。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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一周忌。。。

2010.09.02 (Thu) 義弟との日々の出来事

8月20日金曜日、義弟の一周忌を行いました。

49日のお寺さんの対応が、私達夫婦どうしても気に入らず
告別式の時のご住職さんに戻したいと思い
また千葉まで来ていただけるかどうかもお聞きしたところ
ご住職さんも快く引き受けてくださいました。
お盆休み明けの平日でしたが、義弟の会社の
同僚のMさんに確認したら

「連絡待っていました」

と言ってくださって、T部長と一緒に参列してくださいました。
千葉で義母の葬儀を行った葬儀屋さんに、法要場所をお願いしてたのだけど
日にちが近くなってお電話をいただいた方が
10年前の義母の時の担当の方で、当時の葬儀を覚えていました。
義父と義弟は同じ会社だったし、当時は義父も定年して数年後
義弟も倒れた直後だったので、まだ現役だったこともあり
義弟の時の葬儀も、個人の葬儀にしては大きかったと言われたけど
義母の時も、その葬儀社始まって以来の大きな葬儀だったので
記憶に残っていたそうな。

法要には福住職さんが来てくださって、11時から法要が始まりました。
終わった後、福住職さんはその後の法要のためお帰りになり
葬儀屋さんのサービスでマイクロバスを出してくれて
全員でお墓にお参り、その後食事となりました。

一周忌。。。
義弟にも、陰膳を据えて、当時の話や義弟の子供の頃からの
思い出話にも花が咲きました。

義父と義姉の間に、私が座るよう主人から言われたのだけど
義父の隣は義姉の方がいいんじゃないかと思う。
だって、嫁よりも娘の方がいいよね。
今年の猛暑に、高齢者の熱中症が多いと言われているから
義姉の子供たちが、おじいちゃんを心配しているそうな。

「おかあさん、おじいちゃんに電話して様子を聞いた方がいいよ」

と孫たちは心配しているようだけど、義姉から電話することは
あまりないらしいが、やはり義父は何かあれば義姉に連絡しているらしい。
娘が可愛いのは、どこの父親だって一緒だ。
しかも現在エアコンが壊れていて、窓を開けているみたいだけど
風が強かろうがなんだろうが、窓を開けているため
お盆に主人が実家に戻った時、家の中は砂だらけだったとか・・・

「掃除くらいしろよ」
「掃除なんか出来るか!」

ってな会話があったらしいが、株に手を出さなければ
エアコンぐらい、買い替えられたのにね。
まあ、私の父には窓を開けると言う意識が薄くなってきてるから
熱中症もありえるけど、窓を開けるのならまだ心配はないのかな。

昔話の中で大笑いしていたら、義父に

「喉ちんこが見えるほど、大きな口開けて笑うな」

と怒られてしまったじょ。

弟の陰膳に据えていた食事を持って帰ると言うのはいいのだけど
お刺身も入っていたので、それは持ち帰れないと言われると

「なんだ、2時間くらいでダメになるような物を出してるのか?」
「いやいや、お義父さん。ま、ま、飲んでください」

って、ごまかしたものの、なんだか気に入らないご様子。
猛暑ですから、飲食店としてお刺身のテイクアウトは無理だよね。
12時過ぎに始まった食事は、2時半過ぎにはお開きになりました。

義父はいつも一人なので、親戚さんや会社の方との話しに
お酒も進んじゃったようです。
お酒を3合飲んだ義父、足元がおぼつかない。
私が父と歩く時は、常にそばにいて様子を看るのだけど
帰りがけ、トイレに入った義父を気にする様子もなく
さっさと帰り支度をして、義姉は外に出てしまった。
主人と同じで、自分の父親は大丈夫って言う確信があるのかな?

とは言っても、主人は私と義父の様子が気になったらしく
靴を履くところを見ていたら、危うく転倒するところ。
なので近くにいてくれて、義父を支えると、私の肩に手をかけて

「俺はどれくらい飲んだんだ?」
「日本酒3本飲んでますから、3合飲んでますよ」
「3合も飲んだか?」
「ちょっと飲み過ぎですね(笑)」

お店を出ると数段、石階段を降りる。

「お義父さん、私と腕組んでもらっていいですか?」
「いいけど、俺が転んだら80kgは支えられねえぞ(笑)」
「そしたら、一緒に転びましょう(笑)」

てな話しをしながら、車まで行きました。
義父はご機嫌さんで親戚さんの車に乗り込み
義姉も別の親戚さんに駅まで送ってもらいました。

義姉は、口も出さない代わりに手も出さない主義を貫いている。
それは義弟の時も同じで、こちらが困っていると訴えれば
お金は送ってくれたけどね。
でもそれでいいのだろうな。
手を出されればやりにくいし、口だけ出されたら腹が立つ。
義弟のこともそうだけど、義父のことも任せてもらえるならその方がいい。
もう少し気を遣ってほしいと思う部分もあるが
たぶんこちらが言えば、動いてくれそうな気もする。

私から見ると、義父も会うごとに弱くなってるような気がするのだけど
私の弟がたまに父を見て

「そんなに変わらない」

と言うのと、同じなのかな?
たぶん見方が違うのだろうな。

ま、義父のことも、何かが起こった時に考える
現場処理で行くしかあるまい。。。
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無事に。。。

2009.02.07 (Sat) 義弟との日々の出来事

とりあえず、転院できました。

なんだかホッとしたら、気が抜けた~。

で、車に戻ったら、今度は先輩の訃報の連絡と
友達の母親が、入院中に脳内出血でⅠCUに入ったと・・・

またまたドタバタしそうな予感です。

詳しいことは、また落ち着いてからと言う事で。。。

嬉しいね。。。

2009.01.29 (Thu) 義弟との日々の出来事

何に腹が立ったって、ケアマネさんにまで電話したことが許せなかった。
何度も催促されてるのを、私がシカトしてたならそれもしょうがないだと思うけど。
腹も立つけど、やらなきゃいけないことでもあるから
相談室に依頼書が届いた後、どういう流れになるのかを聞いてみようと思い
朝1番で相談室に電話をしてみた。
電話に出たのは、前日とは違う方でFさんだった。

「ちょっと待ってくださいね。今カルテを見ますから・・・」

そう言って、Fさんは電話でじっくりと話を聞いてくれた。
病棟の看護師長からいきなり電話が来たこと。
相談して連絡をすると言ってるのに、直後にケアマネさんにまで電話したこと。
状態が安定しなければ、次の施設だって探しようがないのに
点滴はしなくていいとは言われたけど、実際今どういう状態かもわからないのに
明日にでも退院しろと言われたこと。

などなど、ちょっと感情的に話をしてしまったけど、このFさん
さすがソーシャルワーカーとでも言いましょうか、すべて黙って聞いてくれて
冷静に答えてくれているのを聞くうちに、こっちの気持ちがだんだん治まってきた。

「電話したのは、病棟の看護師長って言ってました?」
「Sさんって、言われたと思いますけど」
「あ~、Sですか・・・」

ちょっとその言い方に、こういうことはよくあるんだなって印象を受けた。
まあ、そんなことよりも、今後のことを話さなくてはいけない。
病院がどういうところかはわかっているから、ずっといられないこともわかっている。
何もしてなかったわけではなく、安定したら、すぐ動けるように
それなりに準備もしていたと話しもした。

Fさんの説明によれば、入院当初2週間という治療計画が出ている。
2週間が過ぎて、ガンマナイフも終わり、義弟の状態も安定しているので
その後の治療計画もなく、退院できる状態にある。
この病院は救急病院でもあるため、ベッドの確保も必要となり
看護師長としてはベッドを回すという役割があるので、そういう電話を入れたと思われる。

それで思い出した。
確かに入院の時、2週間様子を看てその後のことは考えると話した。
ただその後、次の施設が見つかるまでと言われたので、こちらとしては
月単位で考えてしまったんだよね。
見解の相違と言うか、認識の違いと言うか・・・そう思ったら、妙に納得してしまった。

「最初からそういう説明があれば、私も納得できる部分もあります。
 病院がどういうところかはわかってますから、ずっと看てもらえるとは思ってません。
 相談室があるなら、入院した時に教えていただけてれば、すぐにそちらに伺ってました。
 でもいきなり電話で、明日にも退院しろみたいに言われたら、パニくりますよ」
「わかります、わかります。おっしゃってることはよくわかりますよ。
 本当は担当医のMがきちんと、今の状況をお話した上で
 退院と言うお話をしなくていけなかったわけです。これは病院側の不手際です」

なるほど、そこを認めるんだなと思ったら、少し気持ちが落ち着いた。
私はM先生にも他の看護婦さんのこともなんとも思っていない。
でもあの看護師長の言い方は、人を追い詰めるような言い方だった。

「あんな言い方するのが看護婦ですか?病院ってこんなに不親切なところなんですか?」
「そうですよね~、おっしゃってることは本当によくわかります」

こうやって言われたことを思い出していて、ふと思ったけど
病院のソーシャルワーカーだけあって、不手際と言う言葉は使ったけど
言ってることはよくわかるって、病院が悪いとは絶対に言わなかったな。
まあ、病院が悪いと言うわけでもないけどさ。
でも結果は出さなくていけないってところだと思うけど

「依頼書はまだ届いていませんが、このお電話で受付ますので
 すぐに担当のMに紹介状等の書類を書くよう要請して、H病院には私の方から
 連絡をして、やり取りをしますので、そこはご安心ください」

H病院とは、私が見つけて検討してくれると言った病院と併設された老健のこと。
幸い横浜市は病院同士の横のつながりが蜜になっているそうで
こういった場合は、病院同士のやり取りでどうなるかを決めて
結果を家族に知らせてくれるんだって。
ただの老健は、またやり方が少し違うみたいだけどね。
担当のM先生の判断にもよるらしいけど、2月いっぱいは難しいと言われた。
もっといろいろ話したのだけど、結果としてはやはり退院はせざるおえない。
電話だけではなく、会って話をしたいとお願いして、翌日の午後3時に約束をした。

Fさんとの電話を切った後、自宅介護を覚悟することにしてケアマネさんに連絡をした。

「でもお義姉さん、自宅介護で大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、もうしょうがないよね。この状況じゃ・・・」
「そうなんですけど・・・」
「もう前みたいに、やらせなきゃとは思ってないから、後は穏やかに過ごせることを考えるよ」
「今度はお義姉さんが主体で、完全な介護になるとは思いますけど」
「大丈夫だよ。犯罪者にはならないから」
「いや、僕はそこが心配で・・・」

おい、おい、他人の目からみると、私って本当に危ないのか?
自分じゃそこまで追い詰められてるとは思ってないけど、そう見えるのかな?

で、自宅介護に必要な物や、私が必要と思われる物を伝えて
翌日以降、いつでも届けてもらえるよう手配してくれることになった。

その夕方、そう言った準備のことで、ケアマネさんと電話で話しているとき
携帯に病院から電話が入ったので、一旦電話を切った。
よし!対決の時が来た!そう思ったのにさ。
相談室への依頼書と、M先生と話す時間を
翌日看護師長から電話させると言っていた看護婦さん。
結局電話をくれたのは、そのとき対応してくれた看護婦さんだった。

逃げたのか?そう思ってしまったよ。
M先生との話しは、翌日2時から3時と言われたのだけど
3時に相談員さんと約束があることを伝えると、それが終った後
病棟の看護婦に声をかけてくれれば、M先生に連絡を取るということになった。

折り返しで、ケアマネさんに連絡した。

「文句言ってやろうと思ってたのに、あの看護師長逃げたのかな?」
「いやいや、そういう人なんですよ。だからいつまでも、腹を立ててる方が損ですよ」
「そうなんだけど、ケアマネさんにまで電話したのが許せなくてさ」
「僕のことはいいですよ。よくあることですから、気にしないでください」

だけど、ムカつくわ。
だから、翌日病院に言ったら、どの方が看護師長なのか知らないので
顔だけは見て、あいさつはしてやろうと思ってた。

「それでですね、明日の話に僕も立ち会っていいですかね」
「あ、都合がつくなら、そうしてもらえた方が私は助かる」

と言うことで、ケアマネさんも立ち会ってくれることになった。
その電話を切ってしばらくして、今度は役所のMさんからも電話をもらった。
今までのいきさつを話してる途中で、生命保険の外交員さから
携帯に電話が入ったので、明日また電話をすると言うことで切った。
生命保険のガンサポート、一時金が降りるそうなので
2.3日中に本社から書類が届くから、すぐに届けてくれるそうな。
もっとも振り込まれるまでは、当てに出来ないものだけど少しまた希望の光が見えた。

そして、翌日。それが昨日なんだけど、Mさんも忙しい方なので
朝一で連絡を入れて、話の続きを簡単にしたら

「今日3時に、Tさんも一緒に話すんだよね?」
「そう」
「3時か、私も立ち会いたいけど、今日は無理だな~」

Mさんも立ち会ってくれようと思ってるのか?って考えたら、ちょっと嬉しかった。

「だけどさ~、恵子さんは大丈夫?」
「なにが?」
「いや、自宅介護になっても大丈夫なの?恵子さんの身体もそうだけど」
「まあね、あの看護師長の電話の後から、不眠と胃痛が治らないけどね」
「ほら~、だからさ、身体の心配もしてるのよ」
「Tさんにも同じこと言われたけど、大丈夫だよ。犯罪者にだけはならないから」
「いや、いや、そういうことを防ぐのも私たちの仕事だから」

・・・って、おい!私冗談のつもりで言ってるんだけど
本当に私はそんなに危ないのか?って・・・(≧m≦)

「それでさ~、私も昨日あれから考えてね。先週の金曜日に男性一人空きがあるって
 言ってた老健があって、それと2月1日にオープンする老健があるのね。
 そこもどうかな?って思ったんだけど」
「いいもなにも、そこは私が電話しても大丈夫?」
「それでもいいんだけど、ちょっとTさんと連絡して、私から電話してみるよ」
「えっ?Mさんが電話してくれるの?」
「それくらいはやるよ」

って、その言葉を聞いたら、ふと涙腺がゆるんだ。
もちろんケアマネさんも、一緒に動いてはくれてるんだけど
我が家だけを担当しているわけじゃないし、自分でなんとか見つけられればと
思ってた部分もあるし、役所の人がこういうことで動いてくれるとは思わなかったんだ。

「ありがとう、本当にありがとう」
「いや、いや、こんなことぐらいしか出来ないし、ダメかもしれないからさ、その時はごめんね」
「私はまだ恵まれてるよね。Tさんだって、いろいろやってくれてるし
 Mさんだって、こうやって電話くれて話し聞いてくれるじゃん」
「いや、聞くだけで何の役に立たないんだけどさ」
「でも一緒に考えてくれるじゃん。それだけでも、幸せなことだよね。
 もっと大変な人だって、自宅介護してる人はたくさんいるよ。
 この程度のことで、限界だの無理だのって騒いでたら、がんばってる人に申し訳ないよ」
「本当恵子さんって、前向きだよね?」
「前向きと言うより、能天気なだけだと思うけど、一緒に考えてもらえるのは嬉しいよ」

Mさんが電話してくれる老健の結果は、ケアマネさんと相談して
Mさんかケアマネさんから連絡をくれると言うことで、一旦電話を切った。
しばらくして、Mさんから連絡が来て、ケアマネさんとは連絡が取れなかったそうな。
結果としては、男性一人空きがあると言ったところは、埋まってしまってたらしい。
2月1日オープンの老健は、個室が1部屋空いてるらしいけど
月々が30万近くなるということで、これも無理。
でも4月1日オープンの特養があるので、4月以降動きが出てくると思うから
申し込みだけしておくといいんじゃないとの事だった。

午後からケアマネさんと会うから、そのとき伝えておくと話して電話を切った。

来週には義弟も自宅に戻ってくるだろう。いよいよ自宅介護突入だな。
支えてくれようとしてる人が、私にはたくさんいるわけで
そう思ったら、へこたれるわけにはいかんよ。

そう思いながら、午後3時10分前、ケアマネさんとの待ち合わせ場所に出発した。。。

恵まれたこと。。。

2009.01.20 (Tue) 義弟との日々の出来事

今日の午前中は、保険会社の方が来ていた。
↓でも書いたけど、リビングニーズは無理だろうと思っていたとおりだったので
高度障害で請求をしてみるか?
ガンの長期サポートで、請求をしてみるか?

最初に問い合わせた保険会社宛てで、診断書が出来ていたのだけど
その診断書の最後に、回復の見込みなしと判断されたのは昨年の6月と書かれていた。

高度障害で請求すると、そこに遡って保険金が一括で降りるそうで
今月まで支払った保険金も返金されるそうだ。
なので、もし今回の入院給付金をいただいてしまうと、それも返すことになるそうだ。

ガンの長期サポートでの請求は、一時金として降りる。
これは借り入れと同じ考え方で、3年間の利息を差し引かれるらしい。
が、同時に入院給付金も請求できるので、こちらでの請求がいいだろうと言うことになった。
手術で取りきれていない、腫瘍がまだ動かない状態で残っているので
これを保険会社の査定で、どう判断するかによるらしい。

いろいろ相談した結果、これらの情報を持ち帰り
事務方と相談して、今週中に連絡をくれることになった。

3年分の利息を引かれる・・・この3年と言う月日がズシッときた。
この先、まだ3年あるかもしれないと言うことだ。
『死』を望んでいないと言えば嘘になる。そう思うことだってあるんだから。
でも『生』にだって、こだわれない。複雑な心境だった。。。

この保険会社の方と話しているとき、先日お見舞いに来てくださった
義弟の会社の人事部長さんから、お電話をいただいたので
終り次第また連絡するということで、すぐに電話を入れた。

「社長にAくんのことを話したんだけどね、社長がお義姉さんよくやっているって
 とても感動されていたんだけどね・・・」
「いえいえ、ありがとうございます」
「でね、うちの社長も気遣いのある人なんだけど、個人的なことだから
 言いたくなければ言わなくていいんだけどね・・・」

ん?いったいなんだろう?と思っていると、要するにこういうことだった。

先日来ていただいたとき、我が家の事情も何もかもお話したわけだけど
義弟の会社の社長さんが、私のことをとても褒めてくださったらしい。
経済的なこともお話してたので、今後も義弟のお給料を現状のまま
支給してくださるとのこと。
そこで社長さんが気になさったのは、義弟の保険金の受取人のこと。
義弟が我が家に来て数ヶ月経った頃、主人と人事部長さんが一度お会いしている。
その頃離婚は成立していたけど、通帳とキャッシュカードはまだ元嫁が管理していた。
家の売却が済むまでは、自分が管理したいとのことだったのだけど
義弟のお給料はその通帳に振り込まれていた。
売却が済み、住宅ローンを支払い残りの400万とそれ以外すべて引き出され
残高20万弱で、通帳は戻ってきたのだけど、そのことも人事部長は知っていたし
2社の保険のうち、1社は義弟が元嫁に残したいと言って、受取人の名義を
変えていないことも知っていた。
なので、保険金の受取人を変更したのかどうかと言うことを心配されたらしい。

「そこまでの面倒を看てるのに、亡くなったら保険金は元嫁なんて
 そんなバカな話はない!って、うちの社長が気にしてね」

そう言って、怒ってくれたらしい。
受取人はどちらも主人に変更してあることを伝えると

「じゃあ、良かった。もう関係ないんでしょ?縁は切れてるんだよね?」
「携帯を失くしてからは、もう連絡を取ってないと思います」
「それなら、良かった!大きなお世話だとも思ったけど、そんなバカな話はないからね」

障害者年金も結果が出たら教えてほしいと言う事で
人事部長さん、「安心した」と言って、電話を切った。

主人にもこの話を伝えると、とても喜んでいた。
業界では一流どころの会社なんだよ、本当に。
いくら幹部クラスだったからとは言え、休職して今年で10年目を迎える社員のことを
ここまで心配してくれる会社がどこにあるんだろう?
社内では、もう義弟のことを知らない人だっているのだし
それが問題なったことだってあるはずだ。
それでも今後もお給料の支払いは、継続してくれると言う。
本当にありがたく、恵まれたことだと思う。

明日はガンマーナイフがあるので、様子を看に行きたい。
だから今日は行くのをやめようと思っていたのだけど
午後1時半過ぎになって、義弟の会社のMさんから電話が来た。

「今日はうちの常務がこっちに来てるんだけど・・・」

ということで、病院に来てくださるとのこと。
3時に来るというので、2時40分過ぎに病院に行って待つことにした。
義弟は前日、床屋さんに行ったので、丸坊主になっていてスッキリしてた。

「弟くん、UさんとMさんが来てくれるってよ」
「えっ?U本部長が?」

Uさん、今は常務になっているけど、義弟の中では本部長らしい。

「うん。もうそろそろ来ると思うけど」

が、3時からリハビリに入ることになってしまったので
まずは義弟を車椅子で、リハビリ室に連れて行き、先生に聞いてみたら
見学しながらお話しても良いと言われたので
エレベーターのところで、会社の方を待つことにした。
5分ほど待ったところで、常務のUさんとMさんが到着。
事情を説明すると、一緒に見学すると言われたので、リハビリ室に案内した。

「Aさん、今日は良い所見せないといけませんね」
「うん、そうだね」

前日と同じリハビリで、どうしてもキョロキョロはしてしまうし、指示も入りにくい。
けど、Uさんも声をかけてくださるので、義弟も適度に緊張感を持っていたらしく
身体の動きとしては、前日よりもはるかに良かった。

30分のリハビリにお付き合いいただき、今度は病室へ。
ベッドに移動させて、しばらく会話を楽しんでいた。

「お義姉さんに、感謝しなくちゃダメだぞ」
「・・・・・」
「感謝はしてくれてるんだよね?でも時々うざったいんだよね」(私)
「この人はね、言うと○×△□※・・・・・」

聞き取り不能だったけど、なぜか笑っていたので、その場はみんなが笑った。
ふと見ると、Uさんの目に涙が光ってた。

「ケンがいないと、工場が汚くなっちゃって困るぞ。リハビリして、早く復帰して来いよ」
「そうか~、たまには工場に顔出さないとダメかな?」
「そのためには、早く歩けるようにリハビリがんばれよ」
「はい、わかりました」

受け答えも、わりとしっかり出来ている。
疲れも出てきたのか、少しウトウトと始まったので、帰ることになった。

「じゃあ、ケン。リハビリがんばるんだぞ」
「はい」

そう言いながら、涙を拭いてるUさんを見てたら、切なくなった。
義弟のバリバリと働いてる姿を思い出したのかもしれない。
見てくれを気にする、わりとカッコつけマンだった義弟が、老人のような容姿。
そのギャップは大きいと思う。

私も一緒に帰ることにして

「今日はTさんからもお電話いただきました。社長さんには私のことまで
 気にかけていただいて・・・」
「あ~、昨日社長とTと話したから、Tがいろいろいろ説明してから」
「本当に感謝してもし切れないほど、良くしていただいてて、ありがとうございます」
「いやいや・・・」
「主人もくれぐれもよろしく言ってましたので、社長さんにもよろしくお伝え下さい」
「はいはい、お義姉さんも身体気をつけて」
「はい、ありがとうございます」

そう言って、駐車場で別れた。

本当にありがたいことだと思う。
感謝の気持ちだけは、絶対に忘れないでいたいと思う。

いろいろ大変ことはある。
これからだって、どうなるかはわからない。
でも私達夫婦も義弟も、決して不幸ではない。

どちらかと言えば、恵まれていると思う。

う~ん・・・・・そしてなんとか、お金にも恵まれたいな・・・・・(* ̄ー ̄)> てへ

来客。。。

2009.01.15 (Thu) 義弟との日々の出来事

昨日は、M先生の説明が2時から3時の間と言う予定だったのだけど
前日、義弟の会社のMさんから

「明日、T部長が午後から病院に行きますので、同行します」

とメールが来た。
T部長は義弟の会社の人事部長さん。
担当医の説明があることを告げて、2時から病院で待機してることを伝えておいた。

で、夕方今度は、ケアマネさんから病院に別の用事があるから
夕方病室に寄りたいということで、会社の方と重なることはないだろうと
しかも横着な私なので、一度で済めばいいかと思って承諾した。

義弟が発症してから、今年の3月で丸9年になる。
今でもお給料を出してくれる会社はない!と言い切れると思う。
義弟が会社に残した業績もあるだろうし、義父も同じ会社で
定年前は、取締役になっていたことも、関係しているかもしれない。
それでも、休職と言う形はわかるけど、お給料まで出してくれて
今も自分の健康保険が使えると言うのは、家族にとってはありがたい話で
Mさんは時間を作っては、自宅に来て様子を見に来てくれていたし
T部長も時折電話をくれていたし、社長から直にとということはなかったけど

「Aはどうしてる?まだ自分のことは自分で出来てるか?」

などと、Mさんに聞いてくることもあったらしい。
業界では一流どころの、義弟の会社。
年末から派遣切りで騒がれている世の中だけど
人情味あふれる会社とは、この会社のことを言うのだろうと思う。

火曜日の暴言の後、気持ちの中ではまだ義弟の顔は見たくなかった。
でもしこれが自宅だったらと考えて、こういうことの後顔を見たくないと思っても
仕切り直しては何度もまたやってきたんだと思い、気持ちを切り替えることにした。
顔を見たくないからって看護婦さんに任せっきりなんて、申し訳ない気もした。

2時ピッタリに病院に到着して、ナースセンターで声をかけて病室に行くと
別の看護婦さんに、髭剃りをしてもらっていた。
会社の方が来るから、顔もさっぱりして、良かったと思った。
またメモが貼られていて、おむつが無くなっていて、病院から借りていると書いてあった。
点滴の針は刺したままだったけど、点滴はしていなかった。
今日の顔は、この前とは違ってずいぶんと穏やかに見えた。
おむつを補充するために売店に買いに行きながら、先日帰ってしまったことを
看護婦さんに謝った。

「一昨日はすいません。ずいぶん暴言を吐いてる様で、それを見てたら
 家でのことがフラッシュバックしてしまって、本当は夕食の介助をしようと
 思ってたんですけど、すぐ帰っちゃったんです」
「大丈夫ですよ。それよりもお義姉さんの方が、大丈夫ですか?」
「すいません」
「今日は先生とお話があるんですよね。先生に連絡しますから、病室で待っててくださいね」
「おむつだけ買ってきますので、義弟の会社の方もいらしてるから病室で待ってます」

看護婦さんに心配までかけちゃったよ。
エレベーターを降りたところで、T部長とMさんに会った。
おむつを買ってくるので、先に行っててもらえるように言って
急いで戻り、病室の手前で会社の方に追いついた。

「弟くん、T部長とMさんが来てくれたよ」
「えっ?」

T部長とMさんの顔を見ると、起き上がろうとした義弟に

「あ、いいよ。起きなくていいから」(T部長)
「でもそういう訳にはいかないから」
「起きるの?」
「うん」
「じゃあ、ベッド起こすから、ちょっと待って」

そう言って、ベッドを起こした。
やはり部長さんが来たことで、少し緊張感が出たらしい。
けど、T部長が話しかけてもあまり良い反応ではなく
小さな声で何か話してるのだけど、聞き取りづらかった。
食事が終って髭剃りもしてもらったから、疲れたのかもしれない。
MさんはT部長がいたせいか、口数も少ない。
T部長も反応が薄いし、話してる内容もよくわからないから
何をどう話していいかわからないように見え、私に話しかけてきた。
義弟はそれを聞いてるのか?聞いてないのか?
ベッドは起こしていたけど、目をつむってしまうことも多く、話してる内容は
わかってない様子、話が途切れたところで

「弟くん、T部長さんとMさんが来てくれて、良かったね」
「うん」

と、うなづきながら少し涙ぐんだ。
あまり感情もなく、意思表示もなかった義弟なので、ちょっと不思議な感じだったけど
その理由は、その後の担当医の説明で納得が出来たんだけどね。
目をつむったり、私の顔をジッと見つめたりするので

「弟くん、聞きたいこととかはないの?何話していいか?わからない?」
「うん」
「でも嬉しいんだよね?」
「うん」

などと話してるところに、看護婦さんが車椅子を持って来た。

「すいません。リハビリの声がかかったので」
「リハビリ始めてるんですか?」
「そうなんですよ~、昨日から始めたんだよね~。Aさん」
「車椅子も乗れるようになったんですか?」
「そうなんですよ~」

そう言いながら、移動の準備が始まった。

「Aさん、自分で足動かしてね。動かしてくれないと車椅子に乗れないからね」

そんな風に声をかけていたので、高次脳のせいで自発はなく依存性が強いのは
変わりないだろうから、私も一緒に声かけをしながら、移動を手伝うことにした。

「Aさん、私につかまって。いい?移動するよ~」
「弟くん、右足動かして。この足動かすの」

が、右足を動かさないので、移動が出来ない。
義弟よりも私も小さくて細い看護婦さんに、義弟が抱きつく形で移動させるのだから
大変な作業だよ。

「ちょっと待って下さいね。車椅子少し動かします」

少し車椅子を移動させながら、声かけをして車椅子に移動。
1時間ほどのリハビリに出かけた。
関節が固まらないよう、リハビリをお願いしてると担当医から聞いていたけど
14日から、1日1回1時間ほどのリハビリが始まったそうだ。
先生の都合がついたら、呼んでもらえるように伝えて
待合室で会社の方とお話をすることにした。

今までの経過や今の義弟の状態。
これからガンマーナイフの説明が担当医からあるので、今後のことも聞くと言うこと。
経済的に厳しい状態なので、今でもお給料を頂けていることは
本当に助かっていることへのお礼。
今後自宅介護は、私自身が限界だから、出来ればこのまま自宅には戻らず
どこかの施設に入れればと思っていること。

などなど、私の愚痴まで話してるうちに涙が出てきてしまった。

「正直に言って、下の世話が一番辛いです。出来ればもうやりたくないのが本音で・・・」
「いや、お義姉さんはよくやってますよ。普通はここまで出来ないでしょ」(T部長)
「そうだよ。俺なんか、自分の子供のおむつだって変えられないのに」(Mさん)
「どこか良い施設が見つかればいいね」(T部長)

今現在私達夫婦が考えていることも話しているところに、看護婦さんが呼びに来た。
M先生との話しは、この後改めて書くけど、20分ほど話して
待合室で待っている会社の方にも、M先生との話を説明した。
結果としては、次の受け入れ先が見つかるまでは、病院で看てくれることになり
ガンマーナイフのことなども説明して、また何かあったら連絡することになった。
病室をのぞいたけど、義弟はまだ戻っていなかったので
駐車場の入り口まで送り、そこで別れた。

一服して病室に戻ると、義弟も戻っていて、ベッドに横になっていたんだけど
枕をしていないし、なんだか身体もおかしな形だった。
リハビリ後だから、何か意味があるのかな?と思い、とりあえずはそのままにして

「リハビリはどうだった?」
「やっぱり身体を動かすのは気持ちがいいな」
「そうだね、ずっとベッドの上だと関節が固まっちゃうもんね」
「そうだよな」

こうやって会話をしてみると、なんだか反応が良い。

「T部長とMさんが来てくれて、良かったね」
「うん、やっぱり来てくれると嬉しいな~」
「もうすぐTさんも来るよ」
「あ~、Tさんにさっき会ったよ」
「えっ?」
「○×△□※・・・・・」

その後が何を言ったのかわからず、どこで会った?と思いながら
また妄想族が始まったのかと思ってしまって、その場は話を合わせることにした。
しばらくして、Tさんが到着。

「さっきリハビリがんばってましたね」

と開口一番Tさんがそう言った。

「えっ?会ったの?」
「はい、リハビリ室で会いましたよ」
「さっきそう言っただろ~?」
「あ~、そう言ったね」

うそっ!短期記憶がちゃんとあるじゃん。
先ほどの話をして、私はすっかり妄想かと思っていたことを話して
Tさんと二人で、笑ってしまった。

義弟のリハビリの様子を見たTさんが言うには、平行棒に支えてもらいながら
立位の体勢で、歩行訓練をしていたらしい。

「動きも良かったので、ビックリしました」

私も聞いて、ビックリした。
今度リハビリの時間に間に合うようなら、様子を見せてもらうことにしようと思った。
会社の方も来て、リハビリもして、そしてTさんも来て・・・
が、時間はすでに4時を過ぎていたので、義弟は電池切れのようで
話しかけても、目も開けずに返事するようになって、反応も鈍くなってきたので

「じゃあ、憲児さん。帰りますけど、リハビリがんばってください」
「うん」
「弟くん、私もエリーのお散歩があるから帰るね」
「うん」

そのまま眠りについたので、また待合室で話すことにした。
M先生の話の説明をして、今後は家に戻ることはたぶんないだろうと言うこと。
このまま特養の申し込みは続けて、義弟が今の状態を保てるのであれば
受け入れ先が見つかれば、そこでお願いしたいこと。
階段用リフトも、とりあえず必要がなくなったので、返却したいこと。

などなど話すと、ケアマネさんの見解としては

おそらく介護度も5に近い 『要介護4』 か 『要介護5』 になる可能性は高く
『要介護5』 であれば、受け入れ易くはなるけど、脳腫瘍のことと点滴のの必要性が
あるとなると、また難しくなるらしい。
今の状態が保てたとして、どこかの特養に入れたとしても
また容態が悪化すれば再入院となり、その施設には100%戻れないだろうとのこと。
その後また容態が安定したとしても、次を見つけるのはかなり難しくなるらしい。

「病院で看てもらえるのが、一番ベストだと思うけど、いろいろありますね」
「とにかく自宅介護はもう限界だと思うんだよね。介護に直面したのは
 この半年だけど、その前も長かったからさ。もし家に戻すって言われたら
 私が首を絞めるか?主人が殴り殺すか?本当に介護虐待になりそうだもん(笑)」
「確立から言うと、それを発見するのは僕になりそうですよね。
 そんな連絡はしたくないからな~(笑)」

笑いながら話したけど、切実な気持ちだ。

ついでに父の話も少しした。
最近お薬をのみ忘れることが増えた。

「えっ?少し進みましたね」
「うそっ?やっと義弟の介護から解放されると思ったのに、やめてよ」
「ま、お父さんの場合は、もしもの時は毎日デイに行ってもらいましょう」
「そういう方法もあるのね」

今はまだお薬のことだけなので、デイに行く日は朝のお迎え時の電話で
お薬の確認をしてくれるよう、施設にお願いしてくれることになった。

ケアマネさんと駐車場まで一緒に行き、5時少し前に別れた。

なんだか忙しい、半日だったな。。。

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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