。。。家族の選択。。。

2009年8月25日この世を去った義弟の介護の日々。。。         2013年6月30日を持って終了しました。。。

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ありがとうございました!

2013.06.30 (Sun) 父の看護日誌

今年の1月、主人の父が急逝しました。

死後5日経って、お風呂の中で浮いているのが発見され
長男の主人と二人、いろいろな対応に追われて、怒涛の半年間でした。

義父の葬儀の直後に、娘の彩佳が妊娠・・・(笑)
父にひ孫の顔を見せてやれそうです。
さらに2ヶ月遅れて、義姉の長女も妊娠・・・(笑)
なんだか不思議な感覚です。

月に1.2度、主人の実家へ出向いたり、彩佳のことそして父のことと
毎日があっという間に過ぎていきます。

暗くならず笑いながら、父を看ることができているのは
義弟との日々のおかげだと感謝しながら
これからも、笑顔で父と向き合っていこうと思っています。

更新もままならず、ブログを維持していくことは難しいと思い
義弟との思い出、そして何かに躓いたとき
またこのブログを読んで、歩き出したいので残しておきますが
2013年6月30日を持って、『家族の選択』は終了させていただきます。

長い間読んでくださり、本当にありがとうございました!
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年末です!

2012.12.29 (Sat) 父の看護日誌

半年間も放置状態でした。
父の入院後の出来事を書いていこうと思ってたのに
なんやかやと、忙しく・・・

父が退院後、新しいデイにも慣れて、毎日
規則正しい生活も出来て、いろいろな手続きも終わり
あとは、結果待ちの状態になって
母のお墓の住所変更に行こうと思っていた8月下旬
今度は、愛犬エリーが体調を崩し、2ヵ月半の闘病の末
11月10日なつのいる、お花畑へ旅立ちました。

我が家で初めて迎えたわんこが、エリー・・・
その存在の大きさに、夫婦ともども寂しさを感じてる毎日です。
でも四女メイが、私たちの慰めとなってくれています。

さて、父の方ですが。。。

7月に申請いていた、パーキンソン病の特定疾患が
10月になって認定され、特定疾患医療受給者証が届きました。
これで、パーキンソン病に関する医療費が無料になりました。

秋口までは、調子良くデイに通っていた父ですが
寒くなるにつれ、時々めまいを訴えるようになりました。
身体を冷やさないよう気をつけながら、様子を看ていたのですが
11月28日、インフルエンザの注射をし、病院を出たところで
退院後、よく出ていた症状のチョコチョコ歩きから歩行不能になり
意識も低下、父を後ろから抱き抱えたまま動けなくなりました。
駅前通り、たくさんの人が通る中、四苦八苦してる時
声をかけてくれた方が、たった一人だけいたのだけど
病院後出た直後なんだから、その病院の先生を呼んでもらえばいいのに
私の頭の中は、R病院のⅠ先生のことしか思い浮かばず
少ししたら、父も回復してきたので、車まで歩いて戻れました。

朝の忙しい時間帯、困っている人に声をかける時間はない。
それはわかっているけど、義弟の時も父の時も
人の冷たさを感じることの多い中、人の温かさを感じると
やっぱり感謝と言う思いが湧くわけです。

その後から、午前中デイに到着するころになると
血圧低下から歩行不能になり意識も低下することが増えてきました。

そして、26日Ⅰ先生の受診日に聞いてみたところ

『自律神経障害』

と言う診断を受けました。
パーキンソン病の方には、よくある症状だそうです。
起立性低血圧により、めまいやたちくらみ、意識低下と言った
症状があるらしいです。
現段階では、まだお薬を処方するほどではないらしく
体調不良の時は、安静にして様子を看るしかないみたい。
次回4月3日の受診時までに、週に1度くらい
目が覚めて横になった状態、そこから起き上がり座った状態
そして朝食後の3回、血圧を測定して持参し
その様子で、血圧を安定させるお薬を処方するかどうか考えるそうです。

父本人は、インフルエンザの注射を受けたことも
その後、歩行不能になったことも・・・
ま、朝何かあっても、夜にはすっかり忘れているので
本人は、その時調子が良ければ、調子は良いわけで
本人がご機嫌なら、それで良いと思っているわけです。

今は月に一度、第三土曜から木曜日までの5泊6日
デイにお泊まりしてもらっているので、楽ちんではあります。
今月は、宿泊の後土曜日になって

「今日は、けんちゃん仕事か?」
「うん、そうだよ」
「元旦から仕事じゃ、大変だな~」

・・・って、おいおい・・・
年明けちゃったってか ( ´艸`)ムププ

「おとうさん、まだ年明けてないな~」
「ん~?そうか?」
「そうなんだよ、今日は12月22日だな」
「なんで俺、元旦だと思っちゃったのかな~(笑)」
「なんでだろうね~?(笑)」

なんて会話も、ザラでございます(≧ω≦)
今は、昼と夜が時々わからなくなるみたい。
朝良いお天気で、お日様がでているのに

「今は朝か?」

と聞かれることもあり、夜中テレビを見ている父に

「おとうさん、まだ夜中だよ」
「ん?雨だから暗いんじゃないのか?」
「違うよ。まだ夜中だから、寝た方がいいんじゃない?」
「そうだな。テレビ消してくれ」

なんてことも、日常茶飯事でごじゃります。

そして月に一度、けんちゃんが父の床屋さんをしてくれます。
NEC_1149.jpg

そして、丸坊主・・・
NEC_1150.jpg

元旦に、弟一家が来ることを話したら

「そうか、じゃあKとDにお年玉用意しとかないとな」

なんぞと、まともなことも言ったりします(爆)

とりあえずは、父が楽しく毎日を過ごせていることが
大事なわけなので、日々目標達成でごじゃります。

放置状態のブログでは、ありますが
今年最後の更新となりまして
来年からは、なんとか日々の様子を
更新出来ればいいな~と思っております。
それでは、よいお年をお迎えください!

デイサービス。。。

2012.06.11 (Mon) 父の看護日誌

介護保険の申請をしたのが、5年前の平成19年。
この5年間は、ずっと『要介護1』のまま過ぎた。

前任のケアマネTさんの勧めで、Mのさとに体験入所してから
週1回が、2回すぐに3回となり3年間は、週3回の通所だった。
1日置きに通所してたけど、週5回までなら『要介護1』でも
保険範囲内で増やせると言われて、最初は渋った父だけど
2年前の夏ごろ、通い始めたら週4回からすぐに週5回に増え
水曜日と日曜日がお休みで、週5回の通所となった。

デイの通所は、保険の範囲内でしか通えないと思っていた私。
ケアマネTさんも、保険の範囲で考えてくれていたわけで
今年に入って、父の様子が変わってきて、Tさんからも
泊まれるデイがあるから、私たちに用事があるとき
宿泊も出来るし、そのデイも利用してみては?と提案されていた。
担当がKさんに代わって、すぐに父が入院して

「もうMのさとに行けなくなっちゃった」

そう言うくらい、Mのさとに通うことが楽しみだった父だけど
退院後は、毎日デイに通いたいから、宿泊できるデイに
水曜日と日曜日に通えるか聞いてもらい、OKが出たけど
実費での支払いが、発生することもわかった。
介護度によっても、実費の額が変わるわけだけどね。

何度も書いたけど、最初は25名前後だったMのさとも
フロアーを拡大して、今は50名前後の利用者がいる。
利用者増えるということは、それまでとは同じようにはいかないわけで
父は座らせておけば、それほど問題なく過ごせる人だ。
通所3年くらいは、ゲームの賞状をもらってくることが多く
天気の良い日は、お散歩にも出かけて、公園でおやつを食べたりもしてた。
ここ1年ほどは、ゲームもやらなくなったし
計算のプリントを、持って帰ってくることが多く
お風呂や食事の話ししか、しなくなっていた。
Mのさとしか知らない父も私も、大勢の高齢者が通うデイだから
利用者さん同士で、コミュニケーションが取れて
父が通所を嫌がることもなかったので、こういうものだと思ってた。

で、新しいS本舗に通所し始めた父。
最初は、なんとなく腑に落ちない感じだったけど
だんだんと、S本舗の方が、しっくりきたようだった。

「おれ、今日泊まりになるかもしれない」

今考えると、こう言い出したのはこの頃だったように思う。
デイから戻った時の話しの様子で、父の気持ちが
MのさとよりもS本舗の方が、楽しくなって来てたのはわかっていた。
で、宿泊をお願いするのは、毎回土曜日になるだろうと思い
4月の中旬ごろ、土曜日もS本舗に通えるよう変更した。
Mのさとに行く予定だった日、朝から様子が変だった父。

「どうしたの?具合悪い?」
「いや~」
「Mのさとじゃなくて、S本舗に行きたいんじゃないの?」
「そういうわけじゃないよ」
「本当のこと言いなよ」
「おれにそこまで言わせるのか?」
「だって、おとうさんが楽しくなきゃ、デイに行ってる意味がないよ」
「そうか・・・」
「S本舗の方が、楽しくなっちゃった?」
「まあな、もう一つの方がゲームやったりするからな」
「じゃあ、月曜日もS本舗に行けるか、聞いてみようか?」
「そうだな」
「でも、Mのさとではリハビリもあるんだから、行かなきゃダメだよ」
「うん」

笑顔が戻ってきたので、さっそく連絡してみるとOKが出た。
宿泊する予定は、土曜日だけと思っていたけど
日曜日に出かけた場合、帰りの時間を気にしながらは
ある意味ストレスになるので、月曜日まで宿泊すると考えて
5月からは、火曜日・木曜日・金曜日は、Mのさと
月曜日・水曜日・土曜日・日曜日は、S本舗に通うことになった。
Mのさとの名前は覚えてる父だけど、S本舗はまだ記憶に留まらない。
木曜・金曜と二日、Mのさとに行くと

「次に、あっちに行くのはいつだ?」

と、聞いてくるようになった。
5月はS本舗に、12日・13日の2泊3日で宿泊してきた父。
もし帰りたいとか、娘に連絡を取ってほしいとか言った場合は
私の携帯電話に、何時でも構わないので連絡してくれるようお願いした。

「おとうさん、今日から月曜日までお泊まりだからね」
「そうか(笑)」

ニコニコ笑顔だった父ですが、夕方になって

「今日は帰らないの?」
「進さん、今日は泊まりだよ」
「じゃあ、娘に連絡しておいてくれ」

と言ったので、夜中に帰りたいと言い出すかと思ったそうだけど
何事もなく、2泊して帰ってきた。
戻った父に、話を聞いてみると

「いや~、一緒に泊まった人がよ、飲みに行こうって言ってさ」
「飲みに?」
「そうなんだよ~、みんなで着替えて準備してよ、行っていいか?
 聞きに行ったんだけど、ダメだって言われちゃったんだよ(笑)」

あったり前だの、クラッカー(古っ)だっちゅうの!
で、S本舗の職員さんに聞いたら常駐でお泊まりの利用者さんに
毎日、飲みに行く算段をしてる方がいるそうな(*≧m≦*)
帰りたいって、夜中に騒ぐ人もいれば
帰ると玄関を開けようと(開かないけど)する人もいるそうな。
いろんな人がいるんだろうな~と考えると
介護の仕事と言うのは、本当に大変な仕事だと思う。

今月は、16日から19日4泊5日での宿泊予定。
我が家は、17日2泊3日で恒例のわんこ連れ那須旅行に出かけます。
ありがたいことに、父も宿泊を楽しみにしてくれてます。

父に合ったデイに通うことが出来たことに、感謝です。。。

順調に・・・?

2012.06.06 (Wed) 父の看護日誌

父の経過。。。』で、書き忘れたこと一つ。

朝食を食べて、ハミガキも終わり、デイのお迎えが来るまでの間
居眠りをすることがあった。
電話が入り、起こして立たせると、足が動かなくなる。
時には、リフトにやっとこさ乗せても、目を瞑り白目になって
肩を何度叩いても、起きない時があった。
最初、この症状にはしびれてしまった。
どっかおかしい?また何かが起きてる?

「おとうさん!おとうさん!」

何度も声かけしていたら、4階の人が出てきて心配してくれたけど
目が覚めたら、いつもの父に戻った。
居眠りすると、覚醒するまで動きが悪くなることがわかって
待ち時間の間、声かけをして起こすようにした。
でもお薬が効いて、身体の動きが良くなってきたら
居眠りしていても起こせばすぐ、いつものように動けるようになった。

父の身体の方は、R病院のⅠ先生が言った通り
お薬が良く効いて、順調に回復しております。

そして父の頭の方も、順調に忘れ物が増えております(*≧m≦*)
増えていると言う言い方も、違うかもしれないけど・・・

我が家には、ラブラドールが2頭いる。
そのために、玄関を入ると外へ飛び出さないように柵をしてある。
父の部屋へも、自由に出入りできないよう、柵をしてある。
で、家具調のポータブルトイレは、普段父の椅子として使っているので

「オシッコしたくなったら、椅子の蓋をパクっと開けるんだよ」

と、日に何度も言ってるのだけど
ポータブルトイレの存在を、突如として忘れ
柵を動かして、家のトイレまでトコトコと歩いてくる。

たまに、家のトイレの場所がわからなくなり迷う。

玄関を入って右側、正面は私の寝室なんだけど
デイから戻ると、正面の部屋に入ろうとする。

同じ会話を、日に何度かすることもある。
たとえば同居をして、デイの通所バッグを変えたのねん。
食べこぼしや、紙パンツから漏れた場合に備え
予備の着替えと紙パンツ3枚、お風呂用のバスタオルと肌着を入れる。
宿泊もあるから、少し大きめのバッグにしたんだけどね。
このバッグ、今年のお正月XEBIOでナイキの福袋を買ったんだけど
グレーでピンクのラインが入った、私のバッグ
要するに女性用だから、父は気に入らないのかもしれない。
父が持って歩くことはないんだけど、ふと思いつくのか?
部屋のタンスを開けたり閉めたりして、何かを探し出す。

「何探してるの?」
「いや~・・・」
「いや~って、それは恵子たちのタンスだよ」

父のタンスの横に、私たちのタンスを一棹おいてあるんだけどね。

「何を探してるのか?言って」
「このかばんより、小さいのがないかと思って」
「このバッグじゃなきゃだめなの。小さいのじゃ入らないから」
「そうなのか?」
「そうなの。だからかばんは変えないのよ」
「わかった、わかった」

これ思いついた時は、朝に晩に3回以上繰り返すときもある。
で、同じようにタンスを開けたり閉めたり

「何か探してるの?」
「・・・・・」
「返事しなさいよ!なに探してるの?」
「別に・・・ただ見てるだけ・・・」
「そこは、恵子たちのタンスだけど」
「あ~そうか・・・」

これも始まると、数回繰り返す。
何かが気になったのだと思うけど、何が気になったのか?
思い出せないんだろうな。
探しながら、何を探してるのか?忘れると言うことだろう。

彩佳の顔を見て、「恵子?」と言ったこともあるけど
すぐに思い出した。

父の最後にしていた仕事は、水道工事である。
ファミレスが閉店後、工事に入るため夜勤仕事をしたこともある。
でもほとんどが、民家での水道工事だったらしい。

新しく通い出したデイ、S本舗の建物は普通の民家。
宿泊予定もあったので、その話も数回していたんだけど
水道工事をしていた頃の記憶が、蘇ったのかもしれない。

「おれさ~、今日泊まりになるかもしれない」

と、突然言い出した時、かなり動揺してしまった私。
でも否定するのは良くないと思って、話を合わせてみた。

「泊まりって?どこに行くの?」
「いや~、どこに行くか?まだ、わからないんだよ」
「ふ~ん、仕事なの?」
「なんだか向こうで、おれを使いたいらしいんだ」
「そうなんだ~」

ニコニコ笑顔で言われて、なんだか切ないような悲しいような・・・
泊まりで仕事に行くつもりなのに、ハミガキは補助されて
トイレに行けば、おパンツの上げ下げをしてもらい
階段用リフトには乗る。
なんとも、このトンチンカンさは、笑うしかない( ´艸`)

その日は、Mのさとへ通所の日。帰ってきたら

「おれに電話なかったか?」
「電話が来るの?どこから?」
「どこかわからないけど、会社かおれのとこに電話がくるんだ」
「ふ~ん、今日はなかったよ」

S本舗に行き、Mのさとへ出かけると、翌日こんなことも言い出した。

「今日は泊まりになるかもしれない」「おれに電話なかったか?」

この言葉を言われると、話を合わせていても
内心はちょっと動揺して、なんとも切なくて悲しくなったけど
2週間くらいの間に、数回繰り返し、最近言わなくなった。

時折、つじつまの合わないこともあるけど
この程度なら、大きな問題はなく
リフトも返却して、階段の昇り降りも、なんとか出来て
とりあえず、父が笑顔でいるなら、それでいいかと思う。。。

父の経過。。。

2012.06.05 (Tue) 父の看護日誌

私はまだ、パーキンソン病のことをちゃんと調べていない。
ある程度の知識は持っているつもりだけど、もっと勉強しようと思っている。
このブログを更新する前に、調べた方がいいんだろうけど
父の介護日誌として、このブログを更新していきたいので
今日に追いつきたいわけで、これが終わったら
私なりに調べてみるつもりでいる。

で、3月12日から約3ヶ月の間に起きたことを記録しようと思う。

退院直後は、ベッドに横になると、起き上がれなかった父。
でも3日目には、起き上がれるようになった・・・
と言うか、起き上がるコツをつかんだのかもしれない。

すり足がひどかったので、何もないところでもケツまづいたけど
家の中では、自力歩行は出来ていたので
本人も少し自信を持ったんだろうし、私も油断した。
その結果、退院して10日後に、トイレに入ろうとして転倒。
左手小指の付け根を、5針縫うケガをした。

整形外科に通い始めて、父が途中で足が前に出なくなる症状に
少しショックを受けた私。
消毒に通い、デイに送る毎日で、Mのさとに行くと
車から施設内の椅子のにたどり着く前に、やはり歩けなくなり
膝カックンすると、足に力が入らなくなる父を
職員さんに両脇から抱えられる姿は、ちょっと悲しかったけど
これが、パーキンソン病なら、受け入れなくてはいけないと思ってた。

R病院のⅠ先生に、退院後もお薬を増やしてもらって
お薬が効くから、入院前と同じように歩けるようになるという
言葉を信じて、5年間通っていたMのさとでも、リハビリをお願いした。
階段用リフトで、5階から降りて行くと、下に付くまで10分程かかる。
なので、15分前には連絡をもらっていたのだけど、電話が入ると
すぐに自宅を出て、雨が降っていなければ、一緒に歩く練習もした。

Mのさとでは、歩行距離が長いので、足が前に出なくなる症状は
私が気が付く以前に、Mのさとの職員さんは知っていた。
おそらく私も気付いていると思って、特別報告もなかったのだと思う。
たくさんの利用者さんを看ているわけだから、私よりも
こういう症状の対処の仕方は、プロなわけだ。
Mのさとには、高齢者用のマシーンがある。
それらも使用するよう促してくれて、筋力が落ちないように
見守ってくれていた。
家では、歩行に問題はなかったし、S本舗は民家を利用しているので
自宅にいるのと変わらない。
だからS本舗では、足が出ないという症状は出なかったらしい。

父が入院してから、父の部屋・我が家の片付けやら
役所などの手続き、さらにはケガによる通院と
父の退院後、1ヶ月近く経って、気が付いた。
自宅で、父の排便する姿をまったく看てなかった。
夜4~6回ほどの排尿はあるけれど、排便がない。
S本舗では、連絡帳に排便排尿の回数が載ってるけど書いてない。
Mのさとの連絡帳には書かれていないので、確認してみると
数回排便があったと言われたので、今後は排便があった場合
連絡帳に、書いてもらえるようお願いした。

それと、4月5日の受診の際に、Ⅰ先生に排便の話をすると
マグラックス300㎎を処方された。
まずは3錠から初めて、排便の様子で最高6錠まで
硬かったら増やして、緩かったら減らす。
父の排便の様子で、お薬を調整するように言われた。
が、このお薬の調整が難しい。
マグラックスを飲み始めて3日目、デイから戻って排便あり。
でもスッキリ出た後が、お水のような便になる。

ポータブルトイレを購入してあるけど、排便の時には
自宅のトイレを使用したがる父。
父の部屋からこちらに向かってくる

「どうした?う○ち?」
「そう」

と言いながら、バ~ビブ~ベボ~と音がして

「あら?出ちゃった?」
「うん」

で、一緒にトイレに行けるときは、うまく紙パンツを下ろして
お尻もきれいに拭け、トイレを汚すこともない。

入院中もデイではもちろんだけど、私に対しても介護拒否はまったくない。
ところが、主人や弟には、恥じらいがあるらしい。
介護拒否はないけれど、嫌がるそぶりをみせる。
入院中、書くのを忘れていたけど、部屋の片付けをしていた
3月10日に、弟が手伝いに来た。
その帰りに、弟と一緒に面会に行った時、ベッドにうまく横になれず
私がベッドに乗り、父の身体を持ち上げ寝かせると

「あんまり格好悪いところ、見せないでくれよ」

と、こっそり言った。
弟には、まだ父親の威厳を持っていたいらしい。
主人に対しては、やはり気を遣うんだろう。
主人もそのことをわかっているから、私からヘルプがなければ
介護に関して、手を出すことはない。
が、私がお風呂に入っているときに、モヨオシタ父。
主人はテレビを見ていて、トイレのドアが閉まる音で気が付き
トイレの隣がお風呂なので、私も気が付いた。
主人が声をかけても、「大丈夫」としか言わない父。
ところが、トイレから出てきた父は、ズボンに便を付けた状態。
ズボンの中身は、もっとひどい状態だとすぐわかるわけで
あわててトイレを確認したら、トイレの中も便が・・・

「お父さん、着替えないと」
「いや、大丈夫だよ~」

と、言われても放っておくことは出来ないわけで

「でもお父さん、気持ち悪いでしょう」

と言いつつ、主人は嫌がっているのはわかっていたけど
対処してくれていたわけです。
私も、大急ぎでお風呂から上がり、父の部屋に行くと
ズボンを下ろされた父は、情けない顔で主人にお尻を
拭いてもらっていたのだけど、私を見て訴えるような目に

「お父さん、お風呂で洗っちゃおうか?」
「そうだな、その方が、いいな」(主人)
「うん」

と、うなづいた父の手を取ると、ホッとした顔になった。
で、お風呂に連れて行き、お尻をきれいに洗い拭き上げた後
洗面所の椅子に座らせ、着替えをさせた。
その間主人は、トイレや部屋に付いた、便の処理をしてくれた。

「さっぱりしたね」
「うん、ありがとう」

主人と私にそう言って、いつもの椅子に座って落ち着いた。
そんなことが、数回あった。

排便コントロールは、難しい・・・
こういうことがあると、2日程お薬を中止して、また服用させる。
でも便が緩いので、2錠に減らしてみたけど、まだ緩い。
で、結局1錠を毎日服用、排便があると1日お休みするんだけど
しばらくお水のような便が出て、父も不快を訴える。
で、4月19日の受診の際に、そのことを伝えると
マグラックス250㎎を2錠に変更になった。
その後も調整しつつ、様子を看てたのだけど
このところは、毎日2錠服用して、3日~4日に一度排便がある。
お腹の張りも訴えないし、硬くて切れるということもないから
このまま様子を看ているところです。

そして5月も中旬になって、父の歩行が安定してきた。
Mのさとの連絡帳にも、安定してきたと書かれるようになり
デイに行く前の歩行練習でも、足の運びが早くなってきた。
Mのさとでも、褒められることが多くなったようで
父もだいぶ自信が付いてきたらしく、高齢者用のマシーンを
進んでやっていることもあるそうな。

歩行が安定してくると、階段用リフトに乗るのを嫌がるようになった。
階段を昇るなら、前にコケるだけで済む。
でも降りるときは、ヘタすると顔面から落下することになる。
歩行が安定してるとは言っても、階段の昇り降りはどうなんだろう?
5階から一人で父を支えて降りるのは、私の自信がなかった。
デイに行く時、帰って来た時

「これに乗るの?いらないんじゃない?」

と言う父をなだめて、リフトに乗せる毎日だったけど
5月27日の日曜日、主人に頼んで、一緒に階段を降りてもらい
もし途中で降りれなくなったことも考えて、私は後から
誰も乗ってないリフトを降ろしながら、追いかけた。
私が階下に到着するまで、一人で立って待っていた父。

「全然問題なく、降りて来たよ」

主人も父も、ニコニコ笑顔でごじゃいました。
帰りも、主人に付き添ってもらい階段を昇った父。
これでまた、父に自信がついてしまった。
主人に聞くと、わりとしっかり昇り降り出来ているらしい。
ならば、これもリハビリの一つだと思って、やらせてみようと思った。

「明日から、リフト使うのやめようか?」
「うん、そうだな」

父はやる気満々なので、こっちもやるしかない。
義弟の時にも使用した、降りたたみ式の椅子を持ち
疲れたりしたら、椅子を広げて休めばいい。
階段を降りる時、万が一のことが起こったら
後ろに引っ張ればいいと思った。
尻もち付くだけなら、大きなケガにはならないだろう。
昇りは、前にコケるだけだろうし、3階と4階の間の踊り場で
折り畳み式の椅子を広げて休憩を取れば、どうにかなりそうだと思った。

降りるときは問題なく、昇りは3階を超えてくると
足の運びは遅くなるものの、休憩するときもあれば
一気に昇るときもあり、一気に昇ると
玄関を入るときに、フラつくこともあるけど
1週間、階段を自分の足で昇り降り出来た。

福祉用品の中で、一番高額なのが階段用リフトでごじゃる。
一旦返却して様子を看て、もしやっぱりダメだった場合
またすぐ借りることは出来るか?
ケアマネさんに相談したら、まったく問題なく出来るとのこと。
なので、6月4日に一旦返却してしまいました。

「リハビリと思って、がんばろうね。おとうさん」

黙ってリフトに乗っていた父だけど、どこかで抵抗があったんだろう。
昇るときは、3階を超えるとヒィ~ヒィ~言っとりますが
父なりにがんばっている、毎日です♪

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プロフィール

恵子

Author:恵子

2000年3月
『悪性脳腫瘍』と診断された義弟。
手術をしても余命2年。。。
いろいろなことがあって
いろいろな思いもあったけど
だけど、義弟も私達夫婦も
同居して約8年間がんばった!
2009年8月25日
午前10時59分
義弟がこの世を去るまでの
看護・介護の日々。。。

父の介護は
義弟の日々とのおかげで
暗くならずに過ごせています。

いろいろあって
ブログ維持が難しくなり
義弟との思い出として
ブログは残しますが
2013年6月30日を持って
終了しました。

長い間、読んでくださり
ありがとうございました。

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