ以外は主人が9時前後には眠りにつくので
9時以降の電話は鳴らないように設定してある。
このところ、仕事が薄い主人。
でも昨日は、めずらしく夜勤仕事があり、帰ってこなかった。
いつもは私も主人に合わせて、同じ時間にお布団に入り
懐中電灯のようなもので、本を読んだりしてるのだけど
昨夜は主人もいないので、テレビを観て起きていた。

電話が入ると、モデムがカチッと音がして液晶が光る。
昨夜9時半過ぎ、テレビを観ていたらカチッと音がして電話の液晶が光っていた。
発信元は義姉だったので、電話を取った。

最初主人の携帯に電話をしたらしいが、出なかったらしい。
積み込みをしてたか?まだ仮眠中だったか?
それで自宅に電話をしてきたらしい。

今週は父の引っ越しがあるため、我が家の都合が悪いことは伝えてあった。
だけど、義姉と義兄(義姉の旦那)と話し合った結果
そういう状態なら早めに面会に行った方がいいんじゃないか?と
義兄が言ったらしく、25日か26日に面会に来たいと言うことだった。
義姉には3人の娘がいるのだけど、長女は行けないけど
二女三女も一緒に、家族4人で面会に来たいと言う。
なので、我が家の都合をもう一度話すと、家族だけで面会に行くって。

どう考えたって、そりゃあ無理だ。

「たぶん行っても、対応の仕方がわからないと思うから
 憲一さんか私が、一緒に行った方がいいと思いますけど」
「そんなにひどいの?もうわからないのかな?」
「認識はしてると思うんですけど、私のことも看護婦さんって言う時もあるし
 話しかけても無反応だから、何度も声かけしてこっちの世界に戻すというか・・・」
「・・・そうなんだ・・・」
「面会時間が午後2時からなんですけど、時間帯によっては排泄の匂いもすごいし
 周りも認知症の方ばかりで、大人でも衝撃を受ける方がいるから
 子供達には、厳しいかもしれませんよ」

いろいろ説明はしたけど、想像がつかないらしい。

「なんか様子が全然わからないから・・・」

だろうね!
面会に来ないのだし、介護を経験したことがなければ、想像もつかないと思うわ。
一目瞭然と言うやつで、看なければわからないんだってば!
来週はお祭りの手伝いがあって来れず、義父がお盆明けに来るみたいだと伝えたら
お盆もお盆明けも、都合がつかないんだって。
8月3.4日は、私も予定が入っている。

「9日はどうですか?」
「9日か・・・間に合うかな?」
「一番怖いのは誤嚥肺炎で、いつどうなるかわからないとは言われてますけど
 今すぐどうこうってことでもないし、なんとも言えないですけど」
「・・・どうしようかな・・・」
「8月は3日4日は予定があるんですけど、それ以外だったら平日でも
 大丈夫なので、電車で来るなら新横浜の駅まで迎えに行きますけど」
「じゃあ、もう一度旦那と相談して、8月に入ったら連絡します」

その後すぐに主人に電話して、義姉との電話の内容を話した。

「子供達には厳しいって言ったよ」
「ボーっとして固まってるの見たら、子供たちは気持ち悪いって思うだろうしな」
「けんちゃんか私が一緒に行かないと、対応の仕方がわからないと思うって言ったけど」
「俺もそう思うわ。それでいいよ」

義姉がどうするかは、今のところわからないけど
自分の都合を後回しにしてまで、義弟の面会に来ようということではないらしい。
これは義父も同じだけど、実は話していて、かなりイラついた。
元々、期待はしてなかったけど、こんなものなのか?

私は21年前に母を亡くしてるが、今でも母が恋しいと泣ける時がある。
義姉も母親を亡くして、10年目になる。
恋しいと思う時はないのかな?
生活が別々だと、確かに実感はないけど、母親と兄弟では違うのかな?
私にも弟がいるけど、自分より先にいなくなるなんて想像が出来ない。
長男の主人が残っているからいいのか?
自分の息子、自分の弟がこの世からいなくなるかもしれないのに
会いたい、会っておきたいいう気持ちにはならないのか?
母の時、死に目にも会えなかった私。
だからこそ、父は自分が看るんだと思って、自分の近くに連れてきた。
その気持ちを主人もくみ取ってくれてるから、出来てることだけど
これも元々期待はしてないが、この分じゃ、義父に何かあっても
義姉は何もしてくれないだろうな。

ま、もっとも私も今週末はこちらの都合で、面会を断ったわけだけどね。
いろんな思いがあって複雑だけど、今まで通り期待をしなけりゃいいことだ。

昨日父の部屋のエアコンも移動し、電気屋さんも手伝ってくれて
冷蔵庫、洗濯機、テレビに電子レンジ等電気関係は全部移動して
生活するのに困らない程度の荷物を運んで、昨日から父は新居に移ってきている。
今日はデイの日なので、出かけてる間に明日の完全引っ越しに備えて
最終準備作業を終わらせる予定だ。
とにかく今日明日は、父の引っ越し作業に打ち込みましょ!

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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